運命の名 ~フレイヤとヴァナディース~
夕刻の酒場は、神話の世界も現代も変わらぬ活気に満ちている。
ヨトゥン領とはいえ、村人の暮らしは戦火の影を忘れたかのように賑やかだ。
「ランカスト将軍! 久しぶりだな! 席は奥の個室を用意してあるぜ! ゆっくりしてきな!」
陽気な店主が、ランカスト一行を個室へと案内する。
ベルヘイム軍の者が、ヨトゥン領で堂々と酒を飲むわけにはいかない。
隠れるように個室に通された一行は、それぞれ飲み物を注文した。
ゼークは飲酒を控え、フルーツジュースを手にする。
ランカストと航太は濃厚な葡萄酒を傾け、絵美は一口飲んだ葡萄酒に顔をしかめた。
「うっわー、アルコール強っ! サワーとか、カクテルないの?」
絵美は騒ぎ立て、店員をパニックに陥れる。
そして、ガーゴは……
「飲み食いしないと、死んじゃうでしゅ~!」
けたたましく叫び、店内に混乱を巻き起こしていた。
「アヒル、うるせぇぞ!」
業を煮やした航太が持っていたテープを手に、ガーゴのクチバシをグルグル巻きにする。
ガーゴはモガモガともがきつつ、ようやく静かになった。
ゼークが静かになったガーゴを抱きかかえ、絵美もフルーツジュースを注文し落ち着く。
そして、ようやく飲み会が始まった。
「に、してもさぁ……ガヌロンって軍師兼オヤジ、ムカつくよね!」
絵美が開口一番、苛立ちをぶちまける。
サワーもカクテルもないことに、いまだご立腹のようだ。
ランカストは穏やかな笑みを浮かべ、優しく答える。
「ハハハッ、みんなに庇ってもらって感謝してるよ。だが……ガヌロンの言うことも、間違っちゃいない。部隊を指揮すること……人の命を預かるって事は、それだけの責任が伴うんだ」
「いやいや、あの状況じゃ仕方なかっただろ! オレらが生き延びたのだって、奇跡みたいなもんだし!」
航太は上空から迫りくる巨大な炎の塊を思い出し、声を荒げた。
「まあ……な。だが、指揮官が軍を離れたのは事実だ。将として、兵の命を預かる責任は重い。一部隊を全滅させた罪は、それだけで重いんだ」
ランカストの一貫した言葉に、ゼークの表情が引き締まる。
「そうなんだよね……私なんて、つい自分のことで頭がイッパイになっちゃう。全体を見失っちゃうこともあるけど、指揮官って人の命を左右するんだもん……自分の指揮で、失っちゃう命があることを自覚しないと」
ゼークの声は、どこか自分を戒めるようだった。
「なになに? せっかく美味しく飲み食いしてるのに、暗いぞ~! てやっ!」
絵美は暗い表情に沈むゼークを見て、抱きつきながら肉団子を口に放り込む。
「にゃふっ?」
ゼークが猫のような声を上げ、驚きに顔を赤らめる。
ランカストと航太、それに絵美は思わず吹き出し酒場に笑い声が響く。
「ちょっと、絵美! ひどいよ~!」
ゼークが恥ずかしそうに、絵美の頭を軽く叩いた。
「ゼークは、良い指揮官になりそうだな」
ランカストの声が、笑いの中に静かな重みを帯びる。
「オレたちが生きているように、仲間がいるように……兵たちにも、家族があり人生がある。その人生を奪って『仕方ない』じゃ、済まされない。だからこそ最善を尽くさなきゃならんし、責任を負うんだ……なっ!」
最後の「なっ!」に合わせ、ランカストが航太の背中を豪快に叩く。
「うをっ!」
航太は思わず葡萄酒を吹き出し、咳き込みながら声を上げる。
「うっわ……汚な~! ゼーク、離れて!」
絵美はゼークを庇うように抱きしめ、航太を雑巾を見るような目で睨む。
「絵美クン、今のは不可抗力だろ! って……なんだよ、ランカスト将軍! 強すぎるって!」
航太は口元の葡萄酒を拭いながら、笑いながらランカストを見やる。
「航太……お前も、兵を率いる立場になってもいいんだぞ。神剣を持ち、ヨトゥンの将とも戦えてるんだ。だから、心構えを教えているのさ」
ランカストの言葉に、航太は目を白黒させた。
「何を、突然! いやいや、ないない! まだ戦場に出たての、ペーペーだぜ?」
航太は、手を振って全力で否定する。
ただ航太の胸の奥に小さな火が灯った事に、本人すら気付いていなかった。
Myth Knightとして、いつか兵を率いる日が来るかもしれない……そんな漠然とした予感が、航太の心を静かに揺さぶる。
「そういえばさ……軍が命がけで戦ってるのって、お姫様を救うためだよね? そのヴァナディース姫って、どんな人なの?」
絵美の無垢な問いが、酒場の一角に響く。
その声は真っ直ぐで柔らかい、単純な好奇心から放たれた。
ゼークはグラスに注がれているフルーツジュースを覗き込みながら、苦笑いを浮かべる。
「ヴァナディース姫様? うーん……実は私も、会ったことも見たこともないのよね」
その言葉に、航太と絵美は顔を見合わせる。
ゼークの視線は、静かにランカストへと流れた。
「ヴァナディース姫か……不老不死の伝説に彩られた存在で、我々がこの世に生を受ける遥か昔からベルヘイム王国を見守り続けてあるという話だ。だが、その失踪は謎に満ちているんだ。実際、姫の姿を見た者の方が少ないんじゃないかな?」
ランカストの声は、言葉を選びながらも重々しさがある。
航太の瞳が、鋭く光る……その心には、ずっと燻っていた疑問が渦巻いていた。
「誰も見たことのない姫のために、これほどの軍勢が命を賭けて動くってのか? 不老不死の姫……何か、もっと深い秘密が隠されてんじゃねぇのかよ? こんな大規模な軍を動かす救出作戦、普通じゃ考えらんねぇ!」
航太の言葉は、まるで剣のように鋭く空気を切り裂く。
たった一人の姫を救うために、これほどの軍が編成され他国の騎士までが結集している。
その疑問は常識の枠を超え、航太の心に重くのしかかっていた。
得体の知れない予感が、航太の胸をざわつかせる。
ランカストは静かに頷き、慎重に言葉を紡ぐ。
「ヴァナディース姫は、ベルヘイム天空城で賊に拐われたとされている。だが賊がどうやってあの難攻不落の城に忍び込んだのか、誰も知らないんだ。それに、姫は七国の騎士をも凌駕する力を持つと言われている。たとえ相手がヨトゥンの賊だったとしても、容易く捕らえられるはずがないんだ」
その言葉に、ゼークが静かに口を開く。
「航太……実は、こんな噂があるの。ヴァナディース姫様は七国の騎士アーネ様とミルティ様を救うために、自ら囮になってバロールの手に落ちたんじゃないか……って」
その瞬間、航太と絵美は雷に打たれたように立ち上がった。
絵美の声は震え、驚愕と興奮が交錯する。
「ちょっと、航ちゃん! アーネさんとミルティさんって!」
「ああ……」
航太の声もまた、抑えきれぬ感情に震えていた。
運命の歯車が、動き出す……
「俺たちの先祖や集落を、第二次世界大戦の戦火から救った英雄だよな。でも、その二人を最後まで導いた人は……ヴァナディース姫じゃなかったはずだ。確か、フレイヤ……」
航太の言葉に、ランカストの瞳が見開かれた。
「第二次世界大戦? いや、それより……お前たち、なぜフレイヤ様の名を知っている? だが、そうか……その神器を手にしているのだから、可能性はあったか……」
ランカストの言葉に続いて、ゼークが静かに続ける。
「航太達が、なんでフレイヤ様の名を知っていたかは分からないけど……フレイヤ様の別名こそが、ヴァナディース姫なの。でもこれは、誰もが知ってる話じゃない。フレイヤ様は、女神って話もあるぐらいで……」
ランカストが鋭く手を上げ、ゼークの言葉を制した。
フレイヤという名は、聖なる封印を解く禁忌のようである。
ランカストは、二人に静かに座るよう促す。
「そうか……オレ達は、本当に恩返しが出来るかもしれねぇのか。ボロボロの身体で、それでも数々の奇跡で先祖たちを救ってくれた人達の恩人。その人を、救うチャンスがあるんだ」
航太の胸に、熱い炎が宿る。
絵美もまた、涙を湛えた瞳で力強く頷く。
「お父さんたちが、いつも話してたよね……アーネさんとミルティさんのこと。爆弾の爆風を退け、重度の火傷を癒し……子供の頃、ずっとその物語に心を躍らせてた。フレイヤさんに助けてもらって、私たちの世界に来れたって……そんな話も聞いた」
幼い頃親から聞かされた物語は、心を照らした。
集落の神社に祀られた剣を見つめ、いつかフレイヤを助けに行くのだと子供心に固く誓ったこともある。
だが時が流れ大人になるにつれ、その熱は冷めていった。
現実の重さに押しつぶされ、御伽話として記憶の奥深くに封じられていた。
だが今、すべてが繋がる。
じいちゃんも、ばあちゃんも。
お父さんも、お母さんも。
集落の大人たちも、アーネとミルティに感謝している。
自分たちが生きていられるのは、二人のおかげだと口を揃えて語っていた。
「本当の……話だったんだね。私たちの先祖は、アーネさんとミルティさんに助けられた。その二人を助けたのが、フレイヤさん……」
記憶が、鮮烈に蘇っていく。
胸の奥で燃え尽きかけていた炎の種火が、再び灯り始める。
「運命……なのかもな」
航太の声は静かだが、力強さに満ちていた。
「絶対に、そうだよ!」
絵美の瞳には、涙と共に揺るぎない決意が宿る。
「私達の先祖が沢山お世話になった恩人を、助けてくれた人……絶対に、助けたいね!」
過去と未来が交錯するこの瞬間、航太たちは知った。
自分たちが、戦う理由を……
フレイヤを……ヴァナディース姫を、救う。
二人の心は折れかけた瞬間を乗り越え、新たな使命に燃え始めていた……




