彼女は怒られる
「もう!」
三度目の叫びをあげ、ライラがベッドを叩く。自分のではない。レアのをだ。
「牛ですか?」
「ふざけて居る場合ではありませんわ!」
今のライラには、普段見られる優雅さなど欠片もない。
確かに、普段から何かと貴族であることを疑いたくなる言動もありはするが、これはそれとはまた別のものだ。見惚れてしまうような金髪は、何度も振り乱しているうちにボサボサになってしまった。翌日の手入れが大変そうだ。
「まあまあ落ち着いて、実家のお母様が見たら卒倒してしまいますよ?」
「レアさんが言うんですか! レアさんが!」
リリアまでそんなことを言って頭を抱える。
正直のところ、分からないわけではないのだ。二人が何に怒っているのか、むしろレアには明白だ。
「退学なんて簡単に仰らないで!」
その言葉はもう五度目になるが、それが話しの核でないことなど、既に分かりきったことだ。
当然、そのことについて怒りを感じていないはずはないが、それでも今回の全てとするには不十分だ。
「あの人の帰り際の顔見ましたか? 満足そうな顔がひどく不快でした」
リリアの顔が皺くちゃになる。レアは、昔義母と食べた梅干しとかいう食べ物を思い出した。
リスリー自身への怒りというのもあるだろう。それに言い返さないレア自身にも、歯がゆさを感じていたに違いない。
しかし、それだけではない。
「分かっていますよ……」
ため息まじりにこぼす。
「分かってます」
「何が分かっているというんですの!」
「分かっててやってるならもっと怒ってますよ!」
いや、分かってはいるのだ。
しかしそれで尚、分かっていて尚、食い下がることはできなかった。相手は力のある人間だ。魔法的にも、権力的にも。そんな相手とことを構えることなど、許容できるはずがないではないか。自分だけならまだしも、大切な友人がなど、断じて。
そしてそれと同時に、二人がそれで納得しないこともまた、理解しているのだ。
「レアさん! 私達はあなたを信じているので、まさか本当に退学になどならないだろうと思っていますわ」
「分かってますよ……」
そして改めて「信じている」などと言われ、少し照れくさい。
「レアさんが思っている以上に、私たちはあなたのことを大切に思っているんですよ」
「わ、分かってますよぅ……」
首まで熱さが伝わってくる。当然、自分がそうであるように、二人だって自分のことを大切に思っているだろうと、正確に認識している。
しかしそれを口になど出せない。茹で卵のようになってしまうこと請け合いだ。
「急に現れた他人に、大切な親友をバカにされて言い返させてももらえないだなんて、あんまりじゃありませんこと!?」
「分かってるんですってば! さっきから恥ずかしいじゃありませんか!」
何一つ、思い違えていたことなどない。正確に精密に、そうだろうとは思っていた。
しかし「あなたたちはわたしのことを大切に思っているから〜」などとそんなことを自分から言えるはずもなく、意図して口に出さなかったのだ。
それを、いざ面と向かって言われたとあっては、取り乱してしまうのも止む無しといったところだろうか。
レアが声を荒げるのは珍しく、同室の二人でもこの一週間で初めての経験だ。
しかしそれで「じゃあやめにしておこうか」となるはずもなく
「こ、この話はやめにしましょう、そうしましょう」
「いいえ分かる訳がありませんわ。私の気が治るまでは、話を逸らさせません!」
聞く耳持たれず、しばらくの間説教を聞かねばならなかった。
ただの小言なら良いものの、時折気恥ずかしい言葉を言うものだから、どうにも落ち着くことのできない時間となってしまった。
「ライラさん、ひとまずこの辺にしましょう」
そう言ってリリアがライラを諌めたのは、実に半刻も後のことだ。ただし、レアにとっては数倍にも感じられた。
「でも、リリアさん!」
でもじゃないよと、勘弁してよと、そう口に出なかったことを、レアは我ながら立派だと思った。そんなことを口にしていたなら、さらに三倍は拘束され、睡眠不足で明日の授業に差し支えるに違いない。
「まあまあ……だって、とりあえず先に済ませておくことがあるじゃないですか」
「えぇ?」
ライラはどうやら意味が分からないようで、首を傾げてリリアを見返す。何のことかと、不安な顔で。
「レアさんの課題ですよ! あと一週間のうちに対策を立てなければ」
「ぁあ!」
「レアさんがあれだけ大口を叩いた以上まさか落ちるだなんて思いませんが、時間が解決してくれるような問題でもないですし」
本当ならカフェで終わらせるつもりだった話だ。思わぬ邪魔が入ってしまったために中断されてしまったが、有耶無耶にしていいことでもない。
しかし、だ。そこで当の本人、レアから声がかかる。
「それについてはもういいですよ」
何を言っているのかと、それは二人の総意だ。
まさか退学になってもいいなどと、そんな意味ではないと思っていても、レアの真意は計りかねてしまう。
「当てでもあるんですか?」
当たり障りのない返答にと思った言葉ではあるが、そんなはずはないとリリアの中で既に答えが出てしまうようなものだ。魔法の鍛錬など、一朝一夕でどうにかなるようなものではない。
だと言うのに
「まあ、大丈夫です。何なら明日にでも合格してきますよ」
と、そんなことを言うのだ。
「こんなことなら初めからこうすればよかったのですが……」
レアはベッド下の引き出しを開き、その中から一枚の赤い布を取り出す。
帯と言ったほうがいいだろうか。表面にはオレンジ色の円が重なったような幾何学模様が縫い付けられており、その円周と円同士の間には波打つような、それでいてギザギザとした模様が見て取れる。魔法を習いたてのライラとリリアにはその模様の意味までは分からないが、おそらくは魔法の紋章だろうと予想がついた。
魔法に関わる模様のついた帯。それは間違いなく魔導具だろうということくらい、魔術師の雛である二人に分からないはずはない。
「この前見せたのとは違う物です」
レアが義母から仮り受けた幾つかの魔導具の中の一つだ。
卒業時点で壊れていた場合は全額弁償という親子とは思えない確約だが、それでもこの学園において必要であると思ったことだ。
「これの名前は『エレメント・アッパーNo.2』。第二属性の出力を補助する魔導具です」
ライラは口をあんぐりと開く。とても貴族のお嬢様には見えないが、レアがそれを言うとしたら今日の内だけで五度目なので、無視を決め込むことにした。
リリアは興味深そうにまじまじと眺めている。勤勉な彼女を思えば当然の反応だろう。
「なぜこれを常に使用していないんですか? 便利な魔導具に思えるんですけど」
布に触れながらのリリアの言葉だ。
確かに、これを使用したならば、レアといえども人並みに魔法を使うことができる。
しかし、とても残念なことに、決定的な欠点が存在するのだ。常用できればどれほど助かるかと常々思いながら、レアはため息を我慢してこの魔導具を奥の手としている。
「疲れるんですよ、これ」
それも尋常でなく、とレアは続ける。
「わたしはこれの他にあと三つの『エレメント・アッパー』を持っていますが、すべて似たような物です。とても常用できるような代物ではありません」
本来、魔法は体力を消耗しない。「波力」と呼ばれる魔術師にしか分からない感覚があり、魔法はこの「魔法的体力」を消耗して行使される。
しかし、レアの持つ魔導具は波力の代わりとして体力を消耗して、特定属性の魔法の出力を補助する物だ。そして、とてもではないが燃費がいいとは言えない。
「なかなか便利かと思えば、むしろ使い辛いんですのね」
「むしろどこで使えばいいんでしょうか、それ」
二人が首をかしげる。
「加えて言えば、わたし用に調整されているため、わたしでないとまともに扱えません。おそらく火力制御がうまくいかずに暴走したようになるかと思います」
皮肉気に肩をすくめるレアだが、それの向いている方向は自分だ。この使いにくさを、自虐なしに語ることはできない。
「ま、ともかく課題は問題ないだろうということです」
話を切り上げると、レアはそそくさと荷物をまとめだす。別に荷造りしようというのではない。夕食も済ませ、夜ももういい時間になった。つまり
「お風呂に入って寝ましょうか」
というわけである。
レアがこの学園に入学して、最も驚いたのが設備の充実だ。
蛇口をひねるだけで清潔な水が手に入り、下水まで整備されている。そして風呂の存在だ。
場所は第三棟の一階部分を丸ごと使用する形となっており、全ての生徒と教師は、学年とクラスごとに毎日決まった時間に入浴を義務付けられている。
潔癖性の先代校長が採用させたらしいが、それにしても石鹸まで自由に使っていいというのは破格と言わざるをえない。毎日湯を沸かすだけでも膨大な労力がかかるだろう。
「あ、待ってください私も行きます!」
庶民代表のリリアは、どうやら今まで暖かい風呂というものに入った事がなく、この学園の大浴場をいたく気に入ったらしい。
身を刺すような寒さの中で行う行水とは雲泥の差だと毎日こぼしている。
「私も置いて行かないで下さい!」
二人は大慌てで着替えを持ち、レアに続く。
レアはいつも不思議に思うのだが、この二人は常にレアの半歩後ろを歩くのだ。追従する、と言えばいいのか、左右を固めて。
曲がりなりにも貴族であるライラと、学年でも優秀な生徒であるリリアが、初めての課題すら魔導具の補助無しには成し遂げられないレアの後ろにつくという様は、本人にしてみればどうにもむず痒い気分になる。
理由が分からないわけではないのだ。先日の賭博騒ぎが原因であると、把握してはいるのだ。仲間の中で、自分が一目置かれてしまったのだという自覚は確かにあるのだ。
しかしそれでも、首をかしげてしまう。
出来不出来など誰にでもあることであり、それは劣等生たるレアにも言えることだ。ただ数少ない得意がそこにあったというだけで、自分はそう大した人間ではないと、レアの自己評価である。
「……はぁ」
もし今のような、まるで取り巻きでも引きつけているような状態が、リスリーの言うところによる「身の程」にそぐわないという事なのだとしたら、二人にはそれとなく言い含める必要があるだろう。
なんとなく、しばらくは心労と友達の生活になりそうだと感じるレアであった。




