魔法という名のマジック
ふう、お腹いっぱいだ
ついこの間、とうとうママンの母乳を卒業したのだ。
今日はリンゴをすりつぶしたものが出てきて、久々の果実に心もお腹も満たされた。
さて、ようやく読書タイム。
ゆりかごの中には俺より大きい5冊の本が横に並べてあった。
どうやらマイヤさんが俺たちの食事中に運んできてくれたらしい。
危ないからと没収したのに、メイドさんは大変だ。
さあ、そんなママンの気分が変わる前に読んでいこう。
ワクワクしながら本の表紙を順に見ていく。
見た感じ冒険物が多いかな。絵本で勉強しただけでも結構読めるもんだ。
「勇者タローの冒険」「盗賊バンディ冒険譚」「ツェッペリ植物史」「国立魔導教本初級」「良き領主のすゝめ」とある。
この中で一番最初に目に留まったものは、言わずもがな。
このボロボロの魔導教本!
つまりは魔法のことに違いない。
実は転生してからすぐのこと、2ヶ月たったあたりだろうか、深夜ふと目が覚めた時、ゆりかごの周りが厚い空気の膜のようなもので覆われていたことがあった。
初めは現代日本科学を超える技術力の結晶とも考えたが、この世界で生活していくうちにそうでは無いのだと分かった。
そんなことができるのなら面倒臭い蝋燭で生活なんてしないだろう。どう見てもそれ以外の技術力が低い。
今思えば、マイヤさんが毎日何かを唱えていたのはこの魔法の類だとわかる。
まあ大方、俺を守るために張った防御魔法のようなものでは無いだろうか。そんなものがあるのかは知らんが。
もうこれはやるしか無いだろう。
前の世界でも、幸せになる魔法がないかを探したものだ。と言うか死ぬ間際も考えていたし。
俺は期待と鼻を膨らませながら、馬鹿でかい魔導教本のめくっていく。
——なになに、『魔術とはこの世の理である。即ち盛者必衰を理解するべし』。
なるほどわからん。
というより難しい単語が多すぎてほとんど読めない。
とりあえず文法の流れを見つつ、絵に書いてあることをやっていけば出来るようになったりしないだろうか。
◇
なーんて甘い考えで一通り読み進めてはみたものの。
解ったことは、魔法を使うためにはまず体内の魔力流動なるものを的確に把握することのようだ。
ここで俺はいきなり問題に直面した。
魔法なんて存在しない平和の国からやってきた俺だ。
そもそも体の中の魔力なんてわかるはずもない。
まさかこんな大きな本の、こんな短い文章に小一時間ほど頭を悩ませるとは思わなかった。
ここで躓くやつなんていないのか詳しいことは何にも書いてないし。
この本によればこの世界の住人は生まれながらにして、その感覚が何となくわかるという。何と便利な。
俺が転生した身体だからなのか、そんな感覚さっぱり分からない。この世の理もわからない。と言うかそんなこと考えて生きてる奴なんていないだろう普通。
どうしようか。
問題集を解くみたいに、答えに詰まったら解答を見る感覚でやってみるか?
前世では勉強中答えに詰まると、解答や参考書を見ながら間違えなくなるまでやり続ける、ということをよくやっていた。
これと同じ要領で、全くわからない魔力の把握をするよりも、魔法の詠唱をいきなりやってみたほうが何か掴めるのではないだろうか。という結論に至った。
この本の通りなら魔法を行使する際には詠唱という行為をすればいいらしい。意外と簡単なのではないだろうか。
まあ、うだうだ言っていても始まらない、ここに書いてある通り声に出して読んでみるとしよう。
「なうぃあ! とおあぅこぉ……」
ああそうだ、肝心なことを忘れていた。
詠唱できねーじゃん俺。
魔法とかいう異世界バリバリな存在に興奮するあまり、すっかり抜け落ちていた。
考えてみればこの世界では、まだ1歳にも満たない赤ん坊なんだ。
日々の練習の賜物か、“呼び鈴”をしているおかげで最近ようやく形になってはいるものの、ちゃんとした発音は出来ない。
よし。とりあえず目を閉じて頭の中で適当に唱えてみよう。
——汝は留まることを知らぬ生命なり。穢れなき清き水よ。我が願いを叶え顕在せよ。——アクア——
うん。
うんともすんとも言わない。
やっぱり口で言わないとダメなのか。そもそも魔力流動を理解してないとダメなのか。
だんだん頭が混乱してきた。
今日はやめることにするか。また明日やるか、まだ生まれたばかりの俺だ、魔法の勉強の時間は山ほどあるしな。ゆっくり時間をかけて文字が読めるようになってからやればいいか。
ってか俺にはもしかしたら魔法のセンスがなかったのかも知れない。
また明日頑張ろう。
なんて。
そうやって何かにつまずいたらすぐ逃げて。
他と比べて卑屈になっては自分の殻に籠る。
これじゃあダメだ。それじゃあ昔と何も変わってない。
人間は考える生き物。
それをやめてしまえば獣となんら変わらない。面倒くさいからと先送りにしてもしょうがない。
息を整えもう一度思案しよう。
俺が今唱えようとしていたのは”水魔法”だ。
もし火の魔法なんて唱えて家が火事になったりしたらシャレにならない。そもそも、あの過保護な両親に魔法を使ったなんてバレたら一体どうなるか。
この世界で魔法というものがどういう位置付けかが分からない今、下手なことをするもんじゃない。
携帯電話くらい身近なものならいいんだけど。まあ一般家庭に魔法の教科書が置いてあるくらいだ、流石に使って即死罪。なんてことはならないだろう。
ならないよな?
世の理。理か……。
言葉通りの意味なら、この世界の魔法が起こりうる原因、そして結果。
それらを導き出すということ。
しかし疑問だ。何十年も研究してきた学者ならまだしも、一般人、それも今から魔法を学ぼうという人間にそんな難しいことを考えさせるものだろうか。
もっと簡単なことなのかも。
ふむ……、水とは何か。
流動的であり、形はない。
生きる上で必要不可欠。
生。
だが水に死なんてものがあるだろうか。
蒸発すれば一見消えたようには見えるが、本当に消えた訳ではない。
見てくれが変わっただけ。
生と死。
うーん。やっぱり分からないな。俺別に文学部とかでもなかったし。
だが少し考えもまとまったし、ダメもとでもう一度唱えてみるか?
感覚的にだがいけるような気がしてきた。
集中するために一呼吸。
——汝は留まることを知らぬ生命なり。穢れなき清き水よ。我が願いを叶え顕在せよ。——アクア——
頭の中で、無色透明で流動的なものを思い浮かべ、ゆっくりと詠唱を済ませる。
するとほんの少しの間。
突如、俺の身体中の血液を形ない何かが全速力で巡り始める。
その力は徐々に勢いを増し、底知れないエネルギーが、まるで俺の身体の中を拒絶するかのようにあちらこちらへ移動する。
熱い。
呼吸が乱れ、身体が上気する。
——これが魔力。
初めての感覚に驚きつつも、悠長に構えている余裕はない。
これを続けていると俺は死ぬ——。
一つの考えが瞬時に頭の中を過り、警鐘を鳴らす。
——俺は急いで小さな両手を目の前にかざした。
すると身体の中にあった力の奔流が、まるで穴の空いた水風船のように、目視できるほど眩い光とともに両手へと集約し始めたのが見えた。
しかし、この“何か”は形を留めることが異様なほどに難しい。少しでも気を抜けば両手から溢れていく。
表面張力でギリギリを保っているような緊張感。
集中力を切ればすぐに消えて無くなりそうだ。
まるで絶えず流れる清流を全身で受け止めるよう。
——その瞬間。
身体の血が一気に抜けていくような感覚とほぼ同時、ポウッという音とともに、掌からバスケットボールほどの大きさの水が生まれた。
で、出来た!!
が、喜びもつかの間、俺の集中力が切れたのか、瞬く間に水は辺りに霧散した。
きた! できた!!
俺にも使えたぞ魔法……!
やっ、……たぜ。
未だに身体中を何かが這い回るような感覚を残し、俺は意識を手放した。




