つかのま
「あの紅玉の飾りを2500グルデンと言ったのですか、そのエルマー・フェーンと言う商人は」
「それでネックレスと合わせて、2500グルデンでと言ったのです。ところがエルマー・フェーン様が現金100グルデンと為替手形2500グルデンで良いと言うのです」
「あなたの物ですからいくらで売っても良いんですが、あの紅玉は4000グルデン以上しますよ。その商人は1500グルデンの利益を見込んで2500グルデンといったのです」
「そうなんですか?」
「大体ミシェルが最低100グルデンなんて言ったのが悪いんですが」
あの日以来、私はイサベル様と公爵家の夏の離宮で過ごしている。今はイサベル様に帝国での事を色々聞かれてる最中。
私の後ろにはアメリさんがいて、私の言う事を補完してくれたり、私が皇帝陛下の離宮を去った後の話をしてくれたりする。アメリさんが復帰出来て本当に良かったと思う。
「それで、私が売却した事を証明するために覚書が欲しいと言われたのです。その時はランベルトが皇帝陛下に私の事をもう知らせてると思ってたので、アネット・ド・アンジュと署名してしまったんです。そしたら翌日ランベルトの手先のカール・ヤンセンさんがやって来て、ランベルトは私の事を皇帝陛下に知らせてないと言うのです。早馬の準備までしてたのに皇帝陛下に知らせてないって言われても信じられないですよね」
「アメリは離宮に残ってたんですよね。本当の所はどうでした?」
「アネット様が脱出された日は、皇帝陛下には早馬を出してないと思います。アネット様が抜けだされて暫くしてランベルト様がアネット様の部屋に戻ってこられて、私に色々聞かれてからアウクスブルクへ連絡を出すよう指示されました。多分アウクスブルクの要員に連絡を入れて、アネット様が来るのを待ち構えようとしてたと思います」
「それでアウクスブルクで私が泊ってる宿を見つけたんですよ」
やっぱり反省したとか大嘘じゃない。
「その要員と言うのは?」
「ランベルトは庶民で構成された各地の情報を収集する組織を持ってるらしいです。ケルンの家の女中をしているナタリーもその組織の一員だそうです」
「宿を見つけられてどうしました?」
「アネット・ド・アンジュの署名の話をしたら、カールさんが対策を考えると言って一旦帰ったんです。その隙に男の子みたいな恰好に着替えて宿を抜け出しました。そしたらカールさんがランベルトを連れて来たんですよ。危なかった」
「え、アネット様はランベルト様が来られた所を見たのですか?それでも逃げ出したんですか?」
「そりゃそうでしょう。逃げ出したのを捕まえにきたのですから」
「ランベルト様はアウクスブルクでアネット様に逃げられた後離宮に戻ってこられて、私にアネット様の事を聞かれたんですが、その時は凄く落ち込んでましたよ」
へー、そうなんだ。自業自得だと思うけど。
「ケルンでアネット様が見つかったって知らせが来た時にも、どうしたら良いか私に聞かれたので、無理に会おうとするとまた逃げられますよと忠告しました。どうもランベルト様はアネット様が逃げ出した事が理解出来なかったみたいなんです」
「何故ですか?私が偽物なら公爵家は切り捨てられますが、本物の後継者なら人質になるじゃないですか?人質にならない為には逃げだすしかないでしょう」
「アネット様は公爵家に帰るのではなく、ケルンで身分を隠して庶民としてお暮しでしたでしょう?ランベルト様は皇帝陛下の実子なのに正嫡の方々と余りに待遇が違うのが御不満のようです。アネット様が公爵家の後継者で国王陛下の姪と言う身分から逃げ出したのは、ランベルト様の理解を超えてるようです」
「私はずっと庶民として暮らしてきましたから。それにミシェル様が私をマリーの替え玉としてヨハン様に嫁がせようとした意味が分からなくて、公爵領に戻るのが危険かもしれないと思ったのです。装飾品を売ったお金で職人用住宅を15軒も買えたので、家賃だけで庶民として生活するのに十分な収入があるのですよ。そうそう、あれは私に2500グルデンを使わせて逃げ出せなくするランベルトの罠ですか?」
「そんな事はございませんよ。ランベルト様に来た連絡はアネット様が両替商から不動産を購入してケルンに定住するつもりのようだと言うものでした。ランベルト様に大丈夫かと聞かれたので、家事などの女性の仕事が出来ないから傭兵になろうとしたと言う話をしたのです。そうしたらランベルト様が小間使いをつけようと言われました」
「ランベルト様の配下、特に庶民の女性の者にはアネット様が庶民の随行者の身代金を払われた話にいたく感動した者が多く、志願者が多くいたのです。その中でもしっかり者でアネット様への忠誠心が高そうなナタリーを選びました」
「ナタリーからの連絡では、アネット様のお家の様子が酷くて、それでアネット様につい強く当たってしまったとありました。あの子はアネット様を崇拝せんばかりだったので、それだけに少し幻滅してしまったのかもしれません」
「アメリは公爵家と帝国が和睦した時帰国したそうですね」
「ええ」
「あの和睦の条件を私は納得できないのですが」
「何処が御不満ですか?」
「あれでは8万グルデン目当ての者が私を狙うではありませんか」
「アネット、あなたは自分の価値を低く見積もりすぎですよ。公爵家の後継者で国王陛下の姪のあなたの価値がたったの8万グルデンであるはずありません」
なんですって?
「先年ヘルレ伯が領地を30万グルデンで質入れされたと聞きます。はるかに大きいアンジュ公爵領の相続人の価値がたかが8万グルデンであるはずがないでしょう?8万グルデンは持参金の残金という事ですが、本当の持参金はアンジュ公爵領の相続権ですよ。もしあなたの帰還が公になれば、結婚の申し込みが殺到します」
あーあ。
「実は私がケルンに住んでいる事がもうばれてしまってるようなのです。国王陛下から宮廷に来るようにと言うご使者が来ました。それとヨハン様から改めて結婚の申し込みをしたいとのご使者も」
「皇帝家はランベルト様にアネット様を娶せようとされてたのでは?」
「それが、私が公爵家の本物の後継者だと分かるとヨハン様が手の平を返されたみたいなんです」
「ランベルト様が御不満に思われるのも無理ないですね」
「アネット、それでどう返事したのですか?」
「両方とも断りました。それでランベルトに手紙を出したのです。公爵領から戻ったらもう一度お会いしたいと」
「どうするつもりですか?」
「ランベルトの事を少し考え直したんですよ。陰謀家の国王陛下や恥知らずのヨハン様よりはましかなと」
「アネット様、ランベルト様の事は見直してそれですか?」
「まあまあ。アネットはそれだけ傷ついてたって事ですよ。結婚しようと思った相手に裏切られて」
流石イサベル様。分かって下さる。
「でもアネット。殿方は往々にして裏切るものですよ。私もミシェルに裏切られましたから。裏切られ別れて終わりにするより、手玉に取る位の事を考えてみては?」
「兎も角アネットがケルンに帰るのは止めた方が良いですね。ケルンの市参事会も王国と帝国の争いの場になる事は望まないでしょうから。ケルンに帰るのではなく、ランベルト様をこちらにお呼びすれば良いでしょう。ミシェルにも会ってもらいましょう」
「どういう事です」
「つまりあなたが帝国に花嫁に行くのではなく、ランベルト様を花婿として迎えましょう。あなたとミシェルがそれで良ければですが」
ヘルレ伯が領地を30万グルデンで質入れされた:堀越孝一著 ブルゴーニュ家 講談社現代新書 249P ISBN 978-4061493148
ヘルレ伯領の大きさについては第35話「第二章の登場人物(第一章読後推奨)」の地図を参照してください。
それにしてもこの時代、領土を金で買うって事が行われてたのは驚きです、
(ルクセンブルクもブルゴーニュ家に金で買われてます。)




