理想の補佐官
さんざん二重帳簿の作成者を悪く言い、いくつか質疑応答を終えて「さあ、これでご満足ですか?」あくび交じりに尋ねた。すると「ある程度は」と帰ってきた。
「まーだ足りませんか?」
「担当裁判官が誰なのか把握しているだろう?」
ローガニスはティルクーリに「誰だっけ?」と首を傾げた。戸惑う彼が答えるよりも早くメロディは「レヴァンテス卿だ」不満そうに目を細めた。
「ああ。確かに閣下は子爵と相性悪いっすね。面白いくらいに」
「悲しいほどに、まったく面白くない」
「はははっ、大変ですね」
「変わるか?」
「遠慮しときますーぅ。んで、そんな閣下に贈りものでございます」
恭しく、論文の写本を差し出した。これだけで表情をわずかに綻ばせるあたり、まだ相手は少女の時分だと改めて認識する。
「ヴォルフラム・ローゼンシュティールをご存じないのは驚きましたがね」
「有名なのか?」
「かなり。ユーグルート王国の貴族ですが、十分ダクティーリオスでも知名度はありますyお。なんつったって、ザラスシュトル・オヴィの盟友のひとりですから」
「彼には盟友が多いな」
「そりゃあ、我らが英雄ですからね」
「……ペルセウスではないのか?」
「それは〝創星神話〟でしょう? 物語と歴史を混ぜちゃあいけませんよ」
「歴史も所詮は物語だろう? 自身が体験したわけでは無いのだから」
「歴史学者が何と言うか知りませんよ」
「今のところ関わる機会はない」
「はいはい、今のところは。閣下と仲良くなれそうな方でも探しておきましょうか」
「必要ない。忙しい」
「でしたら、ユーグルートとの国境付近への出張はどうなさいますか? 〝φ〟で必要かと思いましたが、お忙しいなら手配しませんよ」
「それは、また別の話だ」
「失礼。ああ、そうだ。誰を連れていきますか?」
「誰でも構わない」
「でしたら、立候補しても?」
「お前はともかく、ほかは誰を連れて行こうか。ストラトスの案件だから彼だと考えていたが、問題があるのだろう?」
「手こずってるんですよ、今の担当事件で。時間与えたほうがよろしいかと。ただ、〝φ〟だってもうケリをつけたいじゃあないですか。せめて5の月の半ばまでには」
「そうだな、1カ月は掛けたくない」
「でしたら今月中がいいかと。ストラトス次第ですが、難しいときは」
「ティルクーリが〝疾風に聴け〟のエイトス記者との調整で動けなければ、ツァフィリオを同行させる」
シリルはもとより定時上がり希望の愛妻家である。最初から勘定に入れていないあたり、関わろうとしないわりには室員たちの性質を理解しているのだと感心した。
「ちょうどあいつの出身も失踪多発地域から遠くありませんし、よろしいかと。ただ、そうするとせっかくティルクーリが収集する情報に時間差が生じかねませんよ?」
「ストラトスが扱っているのは?」
「この前の爆破予告です」
「イーレクトゥロア男爵の車両に実際に爆弾が仕掛けられた事件か?」
「捜査本部は男爵の周囲を洗いまくってるみたいですが、これといって成果ありませんからね。方針変えたほうが良いとわかってるみたいっすけど、どの方向にするか迷いどころなんでしょう」
少し考えこむと、メロディは不意に歩き出そうとした。何をするのか、言葉が無くともわかった。行く道を遮り、正面から告げた。
「気になるのはわかりますが、そう何でもかんでも首を突っ込んでいては部下が育ちませんよ?」
言葉を詰まらせたメロディは若干視線を落とした。少し泳がせると、補佐官を見上げた。
「日程と向こうとの調整は任せる。解決は5の月へ突入して構わないが、情報収集は4の月までに完了したい」
「〝すずらんの会〟へ参加されるのでしたら、27日までにはって形ですよね?」
「なぜ?」
「着飾るでしょう? 女性の秘密を暴くような真似をするつもりはありませんが、魔法をかけるには時間が必要だってのは存じ上げてます」
「会合だと聞いているから制服で構わないと思っていたが、違うのか?」
「王家主催の式典と比較したら内輪の小さな集まりです。しかし、卒業してからはその日しか顔を合わせられない同期との再会なんです。男性陣だって相応の身なりを心がけますよ。つーか、おたくの使用人に聞いてみてください。閣下がご存じないだけで、きっとなんらかの用意をしてるはずです」
「そういうものなのか?」
「断言できます。それに、カリス卿から何らかの連絡が行ってるのでは?」
「なぜ彼が出てくるの」
「そういう男でしょう、彼は。でなければ……お恥ずかしながら、それほどあなたに会いたくて仕方なかったのです ……なんて。他者にまでわざわざ聞かせないでしょう?」
「……忘れなさい」
それだけ言うと、メロディは顔を隠すように背を向けて執務室へ逃げていった。耳が赤く染まっていたのは気づかないふりをして、扉が完全に閉められたのを確認してから後輩たちへ視線をやった。
あきらかにひとりだけ天井を仰いで事態を悲観している。
ティルクーリが「どうすんの、八方ふさがりだよ?」直球に尋ねた。
「本当どうしよう。早くどうにかしないと閣下の信用失いかねないけど、出張に同行するのはさすがに死ぬ」
ストラトスは天井を仰いだまま答える。ローガニスは追い打ちをかけるように「24日、25日の1泊2日で出張なのは確定だからなー」笑いながら告げた。
「え。もう決定なんですか」
「うん。閣下がこっち優先させかねないから当日に伝えるつもりだけど」
「それは、あの、ご用意に支障がでませんか」
「執事に伝えりゃどうにでもなるよ。一応あの人は貴族令嬢だからね。自分でなんでもやんなきゃならねぇ俺らとは生きてる世界が違うわけよ」
「ローガニスさんも、男爵家の方ですから貴族ですよね……?」
「身分上はね。骨の髄から性に合わないし、長男と次男がしっかりしてれば3男はのびのび放牧してもらえるから」
そう言いながら補佐官はストラトスの両肩を押して体を起こさせた。
「ってことで、ストラトス。行きたいならそれまでに、行きたくないならギリギリ過ぎたころを狙ってくれ」
「そ、そこまで器用なことできません。だいたい、行き詰ってるのは紛れもない事実ですし」
「どこで?」
「手伝ってくださるんですか」
「年下より役立つかって言われたらわかんねえけど。無いよりはマシだろ?」
「閣下より優秀な方は知りませんが」
「確かに頭は切れるが、年下だと思う瞬間はあるだろ?」
「まあ、なんと言いますか……ええ、年下だと実感することはありますね。さきほど二重帳簿に感動されていたのが良い例です」
「ご自身のことには無頓着のきらいがあるし」隣の席のツァフィリオが手を止めてつぶやいた。すると、少し離れた席で「……鏡、知ってらっしゃるのかな」ティルクーリが疑問を呈した。「さすがにそれは」否定しようとしたストラトスだったが、先の言葉が続けられない。
「……」
「……」
「……」
「……可能性は、あるのか?」
新任たちでしばらく議論と可能性を交わされる。
シリルは気にせず業務にとりくみ、ローガニスは楽しそうに話を聞いていた。
議論が行き詰まってきたころ
「心配無用だ。毎朝、鏡台の前に座る。鏡は知っている」
いつの間にか執務室から姿を見せていたメロディが答えた。新任たちは勢いよく仕事に戻った。
目が合うと、メロディは端的に「来い」と告げた。
ローガニスは執務室に入室した。
「ご指名とは。嬉しいかぎりですね」
「暇そうにしていたからな」
「積極的に会話するのは大切なんですよ? 命令系統が確立されているのはもちろんですが」
「命令? お前は聞かない側の部下だろう?」
「そんな。私はあなたの御命令でしたら橋から飛び降りますよ?」
「お前の認識におけるわたくしはどうなっているんだ?」
「理想的な補佐官だとおわかりいただきたいだけですよ」
釈然としていないのは一目瞭然だった。
が、気にせず話を促した。