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第十八話 円卓/ノルウェー征服/フランス遠征

 アーサー王が北の島々を平定してから、十二年の時が過ぎた。

 王国における彼の生活は、満ち足りた平和なものであった。この間、アーサー王の収める王国に侵入したり、彼を脅かそうなどと大それたことを目論むものは、誰一人として現れなかったからである。

 同じようにアーサー王もまた、誰一人に対しても損害を与えようとは考えず、国内の安定に尽力していた。

 この時期にアーサー王によって制定された宮廷の礼儀作法は、それは素晴らしいものだった。これによって彼は、イングランドを高潔な国家として維持していたのだ。

 国だけではない。アーサー王自身もまた、高潔で高尚なふるまいを片時も忘れなかった。人々は「アーサーの他に王はいない」と思い、それ以外の誰かを褒め称えるようなものは、誰一人としていなかったのである。

 しかし、巷の騎士の間ではそれほどに賞賛の声がささやかれているというのに、アーサー王は、あえてそのような言葉には耳を貸そうとはしなかった。そして、そういった謙虚な態度こそが、更なる賞賛へと繋がっていったのだ。

 アーサー王は、騎士たちの賞賛の言葉を聞かなかったが、その代わりとばかりに、彼らに番号を与えた。

 彼がその助力を必要としたときに、彼らを速やかに呼び集めることが出来るように計らったのである。

 広間に集まった騎士たちは、その誰もが屈強な闘士となるために己の身体に傷を追うことを顧みず、その誰もが小さな賞賛の言葉などでは到底相応しいとはいえない、素晴らしい男たちだった。

 アーサー王はその騎士たちの全員を椅子に座らせ、彼らがぐるりと取り囲むような円卓を作ったのである。[1]

 この円卓には、アーサー自ら掟を作っていた。アーサー王と彼の立派な騎士たちが食事をとるために椅子に座るとき、その椅子の高さはすべて等しくなるようにと。同様に、彼らが受ける奉仕もまた等しく、アーサーの盟友には前も後ろもなく、なにもかもが等しく扱われるように。

 この規律の前に、騎士たちは他のものに対し「自分のほうがより高貴である」などということはなかった。この分厚い板の周囲に集まった時には、すべてが等しいのである。

 アーサー王は、パンを切り分けるときでさえ、誰一人として除け者になってしまうようなことのないように気をつけたのだった。

 このテーブルに座るために数多くの騎士が集まった。ブリテン人はもちろん、フランス人、ノルマン人、アンジュー人、フランドル人、ブルグント人、そしてロレーヌ人。

 遠くは、聖バーナードの丘にさえ届かんばかりのはるか彼方、そこから西の地方の収める騎士までもがこのテーブルで皿を持ったのである。

 その一方で、気位ばかりが高くて作法の欠片も知らぬ名ばかりの貴族は、王の広間にはほんの僅かな間さえも留まることは出来ないと、もっぱらの評判であった。

 そんな男がアーサーや立派な騎士の集う広間に潜り込んだところで、武勲を挙げるための剣や鎖帷子も身につけず、アーサーに使えるに相応しい衣服すらも持っていないため、落ち着きもなくうろうろと歩きまわるばかりだったからだ。

 栄達を望み、崇拝するべき王を求めるような探求者たちは、噂を聞きつけて、あらゆる土地から海をわたって宮廷へとやってきた。

 彼らはアーサーの礼儀正しいふるまいを見極めようと、何人かを送り込んで様子を窺ったりもした。そして、そう言った者達は一人残らずアーサーが収める国家の誇り高さに驚き、この騎士道精神を貫く素晴らしい王のことを口々に話しあった。幾人かは、アーサーに謁見を願った際に高価な贈り物まで受け取り、驚きを重ねるのであった。

 この時代のアーサーは、財産を持たぬ貧乏人にも深く愛され、そして財産をもつ裕福なものにも名誉をもって讃えられた。

 ただ、アーサーの臣下に収まっていない他国の王たちだけは、アーサーに対して悪意を嫉妬を抱いていた。彼らは、妬むと同時に疑い、恐れていたのだ。

 なぜなら、ひとたびアーサーがその気になれば、すぐにでも彼らの王国に踏み込んできて、彼らの財産を奪うことが出来るからである。


 ――貴方は、アーサー王の物語が素晴らしい英雄譚として、あるいは、しばしば常識はずれな物語として語られるのを聞いたことがあるだろうか。

 この壮大な王国において長い時を経ることで、真実は作り話にされ、あるいはまったく意味のない歌になって吹聴されてきた。

 そういった詩歌は、まったくの虚しい嘘でもなければ、絶対に正しいと言い切れるような真実でもないのだ。

 これらを、馬鹿馬鹿しい物語として一笑に付したり、ただの思いつきの産物として軽く扱うべきではない。

 吟遊詩人は彼のバラードを歌い、語り部はしばしば彼の伝説を語り、アーサー王の姿は少しずつ彩られ、装飾されていったのだ。真実は物語の装飾の影に隠れてしまい、彼の真の姿は飾り立てられ、見えなくなってしまう。

 こうして、歴史は作り話によって覆い隠され、貴方の耳に心地良く響く旋律となって伝わっていくのだ。


 それからどうなったのかを語ろう――


 アーサー王は、フランスとの戦いを始めることを決めていた。

 これまでに培った勇気と、彼が愛し磨きあげた騎士道精神。それに数々の騎士たちの助言。あるいは、そこにはマーリンの助言があったのかも知れない。

 いずれにせよ、彼はかの魔術師がかつて予言したように、巨大な王国を相手に戦いを挑むことを決心したのである。

 だが、フランスへと向かう前に、アーサーはノルウェーへと向かうことにしていた。ここでも一つ争いが起きていたのだ。それは、アーサーの妹アンナの夫であるリヨン王ロットに関わることだった。

 ノルウェーでは、国王シシェルムが崩御していた。このノルウェー王はロットの叔父でもあり、そして、子供がいなかった。

 彼は、自分の命が終わりに近づいたことを悟ったとき、甥であるロットに遺産を相続させようと考えたのだ。

 もちろん、他に後継者がいないとなれば、言うまでもなくそれが順当である。

 だが、この国の人々はそうは考えなかった。ノルウェー王の甥とはいえ、ロットはこの国の人間ではなかったからだ。

 ゆえに、シシェルムがこの王国をロットに譲り渡すと宣言したときも、彼らのその命令や布告を笑い飛ばし、聞こうとはしなかった。

 誇り高い彼らは、ブリテンやリヨンの人間を、古臭く弱々しい民族だと思い込んでいたのだ。そんな外国の連中に、ノルウェー人のものとなるべき財産を渡してなるものか。そういった理由で彼らは外国人の国王を認めず、そして、外国人の国王が商売に口を挟んでくることも許さなかった。更にノルウェー人は、自分たちの家系から、自分たちに都合の良い国王を勝手に選んでしまう有り様だった。

 こういう次第で、ロットが相続した土地へ赴いたとき、リダルフという貴族がノルウェー王を名乗り立ちはだかったのだった。


 こうなっては、自らの遺産を取り戻すためにロットに残された手は、たったひとつしかなかった。すなわち、力尽くである。

 だが、ロット一人で国を一つ相手にするのは手に余るというものである。そこで彼は主君であるアーサー王に助けを求めたのである。

 果たしてアーサー王は、ロットの正当な遺産が奪われたことに憤慨し、彼を支援することを快諾した。それも、単に軍隊を送り込むだけでなく、アーサー自らノルウェーに乗り込んで簒奪者リダルフに対して痛烈な復讐をすることを約束したのである。

 アーサーは自身の言葉を現実のものとすべく、すぐさま行動を開始した。かつて北の島々を平定した艦隊を再び招集し、強力な軍隊を集めて乗り込ませた。

 そして、この巨大な艦隊とともにノルウェーに乗り込んだ彼らは、ロットに従わない者たちの土地をまたたく間に略奪しつくし、彼らのもつ荘園を差し押さえ、彼らが立てこもる街にも攻撃を加えた。

 一方のリダルフもまた、臆病な男ではなかった。彼もまた自分のものとなった土地から逃げ出そうとはしなかったのだ。

 彼は人々を掻き集めて、アーサー王と戦うための準備を整えていった。

 だが、リダルフには誤算があった。彼をノルウェーの国王として担ぎあげたノルウェー人である。当然、彼の王位を守るための戦いには、ノルウェーの誰もが馳せ参じるだろうと考えていた。しかしながら、戦いが始まったとき、彼の仲間は決して多くはなかったのだ。友人という友人に声をかけても、やってきたのはほんの僅かしかいなかった。

 アーサー王の軍隊の前に、リダルフとその仲間たちはひとたまりもなく壊滅し、リダルフ自身もその戦いの中で命を落としてしまった。

 リダルフの側近や取り巻きたち、彼を支持していた派閥も散り散りになってしまい、もはや日の目を見ることはなかった。

 こうして、リヨン王ロットはアーサー王とともにノルウェー人を壊滅させたのである。

 この戦いのあと、アーサー王は彼の元に赴き、自らの臣下として忠誠を誓うロットに、正式にノルウェーの権利を譲渡したのであった。

 この冒険の際、貴族の群れから頭ひとつ飛び抜けて武勲を挙げた一人の男がいた。屈強にして名高い騎士、ガウェインである。彼は、キリスト教の伝導者である聖スルピシウスの最後のときに立ち会い、彼の魂が栄光のうちに神のもとへ旅だったのを見届け、そしてアーサー王の軍隊に合流したのである。

 彼の武具は聖スルピシウスによって直々に授けられたもので、すでに幾つもの武勲を挙げて、世界中で賞賛を受けていた。

 それだけではなく、ガウェインは礼儀正しい闘士だった。喋る言葉も選ぶ行動もことごとくが慎重なものであり、それでいて自惚れることもなく、およそ欠点というものを持っていなかった。

 彼は、常に自ら誇るよりも多くの偉業を成し遂げ、常に約束した以上の働きを見せた。

 彼の父親は、彼をより素晴らしい教養を身につけることが出来るであろうローマへと送り出し、盟友であるワヴェインと同じ日に騎士として叙勲を受けたのであった。

 その彼が今、番号を与えられ、アーサーの騎士として数えられたのである。

 こうしてガウェインはノルウェーにおける戦いに参戦し、彼の名声に相応しい奉仕のため、そして彼の使える君主の誇りのために、力いっぱいに戦い抜いたのだった。


 ノルウェーを征服したアーサー王は、ロットを国王として認めるように触れを出し、彼のために法律を厳しく制定した。それが済んだら、彼はノルウェー人の中から最も勇敢で好戦的な男たちを選び、海の近くへと集めた。

 いよいよ大陸へと乗り込むのである。

 港には、大きな船や小さな船がひしめき、中には漕ぎ手である水夫も乗り込んでいた。

 風に恵まれ、静かな時間を船の中で過ごし、そしてアーサー王はデンマークへと上陸した。この王国を手に入れることもまた、アーサー王の心からの望みだったのだ。

 デンマークの国王はアシルという男だった。

 彼は、うわさに聞くアーサー王のこと、ブリテン人のこと、そして瞬く間に平定されて彼の臣下となったノルウェー人のことを考えた。

 まともに戦えば、とても勝ち目はない。少なくともそのことだけは、はっきりと確信できる。いったいどうすれば最も傷を少なく収めることが出来るのか。いったいどうすれば、彼の財産が無用の戦いで失われずに済むのか。

 今、デンマークは平和で、それを維持できているのだ。しかしアーサーとの戦いになったら、富も名誉も等しく荒らされてしまい、友人たちは死に、塔が廃墟へとかわるばかりだ。そんなことに、いったい何の益があろうか?

 そこまで考えて、アシルは素早く行動した。

 彼はアーサーのもとへとやってきて、高価な贈り物とともに、戦いを挑むつもりが無いことを伝えた。そして、アシルの願いにより、アーサー王との間に和議が結ばれたのである。

 アシルはアーサー王に忠誠と尊敬を誓い、こうして彼の臣下に加わったのである。そして、アーサー王の慈悲により、彼は今までどおりデンマークを封土として収めることを許されたのである。

 アーサー王は、ノルウェー、デンマークと続いた冒険とその成果に、大いに喜んだ。

 だが、冒険はまだこれからなのだ。彼は、更に名誉を高め、そして今以上に崇高なるものを目指すことを熱望していた。

 彼は、デンマークに連れ込んだ男たちの中から、彼に見つけられる限りの最高の強さを持つ騎士と弓兵を選び出した。その数は何百人、いや、何千人にも上った。

 アーサーはこれらの戦士たちをフランスへともたらすために、軍隊に組み込んだのである。

 そうして、かれは休む間もなく目的のために行軍を開始した。

 アーサー軍の勢いは留まるところを知らず、街に都市、そして城が次々に陥落していく。フランドル地方、そしてブローニュ周辺の地方が、あっという間にアーサーの支配下に収まった。[2]

 これだけの快進撃を続けながらも、アーサー王は慎重さを欠くことはなかった。

 街や城を落とすまでは良いが、問題はその後である。晴れてアーサーのものとなった以上、その街を燃やすことは、アーサーの街を燃やすことに他ならない。その街の住人の財布から金を奪うことは、アーサーの財布から金を奪うことに他ならない。そんなことをしても、アーサーには何の利益にもならないのだ。

 彼は征服したすべての土地を見渡し、そして、彼の口によって多くの行為が禁止された。すなわち、兵士たちが征服した街の住人たちから略奪しないように。彼らに悪事を働き、苦しめる事のないように。

 もしも、衣服が欲しければ征服した街の服屋に金を払って買い、腹が減ったのであれば、良質な貨幣を支払い、市場で肉を買わねばならない。

 彼は、自分のものとなった街で、あえて破壊や盗みを働くような真似を決して許さず、自分の領地として大切に守ったのである。


 アーサー王の時代、フランスの地はガリアと呼ばれていた。

 この土地は、国王も国の主人も持っていなかった。なぜなら、ローマ人がここを属州として、非常に強い権力で保持していたからである。

 そんなローマの属州であるフランスはフロロという護民官に長きによって渡り守られ、彼の徴収に対して忠実だった。

 彼はフランスの人々から小作料や貢物を受け取り、そして、その時期が来たら集めた宝物をローマにいる皇帝へと届けていた。

 この風習は、フランスだけでなくゲルマンの地や、かつてはブリテンまでも従属させた力強い皇帝、ジュリアス・シーザーの時代から続いていたのである。

 そして、フロロもまた、ローマの高貴な血を引くとても立派な君主だった。その勇敢さは、どれほど強い敵をも恐れないほどである。

 すでに彼のもとには、数々の手紙が届けられ、破竹の勢いで進軍するアーサー王の様子が伝えられている。

 当然ながらフロロは、ローマ人が財産を奪われているのを、手をこまねいて見ていようとはしなかった。

 この護民官は、ローマに忠誠を誓う属州の男たちに、武器を持って支援するようにと招集をかけた。彼らは一箇所に集まり、そしてフロロは沢山の備蓄を抱えている軍隊に向かって命令した。

 フロロ自らも出陣し、そしてすぐにアーサー王の軍隊と衝突、戦いが始まった。

 だが、戦いが始まってすぐに、フロロは戦局が思うように進まないことに気がつくことになる。

 ブリテン人を退けても、次から次へと戦列は波となって襲ってくるのだ。さすがのフロロも、これほどの軍勢を相手に持ちこたえることは出来なかった。

 結果を見れば、護民官フロロは手ひどい打撃を受け、なすすべもなく敗走の憂き目にあっていたのである。

 この戦いの中で多くのものが殺され、生きているものもひどい傷を負い、あるいは捕虜として捕らえられた。そうして、敗北とともにフロロの軍隊は引き返していった。

 フロロが失った兵の数は、彼の家族を除いても二千人を超えていた。すべて、あちこちの街に声をかけて掻き集めたものたちだった。

 後になってみれば、フロロが負けたのは驚くべきことではなかった。集めた戦士の数が、そもそも桁違いだったのである。アーサーがブリテンから連れてきた男たちに加えて、ノルウェーやデンマークからも募った血気盛んな戦士たち。その圧倒的な数の前に、フロロが急いで声をかけて集めた程度の男たちで太刀打ち出来るはずがなかったのだ。

 そればかりか、アーサーはこれまでに従属させて手に入れたすべてのフランスの土地から、戦うのに相応しい若さや強さを持った槍兵や騎士を探し出し、一人残らず番号を振って軍隊に参加させたのだ。そうして、この外国の人々にアーサーを君主として仕えるように命じた。

 更に、集めた人々の中から、アーサーは最も屈強な騎士を、そして最も実力を証明された闘士を探し出し、自分の仲間に加えるべく有望なものたちを選び抜いていたのだ。

 アーサー王の勇敢な戦いぶりは瞬く間にフランス全土へと伝わっていき、その勇気に心服するものたちが次々に現れた。

 今や、フランス中がアーサーを彼らの王として認めつつあったのだ。

 それも当然のことである。

 アーサーの類まれなる知性と、そこから生み出される美しい言葉の数々。自分のものとなった土地を決して荒らさぬ寛大さと、為政の手腕。これらを前に、フランス人は彼を愛さずにはいられなかった。

 アーサー王の気高く高潔な魂に誰もが打たれ、それがアーサー王の軍隊に蹂躙される恐怖ゆえであろうと、あるいは、彼を嵐の中に見出した唯一の避難所と考えたがゆえであろうと、いずれにせよ、すべてのフランス人がアーサー王の宮廷に向かう理由を見出していた。もちろん、アーサー王の庇護下に収まり平和を築きあげるため、そして自らもアーサー王に忠誠を誓い、その臣下になるためである。

 さて、アーサー王との戦いに負けたフロロは今、出来る限りの速さで馬を駆り、道の上にとどまることなくパリへと逃げ込んでいた。

 この護民官はアーサーの力をひどく恐れ、身を守るべく砦を探した。そして、パリ以外の街では、かの軍隊にはまったく対抗し得ないと考えたのだ。

 こうして、フロロはパリに立て篭もってアーサー王を待ち受ける決意をした。そして、壁の中でアーサー王と戦うために、街の外に住んでいるものたちを壁の内側に呼び入れた。

 パリの街は人々で溢れかえっていた。元から住んでいたものに加え、壁の外から避難してきたもの、アーサーと戦うために招集されたもの。そのすべてが街の中に留まっていたからである。

 これらの人々は街を守る兵隊にトウモロコシや肉などの食料を配るために走り回り、そしてアーサー軍の攻撃に持ちこたえられるように、強固な壁と門を作り上げたのだった。


[1]円卓(Round Table)……エクスカリバーと並んでアーサー王を彩る重要なファクター、かの有名な「ラウンドテーブル」が初めて描写されたシーンです。

 ブリュ物語の中ではっきりと「騎士たちを平等に扱うために」と書かれているのが、円卓である意味を明示していて印象的ですね。

 日本でも一揆の際に「傘連判状」なる序列の存在しない記述形式がありますが、こういった精神も世の東西を問わないようです。

(もっとも、傘連判状に関しては「誰が首謀者かわからないようにする」という意味もあったので、まったく同じとは言いがたいですが)


 さて、円卓ですが、いったいどんな形状で、何人の騎士がここに座ったのでしょう。

 実のところ、ブリュ物語には正確な形状や座席の数は書かれてはいません。

 絵画や後世の物語でもリング状であったり、円盤であったり、「これが正解」と言えるようなものはないようです。

 なお、最も有名なバージョン(だと思います)のアーサー王伝説である、サー・トマス・マロリーの著書「Le Morte D'Arthur(アーサー王の死)」においては、座席の数は150と明言されています。(なお、騎士は死ぬことで欠番となり次々に入れ替わるので、「円卓の騎士」はもっと大勢います)


 現在、ウィンチェスター城跡のグレートホールに円卓が飾られていますが、これは十三~十四世紀ごろに作られたと言われており、直径18フィート(約5.5メートル)、アーサー王の他に24人分の席が用意され、テーブルにはアーサー王の肖像画と騎士たちの名前が書かれています。

 このくらいの大きさが現実的だったのかも知れませんね。

(ちなみに、肝心のアーサー王の顔ですが、十六世紀にヘンリー八世が「我こそはアーサーの血を引くものなり」と証明するために、自分の顔に塗り直してしまいました……)


[2]アーサーがフランスに入った経路ですが、フランドル地方(現在で言うフランス・オランダ・ベルギーの国境付近)を最初に陥落させている様子から、デンマークからそのまま南下し、ドイツを経由してフランスに入ったものと思われます。


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