6 小鳥夫人の旦那様の優雅な生活
「タンガの奴が自慢しておったが、確かに可愛らしい」
「本当に。ルチア夫人がお話していたとおり、これは『魔王と小鳥』ねぇ」
ちょっと王妃殿下が何を言っているのかわかりません。
「してアルダンはハドリー嬢のどこに惹かれたのだ?」
「私も聞きたいわ」
国王陛下からの問いにアルダン様がそっけなく答える。
「話すほどの理由はありませんよ」
元はお金で売られた条件重視婚ですからね。ロマンスなんてありません。
「まぁ…、相変わらずつまらない子ねぇ。ハドリーさんは辺境伯のどこに惹かれたの?やはりお顔かしら」
えぇっ、私に聞くのですか?恋愛結婚でもないのに…。
「ハドリー、答えなくていい。からかっているだけだ」
軽く混乱していたが、アルダン様の言葉で少し冷静になる。そう、これですよ。
「アルダン様は私が困っていると必ず助けてくださいます。今日も…、社交デビューをしていない私を心配して、ずっと側にいれば良いと言ってくださいました」
「まぁ…」
王妃殿下の目がキラキラと輝き満足気に頷いた。
「本当に良い結婚をしたようね。王都での結婚式には私達も招待してね。お祝いがしたいわ」
結婚式に王族…、断りたいけど、断ったら駄目なやつですよね。
なんとか挨拶を終えて、次はオズウェル第二王子殿下と王子妃にご挨拶。
「まぁ、確かに『闇の精霊王と妖精さん』ね」
違います。
王子妃殿下、何をおっしゃっているのですか、違いますよ~。ノエ様に何を吹き込まれたの、信じてはいけません。
「やっと結婚したな、本当に良かった」
金髪碧眼のキラキラした王子殿下が。
「おまえがいつまでも結婚しないせいで私まで男色を疑われて迷惑していた」
いえ、本当に何をおっしゃっているのか。
確かに私も疑ってはおりましたが。
「迷惑料として新しく作っている温泉街に招待されてやろう」
「完成は一年以上、先ですよ」
「温泉、いいよなぁ。湯をたくさん使えるだけで贅沢な気分になる」
「私も楽しみにしているのよ。温泉といえばお肌に良いと聞くし、身体を温めると体調も良くなるのでしょう?女性に冷えは大敵ですものね」
アルダン様と仲が良いのは本当のようで、なんとか第二王子殿下へのご挨拶も終了。
次はダンス。さっさと一曲踊って、あとはのんびり過ごすのだ。
ダンスは一曲だけ…ではなく、続けて三曲も踊ってしまいました。さすがに疲れてヨタヨタと壁際に向かう。
メリルが来てくれたので二人で化粧室へ行き、その後は果実水をいただいて休憩。
大広間に隣接した続きの間には、食事やデザート、飲み物が用意されている。椅子も用意されているが休んでいる人は少ない。
「ハドリー様、ダンス、とてもお上手でしたよ」
「本当に?だとしたらアルダン様のリードのおかげね」
二人で話していると。
ツカツカ…と五人のご令嬢が近づいてきた。そして挨拶もなくいきなり。
「アルダン様をどうやって騙したの?」
「卑怯な手を使ったのでしょう?貴女、子爵家ですってね。下位貴族のくせに図々しい」
メリルが私の手を引いたが、大丈夫…と頷く。
この方達はアルダン様のファンのようね。
精一杯の悪い言葉で私を罵倒しているけれど、タウシッグ男爵夫人の暴言に比べると破壊力に欠けるし、攻撃力も低い。
「ちょっと顔が可愛いからって」
「小鳥令嬢と呼ばれているそうね。ほんとうに小さくて貧相」
この辺りは誉め言葉に聞こえます。そして。
「貴女の父親は商売の才能もなく遊び惚けているそうではないの」
「レンクス子爵は無能だと王都でも噂されているわ」
確かに無能、同感です。
思わず微笑んで頷いていると。
「何をしている?」
アルダン様が様子を見に来てくださった。背後にメリルの婚約者がいるので呼んでくれたのかな。
「アルダン様、皆様、アルダン様のファンのようですよ」
「……一方的に攻撃されているように見えたが?」
「いえ、心配されるほどのことはございません。実は私には家庭教師がおりまして、その方がなんというかかなり強烈な夫人で…。タウシッグ男爵夫人の支離滅裂な罵詈雑言に比べれば、お嬢様達の苦言など微笑ましいほどですわ」
「タウシッグ男爵夫人…ですって?」
令嬢の一人がぎょっとしたような顔をした。
「まぁ、ご存知でしたか?」
「ご存知って…、直接は知らないけど最近、王都で噂になっているのよ」
妊娠して出産したが夫にはまったく似ていなかった。
しかし男爵夫人が『夫の子供だ』と言い張って大騒ぎしたせいで、収拾がつかなくなりついに王都にまでその悪名を轟かせることになった。
「わぁ、あの男爵夫人と不倫って…、なかなか勇気のある男性ですね」
「それが相手はどうも庭師らしいわ」
「まぁ、なんて浅はかな」
「やっぱりそう思う?手近な場所の平民を選ぶとか、正気を疑うわ」
「あの方には最初から正気も常識も良心もありません」
自分が正しい、全てにおいて自分中心…の人だった。
「それは庭師にとっても災難でしたね。無事に逃げ切れることを祈るのみです。タウシッグ男爵夫人は蛇のように執念深くサディスティックな方ですから」
令嬢達が呆れたようにため息をつく。
「あなたの父顔はそんな女を家庭教師に選んだの?」
「王都でも評判の無能ですから」
「無能すぎるわ。家庭教師なら他にもっと素晴らしい先生がいくらでもいるのに」
「では紹介していただけますか?恥ずかしながら、まともに淑女教育を受けたこともなく…。いつかアルダン様にまでご迷惑をかけそうで」
令嬢達があの人は、この人は…と相談をして三人にまで絞ってくれた。
「この方達は条件によっては辺境伯領まで行ってくれるはずよ。皆様、独身で令嬢教育に生涯を捧げていますから」
「ありがとうございます!今、辺境伯領で温泉街を造っておりますの。完成したら皆様をご招待しますね」
メリルに頼んで家名を控えてもらう。
これで温泉街のお客様、ゲットね。流行は女性が生み出すものだと誰かが言っていたもの、しっかりと仲良くなっておかなくては。
「では、またね、ハドリー辺境伯夫人。お手紙、書かせていただくわ」
「はい、皆様とお会いできる日を楽しみにしております」
ご令嬢達は和やかな雰囲気で去っていった。
「いい子達でしたねぇ」
「………そう、なのか?」
「あの程度、悪意のうちに入りませんよ」
何よりも怖い悪意は『無意識』に行われるものだ。意識しての悪意ならば改善する見込みもあるが、無意識の場合は正しようがない。
「アルダン様も何か飲まれますか?」
「あぁ…、ハドリーは何を?」
「果実水ですよ。緊張しているせいか食欲はあまりなくて」
話しているとアルダン様と顔見知りの貴族が挨拶に来た。会話はアルダン様にお任せして微笑んでいるが、中には私を巻き込もうとする方もいる。
「奥さんを独り占めしたいのもわかるが、ダンスくらい良いだろう?」
アルダン様が断ってくださるが中にはしつこい方や、酔っ払って強引に触れようとする方もいる。
そんな時はこの外見を最大限に生かして、脅えた表情でアルダン様の腕にしっかりと縋りつく。
「妻はまだ社交に慣れていない。脅えているので遠慮してくれないか」
庇護欲をそそる姿にますますムキになる男性もいたが、そういった方は強制的にご退場いただく。
何を考えているのかしら?
こちらは伯爵…とはいえ辺境伯の称号をいただいているし、若いと言っても辺境伯様本人とその夫人(どや顔)よ。私がその地位にふさわしくないことも、慣れていないことも自覚しているけど、表向きは礼節をわきまえてほしいわ、ほんと。
わかっているのかしら…、ねぇ、レンクス子爵。
恥ずかしげもなく私達の前に現れた父…レンクス子爵はだいぶくたびれたご様子だった。
「ハドリー、久しぶりだな。随分と…きれいになって」
「レンクス子爵、今は親子の縁を切っておりますので辺境伯夫人と呼んでいただけますか?」
冷たい声にビックリしたような顔をした。
「ハドリー、あの…、いや、辺境伯夫人…」
「何か言いたいことがあるのなら早く言ってください」
「そ、その…、できれば二人で」
「お断りいたします。アルダン様がいないところでレンクス子爵と会う気はございません。今後も辺境伯家を通してください」
ますますビックリしたような顔でかたまったレンクス子爵の背後から一人の青年が現れた。まぁ…、見た目は普通?王子殿下やアルダン様のような華やかさはないわね。誰?
アルダン様を見るとものすごく嫌そうな、不愉快を隠そうともしていないお顔。
ということは、敵ですね。
了解です。
私、見た目は小鳥令嬢ですが、幼い頃から鍛えられているので猛禽類並の攻撃力がございます。あまり発揮したことはございませんが、アルダン様の敵ならば容赦いたしません。
アルダン様が小声で教えてくれる。
「バフロス侯爵家のアンバー卿だ」
「そうですか、アルダン様のお知合いですか?」
「………覚えていないのか?」
うぅ、すみません、貴族名鑑を覚えようとしたのですが、さすがにご子息、ご息女までは無理でした。
「君の元婚約者だろう?」
驚いた。
え、そう…なの?え、元婚約者って…、記憶を探って。
「そういえば侯爵家のご子息と婚約状態だったこともございますが、一度も会ったことがない上にお手紙のやり取りもないまま運命の相手に出会われたとのことで婚約解消をしております」
「それでは…、記憶にないのも無理はないな」
「えぇ、子爵領にいた頃は仕事に追われておりましたので…」
どうでもよい事は記憶から消えていく。
アルダン様はふっと表情を和らげて教えてくれた。
「アンバー卿はハドリーとの婚約を解消した後に男爵家のご令嬢と婚約をしたが、その令嬢には別の恋人もいて、最終的には秘密の恋人と駆け落ちをした」
「それは…、なかなか外聞が悪くなりそうな展開ですね」
「騙されたとなれば頭の悪い男となるし、逃げられたとすれば魅力のない男となる。被害者ではあるが、加害者同様、あれこれ囁かれることは避けられない」
「え、その状態で私に接触なんかしたら、悪い噂がさらに立ちませんか?」
自分から婚約解消をした女…それも現在は辺境伯夫人である。家格は侯爵家のほうが上だが、アンバーは息子なので個人としては家を継いでいるアルダン様のほうが上だ。
上の立場の者に喧嘩を売りにきたの?
「自信があるから来たのだろう」
「さっぱりわかりません。私にもわかるようにお願いします」
「ハドリーの結婚が不幸なもので私と別れたいと思っている…と仮定して、離婚後はハドリーを引き受けて子爵家を継ぐつもりなのだろう」
「え、どちらも嫌です」
「わかっている」
結婚する前…、辺境伯領に行く前ならば諦めて受け入れたが、知ってしまった後では無理だ。
「子爵家に戻っても私に良いことなんてひとつもないではありませんか。悪名高きタウシッグ男爵夫人にいじめられて、母を家から追い出され、寝る間もないほど働かされて、挙句、出て行けと身ひとつで放り出されたのですよ?」
思わず声が大きくなってしまった。
辺りがシン…と静まり返っていることに…、注目されていることに気づき、カッと頬が熱くなった。
失敗してしまった…と思ったら、ますます混乱してきたが、アルダン様に引き寄せられて。
「レンクス子爵は婚姻に関する契約書を読んでいないようだな。極端な話、私が明日、突然死したとしてもハドリーが辺境伯家の籍から外れることはない。アームルクス辺境伯家の嫁から娘へと変わるだけで、子爵家に返されることはない」
そうなの、絶対にないとは思うけれど万一の時はとても悲しいけれど、起きてしまったら未亡人として温泉街に移住することになる。
そんなことは絶対にないと思いますけどねっ。アルダン様、お酒はあまり飲まないし(何度か薬を盛られそうになったトラウマで)、煙草もたしなまないし(何度か薬を…)、今後は温泉でますます健康になりますから。
「それと…、アンバー卿。女性に騙されたことは気の毒に思うが、自分から婚約解消を申し出ておいてよく会いに来られたな」
そーだ、そーだ。もっと言ってやれー。と思っていたが、侯爵家の方が回収に来てくれた。
「アームルクス辺境伯、弟が申し訳ございません」
お兄さんと思われる人があっという間に連れて行ってしまった。
残された者はレンクス子爵だけ。
ブツブツと小さな声で、子爵領が困窮している、助けてほしいと言っているがちっとも心に響かない。
ここで助けたとしても、どうせまた逃げるだけ。
嫌なことから一生、逃げ回って…、そんな生き方、貴族には許されない。
生まれる家を間違えてしまったのは私だけではなかった。
夜会は無事に終わった。と、思う。アルダン様が帰りの馬車の中で微笑んでいらっしゃるから大丈夫。
「それにしても…、まさか婚約解消した後に元婚約者の顔を見ることになるとは」
「本当に一度も会ったことがなかったのか?」
「はい。バフロス侯爵領と子爵領はすこし離れておりますし、私は一度も王都に行かなかったので」
「会っていれば婚約を解消することもなかったかもな」
アンバー卿は父からの情報だけで判断をした。と、思われる。それではしたたかな女にも騙されるわけです。大切なことは自身の目で確認しなくては。
「ハドリーの可愛らしさを知れば婚約解消などあり得ない」
「その言い方ですと、私の事を可愛らしいと思っているように聞こえます」
「………思っている、からな。でなければ結婚しようなどと思わない」
わぁ、わぁ、わぁ…、だいぶ嬉しい、かも。
思わず、どこを、どんなタイミングで意識したのか聞いてしまい。
「ベッドの上で飛び跳ねていると思ったら…、床に転がり落ちて」
誰も見ていない事を確認して、何事もなかったようにベッドの上に戻っていた、あの一部始終を見られていたとはっ。
「そ、それは、紳士としてどうなのですか?乙女の寝室を盗み見るなんて」
「冷たくしたことを反省しろとカティ達に呼ばれたのだ」
「ひどいです、他にももっとあるでしょう?」
「あるが…、聞きたいか?」
お互い赤い顔になって…、やめておきましょうと。
「今、聞いたら心臓が止まるかもしれません」
「そうだな。私も…、いつか言おうとは思っていたが、こう改めて言うのは…な」
結婚したのだからこれからも伝える機会はいくらでもある。
王都に居る間に何人かの貴族と会い、商人と会い、予定を終えて辺境伯領へと帰った。
結婚式の準備をしながら温泉街の仕事も進める。
忙しく働いているけど、メイド達がマッサージをしてくれるので鉄板入りの肩もほぐれつつある。
「これぞ、肩の荷が下りたというヤツですね」
「何、うまいこと言った…という顔をしているのだ。この堅さはまだ異常なレベルだぞ?」
肩こりのあまりのひどさにアルダン様もマッサージをしてくださるようになった。
「うぅ、早く温泉に行きたいです…」
「そうだな」
「そういえば温泉街のほうに移住希望者が来ましたが断りました」
タウシッグ元男爵夫人。離婚されて実家からも縁を切られて平民となっていた。男爵家が『子供には罪はないから』と養子先を探したとか。
元男爵夫人は離婚されて平民となっても謎の上から目線で。
『ハドリーに連絡なさい。すぐに私が住む屋敷を用意して、メイドもつけるように。恩を返す時がきたのだから感謝しなさい』
反省も後悔もしていないようなのでエヴァンスとディーナ先生が追い返してくれた。
犯罪者でもないのに辺境伯領に似顔絵付きの手配書が回っている。
ある意味、犯罪者よりも面倒な女性だ。絶対に辺境伯領に住み着かれないように阻止せねば。
子爵領のほうも進展があり、後妻が子供を置いて逃げだした。置いて行かれた子供は成長するにつれレンクス子爵と異なる色、顔立ちとなっているようだが、息子として籍を認めている。
子爵の息子として育てるしかない。
実の娘を追い出し、他人の息子を育て、それでも貴族である責任からは逃げられない。父の代わりに働く人がいない今、自分一人で頑張るしかない。
「生きているといろいろありますよねぇ」
「これからの人生のほうが長い。もっと波乱万丈になるかもしれないぞ」
「そうなったら全て投げ出して温泉街で優雅に暮らします」
「それは…、いいな。その時は是非、私も一緒に行こう」
完成した温泉街は辺境伯領だけでなく国内でも有数の観光地となり、観光資源として大いに辺境伯領を助けた。
「なのに、どうして『住みたくない領地ベスト10』から抜け出せないのーっ」
領地のために走り回る若き辺境伯夫人の叫び声に、辺境伯が冷静に答える。
「辺境の地で寒いからな」
「うぅ、絶対に抜け出してやる、この地を住みたい領地ナンバーワンにする!」
「そうか、私にとってはここが一番だ。今は愛する妻と子供もいる」
可愛らしいと評判の小鳥令嬢改め小鳥夫人は晩年まで辺境伯とともに領地のために働き、そして引退後は当初の希望通り、温泉地でのんびりと…。
のんびりと?
「御隠居、これ、どうします?」
「御隠居、新しい企画書に目を通してください」
「御隠居、新メニューの試食をお願いします」
「はいはい、一度に言わないで、順番に片付けますからね」
走り回る妻を見送り、辺境伯はゆったりと温泉を楽しんでいる。若い頃は魔性の男として老若男女を惑わした辺境伯だが、今はお年のせいもありだいぶ周囲も落ち着いた。
何より効果的だったことは。
「本当に良い嫁をもらった。あれは…、運命の出会い、私は真実の愛を見つけたよ。うちの嫁はいくつになっても可愛らしい」
そう幸せそうに語る姿に、横恋慕する者もいつしか現れなくなった。
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