僕たちは……迷っている
僕はセフレの鮎川桂と「恋人」として付き合うことになった。
とは言っても一般的な付き合いたてのカップルみたいに、初デートのシミュレーションやキスするタイミングを見計らう必要は無い。数日前から一緒に住んでいるし、キスどころか何度もセックスをした間柄だ。今さら恋人を名乗った所で何かが変わるという事ではない。
強いて挙げれば……亡くなった前の恋人・渋谷小春さんからの「呪縛」が少し解けた事だろうか? 最悪の別れ方をした恋人……彼女の無念さを考えたら、新しい恋人などという残酷な発想など出来なかっただろう。
だが桂は、僕に渋谷さんの事は忘れなくていい……渋谷さんの分まで「全て受け入れる」と言って告白した。しかも彼女は、僕と付き合うためならアイドルを辞めて芸能界を引退するとまで言ってきた。ここまで覚悟を決めた人を無碍にする事など出来ない。
そういう僕も……彼女が困っていた時、何かしらの力になってやろうと思っていた事に気付いた。そうか、僕もセフレ……つまりセックスだけの割り切った関係から、知らず知らずの内に踏み込んだ関係になっていたのだ。
※※※※※※※
「よし、完成したよ」
「わぁ! 見せて見せて!」
今日は全ての仕事を入れていない完全オフの日。僕はしばらく中断していた渋谷さん……それと桂、二人分の絵を完成させた。
本当は桂をモデルにして、未完成だった渋谷さんの裸体画を完成させる予定だった。だがモデルになった桂の裸を見た瞬間、彼女の絵も描きたい……という衝動に駆られてしまったのだ。
「どっちも綺麗、小春さんも素敵! でも私の方がちょっとスタイル良いかな?」
「マウント取るのかよ……ま、でもそういう事にしておいていいよ」
実際、桂はとてもスタイルが良い。とりわけ胸が大きいとかグラマーとかいう訳では無いが、全体的なバランスが取れている……まるでギリシャ彫刻のヴィーナスみたいな美しさだ。僕が彼女自身の絵も描こうと思ったのも頷ける。
「でもまっくん、この絵は絶対に盗まれたり流出させないでよね」
桂は自分の絵が外部に漏れる事を嫌っていた。この絵が桂こと相模絵美菜だという事になれば日本中が大騒ぎになる。すぐに描いた人間が特定され、僕はマスコミやネット民によって晒されるだろう。
かと言って「これはコラージュで、相模絵美菜ではありません」と言ったらそれはそれで炎上するだろう……どのみち大騒ぎになって、僕が社会的に抹殺されるのは間違いない。なのでこの絵は飾らずに、アトリエの片隅に仕舞っておくのが正解だ……もったいないけど。
あっでも桂が芸能界引退したら、そんな心配は必要無いのでは? まぁでも、そうなるのは桂こと相模絵美菜が引退して交際宣言して……世間が僕たちに関心を持たなくなった頃だよな。
――!?
いやその前に……桂が交際宣言したら、僕も彼氏としてマスコミに顔を晒されるのか? それは困る。
※※※※※※※
「まっくん、そろそろ寝よ」
この部屋で桂と体を重ねて以来、まるでタガが外れた様に彼女は毎晩求めて来るようになった。
あの時は不可抗力とはいえ所謂「中出し」をしてしまったが結局、桂ことアイドル……もとい、引退を考えているアイドル・相模絵美菜が妊娠する可能性はかなり低い。何故なら彼女は、普段からピルを服用していることがわかった。
という事は、あの時桂が言った「まっくんの子どもだったら産んでもいい」とかいうセリフ……騙しやがったな!? まぁでも……あの夜の出来事が、僕にとって桂が気になる存在だと気付かせてくれた事は間違いない。
ただ……気になる存在ではある事は間違いないが、冷静になって考えたら僕は本当に桂の事が「好き」なのだろうか?
僕は今でも渋谷さんの事が忘れられない。その「渋谷さんが好きな僕」まで桂が受け入れるとは言え、ここで桂と付き合ったら浮気? 二股? まだ僕は、今の自分の立場も感情も理解出来ていない……迷走中だ。
迷走中と言えば……ここにもう一人、迷走中の人がいる。
「なぁ、桂」
「んー、何?」
行為の後、余韻に浸っている桂に僕は話し掛けた。
「確か他のメンバーって事務所変わってもカンリバを続けたい……って言ってたんだよね? 桂は……本当に引退でいいの?」
ちょっと卑怯なやり方だとは思いつつ、僕は感情が油断している桂に直球で質問をぶつけてみた。と、いうのも……
……桂はまだアイドルに未練がありそうなのだ。
現在はマスコミに隠れて、このアパートから一歩も出られない状態。引きこもりでもない限り、ストレスが溜まってしまう頃だろう。
桂も平然と「ニート生活楽しい!」とか言ってるが、実際はストレスが溜まっているに違いない。その証拠に最近は家事をしながらカンリバの曲を鼻歌で歌っていたり、暇な時には「運動不足だー」とか言って自分のダンスパートを踊っていたりする……とても楽しそうに。なので何だかんだ言って桂こと相模絵美菜はカントリバースが大好きな筈。
「うん! だって現役(アイドル)が妊娠したら他のメンバーに迷惑掛かるし」
「いやピル飲んでるんでしょ? 心配ないじゃん」
「んー、じゃあ(飲むの)止めるか……」
やっぱり様子がおかしい! 引退したい理由が言い訳にしか聞こえない。
「基本的にアイドルは恋愛禁止っていうけどさ、裏では交際している子とかもいるんじゃないの?」
「んー、まぁ聞いたことはあるわね」
「だったら……両立とか出来ないの?」
両立……つまりアイドルを続けながら恋愛する。この言葉を聞いた桂は一瞬だけ僕の顔を見るとすぐに目を背けた。
「まっくんは……私にアイドル続けて欲しいの?」
「ま、まぁそりゃ……」
「……何だ、アイドルやってる私にしか興味無いんだ」
「い、いやそんな事は無い! だって僕はぐりんちゃん推しだし」
「その名前出すなぁ!」
「あっ、ごっごめん!」
以前は僕の推し・渡良瀬碧の名前を出しても何の反応もなかった桂だが、最近は本気で怒り出す……どうやら嫉妬しているらしい。でも僕にとって「恋愛」と「推し」は別次元だが。
「もういい! 寝る!」
「だからごめんって……」
不貞腐れた桂は布団を顔まで被り僕に背中を向けた。完全に怒らせた……と僕が反省していると、桂は布団の中から小さな声で呟いた。
「ホントはさ……続けたいよ! でも、今の私には……今のまっくんを本気で振り向かせる自信が無いんだよぉー!」
僕自身に迷いがある事は、どうやら桂に見透かされていたようだ。だからアイドルと恋愛を両立したくても出来ない……桂もまた、迷っている。




