拠点にて
情報官は部下にソファーに座るよう指示する。目の前に座り、伸ばした背筋のまま端的に告げた。
「フラナリー伯に話を伺いたいから、同行してほしい」
「はい? 貴女、あの方なら苦手意識ないでしょ?」
「それは、まあ、もちろんだが……仕事の話が進まなくなる恐れがある」
「あー、無駄話で?」
拗ねたように「無駄ではない」と主張されて「はいはい、ご趣味が合うんですよね」言い直しても機嫌は傾いたままだった。
「それもあるが、しかし、今回は〝φ〟と関わりがある。現フラナリー伯爵は、メテオロス先公爵のご子息だから。メテオロス公領の一部であるユーグルート国境付近の事情に詳しいだろう」
「メテオロス現公爵閣下に話を伺わずによろしいのですか?」
「彼はその類の話を苦手としている」
「軍務省幹部を相手にどんな評価なさってるんですか」
「能力のことは言っていない、性質の話だ。あの人は猜疑も怨恨も知らないから」
「ははは、それは困りものですね」
笑ってごまかしつつ――貴女も大概でしょう――これは胸のうちに留めた。
直接の関係は薄いが、その類のイオエル・メテオロス公爵に関する言説を風に聴くのは王城勤務であれば珍しくない。リトラ子爵家に嫁いだ先公爵の妹の末子からの抜擢なおかつ西方守備隊の数少ない生き残りとして両面の評価を受け続ける彼の爽やかな明るさは、どこかメロディ・ヒストリアに通ずるものがある。
「失礼。それで、いつ頃がお望みですか?」
「出張の前に予定を空けたい」
「はい、これから調整しますから融通は利きます。御希望は?」
「先方に合わせられる範囲で、なるべく早く」
「ははっ、でしたら本日これから少し先外しますね」
「……すまない、助かる」
「これが本来の仕事ですから、お気になさらず。ところで、いくつか確認しても?」
「構わない」
「地図をよろしいですか」
慣れた手つきで本棚から拡大地図を取りだして机に広げてみせた。
「今回の〝φ〟の舞台である失踪多発地域ユーグルート国境付近バルトロマイは、王都から6時間ほどかかります。日帰りは厳しいですので少なくとも1泊2日となります」
「ああ。構わない」
「5の月初日は円卓議会でしょう?」
「そうだな」
「前も申し上げましたけどね、私の職務のひとつには貴女の体調管理も含まれてんですよ。予定を詰めこんで倒れられるのはそれなりに困るわけです」
「気をつけるから問題ない」
「どれほど気をつけてくださるか存じ上げませんが、その言葉を信じろと?」
「星に誓いを立てようか?」
「いえ。万物のほうも結構です」
手に取った徽章から手を離させると
「フラナリー伯爵閣下との面談は御要望どおりにしますよ。明日あるいは明後日だと思っていてください。1日もあればご自身で内容を解釈できるでしょう?」
面談の翌々日に出張、かつ、当日に予定を伝えれば上司が勝手に事前調査を進める心配がないだけではなく面談内容を踏まえて仕事を滞りなく進められるだろうと計算する。
「ああ、そういえば。カリス卿にもご連絡しますか?」
「えっ?」
「軍務省の方でしょう? 護衛の要請をすれば出張についてきてもらえますよ。ドキドキの」
「っ――早く、さっさと行け!」
「はーい、失礼いたしまぁす」
退室してすぐフラナリー伯爵の秘書官に連絡を取り、少々渋られたものの、面談くらいなら論文執筆の息抜きにできると口説き落として翌14時から1時間だけなら構わないと面談予定を取りつけた。
これで任務における上司関連の問題は落ち着いた。
さらなる問題として頭を痛めているのは、組織における現在の上司についてだ。
最近姿が見えないと思っていたが、案の定、何かやらかしていたらしい。拠点に戻ると、同一地域で諜報あるいは暗躍を進めている先任の男女ふたりが上司と話している、もとい、問い詰めているところだった。
「なぜそのような頭の悪いことしてんですか」
「ははっ、手厳しいねぇ」
「ボスが現場に出てること自体、ほかの部隊から見れば意味不明なんですから。撃たれて帰ってくるのはさらに意味不明ですし」
メロディ・ヒストリアと関わるに際して人物創作の参考のひとりにしただけはある、まさに破天荒な男だ。曰く「面倒だからちょっと目障りな敵対組織潰してみたー。頑張ったのよ、俺」である。いつかローブを剥いで顔を拝んでやりたいが、さすが隙は微塵も無い。
「そういうときは命令ってのをするんですよ、ボス」
「えー」
「えー、ではありません」
「わー」
「わー、でもありません。とにかく」
「つってもさー、人に危ないことさせるのって嫌じゃん?」
「だったら人の上に立たないでもらえます?」
「残念ながら、それについては俺の意志じゃないし」
直後、傷の手当をしていた赤髪の女が包帯をきつく結んだ。思わず痛がる上司の姿に、若干だが溜飲が下がる。
「もー少し優しくしてくんねぇかなぁ」
「バカなことしなくなったら考えますよ」
「仕方ねえだろー」
「責任転嫁ですか?」
「心配してくれないの?」
上司の言葉を受けて赤髪は目を細めて口角を上げる。整った顔立ちとつり気味な緑青の瞳が迫力を増した。その隣で手当てを手伝っていたルークが一歩後ずさった。
「ははは、しびれるね。まあ、おふざけはここまでにしておくよ。君の瞳に射殺されてしまう」
「もうそろそろお好きな花でも伺っておきましょうか?」
「おいおい、怪我人にかける言葉じゃねーだろ」
「こちらが心労で夭折しかねない頻度なんですから。もはや心配するだけ無駄でしょ?」
「さっすがリュディア。美しく聡明な あたっ!」
ついに赤髪は彼の肩を叩いてキッと明確に睨みつけた。
「その口車には乗りませんよ?」
「酷いなー、本心なのに。なあ、ルーク?」
「さあ。難しくてわかりません」
「ちぇっ、かわいくねーの!」
上司は立ち上がろうとする。
「なっ……にしてんです。まだ動いたら」
「へーきへーき、心配すんなよクリス。ありがとさん、ディア。ルークも元気でなー」
その場を後にする上司の背を見つめながらルークは「行かせて良かったんですか?」と尋ねる。ふたりはため息をついて、男が「止めておとなしくする人間では無いからな」諦念を滲ませる。
彼は、上司の進行方向を遮った。
「どうも。お久しぶりですね」
「おう。元気そうだな」
右に行ったら右、左へ行けば左――陽動や牽制にも正確に対応する。
「端的にいうと、邪魔」
「はい。存じ上げてます」
「相変わらず良い性格じゃねーの」
「お褒めに預かり光栄です」
「……何だ?」
「報告です」
「ルークに言っとけよ。あいつの勉強になる」
「重要ですよ?」
「だからこそ……」
ローブの影で笑みを浮かべると、壁伝いに走る。想定外の移動方法に対応が遅れ、彼は上司に後ろへ回りこまれた。
「やだね、断る」
上司は風のように逃げ去った。こうなっては追いつく気力はもう失われる。彼は同僚たちが集っていた部屋へ入った。
ふたりと軽く言葉を交わすと、それぞれ自分のやるべきことに戻っていった。
残されたルークは、薄い書類を眺めている。彼が任務を遂行する上で必要な新情報がまとめられているのだろう。
「良い調子?」
「まあ、それなりに」
「最高じゃねえの?」
「じゃあ、それなりに」
ルークが差し伸べた腕に上着を掛けながら快活に笑ってやった。
「別に特定の女子学生を口説けとか言われてるわけじゃあねえだろ? 何が不満なんだ?」
「……やれ、と?」
「やりたいの?」
「上司の背を見ていたら、なんでもやらされるようになるのかなって」
「あの方はまた別だろ」
「どのようなつもりなんですかね」
「ん?」
「俺に任務を与える理由です」
「気まぐれな方だからね」
彼は軽く肩をすくめた。それでルークの疑問が収まるわけではない。
「ラースは、知ってるの? 今までの、すべて難易度は高くなかったけれど数は多い。正直、必要だったのかわからない」
「俺に聞くなよ」
「わからないから聞いたんだ」
「お前にもわからないことがあるんだな」
揶揄われるなら聞かなければ良かった……ルークは目を逸らした。「そういうことさ」ラースと呼ばれた男はルークの髪の毛をかき混ぜるように撫でた。
「俺にだってできないこと、わからないことはあるんだ。今までの任務はお前には難易度は低いだろうが、他の奴らには難しいことばっかりだ」
「年齢の話でしょう?」
「変装すれば潜入は可能だ――あくまでも向き不向きさ。それぞれ求められる能力は全く異なるんだ」
「じゃあ、僕は誰になれば良い?」
「お前は誰にでもなれるよ。まだ決めなくて良い」
「どうして」
「ろくなもんじゃねえからだよ」
「……」
「お前の夢は?」
「何です、いきなり」
「答えてくれないか?」
「無い……かな。あるの?」
「世界平和!」
「具体的には?」
「すべての生物が、天命以外では死なない世界。誰も己の意志を、他の意志によって軽視されない世界……みたいな?」
ルークは自分の腕にかかった上着を見つめながら「だったら自分で掛けられますよね?」その視線は雄弁だった。
「いや、それは難しい。俺にはそんな才能がない」
「才能の問題じゃないんですけど」
呆れを隠せない少年の代わりに、苦笑とともに言葉を続けた。
「人は、いつ死ぬと思う?」
「え……」
「考えてみな」
ルークの髪の毛を乱雑にかき混ぜると、隣室へ向かった。




