9.協定
ガルディッシュとアウディオを連れだって外に出た星来は、まず街の中心、噴水のある…否、あった大広場へ行った。しかし、そこには瓦礫は落ちてはいても、祖母の遺体はなかった。
「…何となく、予想していたけれど」
星来の呟きを聞きとがめたガルディッシュが首を傾げた。
「何がだ?」
「……何でもないわ」
流石に祖母の遺体とは言えず、適当に流した。ガルディッシュも意外にもそれ以上突っ込むことはなかった。ガルディッシュ遠慮のなさそうな性格から、星来が吐くまで追求してくるかと思ったのに。まあ、聞いてこないならそれに越したことはないが。
もし祖母の遺体があれば手厚く葬るつもりだったが、大広場に着く前から、既に大広場には祖母の遺体はないかもしれないという、漠然とした予感はあった。この街の人達と同じように、祖母も…という予感が。それは見事に当たった。しかし、予想がついていても失望感はどうしても感じてしまう。だけど祖母の無残な姿をまた再び目にせずに済んでほっとしている自分もいて、なんだか矛盾した気持ちを抱えた。
たがひとつだけ、気になることがあった。
祖母が倒れていた場所に、血痕の一滴も残っていないのだ。
星来が気を失っていた時間はほぼ一日。血の汚れが自然と消えるには早すぎる。雨が降ったのでもなさそうだ。リアが消したのだろうかと思ったが、態々ご丁寧に消していく理由はない。証拠隠滅? 街には誰もいないのに誰に対しての隠滅だ。
リアは何故…おばあちゃんは何で…街の人たちは何処に…
頭の中が疑問でいっぱいになり、脳内が飽和状態となる一方で、感情の方が酷く冷静であることに星来は気付いた。
私ってこんなに冷めていたのかしら…
「それで、セーラ殿。ここに来て、見たいものは見られましたか?」
アウディオが先ほどからずっと動かない星来に問う。星来は振り返らず、首を振った。
「…何も、なかったわ。無駄足だったみたいね」
そう。何もない。ある筈のものさえないという異常事態ではあるが。ほんの少し前まで当たり前にあった日常が崩れ去り、この街にリアはいない。
…リア。彼があんな風になってしまったことと、街がこんな風になってしまったことは何か関係があるのだろうか?
「しっかし、ここは特に被害がひでぇな」
あーあ、立派な噴水が粉々だ…とガルディッシュが周囲を見渡して嘆いた。そういえば、星来は街の光景など碌に目に留めていないことに気付いた。
星来はひたすら祖母とリアの心配だけをして街に帰ってきたのだから当然と言えば当然かもしれないが、街が閑散とし、かつところどころ家屋が壊れている状況は目に映っていた筈なのに、街の異常性は認知していても、全く意識していなかった自分に気付いた。
「………」
「なあ、お前、少しの間だけアッダスから離れていただけなんだろ? 行く前は何か…異変というか、不振というか、違ったことってなかったか?」
「………ないわ」
星来は首を振った。違ったことと言えば、星来が初めて街を出た、というただそれだけだ。後はおばあちゃんも、リアも、協会の受付のおっちゃんも、花屋のおばちゃんも、皆いつも通りだった。
今だって…淀んだあの何とも言えない不快な空気も、まだ残ってはいるが大分薄れているように思う。家屋が少々破壊されていることと、街に誰もいないこと以外、いつも通りに戻りつつある街に、星来は寂寥感を覚えた。
そんな星来を尻目にガルディッシュはしきりに首を傾げてぶつぶつ何事かを呟いていた。
「うーん、どういうこった? 『魔』が覚醒したんだったら、前々から異変がある筈だし、一度覚醒したら早々元には戻らない筈なんだがなぁ…」
「………」
まただ。まだガルデッシュは『魔』という単語を口にした。星来の知らない単語だ。否、意味は分かる。こちらの表記で『ウロ』、星来の言葉で『ま』…つまり『魔』だ。だが、それがどういう事象のことを言っているのか分からない。星来の知る『魔』の意味はあまり良い意味はない。人を堕落させるものを『魔』と呼ぶ。だがこちらも同じ意味とは限らない。 魔法、というこちらでは当たり前にある力が存在しているのだし…。
迂闊に変なことは聞けない星来は、黙ってガルディッシュの呟きを今の時点では右に流すことにした。人に何かを聞くということは、こちらの手の内を曝すことにもなるからだ。
先程から彼らが互いに交わしている断片的な会話は、とても一介の盗賊風情が語るような内容には思えない。いうならば、何処かの機密機関が盗賊に扮していると言われれば納得のいくような…。
はっきり言って怪しすぎるのである。今すぐ星来に害をなす気ではないにせよ、近づくには不明なことが多すぎた。
「どーすっかなぁ、めんどくせぇなー」
「全くガル、貴方って人はいつもそうだ」
アウディオはともかく、ガルデッシュはあまり深く考えず、自分の仕事が多くなることに重点を置いて今の事態を考えているようだ。
ふり、なのかもしれないが。
えてして、相手に警戒心を持たせず、人懐っこく、するりと心に滑り込んでくる相手程、スパイに向く者はいない。それに加えてガルデッシュのように特別顔が良いわけでなく、良い意味で多数の人の中に埋没してしまう容姿を持っていれば、完璧である。
彼らは星来に聞こえないようにしゃべっているつもりのようだが、生憎、星来の得意の属性は『風』だ。彼らの作った声を通さない簡単な空圧の壁など星来には利かない。だがこちらにとって生憎なことに、彼らは最低限の単語でしゃべっているので、結局は星来には聞こえていても半分も理解できないのだが。
星来は一先ず街を一周した後、自宅に戻ろうと思った。もうこの街には住めない。リアや街の住民の行方を探すには旅の準備が必要だ。
「おいおい。何処行くんだよ」
だが、彼らが大人しく星来を行かせてくれる筈もなく、星来は腕を掴まれた。星来は咄嗟に腕をぶんどり返すように振り払った。
「気安く話しかけないで。私には貴方達と一緒に行動する義務なんてないし、貴方達に私の行く先を告げなきゃいけない規則もないわ」
「この街は今異常事態なんだぜ? 一人で行動したら何かあった時に対処しきれない」
「私には死ぬ気なんてこれっぽっちもないけど、私の命を守るのは私の役目だし、私の身を心配をしてもらって嬉しいのは身内だけよ。知り合っていくらもない貴方がそんなことを言ったって逆に勘ぐりたくなる」
敢えて必要以上につっけんどんに対応した星来に、案の定ガルデッシュは目を見開いて同様を示した。彼は人に拒絶され慣れていないようだ。先程星来が彼を評したように、やはり人に受け入れられやすい性質らしい。
「あ、いや、そんなつもりは…ただ、危険なのは俺達も一緒だから、この異常事態を一緒に切り抜けられないかな、って…」
少し傷ついたように眉をハの字に下げて言い募る彼に星来は態度を改めなかった。彼らは最初何て言っていた? この街の異常を察知して、それを探るために来たのだ。つまり最初からこの街が危険かもしれない、ということを承知でやってきた筈である。
星来は失笑を残し、今度こそこの場を立ち去ろうとした。
その時。
「…もし、よろしければ、我々のアジトにいらっしゃいませんか?」
今まで星来達のやり取りを見ているだけだったアウディオが徐に口を開いた。これに星来は振り向いた。
「今のところ生存が確認されている、唯一の街の住人だものね?」
嗤う星来にアウディオも悪びれずに笑った。
「仕方ないでしょう? こんな風に街から綺麗に命ある物全てが消えている。こんな現象は天災なんかではあり得ない。生半可な人災でもあり得ない…考えられるのは、『魔』の覚醒だけ。少しの手掛かりも逃したくない気持ちは分かっていただけると思いますが」
「気持ちは分かっても、斟酌するかは私の一存よ」
「これは手厳しい」
アウディオは少し考えるそぶりを見せた後、再び星来と向き合った。
「では、こうしましょう。貴女が私達と行動を共にして下さるのなら、これから当面の貴女の生活の面倒を見ます。この街の状態では、ここにある貴女のご自宅だって無事とは限らない。住居は? 生活資金は? これから貴女は何処に行けますか? 女一人では日常生活にも支障を来しますよ」
星来は半眼になってアウディオの提案を聞いていた。確かにそれらは今後どうにかしなければならない案件だった。星来はリアを探す為に自宅を捨てて旅に出るつもりでいた。しかし、これまでアッダスから外に出たことのなかった星来は、ここから外に出て、何処に行けばいいのか分からない。協会の支部があるドーレンに戻れば仕事は見つかるから資金面では問題はない。けれどこの世界には人権なんて言葉はなく、保険もない。特に働き手としては下層に見られる人族の女である星来は、天涯孤独の身で守ってくれる身内の男性などいない為もしかしなくとも軽んじられ、理不尽な不利益を被る事態が増えるだろう。その一つ一つに対応していては、いつまでも星来はリアに辿り着けない。情報源が圧倒的に少ない星来は孤立してしまう。星来はこれまでこの街で多くをリアと過ごした。男のリアの連れ、という立場を周知されていた為に星来は協会にすんなり入れたし、日常生活において理不尽な目に合うことも殆どなかった。この街が実力主義の協会の息がかかった街だというのも理由の一つだろうが、やはりリアの存在が大きい。年若い女と、年老いた老女の二人暮らしなんて、最も軽んじられる組み合わせだ。
立派に働いて、一人前に任務を果たせていたのは、そもそもリアが御膳立てしてくれていたから……。
星来はリアがしでかしたことが再び表面に出てきて胸が苦しくなった。アウディオは黙って俯いてしまった星来を見て、図星だと判断したのか、一歩踏み出して星来に答えを促した。
「どうです? 貴女にとっても悪い話ではないでしょう?」
「………」
どうにか気を静めて星来は小さく深呼吸をした。とにかく今の星来には庇護が必要だ。力を蓄える間、星来が潰されないようになるまである程度守ってくれる盾が。それには、何だって利用しなければ。たとえ怪しい男二人組だとしても。
「……王都へ行くわ」
「はい?」
「王都へ行くって言ったの。私にはたくさん情報が集まる場所に行かなきゃいけない理由があるの。その邪魔をしないのなら、共に行動してあげてもいいし、アッダスのことを話してあげてもいいわ」
どの道一年ほどしか暮らしていないアッダスのことで話せることなどあまりないのだ。利は星来にある。
「王都……ですか。その前に別の街を回らせていただけるなら、王都まで一緒に参りましょう」
「おい、アウディオ。いいのかよ。俺達だけでそんなこと決めて」
ガルデッシュが慌てて星来とアウディオの間に割り込んだ。
「構いません。唯一の手掛かりが王都行きを望んでいるのですから。どの道、我々も王都に用はある。無駄足にはなりませんしね」
「こいつが何も手掛かり持ってないかもしれないじゃん」
先程まで星来を勧誘していたというのに星来と共に行動することを渋りだした。どうやら星来主導で行動することが不満らしい。
「別にいいわ。嫌なら嫌で。私は一人で構わない」
「え、ちが…嫌とかじゃなくて」
ガルデッシュが自分の失言にうろたえた。
「私も貴方達を信用しきれていない。貴方達も私を警戒している。ならいいでしょう? 別に仲良しこよしする必要なんてないわ。お互い警戒し合いながら見張りあっていれば。私と貴方達との契約よ。私は身の安全を。貴方達はこの街の情報を」
「………」
「ふふ、貴女はヒトの女性にしておくには勿体ないご婦人のようだ」
絶句しているガルデッシュとは裏腹にアウディオはここで初めて含みのない笑みを見せた。星来が女性にありがちな男性にもたれかかって当然という思考回路をしていないことがお気に召したらしい。
「当然よ。そうじゃなきゃ協会で仕事なんか取れないわ」
「そうでした。貴女は協会の方でしたね」
アウディオが軽く頷いたことで、このことに関して協定が無事締結されたのだと感じた。
「………さて。そうと決まればここに長居する必要はありません。まずは、街を出て、近くの街まで行きましょうか」
「……その前に、私の家から必要な物を取りに行きたいわ」
「………ああ。女性は何かとご入り用ですものね。いいでしょう。参りましょうか」
そういいながらもアウディオはしきりに周囲を警戒している。ガルデッシュも同様だ。一刻も早く街から出たがっている空気が伝わってくる。
どういうことだろう? 確かにこの街は今異常事態ではあるが、今すぐ危険が迫っているとは思えない。街に辿り着く前にあれだけ邪魔だった黒い奴らも、この街の中にはとんと見ない。
星来は、不思議に思いながらも街のすぐそばにある怪物の森に向かった。しかしここで彼らは警戒心を露わにした。
「おい。まさかお前ん家ってこの森の中なのかよ」
「そうよ」
「おいおい。冗談じゃねえって。こんなふざけた森にヒトなんか住めるかよ」
「ふざけてるって何よ。実際住んでる私の目の前でいう台詞じゃないわよ」
ガルデッシュは星来に耳を引っ張られ、即座に誤ってきた。
「ああっごめんごめん! この森は怪物がうようよしている森だから…」
星来は仕方なく手を離してやって言った。
「え? だけど猛獣除けの魔法かけとけばいいだけでしょ? 街の中心街から離れてるからちょっと不便だけど、静かだし、近所付き合いもないから、慣れたら住みよい場所よ」
「えぇ…」
さ、行くわよ。と気軽に森に入っていく星来の背中を見て、大の男は何とも言えない顔をして互いの顔を見合わせた後、はっとして慌てて星来を追うのだった。