表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

月夜の下で ~ Moonlit ~

 辺境の小さな町ともなると月光と民家から漏れる僅かな灯りしか辺りを照らすものがなく、遠くを見渡すと暗闇が広がって町全体を包み込んでいる。

 夜がしんしんとけていくのもあって、たった一人で誰にも見つからないように宿を抜け出した時には民家の灯りが次々と消えていき、見上げれば星々の幻想的な輝きが夜空一面に広がっていた。

 まるで自分自身が星々と一緒に静寂な闇に溶け込んでいるかのように感じてしまう。それは月明かりを頼りに宛てもなく歩いているからなのだろうか。

 静かな闇の中で川のせせらぎと虫の声が聞こえる。

 気がつけば自然が奏でる音色に導かれるまま、小さな川のたもとへと足を運んでいた。

 川面に照らされた満月が揺らいで見える。小さな波が映し出した星々の微かな光で色添えられ、何気にそれを眺めていると少しばかり心が安らぐような気がした。

「ミックったら、ヘンに気を利かしちゃったりして……」

 少しぐらいは気晴らしをしてこいと言ったミックの好意を躊躇ったもの、心の靄を少しでも晴らせるならと思って甘えることにした。

 あの時、果たしてペンダントの声が聞こえていたのだろうか。いや、馬車の中から多少なり聞こえていても、会話の内容まではっきりと聞こえていない筈。

 まさかカイン王子の事を考えながら物思いに耽ていたのが、あからさまに表情に出てしまっていたのだろうか。理由がどうであったとしても、それで私に淫らな行為をした事を反省して気を利かそうとしたのではあるまい。あんなことは今までに一度や二度ではないし、あれしきのことで態度をあらためるようなミックではないからだ。

 毎度の事ながらあの筋金入りの女好きには怒りを通り越して呆れてしまう。説教をするのもほとほと言い飽きてしまうぐらいだ。

 なのに煩悩の塊のようなミックが気を利かすなんて、何か魂胆があるのではないかと疑ってしまう。

「イスマリア様にはヘンなことは出来ないと思うし……まあ、せっかく気を遣ってもらっているのに疑うのは悪いし、クスッ♪」

 ミックの気遣いを考えていると何故か可笑しくなる。

 今はそんな過ぎたこと深く考えても仕様がない。ただ素直に感謝すればいいだけの話だ。

 それよりも大事な用を早く済まさなければならない。いざという時が訪れる前に、揺れ動く心の整理を少しでもしなければ、せっかく気を遣ってくれたミックの厚意が無駄になってしまう。

 その為にイスマリア皇女の守りを任せてまで外に出たのだ。心が乱れたままでは自分に課せられた使命が果たせそうになく、まして感情を抑えたままイスマリア皇女の護衛をするのが辛くて堪らない。

 抱え込んだ葛藤が胸を引き裂かんばかりに心を苦しめてくる。ならば今のうちに溜め込んでいた感情を吐き出せば、少しでも心が落ち着くかもしれない。

 ここなら誰も見ていないから好きなだけ泣ける。

「カイン様……貴方はいつも私に何を言おうとしていたの?」

 不意に想い人の名前が出てしまう。

 脳裏に浮かぶのは何かを言いたげな素振りを見せるカイン王子のお顔ばかり。諦めようとする燻った理性と想いを伝えたいと叫ぶ本音が私の心の中で今もせめぎあっている。

 視界がぶれて目頭が熱くなり、頬に大粒の涙が零れ落ちたのを拭おうとは思わない。たとえ拭っても溢れ出ようとする涙を堪えられない気がする。

 いや、堪えたくなかった。

「貴方が何も言わなくても、せめて……せめてお慕いしている気持ちだけでもお伝えしたい。なのに、何も言えないなんて……こんな想いをするぐらいなら、こんな家になんか生まれてこなきゃよかった。私なんか、生まれてこなきゃよかったのよ! うっ、ぅぅ……このまま諦めるなんて嫌……。好きですって、一言だけ伝えられたら私はそれで十分なの。たった一言だけなのよ。だって、仕方がないじゃない、仕様がないじゃない! 私はカイン様が好きなの、好きで堪らないんだからーーーーぁ!! う、ぅっ、ぅぅ……」

 押し出された感情のまま、その場に座り込んで顔を伏せてしまった。

 止め処もなく涙が溢れ流れてくる。声を押し殺して嗚咽している今の私は、きっと醜いまでに顔をグシャグシャにして泣いているのだろう。

 泣いて忘れることが出来るのなら、こんな楽なことはない。

 そう思わずにいられなかったその時――背後から何者かが近づいてくる気配を感じた。

 咄嗟に涙を拭って背後の気配に意識を集中させると、まるでこちらの様子を伺っているように思える。それが余計に不気味に感じてならない。

――だ、誰だ!? 一つ……いや、もう一つ小さな足音がする……妖魔か!?

 近づいてくる相手に気取られぬよう身動きをせず、意識を研ぎ澄ませて背後に気を配る。

 聞こえてくる足音は一つではない。二つの足音が歩調を合わせてゆっくりと近づいてくるのがはっきりと分かる。

 あまりにも無防備なまでに近づいてくる足音は、妖気どころか殺気すらも感じさせないばかりか、気配をまったく隠そうともしない。

――妖魔とは違う。一つは人の足音……この覚えがある感じ、いったい何者だ!?

 感じる二つの気配からして妖魔ではないのは確かだ。

 しかし誰が近寄ってくるのか分からなければ気を緩めることは出来ない。

 滲み出た冷や汗が頬を伝って落ちる。一歩ずつ雑草を踏みつけて近づいてくる足音に意識を集中させ、殺気を隠しつつ懐に忍ばせていた短剣を強く握り締めて相手の出方を窺うしかなかった。

「まあ、こんなところにいらっしゃったのですね。見つかって良かったですわ」

 語りかけてくる覚えのある声に安堵の溜め息が漏れ、短剣を懐にしまって立ち上がった。

 もう一度涙を拭って振り返るとイスマリア皇女が目の前に立っている。不安と安堵が入り混じった微笑みを浮かべ、足を止めたまま私を見つめていた。

「イ、イスマリア様、どうしてこのような場所ところに……」

 平静を装ってはいるもの、心の中で狼狽しきっていた。

 一番見られたくない人に泣いていた自分を見られたと思うと羞恥を煽られてしまう。たとえ泣き顔を見られていなかったとしても、嗚咽して肩を揺らしている後ろ姿を見られたのは間違いない。なぜだか恥ずかしさよりも、悔しさの方がより一層込み上げてくる。

「リアナ様がなかなかお部屋へお戻りになられないものですから、心配で町の中を探しておりましたの」

「お一人で宿の外に出られるなんて、貴女の御身に何かあってはどうされるのです。それに……」

「大丈夫ですわ。お喋りをされるこの猫ちゃんもご一緒ですから」

 諫める私の言葉を遮って、イスマリア皇女は自分の足元に視線を向けた。

 そこに視線を向けると、膝下まである彼女のスカートの中を覗き込もうとしているミックの厭らしい表情がある。

「ミック!!」

 咄嗟に声を荒げて叫んでしまった。大きな怒声でイスマリア皇女の肩がピクリと跳ねる。

 驚かせたことは申し分けなく思っても、これは彼女の純潔を守る為だ。そのまま放っておけばミックが調子に乗ってしまう。

 これ以上大胆なことをさせてしまえば、どうなるか分かったものではない。ふくよかな胸に飛びつくことだって考えられるからこそ、ここでミックの暴走を阻止するには仕方がないことだ。

「あ、あのぉ……猫ちゃんをあまり怒らないでやって下さい。私が無理に言って外へ出してもらったのですから」

 ミックがイスマリア皇女のスカートの中を覗こうとしたのを怒ったのだが、彼女は勘違いしているようだ。

 ミックがここへ連れて来たのを庇うつもりなのだろう。イスマリア皇女の申し訳なさそうな表情がそれを物語っている。

 とりあえずこの状況をまったく気がついていなかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。どうやらこのお方には淫らな視線に嫌悪を感じとるという女性としての防衛本能が欠けているようだ。

「い、いえ……あ、あの、そうではなくて……つまり、そのぉ……」

 ミックがスカートの中を覗こうとしているなんて、純真な心を持っておられるであろうイスマリア皇女に言えずに口篭もってしまう。

 この姫君は男性が女性に対して下心を持っているなど、知らないように思えてしまうだけに叱った理由をどうしても言えない。まして喋る猫が如何わしい気持ちでスカートの中を覗こうとしていたなどと言ってしまえば最後――。おそらく相当なショックを受けてしまわれることだろう。

 事実を悟らせないように説明する言葉が見つからずに苛立ちばかりが募る。

 どう言えばいいのかまったく分からない。してやったり顔のミックの笑みを見ていると余計に腹が立ってしまい、つい鋭い目つきで射抜くように睨みつけてしまう。

 ところが厭らしい表情を剥き出しにしているこの煩悩の塊には、些かも効果がなかったようだ。現に反省するどころか困り果てる私を尻目に、地面を這うような姿勢で下品な顔をスカートの裾の中へと近づけていく。

「無理を言ったわたくしが悪いのです。どうか猫ちゃんを、もう許してやって下さいませんか?」

 一方のイスマリア皇女は、自分を連れ出したことで叱られると表情が沈み込んでしまわれた。

 涙目で訴えられては、気まずい空気が重く圧し掛かってくるように感じてしまう。

 もはやこの誤解を解くには、銀毛の猫の姿をしたこの色魔を退散させるしかない。

――このドスケベがっ!

 呟くように呪文の詠唱をしながら指先に魔力を込めると、それを察してミックが必死な形相を浮かべて一目散に走って逃げていく。

 イスマリア皇女はこの状況を理解できず、何事かとキョトンとした表情で私とミックが逃げた先を交互に見ている。

 私の考えが甘かった。

 どうやらミックがイスマリア皇女の法力に気圧されて近づけないとばかりに思い込んでしまっていたようだ。神聖獣とは思えないあの煩悩の塊は、清らかで強い法力の壁さえもいとも簡単に突破してしまうものらしい。

 明日からはミックを馬車の中に入れるのは止めよう。ある意味で彼女の身に危険が増すだけだ。

 こんな如何わしい事を当の本人に知られるわけにはいかない。

「猫ちゃん、どうされましたの?」

 イスマリア皇女が不思議そうに尋ねてきたのは、突然いなくなったミックが気になったからであろう。

 それよりも猫が人の言葉を喋ってよく驚かなかったものだ。同時に温室育ちの姫君は、それを些かも不思議に思わないのかと呆れてしまった。

 おそらく幼子のように純粋で無垢な性格なのだろう。

 ならば余計にミックが下着を覗こうとしていたなんて教えられない。この事が万が一にでも厳格な父の耳に届いてしまえば大変なことになる。

 あの年中発情猫にはいい薬になるかもしれないが、ハッキリ言ってとばっちりは勘弁して欲しい。

「まあ、そのぉ……それよりもイスマリア様、いつまでもここにいるのは危険です。とにかく宿に戻りましょう」

「は、はぁ……」

 状況が未だに飲み込めずにいるイスマリア皇女は、まだ困惑した表情を浮かべながらも私について来る。多少強引だったかもしれないが、世間知らずの姫君には下手な誤魔化しでも通用したようだ。

 今まで周囲に何も異変がなかったのを幸いにと思いながらも、宿がある方へ足を向ける。

 本当なら連れ立って歩きたくなかった。

 だが私の役目を考えればそれは許されない。

 それなのに彼女は私の横顔を時折チラリと見て、何かを言いたげな微笑みを浮かべている。

 やはり泣いていた姿を見られていたのだろうか。

 イスマリア皇女のもどかしそうな表情からして、どうして泣いていたのかと聞きたい素振りに見えてしまう。たとえ一部始終を見られていたとしても、そんな事を言えるわけがない。

――貴女にだけは、貴女にだけは……口が裂けても言えるものかっ!!

 時折向けられる視線に気がつかぬふりをしていても、羞恥を煽られているように感じた心が叫ぶ。

 城の外のことを何も知らないまま性格どころか顔すら見たこともないひとの下へ嫁がなければならない身の上には同情しても、イスマリア皇女の何か言いたげな表情が私を哀れんでいるかのように見えてならない。

 それが我慢できなかった。

 何気なしに見上げると、星々が煌めく夜空が一面に広がっている。その中で一際大きく私達を照らしていた満月が雲に吸い込まれていく。

 淡く照らす月明かりが何とも幻想的だ。草花の爽やかな香りが風に乗って漂い、不思議と苛立った心が落ち着いていく。

 こんな風に誰かと一緒に夜空を見上げるのは何時以来だったのだろう。思い出の中には誰の姿も浮かばない。肉親とさえ夜空を穏やかに見ていた記憶がなかった。

 もしも許されるならば、カイン王子とこうして月夜の下を寄り添って歩きたい――そう思いながら夜空をしばらく眺めていた。

「こうしてお顔を見ていると、リアナ様も普通の女の子とお変わりないのですね」

 思わぬ言葉で驚いた拍子にイスマリア皇女と目が合ってしまう。

 唐突にそんなことを言われても返答の仕様がない。

 何も言えずに狼狽うろたえる私を、目の前の姫君は無邪気なまでの微笑みでじっと見つめている。その清らかなまでに澄んで美しい瞳に見つめられていると、何故か心が吸い込まれていくような気がしてしまう。

 口を開けばカイン王子に対して秘めた想いを包み隠さず、ありのまま口走ってしまいそうだ。このお方には何故か心を見透かされているような気がしてしまう。

 言葉を待ち続ける彼女から顔を背けてしまったのは、本音を喋ってしまうのが怖かっただけなのかもしれない。

わたくし、何か変なことを言ったのでしょうか?」

「い、いえ……け、決して、そのようなことは……」

 振り向くとイスマリア皇女は不思議そうに小首をかしげてまだ見つめていた。

 彼女にとっては何気もない言葉でも胸に深く突き刺さる。濁りのない瞳の前では心を偽ることが出来ず、ただ言葉を濁すしかなかった。

 そして僅かな沈黙の後、小さな溜め息を吐いた姫君の足が止まる。真剣な眼差しを向けてきたかと思えば、急に悲しげな表情に変わっていく。何かを決意したかのようなその瞳が私の足までも止めてしまう。

「どうかなされたのですか?」

「いえ、わたくしではなく、リアナ様のことが少し気になって……」

「――えっ!?」

 立ち止まった理由わけを訊ねて返ってきた言葉はあまりにも衝撃が強すぎた。

 今から何を言い出すのだろうと意識するあまりに、怖気がこの場から逃げだそうと訴える。だが足が地に根を生やしたかのように一歩も動かず、悲しげで真っ直ぐな瞳が私の心を掴んで逃がさない。

「なんだか随分とご無理をなさっているように見えますわ。毅然となされているリアナ様は大変凛々しくて頼もしいのですが、何故か本当のご自分を隠してらっしゃるような……。わたくしにはそのように感じてなりません」

「な、何を言われるのです! そんなことはありません! 私は物心がつく前からこのように育てられました。ですから、辛いと思ったことは一度もありません。むしろイスマリア様の方が今までお辛いことが多々あったのではないでしょうか?」

 あの事を言われる前に話を逸らそうと咄嗟に言葉を並べた。

 イスマリア皇女もまた私と同じように自由を奪われた身。それが自分と何となく重なってしまう。

 だからこそお仕えするカイン王子の妃となられるお方に対し、無礼を承知で今まで同情していた気持ちをありのまま伝えた。

わたくしが、ですか……?」

 自分がそのように思われていたのが意外に思ったのだろうか。

 悲しげだったイスマリア皇女の表情が困惑の色に染まっていく。次の言葉が思い浮かばず、自分の気持ちをどう表現したらいいのか分からないといったご様子だ。

「はい、イスマリア様は城内から一度も外へ出られたことがないとお聞きしています。私にはそんな窮屈な生活など、到底耐えられたものではありません。まるで何処かにずっと閉じ込められているように感じてしまいます。あっ……すみません、どうかご無礼な発言をお許し下さい」

「いえ、構いませんわ。お気になさらないで下さい。確かにずっとお城の外を憧れていました。でも、こうして念願叶ったわけですから、これ以上の贅沢はありません」

「初めて外に出られたのが、顔も知らない相手に嫁ぐ為なのに……ですか?」

「ええ、それが私の運命であり、幸せでもあるです。ですからお会いするのが楽しみでなりませんわ」

 私には到底考えられないことを、このお方は恥ずかし気もなく頬を赤らめて言ってのける。

 まるで恋を夢見る少女みたいだ。聞いているこちらが気恥ずかしくなってくる。

 誰かをまだ好きになったことがないからこそ、こんな言葉を平然と言えるのだろう。

 おそらくイスマリア皇女は一度も恋をなされていない筈だ。そうでも思わなければ、こんな会話に付き合っていられない。

 相手の事をよく知って理解し、そこでようやく初めて好きになれるものだと私は思う。良い所、悪い所、それをひっくるめて好きになるのが自然な人の愛し方なのだろうと……。

 果たして、顔すら見たこともないひとを本当に好きになれるものだろうか。

 それで本当に幸せになれるのだろうか。

 違う――!!

 人を好きになるって、そんなものではない。それでは私のカイン王子への想いが否定されたようなものだ。

「そうでしょうか。人は分かり合ってこそ、お互いに思いやる気持ちが生まれ、やがて相手を愛しむものだと私は思っています。まして顔も知らぬ相手に恋慕の情など、果たして生まれるものなのでしょうか?」

 運命の糸がそんなものであってたまるかと思うあまり、反論せずにはいられなかった。

 それはイスマリア皇女への嫉妬なのか、それとも純粋にカイン王子を想って出た言葉なのかはよく分からない。

 ただ、私の言った事の方が正しいと断言できる。

 血筋や家柄などのしがらみで、見知らぬ相手に嫁ぐのは女性としてはとても不幸なことだ。それを疑わずに幸せを感じるなど、異性を心底好きになったことがない証拠ではないのか。

 そう思っていた私の手を、ゆっくりと首を何度か横に振ったイスマリア皇女がそっと握り締めてくる。

「それは人それぞれですわ。リアナ様……貴女は今、恋をなさっているみたいですわね」

「――なっ!?」

 やはり、先ほどの事は見られていたようだ。

 私の気持ちに気がついているような素振りをまったく見せていなくても、あまりにも衝撃的な発言に胸が締めつけられて言葉が出ない。泣いていた姿を見ていなければ今の言葉は出てこない筈だと思うあまり、心臓が激しく鼓動して意識をかき乱していく。

「それも身近な殿方のようですわね。どのような方なのかしら? リアナ様がお好きになられる方でしたら、きっと素敵な殿方なのでしょうね。是非お会いしてみたいものですわ」

 まるでカイン王子をお慕いしている事を指摘しているような口ぶりに、顔がみるみると赤く火照っていくのを感じてしまう。

 全身の血液が沸騰しているのではないかと錯覚するぐらいに身体中が熱く感じ、心臓が今にも破裂するかのように激しく脈打って私を責めたてる。

 もう何かを考えることさえ覚束ない。歩いているのか、それとも立ち止まっているのか、それすらも分からなくなってしまっていた。

 すると突然、イスマリア皇女が握り締める私の手をギュッと強く握り直してくる。

「ウフフ♪ ちゃんとご自分の想いを伝えなければダメですわよ」

 悪戯っ子のような笑みを向け、誰にも打ち明けたことのないカイン王子への想いを促すようにイスマリア皇女が肩を寄せてくる。触れ合う肩の温かみが伝わり、激しく動揺する心を優しく包み込んでくれるかのようだ。

 まるで実の母親のようで姉でもあるかのような愛情を、何故かこの姫君から強く感じてしまう。

「胸が張り裂けそうなほどに好きなんでしょう。ずっと黙っているのは相手の殿方に失礼だし、とても不幸なことですわよ」

 昔話に登場するような意地悪なお姫様だったならば、どう言われようが気にもしなかっただろう。心が激しく揺さぶられることもなく、聖騎士として“心を偽った仮面”を被り続けていた筈だ。

 しかし何故かこのお方の言葉は心の奥にまで深く沁み込んでいき、幼かった頃からの呪縛を解き放そうとしてくれているようにも感じてしまう。

 いつの間にか自分の立場を忘れてしまい、恋に悩む一人の少女に戻ってしまっていた。

 それは決してイスマリア皇女の法力によって心を見透かされたわけではない。彼女が清らかな心の持ち主だからこそ、私の心がごく自然に伝わったように思える。

 ならば何もかも打ち明けてしまえば楽になれるだろう。

 このお方ならばすべてを受け止め、私が歩む道を示してくれるのではないだろうか。

 そう思う反面、やはり自分の想いを今日初めてあったひとに知られてしまうのが恥ずかしいという気持ちが掻き消えず、自分の殻に閉じこもるあまりに押し黙ってしまう。

 ましてイスマリア皇女はカイン王子の妃となられるお方だ。彼女がこれから嫁ぐひとのことを、小さな頃からずっとお慕いしていたなど言える筈もない。

「今度ゆっくりとお話を聞かせて下さいませ。わたくしはいつまでもリアナ様の味方ですから」

 その屈託のない笑みは一体どういう意味をもつのだろう。触れた肩を押し付け、私に何を言おうとしているのだろうか。

 だが、こうして手を繋ぎながら寄り添うように歩くのも悪くない。繋いだ手と触れ合う肩から伝わるイスマリア皇女の温もりが心地よく感じてしまう。昂った鼓動が落ち着いていくのが何とも不思議な感じだ。

 つい今しがたまで激しく心を揺さぶられていたのに、お互いの肩が触れ合ってからは安らぎすら感じてしまっている。

 唯一の肉親である父にさえ甘えることが許されない私にとって、もしかすればこのお方こそが心から通じ合えて偽りなく本音を語ることが出来る人ではないのだろうか。

 ふと、そんなことが頭に浮かび、しばらくこのままでいたいと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ