第十七話 別邸へ
海の匂いがする。
馬車に揺られることほぼ一日。私たちは海辺の町についた。
侯爵家の別邸の前に立った私とゲルダは、唖然とその建物を見上げた。
別邸って……お城だったのか。
まさにヨーロッパの王族が住んでるようなお城だった。でかい……。
庭園も、刈り込まれた樹木がきれいに配置されている。
きけばローミの意見を取り入れて建築されたらしい……。どうりで見覚えがあるような城だ。
「マーレ、ここは温泉があるのよ。一緒に入りましょう」
「温泉!?」
思いもかけないローミの言葉に、思わず大きな声を上げた。
西洋風建築の城に似合わないことこの上ないが、元日本人として温泉とは聞き捨てならない。
そんなわけで、夕飯前に別邸の敷地内にある温泉に行くことにした。
別邸は丘の上に立っており、海岸を含めた広い一帯を有している。
敷地内の海岸の一角に温かいお湯が出る。使用人からそう報告を受けたローミが、そこに岩を組ませて露天風呂にしたそうだ。上には屋根がつけられ、脱衣所、休憩室も作ってある。
「あ゛~っ、生き返る~」
肩までお湯につかり思わず出た魂の声に、ローミが形の良い眉をひそめた。
「内面の年齢が……」
「ほっといて」
あんたも同じ年でしょっ。
こちらのマナーでは、温泉に入るときは薄い一重の着物を着て入る。
ローミは着物の合わせを気にしながらゆっくりお湯に入った。入り方がとても上品だ。
「ふぅ……」
手でお湯をすくって、お湯から出ている肩口に掛ける。何とも女性らしい。でも泥酔すると化けの皮がはがれるのは、この前の事で分かってるけどね。
「ねぇ、今日の晩御飯にお刺身でる?あっ!でも醤油がないかぁ…」
そうだった、こっちに醤油なんてない。
私はがっかりした。醤油がなくても、カルパッチョみたいにドレッシングとかで食べればいいけど、魅力半減。
「ふっ」
ローミが小さく笑った。
え?
もしかしたら、もしかします?
「当然よ、マーレ。抜かりはないわ。
何しろあなたとは年季が違いますからね、年季が!小さい頃から研究させて、完成しているわ」
神か、神なのか。
「よっ!ローミ大明神様っ」「さすが会長!」「王子様も首ったけっ」「備えあれば憂いなしっ!」「東京特許許可局!」
私は賛辞を惜しまなかった。心から感謝した。
何しろ醤油である。日本人のアイデンティティーと言ってもいい。
あの味にまた出会えるなんて!故郷に帰ってきた思いである。
「そんなわけで、刺身も海鮮焼きもあるので楽しみにしておくといいわ」
私はその場で五体投地した。お湯が盛大にはねて、ローミに怒られた。
刺身はうまかった。
醤油はよくできていて、ほぼ前世のものと変わりなかった。
涙を流しながら食べる私に、ゲルダが若干恐れの混じった、心配した目を向けていたが、気にしなかった。だって、久しぶりの和食だもの!
私はローミに醤油を分けてくれるよう頼んだ。代わりに、男爵領でとれる米を贈ることを約束する。等価交換、等価交換。
夜はローミの部屋のキングサイズベッドに二人で寝ることにした。
王子様に会えないことの愚痴、私の攻略対象を誰にするかの相談、前世の事、将来の事……。話題は尽きない。
しかしもう瞼が重い~。
私はローミの話を聞きながら、うとうとし始める。
「あ。明日はこの近くにある「海の迷宮」という洞窟迷路に行きましょう?小さい頃から行ってみるのが夢だったの……」
洞窟迷路?洞窟迷路って……。
私は質問して……答えを聞く前に眠りに落ちてしまった。




