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愛も変わらぬ地球人  作者: 沖 元道
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第五話 牧場を経営する男

「これで完了だ。みんな、ご苦労様」山川陽平は、牛舎の屋根の上から地上にいる従業員たちに声をかけた。

「社長、気を付けてくださいね」

 従業員たちが見守る中、陽平は屋根に掛けた梯子を下りてきた。

「今回の台風はひどかったけれど、屋根の一部が壊れたくらいで済んで助かったよ」

「牛たちには被害がなかったので、良かったですね」

 陽平は、社長室に戻って冷えた麦茶をコップ一杯飲みほしてから、パソコンの画面でニュースを確認した。

〈東京の巨大ドームの事故で行方不明になっていた二人が無事見つかりました〉

 陽平は、その二人の顔写真を見た。

――古賀咲良さんが無事でよかった。


 咲良が東京に戻って二週間後。

 咲良は、友人の由利と二人で高層ビルの最上階のレストランで食事をしている。

「咲良が東京を離れて田舎で暮らす決意をしたなんて、信じられないわ」

「私もこれまでは考えたこともなかった……東京を離れるなんて……」

「あの事故がきっかけなんでしょう?」

「そう……」

「一言では言えないでしょうけれど……いろいろと考えが変わったのね?」

「科学技術のおかげで生活が便利になっても、人間って、何千年も前と比べて何も変わっていない、と思うようになったの」

「そうかしら? 大昔の人に比べたら、いろいろな知識も増えているし、頭もよくなっているし、心も豊かになっているんじゃない?」

「でも、美味しいものは美味しいと思い、楽しいときは笑い、悲しいときは涙を流す……そういう点では、何も変わっていないと思うの」

「そうかしら……」

 咲良は少しうつむいて考えてから、再び顔を上げて話し始めた。

「それに、私自身が大切なものを忘れかけていたの……」

「どういうこと?」

「私、恋愛に臆病だったから……」

「そうかもしれないけれど、いい男を見つけるなら、やっぱり東京の方が有利なんじゃない? それに、不便な田舎で暮らしていくことに不安はないの?」

「私も少し不安だわ……でも、それを乗り越えないと何もできないし、何も変われない……」

「咲良の話じゃ、人は何千年も前から変わっていないのだから、咲良も無理して自分を変えなくていいんじゃないの?」

「一人の人間としては、生まれてから死ぬまでの間に成長して変わろうと思うものでしょう? そして、そう思うこと自体は、昔も今も変わってないのでしょうね」

「本当に大丈夫?」

「たぶん……」


 二人の会話を近くのテーブルからじっと聞いている一人の若者がいた。咲良が三日間を共に過ごしたキミワロン人と同一人だが、容姿は別人に変わっている。

 キミワロン人は心の中でつぶやいた。

――地球人たちがこだわり続けている愛にはどれほど大きな意味があるのか……調べてみる価値はあると思うが、調査は簡単ではないのかもしれない……。


 その数日後。

 勤め先に長期休暇の申請をした咲良は、自宅のマンションの部屋を片づけてから、旅行用の荷物を詰め込んだ鞄を持って玄関に向かった。

 その様子を見ていた同居しているAIロボットが声をかけた。

「咲良さん、お忘れ物です」

「あら、何?」

「私の目をネックレスにつけ忘れています」

「あなたの目はもう要らないわ」

「どうしてですか? 咲良さんが見聞きした情報を正確に記憶して、それに基づいた判断を適切に行なうためには、私の目を首から下げておく必要があると思います」

「そうね。今まではそうだったわ。でも、これからは、私が私の目で見て、私の気持ちで判断するわ。だから、もう結構」

「そうですか……気をつけていってらっしゃい」

 ロボットの心配そうな声を背中で聞きながら、咲良は玄関の扉を閉めて出かけた。


 自宅の高層マンションから出て歩いている咲良の姿を、キミワロン人が近くから見ている。

――古賀咲良は東京から去り、田舎で暮らす決意をしたようだ。人の少ない田舎では、気づかれないように調査を続けるのは難しいかもしれない。どうするか……。

 キミワロン人が頭の中で話しかけると、別の声が返ってきた。

――地球人の愛について調査を継続したいと強く申し出たのは君だ。調査対象は古賀咲良をメインとしたいと言ったのも君だ。簡単に諦めるな。

――人が多い東京なら目立たないが、どのような姿に変えても、田舎では目立ってしまう。

――では、人ではなく犬の姿が良いのではないか? 昔から犬は地球人と身近で親しく暮らしている。犬の姿なら田舎でも目立たないだろう。

――犬だって?

――そうだ。古賀咲良の飼い犬になれば、身近にいながら調査を続けることができるだろう。

――飼い犬に化けるなんてことを、本当にやれというのか?

――任務を遂行するために必要なことは何でもやってもらうしかない。古賀咲良が好みそうな犬種のデータを送っておく。犬は長い歴史の中で、人間に可愛がられるための要素を完璧なまでに身につけているから、君もその要素をしっかりと身につけてくれ。

――犬か……面白いアイディアかもしれない。分かった、やってみるよ。我々にとって重要な調査だからな。

――古賀咲良に可愛がられる犬になりきって、彼女を調査の中心としつつ、可能な限り広範囲で地球人たちの愛というものを調べてくれ。成功を祈る。

――了解。

――定期的な報告も頼む。

――了解。



「山川社長。当牧場への就職希望者が来ていますが……」

 社長室にやってきた従業員に声をかけられた陽平は、机で書類を見ていた顔を上げて言った。

「今日は就職希望者が来る予定はなかったと思うが?」

「はい、事前の予約なしに来たと言ってます」

「事前にオンラインで履歴書や志望動機を記入してください、と言って、一度帰ってもらってくれ。単なる旅行気分で来られても困るからな」

「はい、そう言ったのですが、山川社長とは昔からの知合いだと言って、是非会いたいと言ってます。古賀さんという女性ですが。どうしましょうか」

「古賀さん?」陽平は驚いた表情をした。「じゃあ、応接室に通しておいて。五分ほどしたら行くから」

「分かりました」

 陽平は、机の上の書類を片づけて、五分後に応接室に向かった。

「山川君、ご無沙汰してます」古賀咲良は、応接室に入ってきた山川陽平を見て、笑顔で挨拶をした。

「古賀さん、久しぶりだね。どうしたの?」

「山川君の牧場で雇ってもらいたくて来ました」

「それは冗談?」陽平は笑顔だが、信じられないという表情だ。

「本気よ。採用面接で志望動機を聞いてもらいたいわ」

「どうして事前にオンラインで応募してくれなかったの?」

「そんなことしたら、事前審査で落とされるかもしれないから、そうならないように直接来ました」

「なるほど……エリート官僚の古賀さんが本気で牧場の仕事に応募するとは思えないからね」

「そういう訳なので、これから採用面接をお願いします」

「採用面接か……それは止めよう」

「えっ? どうして? せっかく来たのに、門前払いなの?」

「いや、頭の良い古賀さんの話を聞いたら、僕は納得して採用してしまうだろうから、採用面接はあまり意味がない」

「じゃあ、面接なしで採用?」

「いや、採用しても、後で嫌になって辞めるときも、辞める理由に説得力があって納得してしまうだろうから、採用というわけにはいかない」

「信頼されていないわね」咲良は不満そうな表情だ。

「言葉じゃ信頼できないから、行動で示してもらえれば良いよ」

「どうすれば?」

「二週間くらいアルバイトでやってみてよ。アルバイト料は払うから。正社員になりたいかどうかは、その後で決めてよ」

「分かったわ」

「でも、今の仕事は大丈夫なの?」

「一か月の長期休暇を取ってあるから大丈夫」

 陽平はそれまでの笑顔から急に真面目な表情に変わって言った。

「東京での大事故はニュースで知っているよ。古賀さんがその事故に巻き込まれたけれど、無事に東京に戻ったということもニュースで知ったよ。いろいろと大変だったんだろうね」

「そう……とても一言では言えないくらい、いろいろなことがあったわ」

「本当に無事で良かった」

「ありがとう……」

 しばらく二人は無言で見つめ合っていたが、陽平は再び笑顔に戻り大きな声で言った。

「その話はまた今度ゆっくりと聞かせてもらいたいけれど、牧場の話に戻るね。言っておくけど、牧場の仕事は遠くから想像しているほど楽じゃないし、きつい仕事や汚い仕事もあるけど、覚悟はできている?」

「一応の覚悟はできているけれど、でも、やってみなければ分からないことも多いと思う。だから、一番きつい仕事をさせてみて。それで自分ができそうかどうか、耐えられそうかどうか、判断してみるから」咲良は真面目な表情で答えた。

「じゃあ、一番きついということじゃなく、普通の毎日の仕事を一つ一つ経験してもらうことにするよ」

「何でもやらせて。何でもやってみせるから!」咲良は笑顔で大きな声で言った。


 咲良にとって、これまでの東京での生活とは全く異なる日々が始まった。

 咲良は朝早く起き、牛舎の干し草や糞尿の片付けから始め、牛のブラッシングや搾乳、草地への牛の移動など、牧場での仕事を先輩従業員たちに付き添われながら行なった。

 慣れない場所での慣れない仕事であり、これまで肉体労働をしたことのない咲良にとっては、骨の折れる非常にきつい仕事であった。

 咲良は、数日後、陽平に尋ねた。

「どうして、機械化をもっと進めないの?」

「牛は生き物だから、僕たち人間が触れて可愛がることで、健康が保たれて乳の出も良くなるんだ」

「そうなの?」

「人間だって、人間と触れあうのは楽しいけれど、AIロボットと触れあっていても楽しくないだろう?」

「えっ? まあ、それはそうね……」

 ある日、咲良は牛舎で干し草と糞尿の片付けをしている最中に転んで、手や顔に汚物が付き、大声で叫んだ。

「きゃあ、汚い。臭い!」

「はっはっはっ。咲良さん、大丈夫ですか?」一緒にいた従業員が笑った。

「大丈夫です――」咲良は急に真面目な表情に戻り言った。そして立ち上がって、片付けの仕事を続けた。

 別の日には、牛を連れて草地へ移動中に、急に脇へ逸れた大きな牛に押されて咲良は転び、膝を地面の石に強くぶつけて叫んだ。

「痛い!」咲良はズボンを上げて膝を見て、もう一度叫んだ。「ああ、血が出ている!」

「大丈夫ですか? 牛は気まぐれですから気をつけて」一緒にいた従業員が心配そうな表情で言った。

「そうですよね。人間だって気まぐれなことをしますからね」咲良は膝をさすりながら立ち上がり、痛さをこらえて笑顔に戻り、牛たちと再び歩き始めた。

 ある日、草地でのんびりと牧草を食んでいる牛たちを眺めながら、咲良は陽平に言った。

「自然と向き合って必死に生きていくというのが、人間の何千年も前からの暮らしなのよね。その中で、相も変わらず、嬉しいことがあれば笑い、悲しいことがあれば泣き、周りの人と励まし合ったり、喧嘩したり、人間って、そういうものなのよね」

「古賀さんがそういうしみじみとしたことを言うとは、思ってもいなかったので、何と答えたらいいか……」

「私だって人間よ。ロボットじゃない」

「そりゃそうさ。ロボットじゃない」

 咲良は一瞬黙ってから、大声で叫んだ。

「わぁー!」

 その声を聞いて牛たちが驚いて鳴き声を上げた。

「驚いた。どうしたの?」陽平も驚いた表情だ。

「ごめんなさい。つい、叫びたくなってしまって……」

 咲良の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 一か月のアルバイト生活の後、咲良は生活産業省を退職し、牧場で正式に働き始めることになった――。


「あら、可愛い犬ね。どこから来たのかしら?」

 咲良が牧場で正式に働き始めた日の午後、一匹の犬が牧場にやって来た。大型犬にしてはやや小さめな体型で、ゴールデンレトリーバーとダックスフンドのミックスのような容姿だ。首輪はしていないが、どこかで飼われていた犬が迷い込んできたに違いない、と咲良は思った。

「飼い主が見つかるまで、預かっておいていいかしら? とても可愛い顔をしているし、性格も良さそう」

 咲良がそう言うと、陽平も同意した。

「賢そうな犬だね。きっと誰かが探しているだろうから、大事に預かろう」

 その犬は、嬉しそうな表情で尻尾を振った。

 咲良は犬の頭を優しくなでながら声をかけた。「お腹すいている?」

 犬はペロリと舌なめずりをした。

「待ってて」咲良はそう言うと、家の中に駆け込んだ。

 咲良が、昼食の残りものを鍋に入れて持ってきて、犬の前に置いた。「さあ、食べて」

 犬は勢いよく尻尾を振り、嬉しそうに食べ始めた。


 咲良が山川牧場の正式な社員となってから三か月余り経った二月の中旬。

 咲良の兄の古賀喜世志が山川牧場にやって来た。喜世志は、妹の咲良が山川陽平の牧場で働いていることはすでに知っている。

 喜世志はいつも笑顔だが、この日は特に嬉しそうな表情をしている。

「実はね、結婚することになった」喜世志は陽平と咲良に向かって言った。

 喜世志の言葉を聞いて、咲良は笑顔で大きな声で言った。

「おめでとう! 相手は誰?」

「田舎町の駅前で食堂を経営している女性だ」

「旅の途中で知り合ったのね?」

「もともとは、その食堂を経営していた彼女の両親と付合いがあってね」

「その方は何歳? お名前は?」

「玲子さんという名前で、年は三十四。伸也君という男の子がいる」

「一度離婚した人なの?」

「そう。しっかりとした女性で、息子の伸也君もとても良い子だ」

「どういうことで親しくなったの?」

「玲子さんが離婚して、伸也君を連れて東京から実家に戻ってきた日に、たまたま僕もその食堂に立ち寄っていた。そうしたら、伸也君が一人で外に出て行方不明になってしまったんだ。それで、僕も一緒に伸也君を探すことになったんだ」

「すぐに見つかったの?」

「いや、日が落ちて薄暗くなって警察に連絡しようかと思い始めた頃、もう一度僕が一人で近くの公園に行ったら、男の子がブランコに乗ってうつむいていた……」

「伸也君だったの?」

「そう。僕が、伸也君、と声をかけると、寂しそうな表情で僕の顔を見た。家に帰ろうかと声をかけても、何も答えずまたうつむいて黙ったままだったので、隣のブランコに腰掛けて話しかけた……」

 その時の様子を喜世志は詳しく語り始めた。


 夕陽も落ちて薄暗くなった公園のブランコに並んで腰掛けた喜世志は伸也に話しかけた。

「今日はどこに行ってたの?」

「いろんなところ……」

「そうかい、ここらへんは自然が多いから、東京から来ると珍しいだろう?」

「……」

「そろそろ家に帰ろうか」

「僕の家は東京だから……」

「ああ、そうか。じゃあ、おじいちゃんの家に行こう。みんな心配しているよ」

「お母さん、怒ってると思うから……」

「怒ってないよ、伸也君のことを心配してずっと探し回っているよ」

「……」

 そこへ玲子がやって来た。

「伸也!」

 玲子が大きな声を出して走り寄ってきた。

「ああ、良かった。ここにいたの……」

 伸也が座っているブランコの前に立った玲子の目には、うっすらと涙が滲んでいる。

「古賀さん、ありがとうございました。古賀さんが見つけてくれたんですね」

「たまたまここで見かけて……良かったですね」

 玲子は再び伸也に向かって尋ねた。

「どこに行ってたの?」

「……」

 黙っている伸也の代わりに、喜世志が玲子に言った。

「どうもいろいろと探検していたらしいですよ。ここら辺は自然が多くて、探検すると楽しいですからね。でも、お母さんに何も言わずに出かけたから、お母さんが怒っているんじゃないかと、このブランコに座って一人で悩んでいたようですね」

「そうですか……」

 玲子は伸也に手を差し伸ばして言った。

「じゃあ、一緒に帰ろう。おじいちゃんもとても心配しているから……」

 伸也は黙って立ち上がり、母の手を握った。

「ごめんなさい……」伸也はうつむいたまま謝った。

「分かったわ……」玲子の目には涙が溜まっている。

 玲子は伸也の手をしっかりと握って歩き出した。


 喜世志の手柄話をじっと聞いていた陽平と咲良に、喜世志は言った。

「そんなことがあってね。本当はその日のうちに旅立つ予定だったけれど、玲子さんや玲子さんの父親からも、明日まで泊っていって、と言われて、もう一泊することにしたんだ」

「そうだったの。それからどうなったの?」

「その日の夜、伸也君が寝た後で、玲子さんとお父さんと三人で夜遅くまで話し込んだ。その中で、玲子さんがとても素晴らしい人で、でも、とても不安な気持ちでいる、ということが分かった。僕に力になれることがあれば言ってください、と言ってみた」

「それで?」

「玲子さんは、ありがとうございます、とだけ言って、何かして欲しい、ということは言わなかったけれど、お父さんが、しばらく伸也君の話し相手になってくれないか、と言うんだ。僕は全国を回っていろいろなことを知っているだろうから、いろいろな話をして伸也君の気持ちを奮い立たせてくれないか、と頼まれた」

「お兄ちゃんは、いろいろなことを知っているからね」

「そんなことならお安い御用です、と答えた。玲子さんも、お願いします、と言ってくれた」

「そうなんだ。玲子さんもお兄ちゃんのことを信頼したんだね」

「翌日から、僕の体験談を信也君に話し始めた。最初は、一週間くらいで旅立とうと思っていたけれど、一週間たったところで、玲子さんから、もっと居て欲しいと頼まれた。伸也君が随意分と元気になったようだったからね。それで、もう少し居ようと思って、しばらく一緒に暮らした」

「しばらくって、結局、どれくらいいたの?」

「去年の九月頃からだから……五か月くらいか」

「五か月も? お兄ちゃんがそんなに長く同じ場所に暮らすなんて、家を出て以来初めてじゃないの?」

「そうだ、初めてだ。伸也君が今度の四月に小学校入学を控えていたから、正月を過ぎた頃に、玲子さんに、もう伸也君も元気になったようですし、小学校に入れば新しい生活が始まるでしょうから心配ないですね、と言った。そろそろ旅立とうと思ってね」

「だけど、引き留められたのね?」

「そう。玲子さんから、一緒に入学式に出てくれと言われてね……」喜世志はそこで一呼吸おいてから話し続けた。「その日の夜、改めて玲子さんに尋ねた。入学式には父親として出席してもいいか、とね」

「それで、玲子さんは?」

「ありがとうございます。お願いします。そう言ってくれた」

「お兄ちゃんはすっかり頼りにされたんだね。でも、全国を回って絵を描くという今までの暮らしは、止めるということで良いの?」

「ああ、そういう暮らしはとても楽しかった。でも、もう十分にやった。これから新しい家族と一緒に食堂を経営して暮らしていくことに決めている。料理も真剣に習い始めている」

 笑顔が消えて真剣な表情になっている兄の顔を見て、咲良は笑顔で言った。

「そうなんだ。頑張ってね」

「頑張ってください。応援しています」陽平も笑顔で言った。

 

 三人の話を、玄関の隅に赤や緑の小花模様のキルトを敷いた寝床の上に寝そべっている犬がじっと聞いていた。

 その犬は、山川牧場に迷子犬としてやって来たが、三か月以上経っても飼い主が見つからず、今では山川牧場の飼い犬となっており、咲良がワロンと名付けて可愛がっている。


 古賀喜世志は、山川陽平の家に一泊し、翌日帰っていった。

 その日の夜。

 牧場の上に広がる晴れ渡った空には無数の星が輝いている。その星空を眺めていた陽平は、隣で一緒に星空を見ていた咲良に言った。

「僕と一生この牧場で暮らしてくれないか」

 咲良は陽平を見て笑顔で言った。

「はい。よろしくお願いします」

 無数の星たちが二人の将来を祝福するかのように一層輝きを増した。


 二人の横では、ワロンが二人の様子をじっと見つめている。


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