20.ガツンッとやって、スカッとしたい(上)
ある穏やかな午後のことである。
アマリア雑貨店のラクルベリ本店は、この時間帯はちょうど客足が途絶えていた。
店内は静かで、エデルの他に客の姿はない。
エデルは仕入れの関係で、店の近くまで来たらしかった。
「アマリア様、伝票の整理をしてきますね」
アマリアと一緒に店番をしていた元孤児のレアが、二人の空気を察したようで、店の奥へと姿を消した。
レアは今では、アマリアにとってかけがえのない家族のような存在になっていた。
「特に用があるわけではないんだが……」
エデルはそう言いながらも、どこか落ち着かない様子で店内を見回していた。その視線は、特定の棚にも、商品にも定まらず、まるでなにかを探すようだった。
「エデル様、なにかお探しですか?」
アマリアは控えめに訊いてみた。
「いや、そういうわけでもないんだが……」
エデルは曖昧にほほ笑む。けれど、その笑みにもどこか影が差しているように見えるのは、アマリアの気のせいだろうか。
「もしかして、どなたかへのプレゼントでしょうか……?」
エデルは長身で、顔が良い。
しかも、名の知れた大商会の長だ。
多くの女性たちがエデルに憧れを抱くのも当然と言える。
エデルが誰かお気に入りの女性のために、贈り物を選びに来たのだとしたら……。そう考えるだけで、アマリアの胸の奥にある、サンドロに付けられた古傷が痛んだ。
(エデル様は、サンドロ様とは違うわ)
アマリアは過去の記憶に揺れる心を静めようとした。
エデルはアマリアの婚約者ではない。
エデルがアマリア以外の女性とどこでなにをしようと、エデルの自由だ。
アマリアはエデルの視線をたどって、香水瓶の並ぶ棚に目をやった。
エデルは以前、エデルの親衛隊だという女性たちのアプローチについて、アマリアに苦笑しながら話してくれたことがあった。
「彼女たちは、正直なところ、仕事の邪魔にしかならない」
「そうなのですか?」
「ああ。迷惑していると言ったら、さすがに悪いかもしれないが……。実際、彼女たちには、ひどく困っている」
その時、エデルの言葉の端々に見え隠れしていたのは、アマリアへの気取らない誠実さだった。
二人の間に、なんとも言えない沈黙が流れた。
その気まずい時間を終わらせたのは、店の扉に付いている小さな鈴の音だった。
チリン、という澄んだ小さな音と共に、何人もの女性たちが店内に入ってきた。
「エデル様!」
女性たちの声は明るく、どこか勝ち誇った響きを含んでいた。
女性たちは迷いなくエデルの元へと駆け寄る。
誰一人、商品棚には目もくれずに。
「エデル様、大変なんですのよ!」
先頭にいた、艶やかな栗色の巻き髪を揺らす女性が、上品な仕立てのドレスの裾を器用にさばきながら、エデルのすぐそばに立った。
その目はまっすぐにエデルを見ていたが、ふとアマリアに気づくと、その瞳に一瞬だけ警戒のような色が浮かぶ。
「いらっしゃいませ」
アマリアはほほ笑みを崩さずに、丁寧に挨拶をした。
女性はわずかに目を見開いた。アマリアの落ち着いた態度に意外そうな表情を浮かべたが、すぐに興味を失ったかのように、またエデルに視線を戻す。
「エデル様、こんなところで、いったいなにをしていらっしゃるの?」
声にはかすかに甘えるような響きがありながら、言葉の端に鋭さが混じっている。
「なにを、とは? 強いて言うならば、商談だが」
エデルは女性たちに視線を向けると、眉間にしわを寄せ、低くはあるがはっきりとした声で答えた。
エデルの声には、明らかな拒絶の色があった。
「そんなことをしている場合ではありませんのよ!」
ドレス姿の女性が声を張り上げた。
その勢いに呼応するように、他の女性たちもいっせいに頷く。
女性たちはエデルを取り囲んで、なにか重大なことを告げようとしているかのようだった。
「いったい、なにがあったと言うんだ」
エデルが問うと、女性の一人が叫んだ。
「王都から貴族令息が来たのよ!」
その言葉に、アマリアの身体がわずかにこわばった。
女性たちの輪の中から、控えめな佇まいの令嬢が前に出てきた。
プラチナブロンドの髪に、上品で繊細な顔立ち。どこか陰を帯びた青い瞳。
まるで壊れ物のような雰囲気の令嬢は、静かに口を開いた。
「その貴族令息ですが……、わたくしの婚約者になるはずだった方です。わたくしは、このラクルベリのある領の領主の娘なのです」
そう語る声は震えていた。
令嬢の侍女らしき女性が、令嬢を励ますように手を握った。
「その方が、わたくしに、こうおっしゃったのです。『アマリア・ターフライという元令嬢が、ラクルベリで雑貨屋なんてやっているらしい。なにが不満だったのか知らないが、私の友人のサンドロを捨てて平民になるとは、どうかしている』と」
令嬢は、悲しげな目をアマリアに向けた。
まるで、自分ではない誰かの過ちに、なぜか罪悪感を抱いているかのような表情だった。
他の女性たちにも、嘆きや悲しみが波のように広がっていく。
女性たちの一部はハンカチを目元に当て、流れる涙を拭っていた。
それはサンドロへの同情の涙か、それとも、エデルを気の毒がっているのか……。
アマリアにはわからなかった。
「それがどうしたというんだ!」
エデルの声が、店内の空気を切り裂くように響いた。
エデルはアマリアの前に立った。
エデルの広い背中は、まるでアマリアを守る盾のようだった。
そんなエデルの姿に、アマリアの心が小さく震えた。
「エデル様……」
アマリアは、思わずつぶやくように名を呼んだ。
けれど、その時、アマリアは違和感を覚えた。
女性たちの声色や視線が、なにか先ほどとはまた違っている。
怒りでもなく、軽蔑でもない。
もっと別の、強い熱を孕んだ感情。
次の瞬間、女性たちは突然、みんなでエデルを押しのけて、アマリアをぐるりと囲んだ。
その動きは強引だったが、アマリアへの敵意はなかった。ただ、どうしてもアマリアのそばにいたい、そんな切実さのようなものが感じられた。
「エデルも所詮は男なのよ! なにもわかっちゃいないんだから!」
気の強そうな女性が、やや拗ねたように吐き捨てる。
なにがどうしてこうなったのか、アマリアには理解が追いつかない。
けれど、女性たちは次々とアマリアの手を握ってくる。
「サンドロって、なんなのよ! あいつ、本当に最低だわ! 許せない!」
最初にエデルに声をかけた女性が、怒りを込めて叫んだ。
「サンドロの友人だとかいう令息たちも、取り巻きの令嬢たちも、みんな本当に最低よ!」
その言葉に同調するように、他の女性たちが一斉にうなずき、目元をハンカチでぬぐう者も増えた。
女性たちの瞳に浮かんでいたのは、怒りと哀しみ、そして、アマリアに対する共感だった。
誰かに否定され、蔑まれた時に感じる痛み――。
それを女性たちは、自分のことのように受け止めていた。
気がつけば、アマリアは輪の中心にいた。




