旅立ちの日
ざー……ざー……ざー……
寄せては返す波の音が、夜の静寂に規則正しく響き合う。
暗闇が辺りを包み込むにつれ風は次第に勢いを増し、潮の匂いが鋭く鼻腔を刺激した。
遠く町の方向からは車のエンジン音が微かに漂ってくるが、それも直ぐに波のうねりに飲み込まれ消え去る。
この砂浜は、まるで世界から切り離されたように静かだった。
視線を町の方へ移すと、住宅の窓から漏れる温かな明かりと淡いオレンジ色の街灯がポツポツと点在しているのが見える。
だが海の方に目を向けると、砂浜と海の境界は闇に溶け合い黒一色に塗り潰されていた。
新月の夜空には月がなく星々が無数の光の粒となって天空に散らばり、まるで神の描いた絵画のように息をのむほど美しく輝いている。
小田原の人里離れた砂浜に、4人は立っていた。
道路から少し離れたこの場所は、観光客の足跡が及ばない隠れた一角である。
昼間なら、地元の人々が海を眺めながらのんびりと過ごす場所だ。
しかし今、この深夜の時刻には人の気配すら感じられない。
静寂が、まるで生き物のように航太達を包み込んでいた。
「こんな静かな海、初めてだね……みんながいるから綺麗に見えるけど、一人だとちょっと恐ろしいぐらいだよね……」
智美が、辺りを見回しながら呟く。
夜の冷たい空気に吸い込まれ、智美の声は微かに震えているようである。
「剣を持ってるところを、他の人達に見られるわけにはいかないし……こんな変な事に巻き込んで、本当にごめん……」
遅れて合流した一真は、罪悪感に苛まれた声でそう言った。
一真の瞳は、暗闇の中でわずかに揺れている。
「何を言ってんだ! こんなこと、どうってことないって! 海に向かって剣を振るだけだろ? それに、みんな『向こうの世界』のことが気になってんだしよ! どっかのタイミングで、結局は1回やる事になってたって!」
航太が力強く言い放ち、夜気を切り裂くような勢いで言葉を重ねた。
航太の声には、義弟を鼓舞する熱が宿っている。
そんな航太の横から、絵美がヒョッコリと顔を覗かせた。
「そうそう! まぁ……神社に奉納されてた神器を勝手に持ち出しちゃったから、家に帰ったらメッチャ怒られると思うケドね! 特に、航ちゃんが!」
絵美は笑いながら、天沼矛を軽く振ってみせる。
月明かりがない中でも、刀身が闇を切り裂くように一瞬だけ輝いた。
その光は、まるでこの世界のものではないかのように神秘的に見える。
「マジかよ……俺、おじさん達に殺されるかもな……」
航太は冗談めかして笑いつつも、握りしめたエアの剣に力を込めた。
「とりあえず、人のいないうちにサッサとやっちまおうぜ! 見つかったら、マジで銃刀法違反でお縄だぞ!」
「銃刀法違反は分からないケド、変な目で見られるのは確かね……じゃあ、やってみましょう! カズちゃんの願いを叶えるためにも、全力でいくよ!」
智美は両手に持った草薙の剣と天叢雲剣の重みをズッシリと感じながら、力強く宣言する。
2振りの神剣は智美の腕に現実の重さを伝え、覚悟を呼び起こしていた。
「1回だけだしね! お菓子も持ったし、早くやろー!」
絵美は右手に天沼矛、左手にアヒルのヌイグルミ『ガーゴ』を抱えて軽やかな声で言う。
絵美の明るさは、夜の重苦しい空気をわずかに和らげた。
「ありがとう、みんな。じゃあ……合図したら、全員で神剣を思いっきり振って!」
一真はグラムを握りしめ、真剣な眼差しで暗い海を見つめる。
その瞳には、決意とわずかな不安が交錯していた。
「いくよ!」
一真の声が夜を切り裂き、グラムを力強く振り抜いた……
瞬間……他の3人も同時に、それぞれの神剣を振り抜く。
その刹那、景色が歪んだ。
まるで海の上に空間そのものが裂けたかのように、黒い虚空が広がっていく。
その裂け目の向こうは、果てしない闇。
その闇の中から、まるで魂を引きずり込むような強い引力を感じる。
「何、これ! ちょっと……引っ張られるー」
冗談だか真面目だか分からない絵美の叫び声が響き、航太はハッと我に返った。
裂け目から放たれる吸引力は凄まじく、一番近くにいた絵美が真っ先にその闇に引きずり込まれていく。
「きゃあ!」
絵美の姿が消えると、まるで連鎖するように智美も少し浮きながら空間の裂け目へと吸い込まれて消えた。
「しゃあねぇ! 2人とも引きずり込まれたからには、行くしかねぇな! どんな世界が待ってるのか……覚悟、決めたぜ!」
航太は一瞬の躊躇を振り切り、一真と共に自ら裂け目へと飛び込む。
ビシャン!
「冷たっ!」
空間を抜けた瞬間、冷たい水が足を包み込む。
「なんだって、いきなり水の中に足を突っ込まなきゃならねぇんだ? 早く上に上がろうぜ!」
航太は2歩程度で、素早く砂浜に避難する。
続いて、全員が足を伸ばせば届く距離の砂浜に上陸した。
空間を越えた先で、4人は再び砂浜に立つ。
だがそこは……先程までと、どこか違っていた。
振り返ると、開いていた空間の裂け目がゆっくりと閉じていくのが見える。
まるで、元の世界との繋がりが断ち切られるかのように……
夜の静けさは圧倒的で、ただ波の音だけがこだまする。
星空の下闇は深く、まるで世界が息を潜めているようにすら感じた。
全員が呆然と立ち尽くし、頭の中で今起きた出来事を必死に整理する。
「空間が開いた時はビックリしたけど、意外と……普通な感じだね!」
絵美が明るく声を上げたが、その声には微かな震えが混じっていた。
明るく振る舞う絵美の態度は、恐怖を隠すためのものだったのかもしれない。
「これ……本当に、神話の世界に来ちゃったのかな? なんか、そこまで変わった感じしないけど……」
智美の声もまた、わずかに震えていた。
両手に握った神剣をギュッと握りしめた智美は、不安を抑え込むように周囲を見渡す。
「けどよ……街灯も、家もねぇ。明かりが、全くねぇんだよ」
航太も辺りを見回し、現実を確かめるように呟く。
先程まで見えていた町の明かりや街灯は、ここには存在しない。
闇があまりにも深く、星々の輝きだけが唯一の光源である。
4人は、それぞれの胸に去来する感情を押し殺しながら未知の世界の砂浜に立っていた。
波の音だけが、まるでこの世界の鼓動のように……
静かに、響き続けていた。




