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一話

 ——エラーって、個性的で、すっごく生きている感じがして、私、すっごくすきなんだぁ。

 



《三千八百年六月 藍沢》



 「あれぇ、先生、また彼女さんとのLINE?」

 「いやちげぇし、てか彼女いないし。」

 デジャヴだ。どことなく、否、完璧にデジャヴだ。

 放課後、未だ帰らずに教室に残っている少女が一人。


 目の前にいるやたらと俺の携帯を覗き込むその少女。

 少女は一言で言えば花だ。容姿端麗。紅に近い、深緋色よりの秋桜色の綺麗な髪の毛に、蒼い大きな瞳。十七、今年十八になる彼女の名は、水喰凪海花(みずばみなみか)

 別に恋心を抱いているとかそういうのでは無い。

 対する俺は、藍沢(あいざわ)。二十五歳高校国語教員だ。

 ごくごく普通の人間。

 「てか提出物終わったのか?」

 そこそこ提出率の低い凪海花に問う。

 定期テスト一週間前だというのにこの子はこんな放課後に一人教室に残り何をしているんだ。

 高校三年の定期テストの重要度を分かっていないのか?危機感がない。向上心もない。

 というか早く帰ってくれないだろうか。

 こっちもさっさと家に帰りたい。

 「うん!」

 いや何。その自身はどこから?

 そもそも提出期限過ぎてるのに国語の課題が出ていないからあえて遠回しに言ったというのに。

 それから……

 「うん??」

 うん!?色んな意味で聞き返す。

 「うん!!」

 違う。

 「友達じゃないんだから敬語、使え。」

 俺は別に一応許すがほかの先生にタメ使ったりなんかしたらキレられるだろ。

 「別にいーじゃん。」

 良くない。

 「早く帰れ」

 まじで早く帰ってくれ。

 今日推しの配信ライブがあるというのに。

 「……わかったよ」

 あれ、やけに素直。

 ムッと可愛く頬を膨らませ凪海花は自席に荷物を取りに行く。

 はぁとため息混じりに俺は再びスマホに目を戻す。


 “喰花”。

 喰花と書いてクラゲと読む、天才少女。

 今から丁度三年前、春。


 うたをえがきます。


 突如何の前触れも無く現れた彼女は顔をはっきりと出さずにいながらも、持ち前の歌でデビュー数日でまずは一部の所謂ヲタク層成人男性を中心としたファンを付け、一ヶ月後にはライブハウスで小規模なライブを行った。

 その後SNSでアップされた複数の楽曲がバズりファンクラブも一気に拡大。

 ユーチューブでの歌い手配信者のチャンネルでのゲストから地上波放送の音楽番組、アニメやドラマの主題歌まで引っ張りだこ。

 デビュー五ヶ月でユーチューブチャンネル登録者は五百万人を突破。

 ライブのクラウドファンディングでは開始早々億の桁まで集まる。

 そんな彼女の何が魅力か。

 “うたをえがきます”

 最初のユーチューブ投稿。

 このコメントとともに上がっていたのは影で顔が分からない少女の歌う様。

 顔が見えないというのに先ず何故か見えない瞳に吸い寄せられる。

 そしてその歌声が流れた瞬間、誰もがその歌声に釘付けになる。

 硝子のように繊細で、時に華やかに、また時には儚く感情をさらけ出すような、曲を歌詞を全力で表現しているその歌声は誰もの心を奪っていった。

 作詞作曲を基本自分で行い伝える。

 彼女は虚言なく確かに歌を描いていた。

 売れてくると提供楽曲も増える。

 その曲たちでさえ作詞作曲者の意図を紡いだように描き歌う。

 顔を出していない彼女だが、SNSやファンの間では彼女が学生だから顔出しをしないだけでこっちを本業にすれば顔出しするのでは無いかと噂になったこともあった。

 そんな喰花は遂に、武道館ライブを行うとの事。

 今まで豊洲PITで何度かライブを行ってきたものの武道館規模は初だ。

 今日はその前に歌おう前夜祭配信ライブ。

 喰花をデビュー当初から推している俺としては絶対に見逃す訳にはいかない。

 ……こんな高校生と話している暇は無い。


 「あ、そうだ先生!」

鞄を形からかけ扉の方まで歩みこちらを振り返りふと思い出したかのように凪海花がそう言う。

 「見てこれ!」

 そう言い渡されたのは古いコイン。

 「昔の硬貨か?」

 五円と刻まれたその硬貨は、歴史の教科書に載っている、昔使われていた硬貨。

 「うん!そうなんだけどよく見て見て」

 「よく見る?」

 よく見るも何もただの硬貨じゃねえか。

 さっさと帰って欲しいのでとりあえず見てみる。

 ……あ。

 「その硬貨、本来なら真ん中に穴が空くはずでしょ?でもね、よく見ると線から少しズレてるの!」

 成程。そんでもってよく見ろと。

 「……で?」

 「……」

 思わず聞く、一番嫌われるであろう回答、で?。

 「……エラー……コイン」

 おい先程までの元気はどこへ行った。

すげぇ沈んどるじゃんか。

もはや最後は聞き取れないくらいの声で細々と言う凪海花。

いや実際聞き取れたが。

 「エラーコインって更に価値あるんだっけ?」

 「そう!価値大ありなの!」

 「くれるのか?」

 「あげるわけないじゃん!」

 あげるわけないのか。

 完全にくれる感じだっただろ。今の。

 「ただのミスだろ?何でこんなのに価値があるんだか……」

 「……先生はミスはミスでしかないって思うかもだけど、私は好きだよ。エラー。」

 この子は何を言ってるんだか。

 時々理解し難いことがあるんだよな。

 俺の手からそっと硬貨を取りどこか大人な顔で微笑む凪海花。

 幾つも違うのに俺より、ずっと大人な顔。

 と思ったのは気の所為か?

 それも束の間、直ぐに年齢相応のやんちゃな笑顔に。

 「なんかほら、個性豊かって感じ?」

 「いや分からん。」

 「えー!?なんで!?」

 なんでも何もないだろ。

 というか

 「いいから早く帰れ。」

 「冷たっ!?せんせ冷た!?」

 「俺も早く帰りたいんだよ。」

 「うわ教師としてどうなのそれ!」

 「うるさい、先生も忙しいのさっさと帰りなさい。」

 「はーいわかったー」

 棒読み。

 本当に分かってるのかこれ。

 「げっもうこんな時間。」

 「逆に何時だと思ってたんだ?」

 ふと時計を見た凪海花。

 時刻は十七時三十五分。

 部活も何もない生徒が残っている時間では無いものの、俺が急かしているだけで別にそんな遅いという訳でもない。

 「なんかあるのか?」

 「あーー、ちょっと用事が……」

 慌てる凪海花。

 というか別に俺は止めてない。寧ろ帰ることを大推奨している。

 「先生さよーならー!また明日!」

 いや切り替え早いな。

 「さようなら。明日学校無いぞー。」

 バッと手を振って教室を出、走って帰る凪海花の背を見送る。

転けないといいが。

 と思うのも束の間。

 「いでえ!?」

 転けたな。

 階段の方から痛みを訴える声が響き、ドタドタとその声の主は去って行った。

 

       * 

 時計を見る、

 時刻は六時五十五分。

 後五分、か。

 マンションの一室、俺はリビングらしき空間でテレビの前に座り、生徒の作文の評価をしながら待機する。

 ユーチューブでの無料ライブ配信画面。

 現在二万人が待機中。

 右下にしばらくお待ちくださいの文字。

 真ん中には喰花の文字と海逅のロゴ文字。

 “海逅”こう書いてカイコウと読むらしい。

 喰花と同じ当て字。

 海逅は喰花の為に出来たプロジェクト事務所。

 喰花デビューの後、小説家や作曲家、歌手など様々な創作アーティストをデビューさせヒットさせてきた。

 喰花の実力には届かないものの、どのアーティストやクリエーターも才能の持ち主ばかりだ。

 始まる。後一分。

 ビール片手に待機。

 生徒の作文評価を一度中断。

 『皆さん、こんにちは。喰花です!明日は、いよいよ待ちに待った、武道館ライブ!!』

 学生らしい、作っている感の無い自身をそのままさらけ出すような元気で透き通った声がテレビのスピーカーから流れる。

 未だ慣れていない様な少しぎこちなさがある。

 それもまた良い。

 そして先程の待機画面が切り替わり画面の中に狐の仮面で顔を隠した少女、喰花が現れた。

 今日は狐か。

 『あ、こんばんはじゃん』

 歌い手や芸能人の様なやらせ感、わざとな感じが全く無い自然な言葉。

 造り物ではなく自分自身を曝け出す喰花。

 それも数ある売れた理由のうちの一つなのかもしれない。

 ビールを一口。

 『スゥッ……』

 『配信ミニ前夜祭ライブ、はじめます!』

 そう彼女が告、伴奏が流れ始める。

 おそらく生演奏だろう。

 そして映像が切り替わる。

 美しい仮想世界の様な空間。

 そこに立つのは喰花。

 後ろには伴奏バンド数名。

 仮想空間に溶け込むようにして喰花はゆっくりとした幻想的な伴奏に肩を揺らす。

 画面が喰花の顔に近づくと、仮面の中から僅かに薄らと見えた瞳は音楽に聞き入るように閉じていた。

 『物語を焼べた。

 問いを探し求めた。

 正解を宙に描いた。

 それでもまだ違う気がして。

 問いを自分で書いてみて。

 模範解答を歌ってみて。

 季節が巡るのが楽しかった。

 

 このまま 終わってしまうのか?

 なあ?

 終わってしまうのか?

 何も出来ない大人になって

 私の過去も全部ゴミだと

 終わってしまうのは。

 

 このまま あなたに伝えきれずに終わりたくないよ。

 

 文字を焼べた。

 問は見つからないまま。

 正解は宙に舞ってって

 間違いかどうかも分からない。

 全てを書くことも出来なくて

 模範解答に縋ってみて

 大人になるのが恐ろしかった。

 

 このまま あなたの空を描けるのか?

 ああ

 終わってしまうのか?

 私はいずれ塵になって

 何もかも忘れ去られてしまう

 怖くて堪らないんだ。

 

 季節と踊れなかった。

 大人はみんな不幸に見える。

 苦痛は空に溶けたりしない

 何が問題かも分からない。

 正解全部間違いだ。

 

 私は私を歌いたい。

 

 そうやって

 何でもかんでも言い訳して

 正しさの花と舞い散る。

 だけどきっとそれは 私じゃない

 このまま大人になってしまったとしても

 

 今の私は大空にだってなれる。

 

 このまま終わったりしない

 ねぇ

 私が見えますか?

 何も出来なくたって

 未来を創るのだ

 終わらせはしない

 

 正解は自分で決める

 問いなんか後付でいい。

 恐れを蔑ろにして

 後先なんて考えず

 私が

 私が

 

 正しい。』

 

 

 奏でる。

 ガラスのように繊細な歌声が、叫びが、スピーカーから伝って俺の脳みそを掻き回す。

 魂を取り戻す様に喰花が息を吸い歌う。

 叫び訴えかけるような歌声。

 ただ叫んでいるのではなく音楽の概念を彼女なり解釈で叫ぶ。

 神経を通らず脳に直接訴えかける様な彼女の歌声はまたファンを増やす。

 他の誰でもない喰花。

 彼女だからこそ創れたこの音楽。

 だけど、何か違う。

 彼女じゃないという訳ではなく。

 今日の喰花は、何かが違う。足りない。わからない。

 何が違う?

 結局何も分からないまま、配信ライブは終わる。

 今日の歌声も魂の叫びの様に美しかった。

 何が違うのか、足りないのか、すぐに忘れてしまうほどに、美しかった。

 

 ✽

 

 

 「朝か……。」

 仕事か……。

 溜息が出る。

 どんなに足掻いた所で仕事が無くなる訳では無いのでシャワーを浴びて着替える。

 顔を洗い歯を磨く。腹は減ってないから朝ご飯は食べずに評価した生徒の作文と携帯をカバンに入れ家を出た。

 学校は近い。

 自転車で行く程の距離では無いが、歩くのは嫌だ。

 なんと言ったって疲れる。

 休日出勤。

 清々しい都会の朝。

 鳥が鳴いて、車が鳴いて、全ての音が木霊している様な朝。

 時刻は午前七時丁度。後十一時間で、武道館ライブが始まるから、今日はその為に仕事を頑張ろう。

 そんなこと考えていると、学校に到着。

 コピー機を買っておけばよかった。

 学校に来た理由は唯、作文のコピーを取っておくためだけ。

 平日に早く出勤すれば良いだけの話だが朝早く起きるのは嫌だ。

 それに早起きしてもコピー機を他の教員に使われていた時の辛さは考えるだけで後悔が身に染みる。

 自転車を停め学校に入り靴を履き替え階段を上がる。

 「こんにちは!」

 途中、運動部の生徒から挨拶され、自分も挨拶を返す。

 おはようございますだろ。

 時間的に。

 職員室に入りコピー機に直行。

 またその途中、数名の教職員と挨拶を交わす。

 コピー機に作文を読み込ませ、コピーを始める。

 ザッザッザッザッ……

 物販、早く行かないとな。

 ペンラ、一人の上限の二個は欲しい。


 ピロン


 コピーを続けるコピー機をぼーっと見ていると、ポケットにしまっていた携帯が振動した。

 メール……

 取り出し画面を開くとそこには一通のメール。

 指紋認証でメールを開く。

 「……え」

 思わず零れ落ちた声。

 「どうしたんですか?」

 コピー機近くの教卓に座っていた理科教師の西原先生が、はてなとこちらを見上げ首を傾げる。

 「あ、いや、何でも、ない、です。」

 まずい。なんでなんでなんで。

 ザッザッザッザッザッ……

 一定の速度で鳴る音が大層鬱陶しい。

 どういう事だ?

 何でこの直前で……

 武道館ライブ……中止のお知らせなんだよ。

 

 

 『三千八百年 七月二十日 藍沢 』

 

 

 あれから一ヶ月。

 何も変わらない日常。

 夏休み直前の校舎。

 「おはようございます」

 「おはよう」

 通り過ぎる生徒の挨拶に返事をしながら教室に入る。

 なんとなく朝学活を終え、なんとなく職員室に向かい、なんとなく自分の席に座る。

 あれから喰花によるSNS等の更新は無い。

 それを心配する声や、死んだのではとくだらない推測をする声。

 だけど二ヶ月も経てばそんな声は止む。

 世の中は所詮そんなものだ。

 それでも待つファンの一人が俺。

 武道館ライブを開催するチャンスだってまだあるはず。

 頭の中で喰花の歌声が渦巻いたまま授業を行う。

 弁当を喰う。

 空気を食べて、深く溜息をつく。

 どうにも切り替えができない。

 そんなこんなで帰り学活で今日が終わる。

 「先生、はい、お願いします!」

 教卓でぼーっとしていると凪海花が提出物を持ってこちらに来てそれを俺に渡す。

 「あ、あぁ。」

 それを受け取る。

 「ねぇ先生、最近元気なくない?彼女さんに振られた?」

 顔を覗き込むように凪海花がそう問う。

 「いや彼女いないって。」

 「あ!意外といつも通りだった!そうか。振られちまったのか。」

 ふむ。と一人頷きそういう凪海花。

 だから彼女は元から居ねえっての。

 ここ最近凪海花は体調不良で学校を休みがちだ。

 折角の皆勤賞だったのにな……なんて思いながら最初は珍しい欠席に若干内心心配したが、時々登校する彼女は元気そうでなにより、と言ったところだ。

 「……じゃあまた明日!先生!」

 「体調気を付けろよ」

 「うん!元気だよ大丈夫!」

 さようなら、と凪海花は教室を出ていった。

 例年より早く出てきた蝉の声。

 少し空いた窓から出てきてカーテンを揺らす生ぬるい空気。

 汗を流しながら廊下を走る部活動生。

 夏休みがすぐそこに、迫っていた。

 

 

 

 『三千八百年 八月七日 水喰 凪海花』

 

 

 窓の外の景色を眺める。

 初めて見るその景色。

 「凪海花、これ、着替えとか色々ここに置いておくからね。」

 お母さんがそう言いそっと荷物をベッドの横に置く。

 いつもと変わらない優しいその顔には心配と不安が隠されている。

 「うん!ありがとう!」

 そんなお母さんの心配を少しでも解くため、私は笑顔で答える。

 「お母さんやっぱり一日中ここにいようか?ほら、凪海花、不安でしょう?」

 「ううん!大丈夫だよ。お母さんは気にせず仕事に行ってきて!」

 やはり心配が解けないのかお母さんは私をじっと見てそう言う。

 「そう?じゃあ、仕事行ってくるね。何かあったら直ぐに連絡するのよ?」

 「分かったって。そんな心配しなくても大丈夫。看護師さんたちもいるしね。」

 「でもあなた、我慢ばっかして直ぐに言わないから……。ちゃんと何かあったら言いなさいよ?」

 「はーい。」

 「それじゃあ、また後でね。今日はプリンでも買ってくるから楽しみにしててね。」

 「やったあ!行ってらっしゃい!」

 わーい、プリンだー!

 夜が待ちきれないぜ、なんて思いながらお母さんに手を振る。

 「あ、そうだ先生が面談がてらお見舞いに来てくれるらしいの。お母さん忙しくて三者面談出来ないからとりあえず先生から進路について、聞いておいてね。」

 「りょぉーかーい!」

 今度こそまた後でね、と扉を開けお母さんが出ていく。

 ざわっち先生来てくれるのかぁー。

 飴を口に放り込む。

 窓の方へ再び目を向けると、目の前の木に蝉が引っ付いていた。

 もう夏なんだなぁ……。

 することも無いし、ざわっち先生が来るまでまだ時間もあるからと、布団にくるまって寝ることにした。

 

 

 

 『三千八百年 八月七日 藍沢』

 

 

 「はーい」

 小さくも大きくもない病院の一室。

 看護師に案内され部屋をノックすると凪海花が扉を開き顔を覗かせ、どうぞと俺を中へ招き入れた。

 「体調大丈夫なのか?」

 看護師が用意してくれた椅子に座り、ベッドに腰かける凪海花に問う。

 夏休みが始まって三日目。

 凪海花が入院したということがが彼女の担任である俺に伝えられた。

 病状までは教えてくれなかったが、入院となれば相当重いのだろうかと予想していた。

 「全然大丈夫!もう元気すぎて病院駆け回りたいくらいだよね。」

 だが案外今は元気らしく、凪海花はクスッと微笑む。

 「元気そうでなにより。進路、どうしたいとかあるのか?」

 高校三年生。

 高校生活が終わった後の進路はこの先の人生で少なからずとも重要なこと。

 「行きたい大学はあるよ。」

 そう言って凪海花はスマホを取り出し何かを調べその画面を俺に渡す。

 偏差値が低くも高くもない、中間より少し上くらいの私立大学。

 「キャンバス綺麗だし?いいかなって」

 「いいんじゃないか?ここなら成績的にも多分指定校推薦で入れるし、凪海花がそれでいいならいいと思う」

 スマホを凪海花に返しながら言う。

 偏差値も多分丁度いいくらいだろうし、まあ、いいと思う。

 大学なんて誰でも入れる、誰もが入る、義務教育のようなものになったこの時代だ。

 「本当?じゃあもうここ一本だね。」

 スマホを受け取り仕舞ってやったねと凪海花が言う。

 「あれ、じゃあもう面談話すことない?え?帰っちゃうの?先生。」

 「うんまあ。夏休みの面談なんでこんなもんだよ。なんか他にあるか?」

 「うーん……」

 手を顎に当てて凪海花が考えてる風のポーズをとる。

 「?」

 「ない!」

 「じゃあ俺は帰るぞ。お大事に。」

 じゃあなと扉に向かって歩く。

 「えなんか冷たくないか!?」

 「冷たくない。貴方入院中なんだから静かに寝てなさい。」

 「えーなんか流された……。」

 「じゃあまあまたなんかあったら学校連絡してな。」

 「へーい。」

 今度こそ扉を開け部屋を出る。

 「先生、またね、さよーなら」

 「さようなら」

 高校生の言動は可愛いななんて思いながら扉をそっと閉めた。

 

 

 

 『三千八百年 十月三十一日 水喰凪海花』

 

 そっか。

 もう夏も終わるんだなぁ。

 随分涼しくなった空気を食べた。

 久しぶりに外に出た。多分二ヶ月ぶり。

 出た。と言うより抜け出してきた。

 好きなアーティストが八駅隣の会場でハロウィンフェスに出るからちょっとチラッと見に行きたい。

 病院の中は暖かかったもんなぁ……。

 裸足ではいているスリッパに病衣。

 ずっと暖かいところにいたから私の体はやっぱり寒がってる。

 少し走っただけだけど最近はほとんど動いていないからこれだけで息が切れる。

 ハロウィンだもん。

 もっと可愛い仮装をしたい。

 病院の駐車場の出入口の方まで何とか走る。

 駐車場には人っ子一人居ない。

 三台の車が無駄に広いコンクリートの地面の上に止まってるだけ。

 なんか、もうここまで来ると爽快だな。

 「はぁ……はぁ……」

 ダメだぁ……。

 息切れが止まらない。

 もっと運動しないとなぁ……。

 視界がぼやける。

 財布持ってくるの忘れたじゃん。

 これじゃあハロウィンフェス会場まで見に行けない。

 「はは……」

 馬鹿じゃん。

 なんかもう自分で笑えてくる。

 一回戻るか。

 病院へと踵を返す。

 そのまま進もうとすると、ぼやけた視界の端によく知った人影が現れた。

 すっかり忘れていた。

 今日面談じゃんか。

 「やっほ!先生」

 

 

 

 『三千八百年 十月三十一日 藍沢』

 

 「やっほ!先生」

 面談の為病院の中へ入ろうとしていた時、後ろの方から声が聞こえた。

 自動ドアが開いたが気にせず後ろを振り向く。

 そこには凪海花が居た。

 元気そうでなにより。

 こちらを見て手を振っている。

 「!」

 咄嗟に俺は鞄をその場に捨てて走る。

 「おい、大丈夫か?」

 「うーん……ちょっと走りすぎちゃったのかな」

 ははは、と凪海花が微笑する。

 その瞬間まで全く気づかなかった。

 こちらに歩み寄ろうとした凪海花が突然崩れた。

 フラっとしたものだから慌てて駆け寄るとそのまま地面に崩れ落ちそうになったから瞬時に支えた。

 「どうかしました?」

 先程までドア付近の受付に居た看護師が顔をのぞかせる。

 「あら!凪海花ちゃん大丈夫?勝手に外に出たらダメですよ」

 

          *

      

 「帰るの?」

 病室のベッドに横になりながらこちらを見て凪海花が問う。

 「あぁ。」

 「面談は?」

 「体調が良くなったらその時に。親御さんもそっちの方がいいって言ってたし。」

 「申し訳ないなぁ……お母さんも忙しいのにせっかく今日少しの間休み取ってくれたからさ。でももう仕事戻っちゃったからまた今度か。」

 「……また今度な。」

 「……先生さ、なんか、いつもと態度地味に違くない?」

 「……」

 「何か言いたいことあるなら言って?」

 凪海花が起き上がり、座って俺の目を見て言う。

 聞いてしまった。

 凪海花が寝込んでいる間、彼女が隠していたことを、彼女の母から。

 『あの子は我慢ばかりで隠すのが上手だから……私にも心配かけたくないって思ってるんでしょうね。何も気持ちを話しちゃくれない。先生、凪海花と良ければ話をして下さらない?』

 彼女の母はそう言って何故か俺に全てを話した。

 「……怖いか?」

 もっと違う言い回しは無かったのか。

 言ったそばから後悔する。

 「聞いたんだ。」

 「……すまない。」

 聞いたのは彼女が今ここに横たわる理由。

 「怖く、ないよ。」

 「え?」

 出た言葉は予想外の言葉。

 いや、言葉自体は予想外では無い。強がりな彼女からはきっと出てくると思っていた言葉。

 ただ、声が違う。

 強がった声ではなかった。

 今日のご飯何にしようか、みたいなそんな本当に軽い声だった。

 そしてにへっと、凪海花はいつもの笑みを浮かべている。

 「本当の気持ちを言ってくれ。凪海花が何か心配とか、不安な気持ちを抱えているなら相談に乗るし俺は……」

 「本当だよ。」

 俺の言葉を静止するように凪海花がつぶやくように言った。

 暖房器具の音がやけにうるさい。

 「本当に、怖くない。」

 そんなに心配しなくて大丈夫。と凪海花が笑う。

 「前に話したでしょ?」

 「前に……?」

 「ほら、これ。」

 「エラーコイン……」

 ポケットから以前も見せてきた昔の五円玉硬貨を取り出し凪海花が俺にそれを見せる。

 「エラーってなんか私好きなんだ。皆と違う、個性豊かでさ。なんかエラーがあってこそ生きてるなってさ。」

 今度は、で?とは聞かなかった。

 「私は、私の中のエラーまで愛してる。それにエラーがあったってまた直せばいい。だから、怖くなんかない。」

 極稀に、数億人に一人くらいに起こる症状、機械病。

 千八百年ほど前にある科学者によって世界の発展が止められた。まるでそのまま時間が止まって人だけが入れ替わるような世界。

 ただ人間の寿命が何故か十年、二十年と減っていった。

 その時にある技術者が生まれた子に機械を埋め込み人の体の一部と同化させることで寿命を伸ばすことに成功した。

 今となってはその機械を埋め込まない人間はいない。

 機械病は稀に起こる人体の機械への拒絶反応。そしてその拒絶反応への機械の抵抗。

 いつ発症するかも分からない。なんの前触れもない未知の病。

 発症すれば一年以内には機械エラーにより心臓から侵食され死ぬ。

 この病を千八百年ほど前から発展を止められた人類に治すすべは無い。かといって機械を埋め込まなければ十年も持たずして死んでしまうのだ。

 「だから、まだ(えが)くから。——待ってて欲しい。」

 凪海花がボソッと呟く。

 聞き馴染みのある声……。

 「……待っててって?」

 「ううん、何でもない。」

 ひひっと、戯けたように凪海花が言う。

 「今日はもう、疲れちゃったし寝るね。」

 「じゃあまた、明日来る。」

 「え?明日も来てくれるの?」

 「迷惑だったか?な……」

 「ううん!全然!むしろ嬉しい!」

 ぱあっと笑顔になった凪海花にお大事にと伝え今日は病院を出た。

 何故、今まで教えてくれなかったのか。

 帰り道、すっかり暗くなった道を歩く。

 教えてくれる訳、なかったのか。

 所詮ただの教師でしかないんだから。

 所詮ただの教師だ。

 信頼されていると思っていた。生徒に。

 全てを頼って貰えていると思っていた。

 生徒の全部を知ったつもりになっていた。

 でも実際はそんなこと無かった。

 俺は所詮将来性を広げるための知識を流し込むだけで生徒の人生に殆ど関わらないただの教師。

 溜め息が出る。

 今日はもう考えるのはやめよう。

 家に着き鍵を開けた。

 

 

 『三千八百年 十二月二十四日 藍沢』

 

 「……大丈夫か?」

 「いつも心配してくれるね。彼氏かな」

 クスッと笑う凪海花。

 しかしいつもとは違う。

 起き上がることはせず、人工呼吸器を身につけたぐったりした顔。

 機械病を知る誰もが思う。

 もうもたない。

 「ねぇ先生……この間の、話、覚えてる?」

 「ああ。」

 即答する。

 「怖く、ないって。言ったよね。」

 「ああ。」

 「……」

 言葉を待つ。

 凪海花がふと窓の方を見る。

 空は曇っていた。そういえば今年はホワイトクリスマスになるだとかテレビで言ったいたっけ。

 「クリスマスイブ、だね。」

 「……ああ。」

 窓の外を眺めながら言う凪海花。

 すっかりクリスマスの飾りだらけになっている街。

 「……あのね。」

 凪海花がゆっくりこちらを見て言う。

 「何だ?」

 「……やっぱり、何でも無い……」

 「じゃあ今度聞かせてくれ。」

 「……!」

 目を逸らしかけた凪海花が俺の方をもう一度見る。

 ここで目を逸らす訳にはいかないと俺も凪海花の目を捉える。

 「あ……」

 凪海花の瞳が潤いやがて雫がこぼれる。そして溢れ出す涙。

 「何で……泣いてるんだろう……」

 俺は何も言わない。

 「……私、本当は、怖い……やっぱり怖い死ぬかもしれない、この世界から消えちゃうんだそんなの嫌だ!」

 凪海花が泣きながら叫ぶように言う。

 苦しいよな。辛いよな。

 「怖くないなんて言って強がったけど結局怖い!辛いし痛いし苦しいしでも誰も心配させたくなかった。友達とも遊べないし学校にも行けない。好きなことも出来ないしそれに、歌も歌えなくなった。ねぇ先生知ってる?私喰花だよ?」

 ああ。知っている。

 突然の告白。薄々気づいてはいた。

 彼女の言動から。

 凪海花は俺の反応を待たずに続ける。

 「音楽アプリで歌って出してみたらほんの少しだけどコメントくれる人が居てその頃は時々の趣味程度だった。プロデューサーさんからデビューしませんかってコメント貰った時は嬉しくて嬉しくてさ、喰花としてデビューして、そしたら色んな人が沢山の人が私の歌を聴いて褒めてくれてライブにまで来てくれて、本当に嬉しかったしものすごく調子に乗ってた。楽しかった。でも私もう、歌も歌えない。歌おうと自分で息を吸うことも出来ない。武道館で歌うはずだったのも中止。それで暇を持て余して気づいちゃった。プロデューサーさんもスタッフさんもファンの人達も、結局は喰花が好きで応援してくれてただけで私自身のことを見てくれていたわけじゃないんだよね。みんな喰花という存在に依存して聴いてくれていただけなんだって。私も喰花でいる事が、多分自分自身でいる時よりもずっと好きだった。誰にも喰花を譲りたくなくてずっと側にいて欲しくて必死に頑張ってたんだと思う。結局私も依存してた。」

 そこまで言い切ると一度凪海花は涙を拭う。

 そしてこちらを見る。

 「先生もさ、喰花でいた私のこと観ててくれてたよね。でももう私は喰花として生きられないんだ。そんな私の事は嫌い?何も思わない?」

 そんな事ない。俺は……

 「喰花として、貴方を一ファンとして見てじゃない。私は先生のことが好きなんだよ。」

 「……」

 「ねぇ、先生はさ、私のこと、好き?」

 答えはもちろん、好きだ。

 でもこれは立場的に恋愛感情として思っていては行けない。

 「はいともいいえとも言えない。あくまでも俺と凪海花は教師と生徒だ。これ以上踏み入った感情は無い。」

 はは。

 何とも酷い言葉だ。

 考えて出た言葉がそれか?

 凪海花の涙はもう止まっていた。

 「そっか。」

 もう俺からは目を離し窓の外の景色を眺めていた。

 凪海花はきっと心を開いて俺に全部打ち明けてくれた。

 相当勇気を使ったに違いない。

 でも結局、俺はそれに応えることが出来なかった。言葉にして応えるという簡単な動作が俺にはできなかった。

 何が教師だ。

 教師としても、一人の人間としても失格だ。

 窓に目を向けると、吹雪とともに雪が降っていた。

 俺はこちらすら向かない凪海花のすぐ横に可愛らしい花とプリンを置き、病室を出た。

 

 

 『三千八百十年 十二月二十五日 藍沢』

 

 雪の降る、クリスマスに染められた街の中を早足で歩く。

 そして人混みをぬけ雪の積もった真っ白な墓地へと足を運ぶ。

 そしてひとつの墓の前で足を止める。

 墓の上に積もった雪を払い手に持った花を置く。

 花に積もっていた雪がカサッと音を立て落ちた。

 「あら、こんにちは先生。毎年ありがとうございます……」

 突然後ろから声をかけられる。

 「……いえ別に……」

 「あの日と同じ……」

 そう言いかけ声の主はせっせと雪の中、墓掃除を始めた。

 俺は失礼しますとその背中に言い墓地を後にした。

 

 凪海花が死んでから十年が経つ。十年と一日前の日、最低な言葉を投げ捨てそのまま俺は病院には戻らなかった。きっと会うべきではなかった。

 だが次の日、凪海花の母から電話がかかった。凪海花が亡くなったと。

 あの日戻って居れば……。

 後悔が後を絶たなかった。

 いまも立ち直れていない。

 もう、終わりにしよう。

 彼女はもう居ない。

 廃病院の中に入る。

 八年前の火事で廃墟となった周りにも殆ど何も無い病院には誰一人もいない。

 あの時の病室に入る。

 中はすっかり荒れていた。

 俺は布団に腰かけナイフで喉元を突き刺した。

 

 

 

 

 ——いつも描いた物語で君を殺しているのは俺だった。

 

 

 

 『××年 日記』

 

 

 夢を見ていたような感覚になる時がある。

 その感覚は時々、まるで生前にその体験があったかのように感じることもある。

 何度も何度も君と出会って。

 君にはまだ未練があって、俺は何も出来なくて。

 もしそれが本当なら。

 

 君は今、どこにいるんだ。


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