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76.計画の始動と予想外の出来事

「レイン様、失礼します」

 サリーがレインの書斎に入ってくる。レインは後ろをちらりと見て、頷いた。

「お茶はそこに置いておいてください」

「はい」

 静まり返った部屋に、カップを置く音と、レインが書類をめくる音だけがしている。

 ふいに振り向いたレインに、テーブルの上に視線を向けていたサリーが、ポットを持ち上げると、お茶をカップに注ぎ出す。


 ハッとしたレインが立ち上がり、テーブルの上の書類を机の引き出しに収める。

「もういいよ」

 振り向いたレインに、ポットを置いたサリーがお辞儀をする。

「失礼します」

 パタン、と閉じた扉を、レインはじっと見つめると、小さく息を吐いてまた机に向かった。


 *


「下準備はどうだ?」

 応接間に入って来たレインに、カルロを撫でていたキャロラインが顔を上げる。

 レインは頷いて、疲れたようにため息をついた。

「……不自然ではなかったと思うんですが……演技をするっていうのは、難しいですね」

「流石に書類を隠すのだけは、レイン一人でやらないとリアルじゃないと言われたからな。あとは、サリーが動き出すのを待つだけだな」

 キャロラインが頷くと、ジョシアが窓の外を見る。


「いつ、動き出しますかね。ここ数日は、ガストンはあまり屋敷の周りをうろうろはしていないようですが……」

「……まだケイトの周りをうろついているんですね。……それも、どうにかしたいところですが……」

 レインも窓の外を見る。

「とりあえず、動きがあるまでは夜の間も見張りの人数を増やしておくしかないだろうな。……屋敷の中から出た時にも反応はあるから、すぐに気づくとは思うが」

 キャロラインが頷くと、また口を開く。

「フォレスとローズにも協力を頼んでいるが、サリーが妙な動きをしないか、それぞれ気にしておこう」


「そうですね。……ところで、ミアは?」

 レインは応接間に居るだろうと思っていたミアがいないことに、首を傾げる。

「シルフィー様から送られてきた手紙に返事を書いているようですよ」

 ジョシアが苦笑すると、キャロラインが肩をすくめる。

「シルフィー様の……それは、大変そうだね」

 レインも苦笑する。

「シルフィー様は、頭はいいんだがな……」

 キャロラインが首を振ると、レインも頷く。


「そうですね……。ミイファ様の件をほぼ一人でシナリオ通りに事を運んだ、という部分は、とても尊敬に値します。普通にできることではありませんから……でも、ご自分のことととなると……違うんでしょうか……」

「ご自分のことに関しては、見えないこともあるんだろうな」

 キャロラインがため息交じりに呟くと、頬杖をついた。

「この後のシナリオは、シルフィー様の描いた通りになるだろうか?」

 キャロラインの視線がレインに向く。

「どうでしょうか。こればかりは、人間のやることですからね。……思いもかけないことが起こることは、往々にしてあるでしょうけど」

「そうだな」


「あとは……待つしかありませんね」

 レインの言葉に、キャロラインもジョシアも頷く。

 トントン。

 ノックの後に、扉が開くと、ミアが顔を見せる。ミアは扉を閉じると、足早にレインに近づく。

「お兄さま、首尾はどうかしら?」

「サリーはテーブルの上に置いていた契約書をじっと見ていたよ。それに、私が隠すところも視界に入れているようだった」

 レインの答えに、ミアが頷く。


「お兄さま、くれぐれも、他の大事な資料をそこに置いておかないでくださいね? 他のものも盗まれては困るわ」

 ミアの指摘にレインが苦笑する。

「流石に、そんなことはしないよ」

「シルフィー様の手紙に、返事を返したのか?」

 キャロラインがニヤリとミアを見る。ミアは眉を下げて頷いた。

「ええ。……とりあえず、この件が終わるまでは、スカイさんに対するシナリオ通りには動けないことを伝えておきましたわ。我が家の問題にすぐに対処できるようにしておかないといけませんし」

「断らなかったのか」

 キャロラインが肩をすくめる。ミアが恨めしそうにキャロラインを見る。


「キャルお姉さまだって、断り切れているわけではありませんわ」

「……まあ、そうだがな。ミア程期待はされていないからな」

「……私だって、期待されても困るんですけどね……」

 ミアは頬に手を添えると、小さくため息を付いてソファーに座った。

「シルフィー様に、ミアはかなり買われているからな」

 ふふ、とキャロラインが笑う。

「笑い事ではありませんわ! ……本当に、私はただ、お見合いを組んで、いくつかがたまたま上手く縁がつながったと言うだけでしたのに……」

 ミアが首を横にふる。


「確かに……偶然が重なったところはあっただろうね。マーガレット様の時には、モートン子爵が居なければ、あの見合いは終わりになっていただろうし」

 レインの言葉に、ミアも頷く。

「本当にそうですわ……むしろ、マーガレット様とクエッテ様が婚約することになるなんて……想像以上の結果だわ」

「シルフィー様は、その奇跡のような偶然も、ご自分に起こしてほしいと思っているんじゃないか?」

 キャロラインはいたずらっぽくミアを見る。ミアは大きくため息をつく。


「奇跡のような偶然を起こすことが出来るわけではありませんのに」

「……とりあえず、シルフィー様にはご協力いただいているんだから、この件が片付いたら、協力しないわけにはいかないでしょうね」

 レインが眉を下げると、ミアも困ったように頷いた。

「一体どういう状況になれば、シルフィー様は満足されるかしら?」

「スカイと結婚できれば、だろうな」

 キャロラインの言葉に、ミアとレインが顔を見合わせた。


 *


 トントン、というノックに、ミアはビクリと反応する。外は既に真っ暗になっており、夕食が終わり、あとは部屋で休むだけという時間だ。それでも、ギリギリの時間までは、ミアは着替えることなく部屋で過ごしている。それは、罠を仕掛けると決めてからの習慣だった。

「何かしら?」

 扉を開けると、フォレスが立っていた。

「ミア様、レイン様が書斎にお呼びです」

 コソコソと告げられた言葉に、ミアは力強く頷く。ミアの目には、決意がみなぎっている。

 ミアは自室を出ると、レインが使っている部屋に向かう。

 ミアが書斎の扉をノックすると、すぐに扉が開き、ジョシアが顔を出す。

「どうぞ」


「サリーが動いた」

 中に既にいたキャロラインの言葉に、ミアが頷く。

「机の中の書類もなくなっているから……ほぼ間違いなく、ガストンか、もしくは関係者に書類を渡しているでしょう」

「手っ取り早いから、ガストン、であって欲しいけれど」

 レインの言葉に頷いたミアが、首を傾げる。

「それとは別に……もう一人屋敷を出た者がいるんだが……」

 眉を顰めるキャロラインに、ミアもレインも目を見開いた。

「え?」


「サリーが出た後、二度、守りのための風の壁に揺らぎがあった。一度目はサリーが戻って来た時だと思うが……もう一度は、誰かが外に出たとしか考えられない」

「いつですの?」

 ミアがキャロラインに問いかける。その目が揺らいでいる。

「さっきのことだ」

「サリーでは?」

 レインが険しい表情のまま告げる。だが、ジョシアが首を横にふる。

「ローズさんが、サリーは戻ってきていると、先ほど教えてくださいました」


「レイン様!」

 トントンと小刻みなノックのあと、顔を見せたローズが、息を切らしている。

「どうしたのかな?」

 レインの言葉に、息を整えたローズが口を開く。

「ケイトさんが、ケイトさんの姿がありません!」

 4人はハッとする。

「まさか、このタイミングで?」

 レインの言葉に、ミアが首を横にふる。


「だって、ケイトにはきちんと言い含めていたし、ケイトも一人では外に出ないように気を付けてくれていたはずよ?」

「だが、姿がないのも、誰かが外に出たのも間違いないことだ」

 キャロラインの言葉に、ミアが唇を噛む。

「レイン様、私はどうしたらいいでしょうか?」

 ローズの言葉に、レインが息を吐く。

「フォレスと二人で、もう一度屋敷の中を探してくれないか?」

「畏まりました」

 ローズは礼をすると、足早に部屋を後にする。


「シュゼットからの報告もすぐに来るだろう」

 キャロラインの言葉に、ミアは落ち着かない様子で窓の外を眺める。

「誰か、来ましたわ」

 ミアの視界に、黒い影が屋敷に走り込んでくる。

 ミアの後ろから、ジョシアが覗き込む。

「あれは……ヒースだ」

 ジョシアは慌てた様子で部屋を出ていく。

「私たちも下に移動しよう」

 レインの言葉に、3人とも頷いて歩き出す。


 階段までたどり着くと、ジョシアが慌てて階段を上がり始めたところだった。

「ジョシア、どうした?」

「ケイトさんがさらわれたと」

 ジョシアのキャロラインへの返答に、ミアとレインが息を詰める。

「どうやって?」

 キャロラインの声も焦っている。

「馬車に乗せられたようです」

「探しに行かなければ!」

 走り出そうとするミアの腕を、レインが捕まえる。


「ミア。焦るな。やみくもに探しても仕方ない」

「ガストンの住みかはわかっているんだろう?」

 キャロラインがレインを見ると、レインが頷く。

「馬車を使ったとは言え、きっとそこに居るのではないかと……」

「じゃあ、そこに行きましょう!」

 ミアの言葉に、ジョシアが首を横にふる。

「私はまだしも、ミア様は……」

「……足手まといになるのね……」

 ミアは俯く。その体が震えている。レインはそっとミアの肩を抱きしめる。


「ミア、大丈夫だ。シュゼットさんたちが、ケイトを連れ帰ってくれるよ」

 レインの言葉に、ミアがぎゅっと両手を握りしめる。

「レイン様!」

 シュゼットが屋敷に走り込んできた。その表情は、青ざめている。

「どうした?」

 レインはミアをジョシアに預けると、階段を駆け下りる。

「あの男の居場所が分かりません!」

「住処は?」

 レインの言葉に、シュゼットが首を横にふる。


「どうやら、ここ数日、あの住処にも姿を現していないようです」

「グルグガン商会には?」

 階段を降りていくキャロラインの問いかけに、シュゼットはまた首を横にふった。

「そちらにも姿を現していないようです」

「人手が居る。クリスにも声を掛けろ」

 キャロラインの言葉に、ヒースは足早に屋敷を後にする。シュゼットが口を開く。

「グルグガン商会の馬車のように見えましたので、他の馬車よりも見付けやすいとは思いますが……。どこに行ったか見当がつきませんので、時間がかかるかもしれません」


「ああ。引き続き、捜索を頼む。無事にケイトを連れ帰ってくれ」

 レインの言葉にシュゼットは頷き、屋敷を後にする。

「私にできることは?」

 青ざめたミアが体を支えるジョシアを見上げる。

「やみくもに探すことは得策ではありません。……サリーに話を聞いた方が良いでしょう」

 唇を噛んだミアが、しっかりと頷いた。

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