第10話 最後の足掻きと孕み姫へのプレリュード
数週間に及ぶ昼夜逆転した狂乱の「儀式」の日々。
王宮の地下深く、窓のない豪華絢爛な「白百合の離宮」にて私、勇者ミナの身体は着実にそして不可逆的に作り変えられていた。
肌は内側から発光するように艶めき、常に甘い果実のような香りを漂わせている。それはソフィア様から注ぎ込まれ続けた王家の魔力が、私の細胞一つ一つに浸透し完全に定着した証だった。
毎晩毎晩、あの手この手で開発され種(魔力)を注がれ、ヤンデレ三人組にケアされる。そんな生活を続けていれば普通の人間ならとっくに廃人になっていただろう。
だが私はまだ諦めていなかった。
(ふ⋯⋯ふふふ。甘いな、ソフィア様、そして三馬鹿ヤンデレトリオよ。私の目はまだ死んでいない⋯⋯!)
ベッドの上で私は虚ろな瞳(演技)で天井を見上げながら内心で闘志の炎を燃やしていた。
認めよう⋯⋯確かに身体の自由は利かない。思考も時々、快楽の波に飲まれて霧散しそうになる。ソフィア様に抱きしめられると尻尾を振って甘えたくなる自分がいるのも否定できない。
だが! だがだ! それはあくまで「身体のバグ」! 私の魂の中核にある「男としての意地」は、まだ辛うじて生き残っている!
(このまま腹が膨らんだら本当にゲームオーバーだ。バッドエンド直行便だ。その前に⋯⋯なんとしてでも逃げる!)
私はこの数週間、廃人のフリをして油断を誘い続けてきた。
「あぁ⋯⋯ソフィア様⋯⋯もっと⋯⋯」と甘い声で強請りながら彼女たちの監視のパターンを完璧に解析していたのだ。
――そして、ついにそのチャンスが訪れた。
この日、ソフィア様はどうしても外せない公務――隣国との外交会議のため数時間だけ離宮を離れることになった。
「いい子にしていてくださいね、ミナ。すぐに戻りますから」
そう言って額にキスを残して彼女は去っていった。
残る監視役はエレナ、ルナ、ヴァネッサの三人、彼女たちは私の「お世話」にかまけて油断しきっている。
今も「ミナ様のために滋養強壮の特製スープを作ってくる」「最高級の入浴剤を調合してくる」と言って三人揃って別室へと向かった瞬間だった。
部屋には私一人――鍵はかかっているが、そんなことは問題ではない。
(今だ⋯⋯ッ!)
私は震える手で虚空を操作した。
チートで貰った私専用の亜空間収納――魔力の使用を封じられていた頃は使えなかったが、ソフィア様による「開発」が進んだ結果、皮肉にも私の魔力回路は活性化し、この機能へのアクセス権が復活していたのだ。
私が取り出したのは一枚の古ぼけた羊皮紙。
かつての魔王討伐の旅の途中、超難関ダンジョンの隠し宝箱から入手した激レアアイテム――《完全ランダム転移のスクロール》。
行き先を指定できない代わりに、あらゆる結界や妨害魔法を無視して世界のどこかへと強制転移する最終脱出手段だ。低確率だが海の底や空の彼方にも通じてしまうが背に腹は代えられない。
(見たかヤンデレ共! これがRTA走者として鍛えた諦めない心だ!)
私はスクロールを広げて魔力を込めた。
行き先なんてどこでもいい。魔物の巣窟だろうが極寒の雪山だろうが、この「種付け監禁部屋」よりはマシだ!
(さらばだ、頭のおかしい女ども! 私は自由を掴み取る!)
スクロールが眩い光を放つ。
空間が歪み、私の身体が粒子となって分解されていく感覚。
勝利の確信と共に私の意識は光の中へと消えた。
☆
シュンッ! と風を切る音がして私の足が地面を踏みしめた。
むせ返るような緑の匂い。
頬を撫でる自然の風。
そして頭上に広がるどこまでも高い青空。
「は⋯⋯、はは⋯⋯っ」
私は膝をつき震える手で地面の土を握りしめた。
成功だ。脱出できた。
周囲を見渡すとそこは見覚えのない深い森の中だった。木々の植生から察するに王都からは数百キロ、あるいは数千キロ離れた辺境の地だろう。
「やった⋯⋯! やったぞぉぉぉぉっ!!」
私は立ち上がり空に向かって両手を突き上げた。
涙が溢れて止まらない。
あの黄金の鳥籠から、あの恐ろしい性愛の地獄から、ついに逃げ延びたのだ。
「ざまぁみろソフィア様! ざまぁみろ三馬鹿ヤンデレトリオ! 私の勝ちだ! これからは名もなき村娘Aとして、スローライフを送ってやるんだからなぁあああ!」
私は勝利の雄叫びを上げて大きく深呼吸をした。
空気が美味しい。自由の味がする。
これで私の人生はリスタートだ。まずは近くの川を探して身体に染み付いたあの甘ったるい香油の匂いを洗い流そう。そして――。
「あらあら。随分と遠くまでお散歩ですね、ミナ様」
――え?
心臓が早鐘を打つどころか一瞬完全に停止した。
背後から聞こえた声――聞き間違うはずがない。私の鼓膜に、脳髄に、骨の髄まで刻み込まれた、あの鈴を転がすような優雅で甘美な声。
ギギギ⋯⋯と、錆びついたブリキのおもちゃのように私は首を後ろへ回した。
そこには――。
「ごきげんよう。良いお天気ですね」
森の開けた場所に突如として出現した「王立サロンスペース」があった。
白塗りのテーブルと椅子、優雅に湯気を立てるティーセット。
そしてその椅子に腰掛け、カップを片手に微笑む、銀髪の美女――ソフィア王女殿下。
彼女の背後には完全武装の近衛騎士団が整列し、さらにその脇には杖を構えたエレナ、ルナ、ヴァネッサの三人が控えていた。
彼女たちは息一つ切らしていない。汗一つかいていない。
まるで「私がここに来ることを最初から知っていて、数時間前から待ち構えていた」かのような涼しい顔だった。
「ひ⋯⋯、ぁ⋯⋯」
声が出ない。腰が抜けて私はその場にへたり込んだ。
ありえない。
私は《完全ランダム転移》を使ったのだ。行き先は神のみぞ知る完全な乱数。私自身でさえ、どこに飛ぶか分からなかった。
なのに、どうして。
どうして彼女が「先回り」しているんだ?
「ど、どうして⋯⋯? 転移先が、分かるはず⋯⋯っ! 私はランダムに⋯⋯!」
震える声で問う私にソフィア様はカップをソーサーに置き、困ったような、それでいて愛おしげな顔で首を傾げた。
「ふふっ。まだ理解されていませんか? 私と貴女は、もう(一つ)なのですよ」
彼女は立ち上がり、ゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。
一歩、また一歩。
死神の足音よりも静かで確実な絶望の足音。
「王家の者は自分と交わり、魔力を通わせた勇者の(神核)の位置を、世界のどこにいても正確に感知できるのです。聖血感応――貴女が地の果てに行こうと異次元に逃げようと、私の手のひらの上にある光点として常に把握できています」
GPS機能付きかよ⋯⋯!? そんな設定聞いてない! 魔力パスが繋がってるって、そういう意味も含んでたのか!
「で、でもっ! たとえ場所が分かったとしても、こんな短時間に先回りなんて⋯⋯! 私は一瞬で転移して⋯⋯!」
そうだ、そこがおかしい。私が転移した瞬間に感知して追いかけたとしても準備して、お茶会セットまで広げて待っている時間があるはずがない。
私の問いにソフィア様は悪戯っぽく唇に指を当てた。
「あら、言っていませんでしたか? 私の固有魔法は――時間操作であると」
はい?
時、間、操、作?
「貴女が転移した瞬間、私は時間を止め、あるいは巻き戻し、貴女が到着する未来に合わせて余裕を持って準備を整え、ここでお待ちしていたのです」
ソフィア様は、にっこりと微笑んだ。
「だって、到着したばかりのミナ様を驚かせてあげたかったのですもの。どうです? サプライズ、成功しましたか?」
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯)
私は口をパクパクと開閉させたまま、言葉を失った。
GPS機能付きに時間操作?
嘘だろ。そんなのチートとかいう次元じゃない。運営権限(GM)だ。
つまり私がいつどこに転移したかも、全部リアルタイムどころか過去改変レベルでバレてて、私は必死に「やったー!」とか叫んでる間、彼女たちはピクニック気分でそれを鑑賞してたってこと⋯⋯?
ソフィア様⋯⋯この世界のパワーバランス、崩壊してませんか⋯⋯? 魔王より強いだろ、あんた⋯⋯。
☆
心の中で何かが崩れ落ちる音がした。
それは私の最後の希望――男として、ゲーマーとしての意地、あるいは逆転への執念。
それら全てが圧倒的な「格の違い」の前に粉砕された音だった。
物理的にも魔法的にもシステム的にも。
この人から逃げることは、この世界が存在する限り不可能だ。
私は膝から崩れ落ち、虚ろな目で地面を見つめた。
最後の切り札だったスクロールはもうない。あったとしても逃げ場がない。
「さぁ、帰りましょう、私の可愛いお姫様」
ソフィア様が私の前に跪き、優しく私を抱きしめた。
その体温は温かく、恐ろしいほどに心地よかった。
あんなに怖かったはずなのに。逃げたかったはずなのに。
彼女の腕の中に収まった瞬間、私の身体の震えがピタリと止まり安堵のため息が漏れてしまったのだ。
「はぁぅ⋯⋯ぁぅ⋯⋯っ」
「可哀想に。こんな薄着で外に出て。お腹を冷やしては大変ですからね」
お腹? ソフィア様の手が私のベビードール越しに平らな下腹部を愛おしそうに撫でる。
その瞬間――ドクンッ!! 下腹部の奥底で何かが脈打った気がした。
それと同時に強烈な吐き気が喉元まで込み上げてきた。
「うっ⋯⋯!?」
私は反射的に口元を手で押さえた。
胃の中身が逆流するような不快感ではない。もっと根源的な、身体が作り変えられることによる拒絶反応――いや、適応反応だ。
その様子を見たルナが即座に杖をかざした。
「⋯⋯解析完了。ミナの胎内に微弱ながら確かな魔力循環を確認。⋯⋯ソフィア殿下の魔力とミナの神核が融合し、新たな生命の核を形成」
ヴァネッサが歓喜の声を上げて空を仰いだ。
「おお⋯⋯! ついに! ついにご懐妊か! 儀式は成功したんだ!」
「まぁ、なんて素晴らしい⋯⋯! ミナ様、おめでとうございます! 王国に新たな光が宿りましたわ!」
エレナが涙ぐみながら拍手をする。近衛たちがそれに続き盛大な拍手の音が森に響き渡った。
(え⋯⋯? 嘘、でしょ⋯⋯?)
私は呆然と自分の腹部を見下ろした。
男の心で。女の体で。
私、孕まされたの⋯⋯?
この腹の中にソフィア様との子供が本当に⋯⋯?
(クソッ⋯⋯クソッ⋯⋯こんなの、こんなのぉ⋯⋯!!)
涙がボロボロと溢れ出した。
それは絶望の涙だった。かつて「美少女が曇る展開」を愛し、人の心を弄んできたゲスゲーマーへの究極の因果応報。
自分が最も見たかった「曇らせ」を自分自身の身体で、逃げ場のない現実として味わわされている。
最強のヤンデレたちの手によって「勇者」という記号は剥ぎ取られ「孕み姫」という究極の愛玩動物へと堕とされたのだ。
だけど、だけど私の身体は――。
「うっ⋯⋯ぐすっ⋯⋯ソフィア、さま⋯⋯」
絶望の涙を流しながらも無意識にソフィア様の胸に顔を擦り付け、その匂いを深く吸い込んでいた。
落ち着く。安心する。嬉しい。
そんな感情が男としての理性を容赦なく塗り潰していく。
お腹の中の命が「パパ(ソフィア様)」の存在を感知して喜んでいるのが分かる。
悔しい。情けない。
なのに、幸福感が止まらない。
「私の赤ちゃんを孕んでくれてありがとう。嬉しいわ、ミナ」
ソフィア様が私の濡れた瞳を覗き込み、唇に優しいキスを落とした。
チュッと音を立てて離れた時、私の瞳からはハイライトが消え失せ、代わりにトロンとした甘いハートマークのような光が宿っていた。
1%の意地、最後の抵抗――それらは森の風と共に彼方へと消え去った。
「はぁい⋯⋯ソフィア様⋯⋯♡」
私の口から自分の意思とは関係なく、甘く蕩けた言葉が紡がれる。
「私も⋯⋯嬉しい、です⋯⋯♡ 赤ちゃん⋯⋯できて、よかった⋯⋯♡」
私は自らソフィア様の首に腕を回して、だらしなく笑った。
森の木漏れ日の中、勇者ミナの物語は幕を閉じ、王女ソフィアの愛妻としての第二の生が始まった。
もう、ログアウトボタンなんてどこにもない。
ここが私の幸せな現実なのだから。




