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逃れられぬ脅威 ~ Threat ~

 護衛の兵達が火薬玉を投げつけて上空や左右から迫る妖魔や魔物を爆散させても、イスマリア皇女を狙う魔の手は怯むことなく、こちらの足を止めようと躍起になってその凶暴さを増して襲い掛かってくる。

 死を恐れずに牙を剥く追撃者の姿を目の当たりにしてしまえば、流石に勇猛で名を馳せたランガーナ王国の兵達といえども大剣や防具なしではその表情に動揺の色は隠せない。せめて弓などの飛び道具があればという声が聞こえてきそうだ。

「リアナ様、このままでは!」

「分かってる! 臆するな、このまま走れ!」

 魔物と接近して相対するだけでも、殺傷力が乏しい短剣だけでは心細いとしか言い様がない。まして尋常ならざる生命力を誇る妖魔も相手となれば尚更だ。

 火薬玉が使える離れた距離ならまだしも、心臓の位置が個々で違うばかりか多少の傷ならばすぐに傷が癒えてしまう為に、本来なら十分な装備が必要となる。

 また人間なら致命傷となる傷でも必ずそうだとは限らない。故に一振りの短刀だけで妖魔と戦うとなれば、初手で唯一急所だと分かる頭部だけに狙いを定めて仕留めるしかなかった。

 一撃で急所を貫かねば手痛い反撃を受けてしまうことを物語るように、左斜め後方から兵の叫び声が聞こえた。振り返ると蛇頭の妖魔が鋭い爪で若い兵の胴を切り裂き、今にも馬車へ飛び掛からんとしている。

「フィデオ!! おのれっ!」

 叫ぶと同時に足場の悪い馬上から後方へとくらを蹴って飛び跳ねた。

 イスマリア皇女が乗っている馬車に蛇頭の妖魔が取り付く前に空中で背後から取り押さえ、逆手に握り直した短剣でそのまま一気に頭部を刺し貫く。

 そして地上に叩きつけられる前に息絶えたその妖魔の背を蹴って空を舞い、異形の魔物が鋭い牙を剥き出しにして頭を噛み砕かんばかりに襲い掛かってくるのを避けながら斬りつける。交差した魔物が側頭部から血飛沫を散らしたのは、自分が乗っていた馬に着地した時だった。

 断末魔の雄叫びをあげて倒れていく姿の真横を駆け抜け、眼前から迫り来る妖魔を逆手に持ったままの短刀で薙ぎ倒してこれを凌ぐ。

 一呼吸をする間すらも与えてくれない妖魔達の波状攻撃。奴等は狡猾にも今度は我々が駆る馬を狙って足を止め、防御の壁を剥いでいくつもりのようだ。

 むちのようにしなった腕が馬体に迫る。それを上半身だけ横倒にして、腰を捻ったまま短い刀身で鋭利な先端を弾き、ブーツに仕込んでいた細長いナイフを即座に放つ。

 眉間を刺された妖魔は追ってこない。

 しかし背後からまた兵の悲鳴が耳に届く。

「クラウス!」

 馬を殺されて転がり落ちた兵を助けることが出来ない。逃走の足を止めることが出来ない現状では、遠く離れた場所から聞こえた彼の死を告げる叫び声を聞くしかなかった。

 その間にも前方へ回りこんだ妖魔が我々の行く手を遮って襲い掛かってくる。

 魔法で今度こそ退路を切り開こうにも、応戦中の最中では呪文を詠唱する僅かな時間を与えてもらえず、四方から迫る敵を各々が一体ずつ倒していくしか今の我々には打つ手がない。

 本当なら馬の足を更に速めたいところだが、馬車の車輪は限界だと言わんばかりの軋む音を響かせて走っている。車体の激しい物音からして、中はかなりの衝撃を伴った揺れを引き起こしていることだろう。

 イスマリア皇女が怪我を負っていないかと気になっても、今の私にはそれに構う余裕がない。前方には待ち伏せていた妖魔と魔物の群れが待ち構えている。

 我々が強行突破を謀ろうとしたのを見抜かれては動揺を隠すことも出来ず、もはや“自分を偽る仮面”すら被っていられない。

『このままじゃ保たんぞ! いずれ数で押し潰される。やはりミックを呼んだ方がよいのではないのか?』

「ダメよ、イスマリア様をおひとりには出来ない!」

 ペンダントの声が言いたいことは分かっている。それは聖騎士としての力を解放し、この窮地を乗り切ろうと訴えているのだ。

 しかしミックを呼ぶということは、万が一にも妖魔達が馬車に取り付いてしまえばイスマリア皇女の身が危うくなる。妖魔の殲滅を優先させるならまだしも、彼女を無防備に曝してしまうことだけは避けたかった。

『なら、どうするのじゃ? 前のアレを突破するのは容易ではないぞ』

「そんなの分かってるわよ! ちゃんと考えているから黙ってて!」

 言い終える前に次の行動に移っていた。

 後方の兵と馬の足並みを合わせて頷くと私の意図を分かってくれたのか、自分の馬を前に走らせて盾になってくれる。その動きを悟った他の兵達もまた、馬車を無防備にすることなく自らを盾にして取り囲む。

 今まで共に死線を潜り抜けた仲間だからこそ、無言で意思の疎通が出来たのだ。呪文を詠唱する為の時間を彼等は命がけで作ろうとしてくれている。

 ここで誰かが持ち堪えなければ、無防備な状態のまま妖魔達の餌食となってしまうだろう。まさに生きるか死ぬかの賭けだが迷いなど一切ない。我々の命運を次の一撃に託す。

――みんな、あと少しだけ持ち堪えて!

 目蓋を閉じて意識を集中させると、身体が光り輝いて差し出した両手の先に魔力が集中していくのが実感できる。やがて全身を包むその光が重ね合わせた両手に集まり、手の平に集まった魔力と混じり合う感覚が伝わってきた。

 周囲では火薬玉が炸裂したであろう爆発音と共に、金属が何かとぶつかって弾ける音や禍々しい叫び声が大地に鳴り響く。

 10を数えるほどの僅かな時間がとても長く感じた。

「みんな下がって!!」

 前方で盾になってくれていた兵達が左右に展開すると、見開いた先に妖魔の姿が飛び込んでくる。

 その凶暴なまでの双眸が私を捉えて逃がさない。手に持った禍々しい形状をした槍のようなものでこの胸を刺し貫こうとしてくる。

「ハアアァァッ!!」

 気合と共に両の手の平を重ね合わせた先から放った閃光が眼前に迫った妖魔を消滅させ、扇状に広がる輝きは幾多の魔物達までも飲み込んでいく。

 目が眩むほどの輝きが消え去る頃には、前方を塞ぐ人ざらぬ者達の姿は跡形もなく消滅していた。

『無茶をしおって。これでお前さんの寿命は確実に1年は縮んだわい』

 ペンダントの声が呆れて言ったのも無理はない。

 今使った魔法は己の命のを触媒に魔力を放出させる属性を持たぬ消滅魔法。

 もしも術者がこの魔法の制御を誤ってしまえば、一国をも消滅させてしまう。その場合は術者の肉体だけではなく、その魂すらも消し去ってしまうと伝えられている

 遥か遠い時代にこの魔法が原因で一つの国が滅んでしまったことがあり、それ以降は使ってはならないと戒められていた故に禁呪と呼ばれている古の魔法だ。

 但し、聖騎士になった者だけがそれを伝承し続けることをランガーナ国王に認められ、妖魔との戦いの場合だけのみに使用を許されている。

 ただこの魔法は使用するだけで寿命が縮み、威力を高めれば高めるほど自分の命が多く削られてしまう為にそう何度も仕えない。

 この危機を乗り切る為とはいえ、やはり寿命が縮むというのは嫌なものだ。

 それに体力も消費して息が乱れる。

「ハァ、ハァ……こうでもしなきゃ、全滅は必至だったわ。でも、これで今度こそ突破口が見えた!」

 扇状に抉られた大地に先に僅かならも希望の光が見える。しかし、これで妖魔達の襲撃から逃れたわけではない。

 上空から骨格を剥き出しにした翼を生やした妖魔が今までに何度も急降下して無防備な頭上から襲ってきたのだ。更に左右からは絶えずイスマリア皇女の馬車を狙われ、後方からは一度振り切った妖魔や魔物達が迫りつつあり、危機的な状況には何一つ変わっていない。

 遠くに見える森に逃げ込めば多少なりとも状況が変わるかもしれないが、そこまで耐え凌げるかどうか言えば難しいとしか言えないだろう。

 後は妖魔達が諦めるか、それとも援軍が駆けつけてくれるかという当てにならない希望にすがるしかなかった。

『リアナ、上じゃ!!』

 しわがれた老人の声が叫んだ。

 その声に反応するかの如く馬上から飛び跳ねて空を舞い、短剣を逆手に持って降下する追撃者を捉える。

 妖魔の翼を片手で掴んでみたもの、宙ぶらりとなった不安定な体勢では頭部に狙いを定めることができない。振り落とされまいと空中で縺れ合う。

 背後を取られた妖魔も必死だ。小さな弧を描きながら上昇したかと思えば、今度は左右に蛇行しながら降下していく。

「くっ、ええいっ!」

 振り下ろした短剣が皮膚の厚い背中を貫く。甲高い悲鳴をあげる妖魔の翼を掴みながら両脚を背中に押しつけて踏ん張り、仰け反ったところへ短い刃を引き抜き様に躊躇なくとどめの一撃を後頭部に加える。

 これがもしも人間相手ならば、ここまで冷酷に徹することはできない。無慈悲な殺戮者が相手だからこそ、こちらも冷酷に徹する必要があった。

 イスマリア皇女を守る為だとはいえ、刃から伝わる肉の感触が気味悪く感じてしまう。幼少の頃から戦う術を五体に刻み込まれていようがこれだけは今になっても慣れないものだ。

 だがそんな感傷に浸っている暇はない。上空から迫る妖魔は他にもいたのだ。

 地上の妖魔や魔物は兵達に任せようと咄嗟に判断し、息絶えた妖魔の後頭部から短剣を引き抜いて血まみれの背中を飛び台にして跳ねる。視界の中には怪鳥とおぼしき魔物の姿までもあり、空は完全に異形の者達によって支配されていたが――。

「ライヴォルトーーー!!」

 一体の妖魔と空中で交差した直後、呪文の詠唱は既に終えていた。

 雨のように降り注ぐ雷槍が妖魔や魔物達を次々に刺し貫いてく。胴を串刺した雷槍が肉を焼き、黒焦げになった屍の群れが力無く落下していった。

 だが即死から免れた妖魔が私を道連れにしようと横から腰にしがみつき、イスマリア皇女が乗る馬車へと急降下させていく。

 今からとどめを刺して方向を変える余裕はない。妖魔は最後の力をふり絞って降下する速度を上げていく。

 死を目前にした異形の者は本来の目的を忘れたらしい。私を道連れに特攻を仕掛けてくる。

――このままでは馬車に激突してしまう! でも、このまま落ちてしまえば……!

 不意にまたどす黒い感情が芽生え、まだ燻っていた嫉妬心を煽ってくる。まるで心の奥底に潜む悪魔が囁きかけているみたいだ。

――違う、そんなこと望んでなんか! 私は、私は……!

 その誘惑に感情が流されそうになるのを懸命に引き止める。現実を見据えようと何度も頭を左右に振って醜い部分の心を懸命に掻き消す。

 どうやら己の欲望で心を悪魔に売ってしまう愚かな女ではなかったようだ。いや、イスマリア皇女の純粋な心ともいうべき温もりが、まだ手に残っていたように感じていたからこそ誘惑に打ち勝てたのかもしれない。

「まだ諦めてたまるものかっ!!」

 短剣を妖魔の側頭部を目がけて一気に刺し貫き、引き抜き様にせめて馬車への直撃だけは避けようと、返り血を浴びながら息絶えた妖魔の片羽を折り曲げて方向転換を試みる。

 私とて聖騎士と呼ばれし者だ。イスマリア皇女をむざむざと殺されるわけにはいかない。

 所詮は無駄な足掻きだとしても諦めたくはなかった。

 もしも奇跡というものがあるのならばそれに賭けてみたい。神と呼ばれる存在に自分の命を引き換えにしてもいいと必死に願った。

 しかしその願いは届かず、馬車の目前にまで落下している。もはやこの魂の抜けた妖魔の思惑通りになろうとしていた。

「そんな、間に合わない……よ、避けてーーーーっ!!」

 絶望してしまうあまりに思わず目をつぶって叫んだ直後、背中に強い衝撃を受けた反動で身体が跳ね上がる。

 ところが浮いた直後に股座を押し上げられて痛みは感じない。柔らかい毛触りと温もりが手の平と臀部に伝わり、何かの上に跨っている状況だけは理解できた。

――この毛触りって!?

 恐々と目を開いた先に何事も無かったように走り続けている馬車があった。最悪の結果を免れたことで安堵の溜め息を漏らしてしまう。

 どうやら馬車から飛び出したミックが本来の白い翼が生えた猛獣の如き姿に戻り、飛び跳ねた勢いで妖魔に体当たりした刹那、自分の背中に乗せて助けてくれたようだ。

 あと一瞬でも遅れていれば激突していたかもしれない。ミックの咄嗟の判断が、私とイスマリア皇女を死の窮地から救ってくれた。

「ふぅぅ、間一髪だったニャ」

「ミック、ありがとう! 助かったわ」

「これで昨日の事はもう怒らニャいでよ。怒ったら、また浴場を覗いてやるニャン♪」

「バ、バカ! もう、こんな時でも厭らしいんだから!」

 ミックが白々しく長い尻尾で起用にスカートを捲りあげ、肌を露出させた無防備の太股を撫でてくる。だがこれに構っている場合ではない。

 頭を小突く程度に済ませたのは、ここを凌ぎきるまで叱りつける時間すら惜しいと判断してのこと。妖魔の追撃は依然衰える様子がないのだからここは我慢するしかない。

「イテッ! 別に殴んニャくても……」

「知らない!」

 想像していた以上の手勢を前にして、今は恥ずかしがっている場合ではないのは分かっていても顔に火照りを感じてしまう。

 この状況では羞恥を覚えていようが意識から切り離すしかない。とはいえ冷静な判断は出来ているようだ。

 襲い掛かったきた妖魔を斬り伏せつつも、ミックに跨りながら周囲の状況を見渡していた。

「これじゃ突破なんて無理よ。後はもう……」

 あまりにも彼我ひがの戦力差があり過ぎる。このままでは兵達の命だけではなく、イスマリア皇女の身も危ない。彼女の身柄を奪われてしまうのは時間の問題だ。

 眼下では姫君を守る兵達の火薬玉が底を尽き、たった一振りの短剣を武器に妖魔の攻撃を必死なまでの形相で凌いでいる。

 もはや私の魔法で切り抜けられるものではなく、残された手段はただ一つだけになったようだ。イスマリア皇女の身が危うくなるかもしれないが、ここは冷酷なまでの追撃者達を殲滅させるしか切り抜ける道がない。

「ミック、ちょっといつまで触ってんのよ、このバカ、スケベ! こうなったら“武甲聖装”するしかないわ。ち、ちょっと何すんのよ、捲っちゃやだ! もういい加減にしてよねっ!」

 聖騎士と呼ばれし者だけが秘める大いなる力を、今ここで使うときが訪れたのだ。

 ミックの尾を手で払い除け、お尻の半分まで捲れた下着を戻すと胸元を飾るペンダントを握り締めると紅いクリスタルが輝きだす。

 だが――!!

『コリャ、お前達! はよ意識を集中させんかっ!』

「わ、分かってるわよ!」

「あ~~ぁ、こんニャ触り放題ニャんて、もう二度とニャいかもしれニャいのに……」

『この馬鹿もんがっ! そんなに触りたいのなら、尻でも胸じゃろうが後で幾らでも好きなだけ触ればいいじゃろっ!』

「なっ、なんですって!! あ……ぁぁ……そうだ、お前はあの時も!」

 真紅のクリスタルが輝きはじめたペンダントを握り締めていた最中、力を解放させようと集中させていた意識が掻き乱され、すべてのときが止まったように感じた。

 ミックを諌めた今の言葉と、不意に思い出した妖魔の襲撃を受ける直前の言葉が何故か重なっていく。

――そうよ、さっきもお前は私の……そればかりかカイン様のことまで!

 沸々と言いし難い怒りが込み上げていく。

 想いを踏み躙るような言い草だったあの時の言葉がもう我慢できない。私だけでなく、カイン王子まで侮蔑したのが許せなかった。

 この場を切り抜けられる唯一の方法は秘めた力を解放させるしか残されていないと頭では理解していても、心がそれを使いたくないと拒絶してしまう。

 そして怒りが頂点に達した時、握り締めているペンダントをゆっくりと手放していた。

「い、嫌……やっぱり私、使いたくない。絶対に、絶対にやだっ!」

 力を使う意思を失った直後から、輝きはじめたクリスタルの輝きが徐々に弱まっていく。やがて紅い光が消失し、ミックの背中に跨ったままイスマリア皇女を巡る攻防をただ上空から眺めている自分がいた。

 ほんの瞬きする間なのか、それとも100を数える以上の時間ときが経ったのかは分からない。怒りに我を忘れて少しばかり記憶が飛んでいたような気がしてしまう。

 それは思考が止まっていたと言った方が正しいのかもしれない。

「くっ! させるものかっ!」

 自分でもよく分からないまま叫び、イスマリア皇女が乗る馬車に取りつこうとする妖魔目掛けてミックの背中から飛び降りていた。

 短剣で斬りつけながら馬車の屋根に着地したのと同時にしゃがんだ姿勢のまま見上げると、肩から横腹までを切り裂いた妖魔はまだ健在だ。

 ところが棘だらけの拳を振り下ろしてくるも、馬車の揺れがここにきて幸いした。妖魔がバランスを崩した隙を見逃さず、片手で逆立つように蹴りあげると血飛沫をあげながら車体の後方へ落下していく。

 だがこれはささやかな抵抗に過ぎない。見据えた先には数多くの妖魔が魔物達を従えて追いすがろうと馬車に近づく姿があった。

「ヘスティアソヴォレ……ディリューール!! 火の精霊達に我、今ここに求めるなり。エリシフォーレへの聖道を開き、女神ウェスタリアが灯せし神火をもって不浄なる者を焼き尽くせ!」

 気がつけば今度は意識に関係なく呪文を詠唱していた。

 修練で刻み込まれた知識と技が心を無視して衝き動かしていく。

「フレイマディーーィ、ストリーーィム!」

 召喚した爆炎がうねりをあげて妖魔や魔物達だけを襲う。そして人ならざらぬ者達だけを聖なる炎が次々と飲み込み、濁流の如く荒れ狂って焼き尽くしていく。

 とはいえまだ無数の妖魔や魔物達が執拗に馬車を狙っている。

 この魔法は著しく魔力を消費する為にそう何度も放てるものではない。たとえ他の魔法で妖魔達に立ち向かっても、倒しきるまでに魔力が底をつくのは目に見えている。

 それなのに自分の秘めた本当の力を使うのを頑なに拒絶してしまう。まるで自分自身が別人のように意識が切り離された気がしてならない。

――私は今、何の為に戦っているんだろう……。

 怒りの感情だけが先走り、魔力を暴走させて無駄に消費させようとしている。

 短い刃で相手を切りつけながら魔法を放つ自分がまるで他人のようだ。身体だけが勝手に動き、心が誰もない場所ところで独りになりたがっている。

――私、こんな辛い思いをしてまでどうして戦っているんだろう? だったら、いっそのこと……。

 頭ではこの状況を分かっているのに大切な何かを思い出せない。

 ここで妖魔に殺されてもいいとさえ思ってしまうぐらいに自分でもう一人の自分を見ている。

『リアナ、何をしておる。早く武甲聖装するんじゃ! おい、どうしたんじゃ、早くせぬか!』

 しわがれた老人の声が私に聖騎士の力を使えと叫んでかす。

 何度となく呼びかけてきても応じる気にはなれない。声を聞くと心が壊れそうなぐらいに怒りが煮えたぎってくる。

「リアナァ、どうしてだよぉぉっ!」

 一つ目の禍々しい巨大な魔物と対峙しているミックが心配そうに見ていた。

 この窮地を脱する為には私とミック、それにクリスタルのペンダントが三位一体となった姿になるしか術がないのは十分に分かっている。

 しかし心を深く傷つけられてしまえば、武甲聖装などする気になんてなれない。大切にしていた想いとカイン王子を侮辱した言葉がどうしても許せず、想いを穢したペンダントと一つになりたくなかった。

「ハァ、ハァ……だ、黙れ!! 武甲聖装などしなくても、これしきの妖魔の手勢なら私の力だけでも切り抜けてみせる!」

 ペンダントが発する声を聞いているだけで、余計に意地を張って怒りに駆られてしまう。闇雲に魔法を放ち続けても、妖魔の猛追を逃れることが不可能だと分かっていながら意固地なまでの感情が暴走していく。

 頭の中が真っ白になっていくにつれ、自分が何をしているのか分からない。身体がやけに重く、息苦しさで呼吸が乱れていることだけを感じていた。

 遠くから聞こえる声や物音は何だろうか。私に何を伝えようとしているのだろう。

 いろんな声や物音が混じってよく聞き取れない。ただ、しきりに誰かが呼んでいるのが何となく分かるような気がした。

『――何を――――しておるんじゃ! 正面からくるぞ!』

 聞きなれた声の叫びが明瞭に聞き取れた途端、何かが目の前に飛び込んでくる。それが長い体毛で全身を覆った妖魔だと気がついた時、無意識のうちに身体が動く。

 鋭い針のように飛ばしてきた体毛を避けつつ、毛深い喉元から脳天へと突き刺していたらしい。自分でもよく分からないまま馬車の屋根から落ちぬように装飾の突き出しを掴んでいる。

 ペンダントの声が呼びかけていなければ、全身を針のような体毛で射抜かれていたことだろう。

「私、いったい何をして!? あ、あぁ……」

宙吊りのまま馬車の側面に何度も身体を叩かれながらも屋根に飛び乗った刹那、信じがたい光景が飛び込んでくる。大切な仲間というべき兵達が次々と壮絶な最期を迎える様が意識を瞬く間に現実へと引き戻してくる。

 死して尚、魔物に食い千切られる彼等に詫びる言葉が浮かばない。怒りや悲しみといった感情が湧かず、目の前の光景をただ見ているしかなかった。

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