表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
9話.合衆国上海連絡員、諸葛ケイト
41/59

マリウス市民病院41号室

 人はリゾート施設に癒やしを求め、「生き返るわぁ」などと言いつつ、ゆったりした時を過ごす。

 しかし、生き返り度でいえば、病院ほど実効性のある施設はないだろう。流れる時間だってゆったりだ。病状によっては、うんざりするほど、たっぷりかかる。

 そういったことから、常連患者が良くも悪くも「マリウス・リゾート」と呼ぶマリウス市民病院は、南国風インテリアが特長の総合病院だ。


 出入りの多い外来や検査ルームは基層1階、入院病棟はその下で、フロアごとにカラーが分かれている。地下1階(そもそも全て月面下だが便宜上そう呼んでいる)は賑やかな大部屋、地下3階は落ち着いた個室、それに集中治療室や手術室といった具合。下階に行くほど重要度が高いのは、下へ下へ掘り進んだ経緯があるからだ。つまり下ほど新しい。

 最下階にあたる地下4階は事務フロア。主に、院長室や医局といった医師職員用スペースだから、患者は入ってこないことになっている。

 ただし、特別な病室が1つだけある。

 院長室を通り抜けないと入れない隠し部屋。関係者に「モモカ部屋」と呼ばれている41号室だ。


 41号室は万全のセキュリティで守られている。

 許可された訪問客でも、入れるのは小さな応接セットが置かれた前室まで。鍵付きドアの先はプライベート空間で、病室というより住居スペースだ。

 空色のベッドルームには、大きめデスク、通信端末、映像ディスプレイ。間仕切り壁の向こうには、パウダールーム、風呂、トイレ。さらに、増えた衣装を収納するため、境界壁を抜いてまで増築したウォークインクローゼット──。

 全てが、モモカ専用だ。


 至れり尽くせり!

 (設備を列挙してみれば、うらやましい)


 何不自由ない生活!

 (何でもありそうで、実はキッチンや冷蔵庫がない。部屋の主に与えられるのは、どうせ標準食とジャガイモばかりだから)


 さすが箱入り娘!

 (そう、鍵のかかった箱に、やんわり閉じ込められて、一生のほとんどをここで過ごしてきた)


 ♪ルルル、ルルンタ~!


 掃除用の吸引ホースを持って踊りながら、謎の旋律で歌っているのはコバヤシユキ。41号室専属の病棟看護師で、ある意味モモカのお姉さんがわり、そして初めてできた「おともだち」だ。


 バスッ……キュ、キュィィイ……ィん


 振り回していたホースに、モモカが好きなクマのぬいぐるみ「熊野ベアトリクス(命名ユキ)」が吸い込まれた。


「ひ、ひゃあぁぁぁ! ベアトリクスーっ!」


 裏声で悲鳴をあげると、あわててスイッチを切った。集塵ボックスをかき分け、何とかベアトリクスの救出に成功する。

 症状確認! 四肢一部断裂! 丸耳に裂傷! ホコリまみれ! 重症だ!


「たいへん! オペしなきゃ!」


 パシュー……


 裁縫セットを取ろうと立ち上がった瞬間、ドアの開く空気音がした。

 ベアトリクスを放り出し、ニコニコ笑顔でドアに走り寄る。付き添ってきた別の看護師に不格好な敬礼をすると、天井吊り下げ式のストレッチャーを引き継いだ。専属看護師以外は、プライベートスペースに入れないのだ。

 一人でソロソロと押していき、ベッドの上にモモカを移す。まだ鎮静剤が効いているのか、すぅすぅと眠っていた。


「おかえり」


 ベッドの端に座り、前開きになっている検査着の乱れを直す。薄手のブランケットをモモカの肩まで掛けると、フッと姉の笑顔になって頭をなでた。


 モモカの身体は小さく幼い。

 推定12~14才相当で、肉体的な成長が止まってしまった。だから、まだ女の子で女性になっていない。具体的には第二次性徴が起きていない。

 成長が止まった理由は不明だ。

 低重力起因説、日照不足説、栄養偏重説と、各担当医師が好き勝手なことを言うなか、いま有力視されているのが「周期喪失説」だ。


 潮汐──超大質量の海を変動させるほど、力強くゆったりした地球の鼓動。月の公転で1日2回、また月齢の変化とともに28日周期で巡っていく。

 月にはそれがない。正確には極めて少ない。地球が、いつもほぼ同じ位置にいるからだ。例えばマリウスから見れば、やや南西へ傾いた天頂に浮かびっぱなしで、周期というものがない。

 これが、初潮や月経の発現に関係している可能性があるという。哺乳類、特にモモカにとって、成長のキーが足りないのだ、と。


 それでも、担当チームはモモカにできる限りのことはした。

 まずはトレーニングで可能な筋力強化。地球生まれと変わらないどころか、そのへんの男どもならモモカ・パンチで殴り倒せる。対人使用を禁じられたモモカ・キックを使うまでもないはずだった。

 ホルモン補充療法も確立した。投与から時間が経つほど、薬効不足で精神的に幼児化していくのが玉にキズだが、ここにいる限りは問題ない。

 問題なのは、免疫系を鍛えるプロジェクトが、まるで進んでいないことだ。

 どうすれば効果的かはわかっている。ワクチン接種に限らず、外に出て多くの人と接し、様々な食品を口にするだけでも、大きく改善する。だが、どの医者も踏み切れない。怖いのだ。万が一の場合、それは死につながるから。


 パシュー……


「久しぶりだねぇ、ユキくん!」

「ショウハラ先生……」


 ドアから入ってきたのは、モモカを担当する医師の一人だ。

 ショウハラは本名だが、ナースステーションでは「()児科専門セクハラ(・・)医師の略称だよねー」等と陰口を叩かれている。立場を利用してアレをしたとかコレをしたとか、嫌な噂が絶えない男だ。

 きっと、この子にも……!

 片手でモモカをかばうようにして、ユキがにらむ。

 ショウハラは視線を気にもせず、ヘラヘラと軽い態度でモモカを指差した。


「無理使いしすぎだよ、コレかなり傷んでるねぇ!」

「そんな……物みたいな言い方やめてください」

「アハハハ! 誰が物みたいに扱ってるんだ? ハード面もだが、ソフト面も大ダメージだよ! 身体はハード、精神はソフト。わかるかい!」

「最近のモモカは元気に過ごしてます。精神のダメージなんて……」


 フッと真顔になり、ユキを見る。地位の低いものを蔑む冷たい目だ。


「やはり、わかってないな。元気かどうかなんて関係ない。こちらのコントロールに従順かどうかが、健全な道具のバロメーターだよ。このままだと、次々わがままを言い始めるに違いないさ。なんでも、キッチンが欲しいなんて言ったそうだぞ」

「女の子ですし、それにキッチンは人間の生活に必要です」

「人間、ねぇ。まあ、いい。ドジっ子だったキミがコレの心を開かせたんだろ。まあ、見てるだけで笑ってしまうからね」

「く……」


 ユキがこの部屋に配属され「はじめまして、こんにち、わっ!」と両手を広げて挨拶した時、ベッドに横たわったモモカは人形のように無表情だった。真っ赤になりながら「あ、あれ滑ったかな~」と、パジャマをまくって目にした傷──能力発現のために与えられた痛みの痕跡。


「だから、今度もキミが正しい方向にコントロールしたまえ。コレが共振するようになったことには、私も()()してるさ。ただし、逸脱は認められない。今では月のアイドル、いわば共有財産なんだろう? だが、本来の期待に応えてくれないと、ねぇ」

「大事にしているつもりです」

「大事? わがままを聞いて、1回『上』に登らせただけでこの有りさまさ。ISS-8で診察したガーフィールドも怒ってるそうだ。コレに好き勝手させるほど、知らないところで共振の方向が変わってしまう。肉体的な意味で死ぬ可能性も上がる。それでキミは……いいのかね?」


 横から顔を近付け、ネットリとした視線を送る。

 ユキは生理的な嫌悪を感じて顔を背けた。


「もう『上』には登らせません。でも『外』……市内はいいでしょう? せっかく、外に仲間ができたって喜んでるんです」

「ダメさあ! ちゃんとお姫様の面倒を見といてくれよ!」


 ヘラヘラ口調に戻って言い放つと、話は終わったとばかりドアへ向かって歩き出し、後ろ向きで手を振った。


「そんな、だって……!」


 ショウハラは立ち止まり、ゆっくり振り返った。イラつきを隠しもせず、目をすがめて威嚇する。


「絶対に、出すんじゃないぞ」


 パシュー……


 閉まるドアに向かって、ユキは呆然と座り込んだ。ズルズルとクマのぬいぐるみを引き寄せる。


「どうしよう、ベアトリクス……」


 ホコリを取るオペをしながら、モモカが初めて見せた笑顔を思い出した。

 下を向いていたからか、ポロポロと涙がこぼれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ