3―8 婚姻と披露宴 その一
叙爵から一月後、新築なったブラッセルマン家において披露宴が開催される日となった。
その午前中、僕とダイノス侯爵それにクラウディア嬢は、それぞれ従者を伴って、貴族街区にあるエディオス会派の教会へと赴いた。
僕は、前世では神の存在を信じてはいなかったが、僕が桜庭雄一として前世で死んだ直後、幽界か何処かで神様に似た存在に出会っているので、神又はそれに近い存在が有るものと理解はしている。
現世でマザー・アリシアに問われた際に懐古派に属する会派のようなことを言ったこともあるが、実際のところは特定の会派にこだわってはいない。
調べたところでは、どうも、この現世では僕が転生をする際に出会った存在を神とするような会派が無いようなのだ。
或いはその眷属的な存在を神として崇めているのかもしれないし、そもそも僕が出会ったのは地球世界の神であって、この世界の神様では無いのかもしれない。
いずれにせよ、該当する神が居ないので、正確に言えば、どの会派にも属してはいないということになるだろう。
現世の宗教は、会派により多少の違いはあっても多神教であり、それぞれの教義によれば、概ね主神は女神様のようである。
その下に三体から七体の神様が存在していると教えている。
主神が創造神であるところがほとんどで、特定の会派では創造神ではない三女神のみを崇めているところもある。
エディオス会派は、ダイノス家が信奉する会派であるために、クラウディア嬢との結婚の誓約はエディオス会派のアイベリオン教会で行うことにしていたのである。
事前に予約を取っていたので、午前の部で婚姻のための誓約の儀式を執り行ってもらい、その足で貴族院へと出向いたのだった。
王家相談役であるクロイム・サイルズの根回しもあって、貴族院での届け出も支障なく終えて、僕とクラウディア嬢の婚姻が正式に認められたのだった。
これにより、クラウディア嬢は、クラウディア・メレ・オルト・ブラッセルマンとなり、僕の正妻となったのである。
クラウディアのいで立ちは、この世界の貴族の花嫁衣装で着飾っており、今日一日はその衣装で過ごすことになるのが、この世界の慣例である。
花嫁衣裳(正装)のクラウディアには、当然のことながら、侍女が二人もついて回らねば、階段を上り下りすることも大変なようだ。
彼女曰く、衣装が重々しいために一人では脱ぐこともままならないらしい。
僕は、女子トイレに入ったことは無いが、屋敷を造る際に妖精sの情報を得ているから、この世界の貴族用の女子トイレが物凄く広いことを知っている。
確かに裾の大きな正装ドレスを着用していたら、広いスペースが必要なのは頷ける。
少なくとも現世にあった身障者用トイレの二倍半ほどの広さが有るんだ。
従って、屋敷の女性用トイレは非常にスペースを取る造りになっているよ。
結婚の際の式典は、キリスト教の結婚式に似ているし、貴族院への届け出も前世の役所と同様だから、その詳細は省くが、貴族院の届け出だけで概ね1時間半を要したのは特記しておこう。
別に貴族院が混み合っていたわけでは無い。
届け出の受理だけでも内部手続きが随分とあるようで、時間がかかるらしいのだ。
これも結婚する当人二人が来ているから特別に速いのであって、執事等代理人による届け出の場合は、ほぼ丸々一日はかかるようだ。
貴族院への届け出を終えて、少し遅い昼食を我が家で摂り、暫しの休憩をした後、五つの鐘の時(概ね午後4時前後)を過ぎた頃からは、僕が我が家の正面玄関で招待客の出迎えに当たることになる。
この段階では、未だクラウディアの披露を行っていないために、出迎えは僕や従者だけになる。
招待客で特に貴族連中は、皆自分の馬車で来るが、屋敷の用地が狭い場合は、玄関前のロータリーの乗降場で降りて、馬車を一旦返すようなこともある。
しかしながら、僕の屋敷では馬車用の斜路を備えた立体駐車場が完備してあるから、客が降りた馬車を敷地内に待機させておくこともできる。
御者を含めた従者用の待機スペースも、当該駐車場の脇にあり、従者達にも相応の食事等が支給されるようになっている。
マイク曰く、来客の随員にそこまで饗応する事例は、ほとんど無いとのことだったが、慶事の披露宴なので、その恩恵を従者に与えて喜ばれることはあっても文句は出まいと判断している。
今日の披露宴の始まりは、日没に近い六つの鐘がなる刻限としているんだ。
そのために貴族達は、その位階により上位の者よりも遅く到着せぬよう、早い時間帯から屋敷を訪問することになる。
これら早く到着する客のために、披露宴の会場とは別に、位階に応じた待合室的な広間を用意してあり、そこで定刻になるまでの間を待機してもらうことになる。
因みに代理人の出席の場合も、待機室は主筋の位階に応じた広間で待機してもらうが、当然に彼らの到着時間は早い時間帯になるのが普通である。
この日も一番早くやって来たのは、平民階級の人達だった。
各ギルドの長と商会の会長二人が速めに到着していた。
彼らの場合は、通常奥様同伴であり、奥様が出られない場合は子息又は子女を同伴している。
いずれにせよ、客が到来した時点から待機室での饗応が少しずつ始まる。
待合室で提供されるのは、アルコール度の低い飲み物とつまみ程度のものではあるが、いずれも前世にあったもののアレンジ品であるから、おそらく誰も口にしたり、目にしたりしたことが無い代物の筈だ。
飲み物は、すべてクリスタルガラス製品に注がれて提供されるから、その色合いが十分に楽しめるものである。
但し、グラス自体が金属製のゴブレットなどと違って壊れやすいものであることから、取り扱い上の注意をメイドや従者から丁寧に説明することになっている。
つまみの置かれている陶磁器も趣向を凝らしたものを集めさせて使っているが、待機室のつまみの皿は市販品であるために左程数が揃えられていないものだ。
一方で披露宴会場となる大ホールでは、僕が造ったウェッジウッド風の食器が用意されている。
六つの鐘が鳴る少し前に、ハンブリ―公爵夫妻とその令息が玄関に到着したので、僕のお出迎えは終わることができた。
それから少しの間、待機室で公爵に休息を取ってもらってから、他の待機室に居る人達を順次大ホールへと案内してもらい、最後に僕が公爵をご案内して披露宴の始まりである。
大ホール正面には、ひな壇があり、その脇で楽団が既に比較的静かな音楽を奏でている。
僕がハンブリ―公爵を先導して大ホールに入ると、それまでの喧騒がすぐに収まった。
お客の大半は、我が家のバーマンからアプレンティスの飲み物を提供されて、グラスを片手に談笑をしていたようであるが、この時点ではメインの料理は未だお出ししていない。
バーマンは二人で大多数の人間を相手にしなければならないから大変だが、アルコールを飲めない方もいて、精々百名前後の人数なので何とか切り抜けてほしいものだ。
公爵とそのお連れ様を、定位置に案内して、僕が最初に床から10センチほど高いひな壇に上がる。
そうして叙爵の披露宴の開催の辞を述べ、ついでにドッキリではないが、僕の正妻を披露しますと宣言し、ひな壇脇の出入り口に隠れていたクラウディアと侍女達を呼び寄せる。
「皆様にお知らせしておりませんでしたが、本日ダイノス侯爵のご息女クラウディア殿とアイベリオン教会にて婚姻の誓約を結び、貴族院への届け出も済ましてまいりました。
ご紹介いたします、我妻クラウディア・メレ・オルト・ブラッセルマンです。」
普通の場合、貴族同士の結婚等はあちらこちらへと事前に通知するものではあるのだが、それをしないのはある意味で型破りではある。
但し、全く無いというわけでは無く、特に、正妻を誰にするかで貴族間で揉めるような場合には、だまし討ちに近い形で貴族院に正妻として届け出て既成事実を作ってしまうという手法がこれまでもあったのだ。
一旦、正妻として登録されたなら、側室以外に嫁になる方法は無いということで、僕の場合で言えば、公爵以上の娘は側室の対象にならないし、クラウディアが侯爵令嬢であったことから、侯爵令嬢も通常の場合は家格を考えて側室になることを躊躇う理由になるのだ。
仮に、僕に側室の話が来るにしても、通常の場合は、子爵以下の貴族の令嬢になるだろう。
いずれにしろ、慶事二つが重なった披露宴と言うことで、出席した客からは大いに拍手をいただいた。
多少不本意な話があろうとも、その不満等を表には出さないのが貴族のやり方なのだ。
その後は、華やかな貴族外交の始まりとなる。
最初に、執事長のマイクの進行役により、披露宴でのファーストダンスが告げられる。
僕とクラウディア、それにハンブリー侯爵夫妻が大ホールの中央で踊ることになっており、事前にハンブリ―公爵の了解も取り付けている。
それが終わると、一斉に大量の料理が壁際に並べられ、メイドや従者が給仕を始めることになるので食べたい人は食べ、飲みたい人は飲むことになるけれど、無礼講ではない。
若い男女も父親の随行で来ているので、中には、所々でダンスの申し込みをしている姿も見受けられる。
小休憩を挟みながら、大ホールでは順次舞踏が演じられる。
僕とクラウディアは、二人揃って、大勢の合間を縫うように挨拶を繰り返すことになる。
披露宴が終わるまでには招待客全てと一度はお話をすることができた。
この間飲まず食わずではなく、少しはおなかに入れているけれど、量は少ないので、披露宴が終わったなら二人で遅い夕食を取る予定にしている。
披露宴の半ばで、お客様から是非に趣味の披露をと声をかけられた。
止む無く、クラウディアがギーゲを、僕がエレクトーンを演奏した。
最初はそれぞれ独奏で、クラウディアは練習曲の一つを披露し、僕はエレクトーンでクラーベの練習曲を披露したんだが、クラーベの音色ではなく前世のピアノの音色で演奏した。
クラーベの音色はどちらかと言うと甲高いキンキンとした音色でテンポだけが取り柄のような曲に良く似合うけれど、ピアノの音色は繊細で音も長く伸ばせるので多彩な表現が可能となる。
このために当然に弾き方もかなり変化することになる。
この楽器の音色を聞いた人がどう評価するかが若干心配だったけれど、概ね高評価で受け取られたようだった。
そうして最後にギーゲとエレクトーンで合奏を行った。
クラウディアにアドリブは難しいので、ギーゲの練習曲をアレンジしたものを、複数の楽器の音を交えて演奏したんだ。
当然のことながら、その中にはこの世界に無い楽器の音も入ることになる。
この世界には、木管楽器はあるが、金管楽器は工作が難しいのか余り無いようなんだ。
エレクトーンではそうした金管楽器の音色に加えて弦楽器や打楽器の音まで再現できるから、大ホールの隅々まで二人の演奏が響き渡った。
因みにこの大ホールを造るにあたっては、音響効果も考えて材料を吟味しているんだ。
大ホールの大きな柱時計が七つ半の時刻(午後9時)を示したころ、披露宴は終わりを迎えた。




