立つ
夏の離宮に来て2カ月が経ったある日の午後、イサベル様と談笑している所に離宮の管理者のエドモンさんが来た。
「モンスからイサベル様に急使です」
「私にですか?通して下さい」
鎧を着た男性が入って来るなり大声で言った。
「イサベル様、直ちにモンスにお戻り下さい。公爵様が……」
「ミシェルがどうかしましたか?」
「先日アンジュ公爵軍とロレーヌ公の軍で会戦があり、大敗との事です。公爵様の安否は不明。モンスでは公爵様が亡くなられたのではとの噂が流れ、混乱が起こっております。直ぐモンスにお戻りを」
「分かりました。エドモン、直ちに準備を」
「私も参ります」
「そちらのお方は……」
「そう、アネットです。アネット、あなたが頼りです。お願いします」
「エドモンさん、私は馬で行きます」
「馬車にお乗りください。周りに警護をつけます」
「私の姿を民に見せる事が重要なのです」
「危険ですが、宜しいのですか?」
「私が民に望まれるかどうかはっきりするでしょう」
「まず私の事を急使でモンスに知らせて下さい。イサベル様と共にアネット・ド・アンジュが参りますと」
「分かりました、直ちに戻ります」
「あなたはお疲れでしょう。離宮の人員から誰か出して下さい。エドモンさん」
「準備いたします」
「アネット、今からだと幾らも行かないうちに日が暮れてしまいますから、出発は明朝にしましょう。民に周知しながら進むのなら1日10リューは無理です。途中で一泊しないと。エドモン、宿泊地にも早馬で連絡して下さい」
「承知しました」
エドモンさんは慌てて出て行った。
部屋に戻って狩猟服に着替えると、上に公爵家の紋章のついたシュールコーを着てみた。
鏡に映る姿は道化の様に思えたが、もしミシェル様が亡くなっていたとしても、後継者として私が居る事を知らせる事が重要だった。
翌朝離宮から出発した。離宮詰めていた少数の騎士と警備兵に囲まれて、イサベル様の馬車に先行して進む。私は左手にアンジュ公爵家の旗を持ちアンジュ公爵家の紋章のついたシュールコーを着て最高に目立ってたと思う。
道行く人々、路傍の民は皆最初は驚いた表情をして、次いで歓喜の声を上げた。「我らの姫さま」と声を掛けられた。
郷里で聞いたことがある。「我らの姫さま」とはマリーの事のはずだ。
マリーの名声を奪ったみたいで私は恥ずかしくなったが、もはやマリーはいない。私がマリーに代わって役割を果たすしかない。
途中の村で昼の休憩をしてる時、私達一行の後を多くの民がついて来ているのに気が付いた。
宿泊する街に入る頃には更に数が増えて、宿のバルコニーから見る広場は行列について来た民で一杯。
「何か恐ろしい気がします。あんなに沢山の人が付いてくるなんて」
「今はあなただけが公爵領の民の希望なのですよ、アネット」
翌日出発する際広場で野宿した多くの人々の中に入って、馬に乗るとそれだけで歓声が上がった。ますます空恐ろしくなったが、私はもう踏み出してしまった。もはや逃げ道は無い。
昼過ぎにはモンスの城門をくぐった。前モンスに入った時の事を思い出す。あの時はこんな事になるなんて思いもよらなかった。
道の両側は行列に気が付いた人がどんどん集まり始めている。周りの建物の窓から覗く人も多いが、上からだと私の事は識別できないから、多分馬車の方を見てるのだと思う。
公爵邸の前の大きな広場に入って来て、公爵邸の正門の前で下馬した。イサベル様の馬車が止まってイサベル様が降りるのを待った。
振り向くと恐ろしい人の数。この広場から出発した時もこんな感じだったっけ?
公爵邸の正門から背の高いやせた男が走って来た。ドミニク・ドレだった。
「イサベル様、それとそちらはアネット様。よく帰って来て下さいました。早く中にお入りください」
「少しまって下さい」
私はそう言うと公爵邸の入口の階段を少し登ってから振り返った。手に持った旗を掲げて出来るだけ大きな声で人々に呼び掛けた。
「私はアネット・ド・アンジュです。私は帰ってきました」
そう言うと広場は人々の歓声で一杯になった。私とイサベル様、ドミニクの三人で公爵邸の中に入り、イサベル様の部屋に移動した。
「それで、ミシェルの消息は確認できましたか?ドレ」
「帰って来た者によるとアンジュ軍はロレーヌ公の雇ったスイス傭兵隊により壊滅的な打撃を被ったとの事です。スイス傭兵共は先年の戦での恨みを晴らすべく捕虜を取らず虐殺に走っているとの事です。おそらく公爵様は……」
「分かりました。領内の様子はどうですか?」
「まだ十分確認できておりませんが、かなり動揺しているかと」
「領内各所にアネットの帰還を知らせなさい。ミシェルに万が一の事があれば、アネットがアンジュ女公となります」
「分かりました。王宮にも通告しますか?」
「ええ」
「帝国へも通告して下さい」
「ええ、アネット。そうですね」
イサベル様の部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「イサベル様、アネット様、ドレ様の配下のパウル殿がお話があるとの事です」
パウルさんこんな時に何だろう。
「武器を持ってないか確認したら入って貰って下さい」
イサベル様がそう言うと、ドアが開いてパウルさんと庶民の格好をした男性が入って来た。
「アネット様、この者がアネット様に御注進したい事があると言うのです。なんでもランベルト?様の配下だと言えばアネット様はお分かりのはずとの事です」
こんな所までランベルトの手先が。まあ良いわ。望む所よ。
「アネット様、私どもの情報によるとロレーヌ公はミシェル様の御遺骸を発見したそうです。私どもはランベルト様からアネット様を支援するよう申し付けられております」
「分かりました。ランベルト様に以下の事をお伝え下さい。
1.ミシェル様の死が公になった時点で私がアンジュ女公となります。
2.アンジュ公爵家は帝国との同盟関係の即時締結を希望します。
3.もし可能であればランベルト様とアンジュ公爵領内でお会いしたいです。
以上です。」
「分かりました。速やかにお伝えします」
ロレーヌ公との戦争:ナンシーの戦い(1477)がモデル
シュールコー:映画「キングダム・オブ・ヘブン」でテンプル騎士団員が甲冑の上に白地に赤い十字の上着を着ているが、あれがシュールコー。十字軍の後、普段着として使われるようになったらしい。




