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54.半年前にはありえなかった会話

 開いた窓から抜ける風が、すっかり艶を取り戻したミアの髪をさらう。ミアは流される髪をそのままに、手元の手紙を読みながら、ふう、と息を吐く。

「マーガレット嬢は、何と?」

 レインが問いかける。レインの書斎には、ミアとレインの二人だけだった。新しく働きだしたクラインとその妻のイーリアは、客間を改装した事務室にいる。ミアはレインと話すためにレインの書斎に来たのだが、その途中でフォレスからマーガレットからの手紙を受け取っていた。


「マーガレット様は、ヴィンセント様との縁談はお断りですって」

 顔を上げたミアが肩をすくめる。

「あれじゃ……仕方がないだろうな……」

 レインが頷く。

「それ以外には、何か書いてあるのか?」

 手紙をそっとテーブルに置いたミアに、レインが重ねる。ミアは小首をかしげた。

「新しい縁談については待って欲しいと」

「クエッテ殿とのことを考えているのかな?」

「どうでしょうか? でも、次の縁談を、と言っていたのを翻したわけですから、そうかもしれませんね」


 ミアは頷くと、レインの顔を見る。

「ところで、お兄様。グルグガン商会は何と言ってきているのかしら?」

 レインが小さくため息をつく。

「相手にする気がないのか、そんなものは紙切れで、何の証拠にもならないと言い張っている」

「逃げ切るつもりかしら……そんなこと、絶対させはしないけれど……何か、その手助けになるようなことが他にもあれば……」 

 ミアが目を伏せると、レインが、あ、と声を漏らす。

「そう言えばクラインにグルグガン商会について知っているか尋ねたら、気になる話をしていた」

「気になる話、ですか?」


「ああ。グルグガン商会がバルオス王国のヴァージニーティー領との取引をパタリと辞めたらしい」

 ミアが首を傾げる。

「クラインさんが、どうしてそれを?」

「ああ、そうか。ミアは取引をしていたわけではないから知らなかったかな。国同士のいさかいの元になりかねないから、国と国をまたぐ取引には、国も目を光らせている。だから、国境を超える取引の時には、申告が必要なんだ。税金も取られるしね。それで、グルグガン商会はヴァージニティー領とかなり長い間取引があったらしいんだが、半年前くらいに、それが急にぱたりと途絶えたらしい」

「ヴァージニティー領って……何が特産なのかしら?」

 国内の特産品ならば、大方知っているが、流石に他国の特産品までの知識はミアにはなかった。


「ヴァージニティー領は、肥沃な土地とは言い難い土地でね。ただ、山が多くあって鉱物が多く取れるんだ」

「鉱物?」

 ミアが首を傾げる。

「宝石、と言えばいいかな。ただ、ヴァージニティー領で取れる鉱物の質は、あまりいいとは言えないから、我が家では多くは扱ってはいなかったけどね。手軽なアクセサリーには向いているけれど、高価なアクセサリーにするにはちょっと。まあ、グルグガン商会は大きければいいと思っていたみたいだけど」

「なるほど。グルグガン商会らしいわ」

 ミアが呆れたように首を振る。


「だから、取引が止まった理由が分からなくてね」

 レインが首を傾げる。

「逆に怪しい気がしているの?」

「少なくとも、ヴァージニティー領の鉱物が全て取りつくされたわけではないと思うんだ。少なくとも父上が取引していた半年前には、まだ豊富に鉱脈があると言っていたらしいから。だから、グルグガン商会が取引を辞める理由が思いつかないんだ」

「……表立った取引をしなくなっただけで、陰では取引しているんじゃないか、ってこと?」

「その、可能性もあるのかな、と思っていたりね。ただ、今はどんな話を聞いても、グルグガン商会が怪しく思えてしまうからね」

 レインが苦笑すると、ミアも肩をすくめる。


「確かにそうね。全く関係ないことかもしれないのに、グルグガン商会って聞くだけで、何でも怪しく思えちゃうもの」

「……そうかもしれないな。そもそも、その前後でグルグガン商会は我が家の取引ルートを得たんだから、ヴァージニティー領の鉱物を手に入れなくても困らなくはなったんだろうし。もっと質のいい宝石を手に入れられるから」

「……そうだったわね。それなら、わざわざヴァージニティー領の質の悪い宝石を手に入れる必要なんてないわね」

 ミアが頷く。

「ただ、何だか気になってね」

 レインが苦笑するのを、じっと見ていたミアが口を開く。


「……他に、ヴァージニティー領の特産品って何かあるのかしら?」

「他、か。……そう言えば、薬茶を作っていると聞いたことがあったかな。……ただ、飲みすぎると幻覚作用があるらしいと聞いて、父上は取引しないと言っていたけれど」

 顔をしかめるレインに、ミアが首を振る。

「それって、ヴァージニティー領の人は、普通に飲んでいるお茶なの?」

「そうらしいよ。伝統的なお茶、らしい」

「……そういう習慣がある場所なのね……私は飲みたいとは思わないけど……。伝統を否定するわけにはいかないものね……」

 レインがあ、と声を漏らす。


「確か、そのお茶もグルグガン商会は扱っていると聞いた気がするけど……」

「……グルグガン商会が扱った、ってことで、ますます胡散臭い感じがしちゃうわね。これって、いちゃもんなだけかしら?」

 眉を寄せるミアに、レインが苦笑する。

「いや、私も飲みたいとは思わないよ。グルグガン商会なら、飲みすぎる量を勧めるような気がしてならないしね。その方が売り上げも上がるし、その幻覚は……幸福になれると父上は言われたらしいから……それを好むようになる人も出てきそうだし……飲みたがるようになる人も作れてしまうかもしれないね」

「そんな怪しいもの! ……でも、それも扱うのをやめったっていうのなら……それはおかしな話ね」

「そうだね。……その代わりになるようなものを手に入れたから、かな?」

 レインの言葉に、ミアがハッとする。


「眠らせる薬、ね?」

「ああ……」

「一体どこで、薬を作らせているのかしら……早くわかるといいんだけど……」

 ミアの言葉に、レインも頷いた。

「もし、グルグガン商会がその薬を扱っていて、私たちの両親に使ったとハッキリすれば……権利を取り戻す十分な証拠になるかもしれないしな」

「ええ……。本当なら、自分たちで調べたいところだけど……」

 ミアがレインを見ると、レインはきっぱりと首を振った。

「危ないことはしない。とりあえず、この件は王立騎士団に任せよう? ……実際、ジョシア殿が危険な目にあったわけだから……」

「そうね」

 ミアは頷く。


「そう言えば、ルルリアーノ嬢の件は、どうなりそうなんだ?」

 レインの問いかけに、ミアが目を伏せて首を横にふる。

「カリファル侯爵も夫人も、そんなことはさせられないって」

 レインが小さく頷く。

「私がルルリアーノ嬢の親だとしても、同じ反応だと思うよ」

「カリファル侯爵からは『ファジー殿下に求婚されているならまだしも、それすらない状況で婚約パーティーに行くなど、恥をかきに行くだけのようなものだ』ってため息をつかれたし、侯爵夫人からも『そもそも、その内容では、ファジー殿下の気持ちがルルリアーノにあるとは断言などできないし、下手をすれば隣国の王族の婚約パーティーを邪魔をしたことになって、不敬罪に問われる可能性がある』って忠告を受けたわ……その可能性だって十分あるし……ご両親の気持ちもわからなくはないの」


「その割に、割り切れ居ないって顔をしているね?」

 レインの指摘に、ミアが苦笑する。

「ルルリアーノ様がきっぱりと心を決めたのを見たから、かしら。何か力になれるのならば……って思ってしまったのよね」

「そもそも、ルルリアーノ嬢には、我が家では見合い相手すら紹介していないから……完全に、好意でしかないね」

 レインの言葉に、ミアが目を伏せる。

「カリファル侯爵夫妻からは、見合い相手を紹介して欲しいと言われたわ。サムフォード家にとっては、その方がいいいだろうって」


「確かに……我が家としては、元々そのことでお金を得ようとしていたわけだし……利にはかなっているけどね」

「そうだけど……」

 目を伏せるミアの頭をレインが撫でる。

「ミアの気持ちも分かるよ。……ただ、本当にルルリアーノ嬢が不敬罪に問われた時にどんなことが起こるかは、きちんと考えておくんだよ」

 レインの言葉に、ミアはハッとする。

「そうね。我が国の中の話ならば、不敬罪だけで済むかもしれないけど……国と国との問題にもありうる可能性はあるのよね……」

 深刻そうな表情になったミアに、レインが困ったように頬をかく。


「流石に、一介の他国の侯爵令嬢が騒いだくらいで、国と国との問題にはならないと思うけどね。バルオス王国と我が国の関係が悪いわけではないと思っているし……。ただ、我が家は勿論、クォーレ公爵家にも非があることになるからね」

「……そうね。キャルお姉さまも力を貸してくださるって言っているから、我が家だけでは済まなくなるものね」

 頷くミアに、レインが小さくため息をつく。

「何が一番気がかりかって、キャルが暴走し始めたら、対抗できる方法がないってことだろうね……。何しろ、あの魔王を超える存在は、我が国にもバルオス王国にもいないからね」

「……キャルお姉さまは、特に何もしないと思うけれど? ただ、ルルリアーノ様がファジー殿下の婚約パーティーに行けるように尽力してくださるだけじゃないかしら?」


 首を傾げるミアに、レインが大真面目な顔で首を横にふる。

「キャルが暴走しないって、どうして断言できる?」

「だって……それこそ、他国の王族の婚約パーティーなのに?」

「私たちの予想を超えたことをするのが、キャルだからね」

 肩をすくめるレインにミアはクスリと笑う。

「お兄さまなら、キャルお姉さまを止められるんじゃなくって?」

「……カルロを連れて行けば何とかな」

 ため息交じりのレインの言葉に、レインの側ではなくすっかり応接間に入り浸っているカルロを思って、ミアは微笑んだ。


「ともかく、ルルリアーノ様の気持ちも分かるから……何かいい手がないかキャルお姉さまとも相談してみるわ」

 ミアの言葉に頷いたレインが、またため息をつく。

「早く、ジョシアに戻ってきて欲しいな。少なくとも、私がその場にいられない時のストッパー役が必要だと思うんだ……残念ながらクリスは流石にキャルに意見が言えそうにないからね」

 ジョシアとは違って、キャロラインに向かって忠告をしそうにもないクリスを思い浮かべて、ミアは頷く。

「ジョシアさんが戻ってくるまで、暴走はさせないように気を付けるわ」

「……暴走の必要がなければ、それが一番いいんだけどね。……キャルの暴走に頭を悩ます会話をしてるなんて、半年前は考えることもなかったのにな。そもそも……人との会話も避けていたしね」

 肩をすくめるレインに、ミアは口元を緩めた。

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