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彼女は補習する

 翌日


 申し訳ないのは、ライラとリリアにまで付き合わせてしまった事だ。

 自らが不真面目であったために、本来優秀な成績で課題を合格するはずだった二人まで補習を言い渡されてしまった。レアとしては負い目を感じてならない。


「レアさんが気にする事ないですよ」


 そう、リリアが言った。


「見ていたのはわたくしたちの勝手ですもの」


 ライラが言った。

 だが「はいその通りですね」と開き直るほどの図太さを持たないレアに、その優しさは逆効果であった。

 彼女はますます落ち込む事となり、放課後の補習中全く会話をしようとしないのだ。


「今日は随分真面目だね」


 その様が『真剣な態度』に見えたマクミランの言葉だ。そのせいか、昨日よりも幾分か機嫌がよさそうに見える。


 魔法界の出世頭であり、若き新鋭のトロント・マクミランは、これから魔を学ぶ者の理想の姿だ。なので女生徒に限らず彼を慕い、尊敬する生徒は多く、今回の補習も多くの学友クラスメイトに羨ましがられたものだ。


 ライラもリリアも得意げになって自慢したのだが、今となってみれば馬鹿馬鹿しい。憧れの教師との特別授業に来たのだと思ったら、友人が一言も喋らなくて酷く不気味な空気にあてられているのだから。


「……どうでしょう?」


 なのでライラとリリアがレアのあげた声に驚いてしまったとしても、誰も咎めはしないだろう。ここ一時間以上の間で初めての言葉だ。ともすれば、ついに言葉もないまま終わるのではないかと思ってすらいたのだから。


「ほぉ〜う」


 レアの右手の上に浮かぶ炎は、驚くほど綺麗な球体を描いている。それは熱を発する赤色の玉であり、わずかに揺らめいてその像が不安定に動く事によってのみ、それが火の玉である事が認識できる。


 それを見て上がるのは感嘆の声だ。ライラとリリアはこれほどに美しい魔法を見た事もなかった。まさか炎がこうも心に響くとは思ってもみなかった。


 だから——


「駄目だ」


 ——マクミランのその言葉にはもっと驚いた。


「何でですか!」


「何故ですか!」


 二つの言葉は同時に発せられたが、それはそれはよく聞き取れた。内容がほとんど変わらないものだったというのはもちろん、充分に予想できるものだったからだ。


「まだです」


 二人の言葉に答えるのはレアだ。


「まだ弱すぎます」


 炎はレアの手を離れ、正面の壁に放たれる。

 きっとライラやリリアの力であれば木製の壁など容易く破壊して、ともすれば大火事になってしまうだろうという行為だが、レアの場合はどうだろうか。


 力なく、まるで膨れた水泡が割れるかのような風体で散って行った後には、壁に一切の焦げ目すらも残していない。煤の一つすらもつかない木目が、何事もなかったかのようにそこにある。


「力のない魔法なんて、何の役にも立ちませんね」


 レアの言葉は自虐ではない。それは単なる事実だ。


 温度が低いという事ではない。それならば炎自体が発生しないはずなのだから。これは維持する力の問題だ。形成し、動かすまではできても、壁にぶつかる衝撃で消えてしまう。ほんの少しの外的干渉も許容できずに実践に耐え得るはずがない。


「どんな偉人でも初めから天才だったわけではない。必要なのは精進だよ」


 マクミランのその言葉は聞き慣れた、というよりも聞き飽きたものであるが、それを言うほどレアはひねくれてはいない。

 かつて同じ事を言われた時に「どんな偉人も私よりできなかったはずはない」と言い返した時の経験が生きている。あの時の相手の気まずい表情は簡単に忘れられるものではない。


 だから


「はい」


 と短く答える。

 そうするとマクミランは優しく微笑んで、満足そうにうなづくのだ。


「今日はここまでにしよう。根を詰めすぎるのは良くない」


 結局、レアの魔法の腕は何の解決もしていない。




 マクミランと別れたあとため息をつきつつ食事に出かける。

 第二棟にあるカフェだ。レアとリリアとライラの三人で、お気に入りとして贔屓にしている。疲れた体と脳には糖分が一番だ。


「コツです。一度感覚さえわかればそこからは簡単ですわ。わたくしがそうでしたもの」


 パンケーキ片手に、ライラの言葉だ。


「重い物を持ち上げて筋力を鍛えるように、少しずつ力をつけていくことです。感覚的な部分ではないと見ました」


 紅茶片手に、リリアの言葉だ。


 意見の割れた二人は、無言でお互いを見つめ合っている。睨む、というほど険悪でないのは良いことだが、なにぶん無表情なものだからお互いに怖い。


「よしてくださいよ、私のことで」


 チョコレートケーキを片手に、レアの言葉だ。


「まあ! 「私のために争わないで!」ってやつね!」


「レアさん罪作りぃ!」

 

 ふざけることに全霊な二人は、先程までの険悪とは言わないまでも微妙な雰囲気などすぐにかき消してしまったようだ。

 ともすれば覚えていないのかもしれない。


「どちらにしても数をこなすしかありません。明日も居残りですね」


 手っ取り早く話を切り上げるのが吉であると、レアは一週間という短い経験からそう判断する。


 本当なら話くらい広げられるだろうと思わないでもないが、今まで友人というものに恵まれなかったレアにとって、自分がここまで人間付き合いというものを苦手としていたというのは驚愕の事実だった。


 また自分で勘定を済ませようとするライラをリリアが止めているうちに、レアが二人分を支払おうと立ち上がる。

 部屋に帰ったあとにリリアから立て替えた分を返してもらうというのが、ここ一週間のお決まりの流れだ。

 そしてここからが、「いつも」と大きく違うところだ。


「おやぁ?」


 その嫌味な声がかかったその時からだ。


 見ると、そこに立っていたのは淡麗な女性を先頭にした五人の集団だ。胸元にある刺繍の色で、全員が同学年であるということが分かる。

 しかしその先頭の女性を見てレアは驚かずにいられなかった。何をと問われれば、彼女が同学年であるという事実に。


 身長なんてレアよりも10㎝近く高いし、表情や声からはすでに女性的な色気というものが見え隠れしている。

 腰まで伸びる赤い髪には一切のくすみなどなく、少し気の強そうな顔立ちと合わせて、まるで烈火のようだという印象を受けた。

 体つきはロープに隠されていてよくわからないが、おそらくはレアにはない女性的曲線を描いているに違いない。


 あと五年もしないうちに、出会う男を片端から魅了する魔性の女と化すことだろう。

 そんな女性が、上品に体の前で手を組んでレアたちを見下している。口元に薄ら笑いを浮かべて。


「見て下さいな皆さん。こんなところに落ちこぼれがいましてよ?」


 後ろに立つ四人がクスクスと笑い、答えとする。それがレアたちに向けられていることは明らかだ。


「……あっ」


 ライラが声を出す。気まずそうな表情で、息苦しそうに。


「レアさん、彼女は……」


 立ち上がり、レアに呼びかける。率先して他生徒と事を構えるつもりのないレアはそれに従い、一先ず席に戻った。


「御機嫌よう、リスリー・ペル・イスマイル様。お久しぶりですわ」


 イスマイル

 その名はレアにも聞き覚えがある。


 魔法史を習う際に最初に教わる三度の魔法大戦。

 この国も参加し一度の敗北と二度の勝利を収めたその戦争の、一度目の勝利の立役者の一人の名だ。その時に勝ち取った領土の一部と、伯爵位を授かったと記憶している。今代の当主はその六代目か七代目だったはずだ。


「あらぁ? 貴女は……」


「ルゥジ家のライラですわ。最後にお会いしたのは、アイナス家の夜会ですわね」


「ふふ、そうだったかしら? 私は覚えていないわ。ただ、あの夜会には時代遅れのドレスを着た空気の読めない娘がいたのは思い出しましたわ」


「そのドレスが青色だったなら、間違いなくわたくしのことですわ」


 こちらを見下す相手に対して不釣り合いなほどの笑顔は、さすがは貴族であると言わざるをえない。

 対人技能において、とてもレアには真似できない分野だ。


わたくしたちに何かご用ですか?」


「あぁら、私が貴女達に用だなんて、自意識過剰じゃあありませんこと?」


 目に見えての挑発。その言葉自体に意味はなく、自分は貴女達に敵対的であるという意思表示だ。


 リスリーの言葉への反応は三者三様だ。


 ライラの笑顔は崩れない。上位の貴族に馬鹿にされることなど日常茶飯事であり、その度に声を荒げてなどいられないからだ。

 しかし、それは怒りを感じないということではない。


 リリアの小市民に相応しい肝は、間も無く限界を迎えようとしている。

 自分のような矮小な存在の首が繋がっているのは、単に目の前の人間が癇癪を起こしていないからだという事をよく理解しているためだ。


 レアは、まるで今晩のおかずでも考えているかのように無表情だが、それは元来の能面によるものであり、実際にはどうしようかと頭を悩ませている。


「ふふ、そんなに怖い顔なさらないで? 私はトロールではなくってよ」


 貴族というものは流石に相手の腹の内を見透かすのが得意らしく、レア達の警戒と敵対心はリスリーに筒抜けのようだ。

 いやむしろ、敵対心など持って当然という前提の言動なのだろう。


「冗談ですわ、冗談。別に喧嘩をしに来たんじゃありませんもの。私はただ「注意」をしに来ただけですの」


「注意?」


 リスリーの言葉から何かを感じたのだろうか。

 ライラの声色がレアとリリアをもってしても明らかに変化した。そう、長く貴族社会にいたわけでも、政治に慣れているわけでもない13歳の少女の、読心などという言葉とはかけ離れたその感受性を持って充分に感じ取れる程に、深く重く、嫌悪感というものを隠しもしない。


 そしてリスリーも、まるで受けて立つように、声を落とし、眼を細める。


「そうですわ。落ちこぼれの劣等生さんに、身の程をわきまえるように注意をしに来ましたの」


 その視線はライラを逸れてレアに向けられている。

 なるほど、この三人の中で落ちこぼれと呼べるのはレアだけだろう。


「このエルセ神秘学園は創立より、常に優秀な人材を輩出し続け、国力増加に大きく貢献してきましたわ。今では、宮廷魔術師のうち七割がこの学園の卒業歴を持っており、主席魔導師は三代続けて我が校の卒業者なのです。もはや、この国の運営になくてはならないと言って過言ではないほどの存在ですわ。エルセ神秘学園とはそういう場所ですの」


 常識だ。

 それこそ、歴史を学んだことのない子供でも知っているようなことだ。だから、これは前置きだ。その次が本題なのだ。


「聞けば、貴女は九等級の課題すら危ういとか。それでは我が(ほま)れある学園に相応しくないのではなくって?」


 見下した物言いだ。当然、相手は貴族なのだから多少の傲慢は分かったことではあるが、これはそれとは別のことだ。貴族としてではなく、魔術師としての誇り(プライド)をかざしている。


 震えるリリアが言い返そうと立ち上がる。それは彼女の精一杯の正義だが、レアはリリアの肩に手を乗せ、もう一度座らせる。

 怖いのならば、無理をしなくて良いと、その声は彼女に届いただろうか。


 そして代わりに、そう、リリアを座らせたのならば、代わりにレアが何かを言わなくてはならない。このまま無視して終いにはならないだろう。

 ただし、それがリリアと同じ意思の元かは別だ。何もなければ良いと、そう思っているのだから。


「申し訳ありません」


「……え?」


 疑問符を浮かべたのはライラとリリアの二人だ。リスリーは当然という顔で腕を組んでいる。


「おっしゃる通りです。私などがあなた方と肩を並べるなど、厚顔無恥にもほどがあるというものです」


 腰を綺麗に九十度曲げたレアを見て、リスリーは満足そうに頷く。レアの能面は一見して真剣な表情に見えるので、リスリーにはさぞかし真摯な対応に思えたことだろう。


「ふむ。中々立場を分かっているようですわ。ならば今後の身の振り方について、わざわざ口にする必要もないかしら?」


「はい」


 反論しようとするライラとリリアを制するため、少し声を大きく返事をした。

 ゆっくりと頭を上げ、はっきりと宣言する。二人が声を上げる前に。


「もし課題がこなせなければ、わたしは自主退学します」

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