誓い ~ Vow ~ (エピローグ)
あの日から数日後、本物のイスマリア皇女は聖騎士デュランと父ファンヴェル達によって無事にランガーナ城へご到着なされた。私が帰還したのは、その更に5日経った後だった。
父の神聖獣はアステルベルク城を出立以前からイスマリ皇女の傍から片時も離れず、妖魔の襲撃を受けた際にはデュランが聖騎士として本来の力を十二分に発揮し、父と合流後は二人して万全な護衛体勢を築き上げたらしい。
カイン王子の妃となられるお方を襲撃してくる者達の目に触れさせることもなく、当初から予定された通りにお迎えすることができた。父の思惑通り、妖魔達の戦力を分散させた結果なのだろう。
こんな話を後から聞かされても私には関係ない。それよりも死んでいった者達を弔おうとしなかった父に憤りを感じている。
まして影姫として囮となって死んだ二人の侍女は今も行方不明として扱われたばかりか、この事実を生涯語ることを禁じられた挙句、彼女達の名を口にすることすらも禁じられたのだから納得がいく筈もない。
この事実をランガーナ王国側で知っている者は私とミックを除けば、首謀者でありながら自ら囮役を買って出た父ファンヴェルと一部の重臣達に限られている。国王やカイン王子にさえイスマリア皇女を出迎えるまで告げなかったこの行為、果たして誠の忠義だと言えるのだろうか。
王族達がこの話を耳にしてどのように思われたのかは知らない。ただカイン王子だけは妃となられるお方にも言えない立場だったが故に苦悩された筈。
私にはそれを確かめる勇気がなかった。
ただ一つだけ確かなことは、ランガーナ王国とアステルベルク皇国の創生以来から続く血の交わりを守る為だったとはいえ、影でこのような策謀を謀った父や重臣達を私は生涯許すことはないだろう。
本来ならば次期国王の妃となられるお方を無事にお迎えしたことは喜ばしいことなのかもしれない。現に出迎えた人々はカイン王子が妃を迎えることを我がことのように喜び、ランガーナ王国の更なる発展を誰もが信じて疑わない様子だった。
しかし数多くの血が流されただけではなく、闇に葬られた侍女達のことを想うと私だけは素直に喜べない。父と一緒に囮として影姫を演じさせられたもう一人の侍女の遺体が見つからなかったのだから尚更だ。
ただ一つでも救いがあるとするならば、後に発見された兵達の遺体だけでも墓地に埋葬されたこと。
そして守りきれなかった“私だけの姫君”を、アステルベルク皇国が一望できるこの場所に弔ってあげられたことぐらいだろうか。
たとえ名前を刻むことが出来なくても、目の前にある小さな墓標はせめてもの手向けであり、私なりの友情と忠義の証。そして許されざる罪を犯した償いでもある。
此処ならば俗世の嫌なものを見ることもない。眼下から故郷を見渡せ、誰にも邪魔をされることもなく静かに眠ることができるだろうと信じて……。
いや、信じているからこそ生前の可憐で美しい姿と声を感じることができるのだろう。
私の前に現れた彼女は何時かしか寄り添うように肩に触れてきた。寄り添って座っていると温かさを感じられてとても心地いい。手を繋いで夜道を歩いたあの日を思い出させてくれる。
「はい、イスマリア様も貴女とお会いしたと常々申されています。ですから妖魔との戦いが終われば必ずお連れしますので、それまで待っていて下さい」
ここへ訪れればこの姫君は必ず微笑んでくださる。
私の言葉に耳を傾け、とびっきりの無邪気な笑顔を見せてくれるのだから……。
* * *
あの日から約1年後、新たな国王が誕生した。
度重なる妖魔と他国からの侵攻でランガーナ国内は疲弊していたにも拘らず、新王カインの誕生に沸き立ってからは戦禍による傷が癒されつつあった。
私だけはこの日を複雑な気持ちで向かえ、散っていった人達のこと偲びながら城に背を向けて戦場に赴いていた。復興に勤しむ人々の間をすり抜けて王都を去った。
未だにカイン新王とお会いするのを自ら避けてろくな会話をしなかったのは、彼を想う気持ちが多少なりとも残っているのかもしれない。
だが、これは決して逃げたのではない。新たな誓いを胸に秘め、それを果たす旅立ちだ。
あの日以降から父を見る目が変わってしまい、自分の気持ちが僅かながらも徐々に変わっていくのを感じながら妖魔との決着を決意した。
そして決戦に挑む前に此処へ訪れた。名前が刻まれていない小さな墓標の前で故人の在りし日の姿を思い出すと、あの忌まわしい記憶が鮮明に蘇ってくる。
「あの日のことを思い出すのは、正直に言うと今も辛いです。ですが思い出さないように記憶を閉ざしてしまえば、貴女のことまでも忘れてしまうような気がしてなりません。だからしっかりと自分の心に刻みつけています。この記憶は生涯消えることないでしょう。私は貴女と共にこの先も生きていくつもりなのですから」
出会ってから永遠の別れまでがたった2日間であったとしても、この人は紛れもなく私だけの姫君。たとえ植えつけられた偽りの人格であっても、生涯仕えるべき主君であり友人でもある。
それだけは偽りのない私だけの確かな真実。心を素直に開いて話せる唯一無二のお人でもあるのだから、悲しい別れでも出会えてよかったと思う。
だからこそ生前にせめて一度だけでも本当の名でお呼びしたかった。可憐で美しい美貌をそのまま表現したようなお名前だからこそ、今もまだ悔やんでも悔やみきれない。
小さな墓標の中で静かに眠る姫君の本当の名前を知ったのは、婚礼の儀が執り行われるのを目前に迫った頃だった。
本物のイスマリア皇女との謁見が初めて許された日でもあったのだから、何か運命じみたものを感じてしまう。お二人の外見がまったく似ていないのに、同じ口調と仕草には正直驚かされてしまった。
もしもイスマリア皇女が私だけの姫君と重なって見えなければ、重臣達が立ち並ぶ厳かな謁見の場で彼女の死を伝えることはなかったと思う。おそらく訊ねられても心に秘めたまま今も話していない筈。
また、イスマリア皇女が周囲の者達すべてを謁見の場から外して二人っきりにしてくれたのは、決して語ってはいけない真実を口にした私に対しての心遣いだったのかもしれない。
公の場で口外した責任までも代わりにとると仰られても、道中に何があったのか知りたいと申された時はさすがに躊躇ってしまった。
すべてを語るにはアステルベルク城を出発してから今生の別れを迎えるまでのこと、そして私が幼き日からカイン様を慕っていたことまでも話さなければならない。
涙ながらに跪つく姫君に真実を知る権利があるとは思っても、自分の心を丸裸にしてしまうのがとても辛かった。何度も懇願して訊ねてくるお姿を前に事実をありのままに伝えたのは、紫がかった髪から漂う香りと手を差し伸べてくださった時に感じた温もりに今は亡き人の面影を感じたからなのかもしれない。
この複雑な胸の内までも察してくださったからこそ黙っていられなかった。
あの日の前夜に手を繋ぎながら肩を寄せ合った時の温もりと香り、そして優しさを思い出しながら語るのに、涙を流さずに辛い気持ちを堪えることなど出来る筈もなかった。
「あの涙を見ればイスマリア様が心から仰られていた事がすぐに分かりましたし、お二人の絆を強く感じたんですもの。もしも貴女とお会いしていなければ、私達の関係は今とまったく違ったものになっていたかもしれません。だから私達を繋いでくれた貴女の為にも、私はイスマリア様をお守りする為ならいつだって命を賭けられます。だって私にこれからは“お友達”になりましょうって仰ってくれたんですもの」
故人が記憶をすべて失ってしまうのを承知で自ら望んで影姫になった真実をイスマリア皇女が教えてくださったのは、安らかに眠るこのお方を通じて私達の心が繋がったからだと思いたい。仕える主であるのと同時に大切な友人を守りたいというその気持ちを感じたのだからそう信じている。
お二人は主従である前に心通わせた親友でもあったのだ。だからこそ心底嘆き悲しまれるイスマリア皇女のお姿を前にして、あの日の忌まわしい光景を思い出しながら語るのは胸を引き裂かれてしまうように感じた。
イスマリア皇女が泣き崩れるお姿を目の当たりにしてしまえば、溢れ流れる涙を抑えることなど堪えようがない。手渡した遺髪を胸に抱きしめながらお顔を伏せたまま深い悲しみに包まれて嘆かれるお姿を、ただ黙って見つめているしかなかった。
* * *
「そうそう、今日はご報告もあって来たんです。イスマリア様がご懐妊なされたんですよ。それで私が王妃のお守りを一任される事になったんです。とは言っても妖魔との戦いが終えてからの話なんですけどね。ですから戦いが終わったらイスマリア様から離れることは二度とないでしょう。ウフフ、そんな不安そうなお顔をなさらないで下さい。イスマリア様を生涯お守りするという貴女に誓った言葉を忘れてはいませんし、もう二度と同じ過ちを繰り返したりしません。私だって少しぐらいは成長しているんですから。それでちょっと思ったんです。もしもイスマリア様のお腹の赤ちゃんが、男の子ではなく女の子だったら……」
あの夜と同じように肩を寄せ合って手を繋いで歩けるのであれば、イスマリア王妃のお腹の中にいる赤子が“私だけの姫君”の生まれ変わりであって欲しいと願った。
もしもその願いが叶うのなら、この姫君が最後に願ったもう一つの望みも叶えられるかもしれない。
二人がそれぞれに願った想いが叶えられる日が訪れるのであれば、私はそこでようやく過去をふり返ることもなく、未来だけを見据えて歩むことが出来るだろう。
「その時はまたあの夜と同じように手を繋いで歩きましょう。いいですよね? では、そろそろ行ってきます」
名が刻まれていない小さな墓標を離れ、山道を降りながら振り返ってみると、微笑む姫君が見送って下さっている。
今生の別れの間際、この腕の中で懸命に伝えようとして 声にならなかった“私の分まで生きて!”という言葉と共に……。
だから必ず生きて帰ってこよう
ナスターシャという名の私だけの姫君の想いと共に……
‐THE END‐
この物語を書き始める際、年頃の女の子が底知れぬ力を秘めていながらも、いろんな事に思い悩みながら成長していくというコンセプトから始めました。
そこから今回のテーマを幾つか散りばめ、最終的に仕上がったのが今の形です。
本来ならサブエピソードとしてのプロットだったのが何故このようになってしまったのかと言えば、本筋を描く前にリアナがどういった心情で戦いに身を投じているのかを読んでくださる皆様方に感じて欲しかったという私の自己満足があったからなのかもしれません。
第2章からはエピローグにあった回想を経て物語は進み、ナスターシャの死を乗り越えられぬリアナの生き様と、彼女に関わる者達が絡んでゆくことになるでしょう。
もちろん今回は出番が無かった他の聖騎士やカイン王子が登場し、本物のイスマリア皇女も物語に深く関わってきます。
あとミック以外の神聖獣達も個性豊かの面々が揃っていますのでどうかお楽しみに。
これは余談になってしまいますが、第2章以降の文章は三人称に変更となります。
今回だけ一人称にした理由は、先程に述べた通りです。
これこそ私の身勝手であり、また“独りよがりの真骨頂”ともいうべきものでしょうか。
さて、今回こちらへ投稿するにあたり加筆や修正を施してみたのですが、実際のところまだ満足に仕上がっていません。
主人公リアナの心情を重点に置いた結果、物語全体が間延びしたように私自身が感じているからです。
その結果、このような文章になってしまいました。
文章を三人称にして幼少の頃から物語が順に進んでいく方法も考えましたが、リアナが冒頭で過去を振り返って現代に戻るというスタンスをどうしても変更したくなかったからであり、これこそ繰り返し申し上げますが“作者の独りよがり”というものなんでしょうね。
ですからこれを今後の課題として、続編に活かしていきたいと思います。
ただ現在連載中の作品を執筆中ですので、第2章開始はしばらくお待ち下さい。
勝手な事で申し訳ありませんが、いずれ残した複線を徐々に紐解いてまいります。
約1年という月日を要して今の形になったこの物語が、一人でも何かを感じてくれたら作者冥利に尽きることでしょう。
拙い文章を最後まで読んで下さった方には心からお礼申し上げます。