二話
『××年 日記』
夢を見ていたような感覚になる時がある。
その感覚は時々、まるで生前にその体験があったかのように感じることもある。
君にはまだ未練があって、俺は何も出来なくて。
もしそれが本当なら。
君は今、どこにいるんだ。
『二千二十四年 四月九日 日野ふゆな』
「おはよう……」
制服に着替え、朝食を食べるためにリビングに行くと、ソファで寝ていた兄が目を覚まし、更に目が合った。
「……今日、学校ないだろう?」
私を見るなり苦笑いしながらそう言われた。
今年で十六歳になる私より七つ年上の兄。社会人で詳細は知らないけれど在宅ワークでいつもパソコンと文字と向き合っている。
親はいない。
私が幼い頃に死んだらしい。
記憶なんかない。
でもきっと素敵な両親だったと願っている。
養子として引き取られていた私と兄はついこの間まで親戚の、父の妹の叔母さん、そしてその旦那の叔父さんと暮らしていたが、私も高校生になった事だしと二人は一度叔父さんの実家に帰って叔父さんの両親の介護をしている。
「ぼけ。今日入学式だよ」
そんな兄にむっ、と事実を伝える。
「……」
兄は目をぱちぱちとしたあと、まじかと言いながら起き上がりカーテンを開ける。
「眩し」
そして自分で開けといて眩しそうに目を瞑る。
兄は基本夜行性だ。
夜型人間。
オールして朝に寝て昼過ぎもしくは夕方に起きる。
でも私は普通の学校に通っている学生だから朝に嫌々起きて夜に寝る。
だからそんな兄が羨ましいと思う。
朝か……。
兄が開けたカーテンから差し込む陽の光から憂鬱さが溢れ出す。
朝は嫌いだから。
私はキッチンに行ってパンをトースターに入れる。
そして少し考えたあともうひとつパンを取りだしトースターに入れた。
「何時からだっけ?」
兄が私に問いかける。
「九時からだよ」
バターを冷蔵庫から取り出す。
面倒くさいなと思いながらも何かしらパンに乗せたいので仕方なくバターを切って乗せる。
「来る?」
ふと欠伸をしている兄に聞く。
さすがに主語がなくたって話の流れで分かるだろう。
日本語のそういうところは好きだ。
英語だって授業では主語絶対だとか言うけど現地の人は使ってないんじゃないのっていっつも思う。
海外に興味は無いから詳細は知らない。
「行くよ」
テーブルの上を片付けながら当たり前だろと兄が何故かドヤる。
なんだ、そのドヤ顔は。
しばらくしてパンが焼けたので取り出し皿に乗せてテーブルに運ぶ。
私も兄も朝食なんてこのくらいで充分だ。
「どーも」
そう言いながら兄はテレビをつけ椅子に座りパンをかじる。
私も反射的にテレビの画面に目を向け椅子に座り同じくパンをかじる。
「部活とか入る?」
テレビに視線を向けたまま兄に問われる。
「うーん……」
部活……。
以前ずっと軽音楽部に入りたいと思っていた。
私は音楽が好きだ。そして物語も好きだ。
しかし好きと才能はどうやら違うらしい。
「……特には」
最後の一口。
パクッと口に放り投げ私はぶっきらぼうにそう答えた。
「勿体ない」
「ん?」
兄がふと呟いた言葉に疑問で返す。
「いや」
なんでもないと兄は再びテレビに視線を戻す。
私は特に何も返さずにお皿を台所まで持っていき洗面所に向かって歯を磨く。
多分兄は音楽が好きだ。
家にある小さな防音室で時々、ギターを触っているのを見た事がある。
でもその音色は一度も聞いた事がない。
それに楽しそうに弾いている所を見た事がない。
だから本当に好きなのかは分からない。
歯を磨き終わり部屋に戻り、まだ高校生という実感がわかないまま制服に着替える。
スカート、短いなぁ。
中学とは違って膝丈より上のスカートに違和感を覚えながらも着々と身支度を進める。
あれも持った、これも……あと……
持ち物を何度も確認する。
入れた記憶があっても不安が拭えない。
ようやく準備を終えリビングに顔を覗かせると兄が珍しく私より準備を早く終えコーヒーを嗜んでいた。
「もう出る?」
私に気がつくと兄が聞いた。
「当たり前じゃん」
私はまるで自分が先に支度が終わったかのように先に靴を履き玄関のドアに手をかける。
兄がはいはい、と笑いながらコーヒーを飲み干しカップを台所へと置いた。
それを目で追いながら欠伸をする。
兄が上着を羽織って玄関まで来る。
靴を履き始める兄を横目に玄関の扉を開け私は外に出る。
そして兄が出てくる前に締めてやった。
「春……」
流れてきた一枚の桜の花びら。
それを捉え、その桜がやってきた方へ目をやる。
近くの専門学校にある桜の木から流れてきたのだろうか。
いつもと変わらない景色。
桜の花びらだってここ数日も見ていた。
暖かい風、柔らかい景色。
いつもと変わらない東京、蒲田の住宅街。
私はまるでいつもと同じなのに何故か変わって見える今日この日、この景色にさらに不安を覚える。
「なんで閉めるんだよー」
玄関の扉が開く音とともに相変わらず眠そうな兄の声が近づく。
「なんとなく」
ずっと不安を拭いきれない私は相変わらずぶっきらぼうに兄に当たる。
「行くよ。」
そう言って兄と目を合わせることなく私は駅の方へ向かう。
「最近冷たくない?」
兄が後ろからひょこっと顔を出して聞いた。
むっ……うざい。
そんな感情が顔に出ていたのか、まだ私は何も言っていないのに兄が眉間に皺を寄せた。
「もう、ついてくるなら邪魔しないで。電車遅れちゃうから早く行くよ」
眉間に皺を寄せた阿呆らしい顔の兄に思わず笑いそうになるがここは笑ったら負けだということで私はそれを無視して再び少し早足で歩き出した。
視界には入らないが多分兄が後ろから着いてきている。
住宅街を抜け大きな学校の前を通り過ぎ飲食店街を歩く。
終始無言だけど兄妹だから気まづいとかそういう気持ちはない。
ようやく駅が見えてきた。
現在時刻は朝の七時四十分。
学校へは九時につけば良くてここから学校までは四十五分くらい。
やや余裕だ。
若干の通勤ラッシュで賑わう駅に私達も入る。
エスカレーターを上がってすぐそこが改札。
JR線と東急線の通る朝の蒲田駅は黒いスーツやコート、制服に身を包んだ人達で溢れかえっていた。
「どれ乗るの?」
兄がさっき以上に眉間に皺を寄せていた。
そういえば人混み嫌いだったな。これ。
でも着いてくると言ったのは紛れもないこれであって、心配する必要は無い。
「京浜東北。五十二分のに乗りたいから早くしてね」
事前に調べた電車の発車時刻を告げ改札に入る。
蒲田に住んでいれば京浜東北線なんて使い慣れたものだ。
都会に出る時はいつもこれ。
「もしかして、もしかしなくても山手線乗る……?」
電車を待ちながら兄が微妙な顔でこちらを見た。
「品川で山手、それで原宿で千代田線に乗り換え。やっぱり帰る?」
「……いえ、行きます。」
『四月九日 米沢藍良』
八時半か……。
ふと、スマホの時計を見る。
本当なら今頃家で寝ていたのに。
今は高校の玄関。下駄箱付近の受付の椅子に座っている。
何故だ……。
「はぁ……」
ため息しか出ない。
あの時、パーを出していれば。
後悔したって、2週間前の自分を恨んだって時間は戻らない。現実は変わらない。
「あれ?米沢くん……だよね?」
「え?」
ふと自分の名前を呼ばれ思わず見上げる。
女子の声。
俺がまず女子に名前を呼ばれるようなやつでは無い。
クラスで陽キャの分類にいない俺は悲しいことに高校に入ってこの方、女子という存在とは無縁に等しい。
そんな俺の名を女子の声で呼ばれた……?
「あ!やっぱり!」
見上げるとそこに居たのは笑顔が眩しい女。
紅に近い、深緋色よりの秋桜色の綺麗な髪の毛に、碧い大きな瞳。
それこそ関わりは無いが見た事は何度だってある。
彼女の名前は確か、水瀬凪海花。
初めて見たのは去年……一年生の頃、入学式。
クラスも違ったし話したこともなく、むしろ初めて見たのに初めて見た気がしないと運命を感じたくらいの衝撃を受けた。
と、気持ち悪いことを思っていたちょうど一年前を思い出し俺は自分で自分を殺したくなった。
こんなに容姿端麗な少女だ。誰だって自然と目がそちらに行くだろう。
それは一方的にこちらからであって向こうはこっちなど視界に入ってすらいないはずなのに運命だとか思っている時点で痛いし馬鹿だしそして何より気持ち悪い。
こんなんだから女子とは一生無縁なんだろうな。
そんな彼女が俺の名を呼んだ。
何の用だろうか。
なにかやらかしただろうか。
「えっと……何ですか?水瀬……さん……」
ああ……やってしまった……。
いきなり名前を呼んでしまった。
接点すらないのに。
気持ち悪すぎる。俺。
しばらく沈黙が続いた。
終わった。
高校二年生にして俺の高校生としての生活が今ここで終わってしまったんだ。
今までありがとうお母さん。お父さん。
今までありがとう先生。
そして今まで仲良くしてくれてありがとう。智也。
しかししばらくしても何も起こらない。
気配だけはあるからまだ水瀬さんはここにいる。
恐る恐る俺は目を開ける。
「私のこと知ってたんだ!」
すると水瀬さんはぱあっと明るい顔で驚いたようにそう言った。
今までの間は驚きだった?
軽蔑の目で見られていると思った俺は思わず目を見開く。
あれ、そういえば水瀬さんも俺の名前知ってたよな。
それこそ関わりもないのに。
これはおあいこなのでは?
ほら、こうやってすぐ調子に乗るのが俺だ。
とりあえず救われた。
「よかったぁ!でも互いに認知してたのに去年一言も話す機会なかったよね」
にこにこと眩しい笑顔でそう言いながら水瀬さんは俺の横に座った。
「は、はは。そうですね」
女子と話す機会なんてほとんどなかった俺が流暢に話せる訳もなく。
玄関先に見える桜とそこから入ってくるすきま風がまるで俺を嘲笑っているようでものすごく鬱陶しい。
「うーん……」
!?
なにか気に入らなかったのか水瀬さんがものすごく不満そうな顔でこちらを見ている。
感情がジェットコースターだ。
これが女子なのだろうか。
しばらく沈黙が続く。
……気まずい。
「……水瀬さんも入学式の受付ですか?」
さすがの沈黙に耐えられずに質問をする。
「……水瀬さん?」
話しかけたもののあまりにも反応のない水瀬さんにもう一度声をかけてみる。
「!ん?なんて?」
水瀬さんが驚いた顔で聞き返してきた。
話を聞いていなかったようだ。
どうしよう。もう一度言うの、面倒だな。
「米沢くんも受付担当?」
すると俺が聞いたことを水瀬さんが俺に聞いた。
「あ、はい。」
なんかもっとあっただろう。
会話を続けられない。
すぐに切ってしまうのが俺の悪い所だ。
というかその質問したの俺だからな。
「よかったぁー!知ってる人と一緒で!じゃんけんで負けちゃってさ……」
「お、俺も……」
同じ境遇に思わず共感をしようとしたがどう考えても今のはタイミングがおかしかったと思う。
俺は思わず水瀬さんから目を背けた。
「ジャン負け!?一緒だぁ!」
しかし水瀬さんは相変わらず笑顔で会話を繋いでくれた。
これが陽キャの力……。
「運命みたいだね」
「!」
にひっと笑った水瀬さんの言葉に思わず俺は止まる。
運……命……。
「なーんてね」
しかしまた水瀬さんはイタズラに笑みを浮かべた。
なんだったんだろうか。
心臓が跳ね上がるような、涙が零れ落ちるような、何かを思い出せそうな。
さっきの一瞬の不可解な感情は。
「あ!あれ、新入生の子じゃない?」
もうそんな時間かと水瀬さんが時計を見た。
玄関の方を見ると不自然なくらいに新しい制服に身を包んだ、丁度一年前の俺達のような新入生が先生の誘導によりこちらへ向かってきていた。
「おはようございます」
「お名前をお願いします」
一瞬すぎた先程の感情をもう思い出せない。
じゃんけんで負けた俺達は今日初めてこの高校に登校してきた新入生たちを迎え入れるための入学式の準備の手伝いを全うする。
『四月九日 日野ふゆな』
「……はぁ……」
「お疲れ様。」
代々木公園駅。
階段を上がり駅を出て道路を渡り少し狭めの路地に入ったところで兄が端により壁に向かってため息を吐いていた。
私はコンビニで買ってきた水を兄に渡す。
「酔っ払いかよ」
「似た様なもんだ」
私はそんな兄を見てぷっと思わず吹き出した。
兄も笑みを浮かべている。
電車はもちろん、乗り換える駅も道路もものすごい人ごみだった。
都会だ。
兄は人混みが嫌い。
前に人混みの中は目眩がするって冗談じみた顔で言っていた。
今だって、それにここに来るまでだって私がふと見ると笑ってはいるけど相当辛いことを私は知っている。
前に渋谷で友達と買い物をしていた時たまたま夜遅くなっちゃって迎えに来てくれたことがある。
こちらに気がつくまで人混みの中、端っこで兄は座り込んでいた。
今だって相当頑張ってくれていて笑う余裕もないだろう。
それを知っているからもっと私を信用して欲しかった。
私は兄の無理した笑みが少し嫌いだ。
「ごめん、入学式なのに……」
ありがとうと水を受け取り兄はまた笑った。
本当は連れてこない方が良かったのだろう。
でも私はわがままだから、自己中だからどうしても来て欲しかった。
「なんだよその顔」
ぷっと今度は兄が水を飲みながら笑ってこちらを見た。
まずい、顔に出てた……?
私がなにか言おうとすると兄は真剣そうな顔でこちらを見た。
「言っとくけどね、これはふゆが来て欲しいって前に言ってたから来てる訳じゃないから。」
「……?」
え、と私が見上げると兄はまたイタズラに笑った。
「俺がその前から行こうと思ってて、行きたくてきたんですー」
そう言ってペットボトルの蓋を締めながら兄はこちらに背を向けて路地を歩き出した。
「……馬鹿兄」
思わず呟いて私も歩き出した。
そして普通に進んでいく兄の横に並び問う。
「道わかるの?」
「え?わからない」
ですよね。
路地だからか先程の駅前ほどの賑わいはほとんどない。
「こっち」
叔母さんと行った受験の時、そして入学説明会の記憶を頼りに私は兄の前に出て歩き出す。
「ふゆなさん、もしかしてこの坂を……」
「登ります」
坂を登ったかと思えば今度は大きい道路の向こう側へ渡るために歩道橋の階段を登って下がる。
そして少し道路沿いに歩いたところにあるのが桜田高校。
私と同じように違和感のある新しい制服を身にまとった人達、そしてその保護者達が吸い込まれるように門の中へ入っていく。
もちろん私もその中へと踏み込んだ。
「おはようございます!お名前を教えてください!」
受け付けと書かれた机の前まで来ると制服を着こなした先輩が出迎えてくれた。
化粧してる……
私と違ってちゃんと女子高生だ。
私もそんなふうに輝けるのかななんて思いながら名前を言う。
「日野、ふゆなです。」
少し緊張している私を見て先輩は微笑んだ。
「日野さんですね!クラスは三組です。」
そう言って保護者の方はあちらにと言いながら顔を上げ兄の方を見たその先輩は少し驚いたような顔をした。
「ありがとうございます。」
しかし兄はそれに動じずうっすらと微笑んでじゃあまたねと案内された方へと歩いていった。
行っちゃった……。
ふと後ろに人の気配を感じた。
並んでいる人がいるんだ。
私も行かないと。
「あ、ありがとうございます」
なんとなく無言で離れていいのかわからずにそれだけ言い私も案内された方へと進む。
三組……
教室に近づくにつれて不安は募る。
どんな子達がいるだろうか。
ギャルばかりだったらどうしよう……。
馴染めなかったら……
友達、一人もできなかったらどうしよう。
そんなことを考えているうちに一年の教室が並ぶ廊下まで来てしまった。
どうしよう……
それが一言目の感想。
廊下を見ると、もう既に仲良くなったのか、はたまた同じ中学出身なのか、多くのひとが誰かしらと楽しそうに会話をしている。
終わった。
そう思いながらそんな人の溢れる廊下を下を向きながら歩く。
はぁ……。
三組の教室に着いてしまった。
同じ中学出身の子はこの学校にいない。
知り合いゼロライフがはじまる。
しかし立ち止まっているのも不自然なので諦めて教室の扉を開けた。
教室を見渡す。
入学を祝うあちこちの装飾と黒板。
そこには座席の指定が書いてあった。
どうやら出席番号順のようだ。
日野……日野……
あった。
間違えるなんて恥ずかしいことがないように何度も黒板と席を照らし合わせながら自分の座席に荷物を置き座る。
人が集まるまでにはもう少し時間があるようだ。
しかしこの時間が辛い。
後ろの席だったため、改めて教室を見回してみる。
……あれ。
いきなり安心感が身体中に染み渡る。
廊下は会話で溢れていた。
でも教室を見渡してみると、ほとんどの人がひとりで座っていた。
多少会話している所はあっても廊下とは比べ物にならないくらい教室は静かだ。
私だけじゃない。
窓の外の桜がとても綺麗に散っていく。
ふう、と小さく息をつく。
もう一度時計に目をやるが先程から五分も進んでいるわけがなくすぐに目を逸らす。
何もしていないという状況下では余計なことを考えてしまいそうだなのでスマホを取りだし特に用もなくSNSを徘徊し始める。
それもやはり飽きてきて、聞きもしないのにミュージックを開く。
しまった。イヤホンを持ってくればよかった。
そんなことを考えていると突然、肩を叩かれる。
「!?」
私はびっくりして思わず振り返る。
「ふゆなちゃん……であってる?」
「え、あっ、うん……」
振り返るとそこには長い髪の毛をふわっとおろしたおっとりとした見た目の少女がこちらに問いかけた。
その優しそうな見た目通り声も穏やかで、ゆっくりと彼女は喋る。
「良かったぁー。隣の席に女の子いて良かったぁー。」
そう言って隣の席に座った。
そうか、隣の席なのか……。
いつの間にか席がだいぶ埋まってきた教室。
周りを見渡すと私の席の周りはほとんどが男子で構成されていた。
改めて隣を見る。
なんだ、この半端ない安心感は。
「私も安心した……」
思わず共感の安堵を零す。
すると彼女はくすっと微笑んだ。
「本当良かったよー!私は未玖。九条未玖。よろしくね。」
こちらの目を見ながらゆっくりと自己紹介をしてくれた。
「うん、よろしく……!話し相手が居て良かった」
未玖ちゃんにつられて思わず私も笑った。
本当に、本当に良かった。
入学式早々ぼっちを回避できたことへの安心感なのか、未玖ちゃんのこの優しい声に包まれてなのか、なんて言うか、心が暖かい。
「音楽とか聴くの?さっき、チラッとサブスク開いてるの見えちゃって……」
未玖ちゃんが私のスマホを指さして聞いた。
「うん。……未玖ちゃんは何か聞いたりする?」
さん呼びは距離感がありすぎか……。
だからといって呼び捨ては距離感近すぎるか……。
初めて名前を呼ぶ瞬間が久しぶりすぎてなんて呼ぶかを迷った挙句ちゃん呼びをした。
互いに共通点を探そうとしているのだろう。
臆病な私はなるべく自分から言い出すのではなく、相手が喋ったことと趣味が合うかどうかを探るという何とも卑怯な手に出る。
「私も音楽、大好きなんだ!」
そんなことは知るはずもなく未玖ちゃんは純粋な瞳で答えてくれた。
「ちょっとヲタクっぽいんだけど、スクランブルっていうバーチャルバンドが好きでよく聞いてて……あ、でも色々なバンドとか、ポップスとか、なんでも聞くよ!」
「スクランブル!?私も好き」
スクランブル、という単語に思わず未玖ちゃんの方へ乗り出して反応してしまった。
自分から反応しておきながらもあまりにも食い気味な反応に少し恥ずかしくなり前に乗り出したからだを少しずつ元に戻す。
「えっ!本当!?」
しかしそんなことは気にせず未玖ちゃんはさらに目を輝かせて私よりも食い気味に反応した。
まるでガラス玉のように透き通った目だ。
「うん!」
嬉しいのは私も同じだ。
彼女に負けじと目を輝かせていることだろう。
先程までのひとりぼっちだった世界が、未来が明るくなっていくのを感じる。
「嬉しい!嬉しすぎる!今まで語れる人と会ったこと無かったから!」
「私も……!」
こんなことで、未来は明るくなるんだ。
ものすごく悔しいけど、私は特に特別でもなんでもない。
スクランブル
私がここ最近ずっと聞いているアーティストだ。
美しい旋律を重ね奏でる楽器。全てに抗うような、でも輝いている歌詞。
そして全てを魅了するボーカルの歌声。
無名ではなく、曲自体はいくつもヒットを重ね流行の中心にいたこともあるが、このバンド自体を大好きで聞いているという人は一部のヲタク層だけらしい。
スクランブルはバンドという名目で活動しているが、メンバーは非公開で、そのうえ実はボーカルが音楽合成ソフトによる歌唱だ。
しかしボーカルを務める海月という音楽合成ソフトの歌声はとても精密で息があり、まるで人間のような美しい声で歌を歌う。
打ち込まれているのではなく、本当に歌っているかのようなその歌声にほとんどの人は機会の声などと気が付かない。
そんな歌姫の華やかな歌声にもちろんより詳しくスクランブルのSNSを見るまで最初は私も気が付かなかった。
そして私はスクランブルという沼へとハマって行ったが、これまで語れそうな人はおらず、日々一人胸にスクランブルへの言葉をしまっていたのだ。
けれど今、そんなしまっていた言葉が次々と溢れ出そうとしている。
未玖ちゃんが口を開く
「ほんっとうに全ての音色がかっこよくて、綺麗で!」
「わかる!そしてボーカルの海月の鮮やかな歌声……!」
そしてそれに乗っかり何かを考える前に口が先に言葉を発した。
「……」
お互いにびっくりしながら顔を見合わせる。
「ふふっ」
「あはっ」
そして一瞬の沈黙の後、くすっと笑い合った。
「会ったばっかりなのに、こんなに趣味が合うなんて」
未玖ちゃんが満面の笑みでそういった。
笑顔が似合うな……
「ほんとに、運命みたい」
そう私が言うと未玖ちゃんはディステニー!と英語で復唱した。
「はい、それじゃあ席に着けー」
教室に入ってきたのはスーツを着た男の人……おそらく担任の先生だろう。
「担任の先生かな、割と若いね。文系そう」
「たしかに」
未玖ちゃんがそれを見てそう言った。
たしかにその見た目は兄ほどでは無いが細く、整った髪型で、偏見ではあるが未玖ちゃんの言う通り文系そうな見た目をしていた。
「よし、じゃあ点呼してすぐ入学式だ」
先生はそういいあ行の苗字の人から名前順に点呼を始めた。
淡々としている先生だ。
点呼の返事って、声が裏返らないかだとか、変な声出ないかだとか、そう色々なことを、失敗してしまった先のことを考えて緊張してしまう。
「日野」
そんなこと考えているうちに私の番が来る。
「はい……」
上手く聞こえただろうか。
言ったあともこうやって色々なことを考えてしまう。
「次、藤沢」
よかった。聞こえてたらしく一安心だ。
隣をふと見ると未玖ちゃんと目が合う。
「入学式の点呼も地味に緊張するよねー……」
そうだ。入学式もあるのか。
「うん、やばい。」
「頑張ろう!」
未玖ちゃんはそう言ってこっちに向かって小さくガッツポーズを決めた。
そしてドヤ顔、可愛いです。
「うん!」
私も同じく小さくグッドと手を動かした。
本当によかった。高校生活、何とかなりそうだ。
「カーテンが!」
教室の窓側の生徒が慌てて膨らんだカーテンを抑えようとするがカーテンは見事に天井目掛けて舞った。
今までの不安をかき消すように、一緒に持ち去るように窓から春一番の暖かい風が吹き抜けた。




