ある男の回祿
…一目惚れだった。
感情の起伏が皆無であり、俺自身もそれを自覚していた。
だと言うのに、俺は今…、彼女から目が離せない。
恋に溺れる人間がこの世で最も理解致しがたかった。
それに対し、今の俺はどうだ。
まるで己が忌諱していたものに、成り下がっている。
「我が愛娘、シルフィア・フォン・シフティーナだ。シルフィア、挨拶を」
「シフティーナ家長女、シルフィア・フォン・シフティーナと申します。この度は遠方からはるばるご挨拶にお越しいただき感謝します」
白い絹が幾重に重なった髪、ラビリンスを嵌め込んだ深い藍色の瞳。
幼さを感じさせない立ち振舞いは【高潔】そのものだ。
これは為るべくして持ち合わせた人の上にたつ素質。
欲しい…。
俺はこの時初めて、衝動に駈られた。
『欲しい』と思った。
この少女を手に入れないと飢餓感に埋め尽くされ怪我狂うとさえ、思ったのだ。
経験したことのない衝撃に思考を停止させていたからか、父に遅れをとった。
「これはこれは。噂の【妖精姫】とは誠にございましたか。このような素晴らしい歓迎をありがたく頂戴致します。此方は不貞の息子ではありますが、紹介を」
「ラティッチェ家嫡男、グレイル・ノスートと申します。貴方のような麗しい貴婦人と拝謁できましたことに感謝を」
社交辞令としては覚えても決して述べないと思っていた言葉がすらすら出てくる。
差し出された手の甲に口付けをすれば咄嗟
にという反応で手を引っ込められた。
その目には怯えの感情があり、公爵の裾を小さく摘まんで庇護を求めている。
その仕草がどうも癪に触る。
たとえ肉親であろうと、俺以外に庇護を縋ることへの憤りだ。
そんな下等な感情は完璧に押さえ込んでいる筈なのに、何故か感じ取りやはり距離をとられる。
まだ男爵と公爵の地位の差と考えれば妥当だが、彼女に限ってそのような理由はあり得ないと言える。
ということはやはり、俺の本質を本能的な直感だけで気づいたのだろう。
「グレイル! 何か粗相を」
「いや、こちらこそすまない。シルフィアは緊張してしまったようだ」
「…何か粗相を働らいてしまったのであれば大変申し訳ございません。シルフィア様のお心を害してしまったことに深く謝罪致します」
「い、いえ。…此方こそ、申し訳ありません」
こうして妙な雰囲気のまま大人だけの会談に移り、シルフィア嬢は体調不良の為部屋に戻って閉まった。
その間俺は一人別室で待機し、シルフィア嬢を手に入れる最速かつ最適な策を練る。
まずこの国で爵位を十年以内に上げることは不可能。
こんな平和ボケした国に爵位を上げるだけの口実もなければそれに繋げる戦争も起きない。
ならば対象を切り替えて狙うは帝国だろう。
完全実力主義とだけ謳う帝国ならば爵位を手にすることなど造作もない。
そして奴らは近年水面下で王国に戦争を起こす準備をしている。
王国側で参戦し、幾つもの無駄な手順を踏まえるよりよっぽど楽だ。
彼女には【妖精姫】などと崇めたてられるほど民の人気を持つのだから領地の民でも人質とすれば壊さずに済む。
臆病風に吹かれる愚物としか捉えていなかった男がこの様に役立つ日が来るとは…。
心からの微笑みに愉悦を漏らし、差し出された紅茶を一気に飲み干した。