その感情の名は
レインとスノアが黒山嵐に襲撃され、その難を逃れたとき。
ボリドア村にはいつも通りの夜が訪れていた。
早朝からの農作業のため村人たちの就寝は早く、村の夜は静寂に包まれている。しかし、とある民家の庭先からは金属がぶつかる音が絶え間なく聞こえていた。近所迷惑になることなど考えていないのか、時折身を奮い立たせるような大声も聞こえる。
「が、ああ、あああああっ!」
その声の主……フィスは、包帯だらけの身に鞭を打ちながら、両手で持った剣を鋭く突き出す。フィスが狙った相手は、その剣閃を即座に見抜き、下方から剣で彼女の一撃を打ち上げる。すると、鋭い金属音の後に、フィスの手からは剣が消えていた。彼女の手には鈍い痺れだけが残り、そして首先には冷たい刃が突きつけられていた。遅れて、夜空を舞っていたフィスの剣が落下し、彼女から二、三メートル離れた地面へと突き刺さる。彼女が剣を取りに行く前に、突きつけられた剣が彼女の命を奪うのは明白だ。
「……くっ……!」
「……もう、わかっただろう、フィス」
彼はそう言うと、剣を腰の鞘へと納めた。剣戟の間に発していた気迫も消え、彼が普段見せている温和な表情が返って来る。それを見たフィスは、戦いが自分の負けという形で終わったことを認めざるを得なかった。
苦い顔をしているフィスを見た男は、ふうと呆れたように溜息を吐き、彼女を諭すように言う。
「繰り返し言うが、わかっただろう? お前の怪我はまだ癒えてはいない。そんなお前を捜索隊に連れて行っても足手纏いだ」
「しかし、父上! ボクはさっきみたいに動け――」
「約束は、私に一太刀でもいれたら……という条件のはずだ。……今は養生するんだ。スノアくんのことは私たちに任せ――」
「それが、任せられないからっ……!!」
ふと、自分が感情のままに叫ぼうとしていたことに気付き、フィスは口を噤む。自分でも理解しているというのに、つい激情に流されて実の父親を罵倒しそうになる。そんな自分に嫌悪しつつ、フィスは冷静になるために地面に突き刺さった剣を取りに歩き出す。
彼女なりに誤魔化しているのだろうが、その歩みはやはりどこか不自然だ。あの化物に襲われた怪我の中でも腹部の一撃はとくに重く、しばらくは安静にしなくてはならない身体のはずなのだ。しかし、その身体を騙しつつ、彼女は父親との剣戟を繰り広げていた。
その不可能を可能にした彼女の感情と想いを、父親であるカルは理解している。故に、剣を取りに行くその彼女の後姿に、声をかける。
「私たちも、必死に彼女を捜している。それを、信じてくれないか」
その言葉に、フィスは無言で返した。
まだ、自分の中の感情が整理できていない。
フィスの証言をもとに、防人と有志の村人たちはスノアの捜索を連日行っている。しかし、いまだに彼女の姿も、遺体も、見つかっていない。それと並行してフィスを襲ったという化物の討伐の捜索を続けるが、そちらも進展はない。
しかし、それは当たり前なのだ。
彼らは知る由もないことだが、化物はスノアが聖水で溶かし尽くし、そして彼女はレインに助けられてルヴィーナの街へと運ばれたのだ。つまり、森を捜しても化物もスノアが見つかるはずがない。
防人たちが、なにも結果を出せていないことに苛立ったフィスは、防人長であるカルに進言した。それは「自分も捜索隊に参加する」というものだった。普段であれば、当然の義務として参加させるのだが、彼女は重傷のために自宅療養という待機命令が下っている。カルは一蹴してその願いを却下するが、どうしてもという彼女の意思を尊重し、「自分に一太刀でもいれたら、捜索隊に参加してもらう」という条件の元、二人の試合が始まったのだ。
しかし、結果はフィスの惨敗。
そもそも、二人の実力は大きく離れている。フィスが全快であったとしても、一太刀という条件は至難のものだ。つまり、カルはフィスが全快である以前に、実力が伴っていないことを彼女に伝えたのだ。
剣戟の中、フィスもカルの真意に気付いてはいた。
そして、捜索隊たちが必死にスノアを捜していることも疑っていない。
許せないのは、自分自身だ。
彼女を護ると誓ったのに、結果的にはスノアに助けられる形となった。なんて、情けない剣士だろうか。そんな自分は助かったというのに、スノアの無事は確認できていない。フィスの悔しいという感情は、次第に自分自身への怒りへと変わる。
怒りに身を任せて、その剣で引き裂きたいのは自分の身体だ。
この剣を胸に突き立て、その生命で彼女に償いたいとも思っている。
しかし、スノアがそれを望むはずがない。
「……って、ボクは馬鹿か。スノアは生きている。そうに、決まっているじゃないか」
何を弱気になっている。
死体が見つかっていないということは、彼女はまだ生きている可能性の方が高いじゃないか。ならば、彼女を信じよう。昔から、スノアは運が良かったじゃないか。まるで、何か不思議な存在に護られているかのように……。
「……フィス」
再度、彼女に声をかけたカルに対し、フィスは「わかってます」と返す。
手に持っていた剣を鞘へと納め、落ち着いた心持ちでカルに向き直る。
「……お願いします、父上。スノアを……」
それは、防人長への言葉ではなく、娘から父に対する願いだ。
フィスの言葉を受け止め、カルは頷く。
言葉はなかったが、その目には強い光が見えた。
翌朝、フィスはスノアの捜索に向かう父親を見送った後に、とある場所に向かっていた。
歩くたびに腹部、いや全身が痛むが、それを持ち前の根性で我慢している。何度か他の村人とすれ違い、その度に「大丈夫かい?」「無理はしちゃ駄目だよ?」と心配されるが、それを「大丈夫」と笑顔で返す。少しでも痛がるような表情を見せれば、フィスはお節介な村人たちの手によって強制送還されるだろう。
「全く……優しいっていうのも、時には考えものだよな」
フィスはそうぼやきつつも、表情は柔らかい。
やや歩みを止めることもあったが、目的の場所には辿り着いた。
そこは、村の広場に面した教会……の裏手にある花壇だ。
スノアが毎日欠かさず世話をしていた花が咲き乱れており、主人が不在ではあるが未だに元気な様子で日光を浴びている。
スノアがいない間は自分が世話をしようとフィスは考えた。しかし、そこには意外……いや、当然といえば当然の男がいた。
「んあ? おお、お早うさん」
「っと……おはよう、ございます。アッドさん」
落ち着きがなく跳ねまわっている金髪に、無精ひげ。司祭の服を着てはいるが、彼にその威厳は感じられない。料理以外に興味を示さず、神父だというのに「神様なんて勝手に信じとけよ」と暴言を吐く男だ。そんな彼が、花を可愛がる様子など想像もできない。
ところが、現にアッドは花たちを世話していた。
それも、顔を近づけてその香りを楽しむ溺愛っぷりだ。
フィスに気付いたアッドは、花に近づけていた顔を離し、立ち上がる。長時間腰を下ろしていたのか、身体を伸ばして「んん」と声を漏らす。そして、いつもの軽薄そうな笑みをフィスに向けて言った。
「久しぶりだな。お前がスノアを誘いに来たとき以来か」
「え? あっ。盗み聞きしてたんですね……」
恥ずかしいところを聞かれたと顔をほんのりと赤くしつつ、頭を掻く。しかし、違うだろ、と自分をしかりつけて下唇を噛む。数瞬、迷ったかのような顔を見せるが、それはすぐに決意の表情に代わり、彼女は痛む身体で精一杯に頭を下げる。
「アッドさん! スノアを……ボクはっ!」
「ああ、いいっていいって。それよりも、お前も手伝え。水やりはあいつに任せてたから勝手がわからん」
彼女からしたら、謝って許される問題ではないと、罵倒の嵐を覚悟したというのに、当のアッドはあっけらかんとした様子だった。自分の娘が行方不明だというのに、そしてその原因をつくった相手が目の前にいるというのに「いいっていいって」と軽く済ませる。
「いや、その……アッドさん?」
その態度に虚を突かれたフィスは、つい訊き返す。そんなフィスの様子を見て、アッドはしばらく沈黙していたが、面倒くさそうに頭を掻くと、滅多に見せない真面目な顔つきで言う。
「お前が、怒られて気が楽になるならしかってやる。お前が、それで納得できるなら、暴力だって振るってやる。しかしな、俺は別に怒ってもねえし、手をあげる気は全くない。なぜだか、わかるか?」
フィスは、首を横に振る。
それ見て、アッドは言う。
「別に、お前が悪いわけじゃねえだろうがよ。お前が、あいつを殺そうとしたのか? お前が、あいつを貶めようとしたのか? 違うだろ。お前は、あいつを護ろうとしたんだ。防人として? いや、違うな。一人の友人として、お前はスノアを護ろうとしたんだ。そう、俺は聞いた。そして、それを信じてる」
アッドはフィスにゆっくりと近づく。
言葉は途切れず、フィスに優しく語り掛ける口調へと変わっていく。
「結果として、スノアはどっかに消えたわけだが、あいつが死んだはずもない。まあ、怪我はしてるかもしれないが、生きていれば問題はないさ。ほら、年頃の女の子のちょっとした家出みたいなもんだ。ククッ。もしかしたら、男でも連れて帰ってくるかもしれないな」
「……アッドさん」
「……お前が感じている重荷、その責任感はお前だけのものだよ。俺がそれを取り払うことはできない。お前が自分と向き合って、そしてスノアと出会ったときに……軽くなるかもしれないな」
そう言って、アッドは顔を下げる。
フィスが心配そうに声を掛けようとするが、すぐに彼は顔を上げた。右手で両目を隠すようにして抑え、「あああああっ!」と声を荒げる。
「恥ずかしっ! うわっ! 俺、今、神父みたいなことした! やっべ、俺としたことがっ! フィス、お前は何も聞かなかった。いいな? わかったな?」
「うえっ!? は、はい!」
アッドから強く肩を叩かれ、その気迫と勢いに圧されてフィスは頷く。それを見たアッドは「よし!」と言うと、再び花壇へと向かっていた。
「ほれ、手伝え。どうせ捜索に参加できないから暇なんだろ」
痛いところを突かれたな、と顔を顰めるも、心はどこか落ち着いてた。
先ほどのアッドの言動は、すべてフィスを気遣ってのことだった。一目見ただけで、フィスの内情を理解し、彼女がその重責に潰れないように慮ったのだ。
この人には敵わないな、と思い、そして彼に感謝する。
言葉にしても誤魔化されるだけだから、心の中で頭を下げる。
そして、アッドの後を追って、彼と同じように慣れない手つきで花の世話を始めたのだった。
二人がそれぞれの花を回り、そろそろ水やりが終わりかというところで、フィスは「そういえば」と声を挙げる。アッドは反応はしないものの、耳は傾けているようだ。
「アッドさん。仮に、スノアが男を連れてきたら、どうするつもりですか?」
「まずは、お前から守る」
「ははっ。嫌だなあ。まるでボクが男の首を刎ねて殺すようなことを言って。ボクがそんな野蛮なことをするはずがないじゃないですか」
「今、自白したよな」
この女、こええよ。カル、お前は育て方をどこか間違ったんじゃないか?
と心の中で思うが、それを口に出して言うことは無い。
しかし、もしものことを考えて覚悟は決めておこうか、とアッドは全く目が笑っていないフィスのにこやかな笑顔を見つつ思ったのだった。
水やりが終わり、残すはイヴの花。
つまりは清浄花から聖水を収集する仕事が残っている。
しかし、二人は白い花の前に立ちつつも、行動を起こせないでいた。
イヴの花の茎は細く、それと不釣り合いな大きな花弁が垂れている。すぐにでも中の聖水を取り出さなければ、もしかしたら花弁が落ちてしまうかもしれない。しかし、少しでも力加減を間違えれば、自分の手で花の命を散らすかもしれない。
そう考えるだけで、二人は手が出せずにいた。
「……あいつはさらりとすげえことしてたんだな」
「ボクと話しながらやってましたからね。よくよく考えれば、すごい繊細な手つきでしたよ。多分、ボクたちには真似できません」
フィスがそう言うと、アッドは「だよな」と応える。
そして、しばらく二人の間に沈黙が流れたかと思うと、アッドが言った。
「……俺には、やる勇気がない」
隣に立つフィスは「情けない」と思いつつ、しかし自分もその勇気がないことを知っている。彼に同調するような言葉は言わないが、行動を起こさないことでその意思を語っていた。
「これって、スノアが小さなときから世話してますよね?」
「ああ。……この花はな、あいつと誕生日が同じなんだよ」
どこか遠い目をしつつ、アッドは訥々と話し出す。
語りだす前に、「スノアには内緒だぞ」と念を押してはいるが。
「誕生日つっても、それはあいつが教会の前に捨てられた日のことだ。泣き叫ぶあいつの横に、スノアと書かれた紙と、イヴの花って書かれた袋が落ちてて、その袋の中に種はあった。んで、その六年後、つまりはあいつが六歳の誕生日のときに、俺が隠してた花の種をどこからか見つけて来て、勝手に花壇に蒔いてやがった。俺はしかることもできず、こういう運命だったのかもしれねえと思って、スノアに花の世話を任せた」
「……聖水っていうのは、本当なんですか?」
良い機会だと考え、フィスはアッドに訊く。
スノア自身も聖水とは何なのかわかっていない様子であり、フィスも気にはなっていたのだ。
アッドは彼女の問いに「ああ」と頷くと、すぐに「いや、でも」と首を捻る。どこか煮え切らない様子ではあったが、再び語り始めた。
「……あんまり思い出したくはねえが、教会で教える神話の中にあるんだよ。イヴの花っていう白い花が、聖水を創り出して魔を討つっていう一文がな。これが本当にその花なのか俺にはわからねえ。しかし、どの図鑑にも載っていないし、何より………」
アッドは腰を下ろして、イヴの花に顔を近づける。
そして、口角を釣り上げて、溜息混じりに言う。
「こいつは……十年前から、一回も枯れてない。……そんな花が、普通の花であるわけがない。だから、俺はこれが神話の中に存在するイヴの花だと思っている。……ま、なんでそれがスノアと一緒に捨てられていたかは、俺も知らねえけどな」
そして、アッドは身体を伸ばしつつ立ち上がった。
これ以上のことを話す気はないということが、彼の態度から察することができる。しかし、それでもフィスはスノアの友人として知っておきたかった。だからこそ、彼の態度を無視して質問を続ける。
「それを、スノアには言わないんですか?」
フィスに背を見せているために、アッドの表情はわからない。しかし、どこかその声色に怒りが滲み出ているように思えた。それは、フィスの不遜な態度に対してではなく、ぶつけようがない相手に対してのものだった。
「あいつを捨てたような親だぞ? そんな奴の話を、俺がするものか」
会話はそれで終わりだった。
それは、アッドが感情のままにどこかに去ったわけではない。第三者の物理的な介入により、会話が打ち切られることになったのだ。
村の入り口から聞こえてくる男の大声。それは、まるで喉が引き裂かれるほどに苛烈な声だった。アッドとフィスは、その声の様子と供に、彼の台詞に身を震わせる。
「敵だっ! 化物がやってくるぞっ!」
化物。
その言葉を聞いた瞬間に、フィスは弾けるようにして駆け出した。
アッドの引き留める声も聞こえず、自らの内なる声に従って本能のままに動き始める。
身体に走る激痛など、最早彼女の障害にはならない。
ただひとつの感情が、フィスを支配していた。
身を焦がすほどの感情が、重傷であるはずの彼女の身体を支えていた。
その感情の名は、怒り。
純然たる憤怒が、彼女の内で暴れ狂っている。
そして、その矛先は、化物たちに向けられていた。
「殺す……スノアを傷つけたあいつらを、許しやるものか」
その瞳の奥で、赤い炎が揺らめているのが見えた。
それは彼女の怒りを表すかのように、激しく、そして燃え尽きそうな勢いで燃えていた。