確認と子守
音もなく。赤髪の彼女は暗い室内で美しく舞っていた。靴は履いている。床に着地する瞬間、全身で音を殺しているらしい。
ふと、緑青と目が合う。
「お邪魔ですか」
「いつものことでしょう」
踊りながら、安定した口調で返す。汗ひとつかかないのは完璧な身体制御ゆえだ。長期潜入者として先輩の彼女が体現してみせる、完成形のひとつである。
「ボス、また何かやらかしたんですね」
「それもいつものことよ」
「確かに、そうですね」
笑いながらロケットペンダントを掲げて見せる。ボスとのすれ違い際、スッたのだ。彼女も意図を察して「本当、手癖が悪いわね」目を細めた。踊りを中断して、駆け寄る。
「さーて、隠され続ける素顔は……」
ロケットを開けると、小さく畳まれた紙片が溢れた。それを手に握りこむ。写真は固定されていない。代わりに、紙片への期待が高まった。
〝もぉ、ダメなんだよ?
まったく、君らホントに
ボクのこと好きすぎるよねぇ?
もーぉ、困っちゃうなぁ……
安心して、ボクはみんなのものだよ♡〟
「……」
「……」
ふたりは一度顔を見合わせた。再びロケットペンダントに視線を向けて
「この前の件、よろしいですか」
「ええ。ヒストリア伯爵の周辺の人間関係についてよね?」
「はい」
即座、ふたりとも賢明な判断を下す。
彼はポケットにペンダントを押しこんだのを合図として、彼女は解説を始めた。
「アレクシオス・イードルレーテー公子が離れて、代わりにコンスタンティノス・カリス卿が後釜に収まるのは間違いないわ」
「貴公子については春麗祭だけの、一夜限りのお相手だったのでは?」
「王妃、第一王子、カリス公爵、それからスパティエ伯爵、ペークシス伯爵を含む黄道貴族をはじめとした諸侯の援護があるの。現状でこれほど傾いているならソフォクレスの伯父も何か思うところがあるのかもしれない。イードルレーテー公爵も、次男の行動が引き起こした事態ゆえに今回は文句がつけられない。ただ、これではカリス家が力をつけすぎる」
「中立であらねばならないヒストリア家が勢力を傾ける要因になっていますね」
「そう。だから、勢力争いに興味が一切ないことで有名なイオエル・メテオロス公爵の今後の行動が鍵を握るわ」
「動きますかね」
「ヒストリア家の執事、リトラ子爵よ?」
「ああ、メテオロス公爵はリトラ子爵の実弟でしたね」
「〝白百合の献身〟の序章における西方師団の生き残りに対する言及では地位向上を果たせたわけだし、恩義はある」
「あー、あの人種は感情で動かせるでしょうね」
「あの子が何を考えてカリス卿との婚約に同意したのかわからないから、半年後の結果は3つに分かれるとしか予想できない。
ひとつ、カリス卿との婚約を継続する。
ひとつ、別の男と恋に落ちて二度目の婚約解消。
ひとつ、とりあえず婚姻を結ぶ」
「ふたつめはあり得ないとして、最後のは一体誰との予想です?」
「とりあえず、誰かと。ポッと出の」
「仮にも名門貴族家の当代当主ですよ?」
「前例はあるでしょう」
「確かに〝星の乙女〟関連で勢力図は大きく変わりましたけど……再来する、と?」
「実娘なのよ? 本人が何を考えているのか云々ではなく、周囲が役割として期待する」
彼女は言葉のどこかに自嘲の色を滲ませた。周囲から望まれた役割を演じる点では、この組織の諜報員として活動しているすべての人間に共通する。演じきれなければ無能あるいは愚者の烙印をおされて、その役割が他の者に回されるだけだ。替えの利く道具である自覚なら嫌というほど持っている。
彼は努めて口角を上げて見せた。
「メテオロス公爵については好意的に接するようにしましょう、機会があれば。ところで、フラナリー伯爵は? 伯爵閣下はカリス卿との婚約にどのような反応をされてますか? んで、俺はどう動くべきですかね?」
「貴方の職務関連なら私が口を出せることではないけれど」
「まあ、仕事と言えば仕事ですが。ほぼ歓談になる自覚はあるらしく、ヒストリア伯から同席を要請されました」
「あら」
「問題なければ職務に支障が出ない範囲で放っておくつもりです。まだ15ですし」
「あと56日もすれば16歳、加えて、既にデビュタントを済ませたひとりの女性よ。いい加減その子ども扱い、直してあげなさい。あの子、年齢と容姿は人一倍気にしているのよ?」
「失礼。まあ、とりあえず邪魔する理由もありませんので。普段から文句言われない以上の成果は出されていらっしゃる方ですから、たまには城内の息抜きも構わないでしょう」
「まるで保護者ね」
「実は子守唄うまいんですよ、俺」
「本当? 16年前に習いたかったわ」
「それは残念です」
軽く肩をすくめると彼女は返事のように表情を緩ませた。
「フラナリー伯爵は、メテオロス先代公爵の次男だから。公爵家の人間としては武芸ではなく研究に人生を捧げているところは変わっているけれど、まあ、例にもれず勢力争いには関心が薄いし、いざとなれば感情で動かせる。ただ、勘は鋭いから十二分に気をつけてね」
「ヒストリア伯の御守してるんで、慣れてます。じゃ、放置しとけばいいですかね」
「そうね、話についていけるかどうかわからないし。ただ、時間は気にしたほうが良いと思う。自分の分野の話を始めると止まらないから」
「分野? 研究の?」
「かなり範囲が広いの。武芸の研究も、自分が体を動かさないだけだと思っておいたほうが良い」
「了解です、下手に話題を振らないようにします」
「それが最善ね」
苦笑の直後、扉がノックされた。顔を覗かせたのはルークだった。まだ自室に戻っていなかったらしい。
「すみません。リュディアさん、お時間よろしいですか」
「ええ。どうしたの」
すると、ルークの影から幼い少女が姿を見せた。黒い髪の左側だけに癖がついているのを見るに、寝起きらしい。
「あら、テレサ。さっきおやすみなさいしたでしょう?」
「……あの、ね。あのね、わたし…………」
「なあに?」
彼女は少女のそばにしゃがみ込んでゆっくり言葉を待つ。さすが子持ちは幼子への適切な対応に淀みがない。
テレサは彼女に任せて問題ないと判断し、「ルーク」と呼びかける。何も知らない少年にポケットから取り出したロケットペンダントを見せる。
「……?」
「ボスのやつだよ、ほら」
「えぇ……さすがにまずいでしょう?」
「普段の行いさ」
「どっちの?」
「うるせぇ」
少年はそっとペンダントに触れた。矯めつ眇めつする様子を、笑いを収めて見守る。「何してるの」と、少女を抱き上げた彼女に問われる。
「テレサは?」
「少し寂しくなったみたい。たくさん泣いた夢を見たのですって」
「ちーがぁう、テレサ、泣いてないもん。リュディアが泣いてたの」胸に顔を埋めながらくぐもった声で抗議する。優しく少女の黒髪を撫でながら「そうなのね、私が泣いてたのね」彼女は宥める。
「さっきお前も廊下で泣いてただろ」
「泣いてない、ルークが見間違えたの」
「へぇ? じゃあリュディアさんのとこ連れてこなくて良かったんだー?」
それとこれとでは話が違うらしい。少女は頬を膨らませると、夜空のような瞳で少年を睨みつける。「もう、やめなさい」やんわりと注意を受けて、反省の色は見せたが謝罪をする気はないらしかった。少年なりの、いつも手を焼かされている意趣返しだ。
「年下にイジワルすんなよ」一応は謝っとけ、の意で少年に告げると
「貴方が言いますか?」
「貴方が言うの?」
「ラースもいじわるしてるよ?」
見事に3人の声と意見が重なった。
心当たりなら嫌というほどある。今の任務に就いてから拍車がかかった自覚もある。ただし、改善するつもりはない。
年少者ふたりを部屋へ送るという女性につき合うことにした。その道中では「それ、中、見ないのか?」少年にロケットペンダントの存在を思い出させる。むろん、紙片は仕掛けなおしてある。
「あー、いえ、はい。光沢が鮮やかで表面が滑らかです、これはマギア合金ですよね。おそらくボスがいつも身につけているペンダントとは使われてる金属が違いますよ、意匠も若干粗雑ですし。偽造品でしょう」
「……」
「……」
「何ですか」
黙り込んだ大人を前に居心地が悪くなる。少年は彼にペンダントを押しつけるように返した。
「カルディア、伝統武術と植物栽培じゃあなかったか?」
「ええ、はい」
「だったらなんで金属に詳しいんだ?」
「ああ。マギア合金は、金属と植物を調合した物質なんです。旧ラノンレイヴ王国で開発されたリーシュ・メタル合金とユーグルートの気候でしか育成されないセルンの根を合わせた特殊合金で、わずかな刺激によって造形を自由に変えられます。その様子が、まるで物語に登場する不可思議な力のようであったことから」
「妖術合金?」
「そういうことです。そもそも植物と金属を調合するという発想が飛躍していますからね。〝アノニマス〟の先駆者とされているエルンスト・シィの手にかかれば当然の帰結だったのかもしれませんが」
「あれ? 〝アーニィ〟ってマッティ・メイカライネンのことじゃねえの?」
「ラノンレイヴ王国が地図から消えたのは500年近く前です。〝学術界の至宝〟と呼ばれた当時に、大陸学術議会から独立して今の大陸学術機関の前身である〝夜の民〟を結成した人物とされてます。マッティ・メイカライネンも謎多き人物ですが、国と時代が違います」
「ははは、いつの時代でもどこにでもすっげーこと考える人間はいるんだな」
「ですね」
続く少年による植物史を聞きながら、自分の分野についての話なら饒舌になるのはダクティーリオス王国の人間であればもはや仕方のないこと、だと彼はひとり納得する。あるいは、この年代の興味関心を支えるのは獲得した知識技術を誰かに伝えることなのか。
大人の前では幼さを見せる少年だが、部屋の前での別れ際、少女の小さな手を引く後ろ姿は面倒見の良い兄貴肌だった。