クレイジーな格好のブロンド女
国家の政治体制や、イデオロギーに正解なんてない。資本主義でも共産主義でも、国民が納得しているなら構わない。
それはわかっているけれど、貧富の差は合衆国以上、いや世界一かもね。
金色の電飾が輝く上海の街を眺めながら、一人の女が歩いている。
すれ違った人が、思わず振り返って見送るほど、非常に目立つ外見だ。
ただ、彼女の方は全く意に介さず、ツンと澄ましている。
心の中で考えていることは、かなり凶悪だったが。
この街は、貧乏人が本当に貧乏って感じ。
まず服装が異常に地味。見てみなさいよ、あれ。いくら下町とはいえ、ディナータイムなのよ。ガバガバしたトレーナーで出歩くなんて女じゃないわ。見てるこっちが恥ずかしいわよ。
それにしても、ほんとゴチャゴチャしてて、クレイジーに人口が多いのね。
たぶん、人が一人死んだくらいじゃ、誰も気付かないわ。
彼女はときどき歩みを止める。極彩色の、演出過剰なショーウィンドウを見るふりで、ガラスに反射した後方を確認しているのだ。
やっぱり、あの男チラチラと映るわね。あれで尾行してるつもりかしら。ちょっと確かめてみる? 素敵な夜になるといいけれど……っ!
何気ない風を装い、路地に入って──すぐに駆け出す。一番近い路地を右へ、さらに次の路地を左に折れた。この先は、行き止まりだ。手近な物陰に入って、待ち伏せる。息を整えて気配を殺した。これはプロの動きだ。
ほどなく、一人の男が路地に入ってきた。あわてて追いかけた様子は見えない。立ち止まって下を向き、耳だけで周囲の動きを探っている。こちらも、かなりの熟練者だろう。
「困るのよね、時間外にアポなし訪問なんて」
ふいに声をかけた女に驚くでもなく、男は振り返った。ゆっくりと視線を上げ、人相を確かめる。
「諸葛ケイトだな?」
「誰のことかしら? その人って、私によく似た美人だった?」
「老西門の周大人から、あんたへの届け物だ」
「バースデーなら、2週間前に済ませたわ」
「そうかい? だが、こいつを渡すように言われたんでな」
男が懐に手を入れた。
女は素早くしゃがみ、裾のスリットからデリンジャーを抜き出す。銃口を斜に構えて男の胸を狙った。見る人が見れば、八卦掌のアレンジだと気付くだろう。
「気の短いレディだ。レターだよ」
「あら、宛先は合ってるかしら?」
「クレイジーな格好で歩いてるって聞いたぜ。他にいるか?」
派手な金髪に、星条旗柄のチャイナドレス。
「失礼ね。ファッションセンスに大きな相違があるわ」
「そんな目立つもの着てるのは、あんたらくらいさ」
しばしの沈黙──お互いにニヤっと笑った。
女はデリンジャーを太もものホルスターに収め、男は隠し持っていた自爆装置のスイッチを切る。
「どうやら本物みたいね」
「なんとかならんか、この茶番のような本人確認は」
「国の方針なの。エンターテイメントは大事よ」
「まあいい、ブツはこれだ」
男が懐から出したものは、ごく普通の郵便封筒だ。
「あら、本当に紙のレターなのね」
「パイレーツ船パイフーの予定航路が暗号で書いてある」
「パイフー?」
「白い虎、そっちの言葉に直せばホワイトタイガーさ」
「ああ、そういえば沈んだヘイロンは黒い龍だったわね。あなたたちの国ってアニマルが好きなの?」
「仕事に戻ろう。レターの解読キーは別ルートで送った。あんたが持ってきた、合衆国の技術データはどこだ」
女は妖艶に笑い、自分の唇を指差した。
「このルージュよ。色素のDNAにコード化して刻んである」
「艶っぽいことだ」
「さあ、キスマークはどこに付けて欲しい?」
「もちろん、ここに」
「あら、あなたって意外とジェントルマンなのね……。まるでアニマルよ!」
そう言うと、思いがけない強さで抱きついた。
スリットから伸びた脚を上げ、男の腰に絡める。
しばらく恋人のように見つめ合い──唇を重ねた。
初めは触れるくらいに、やがて何かを奪い合うように激しく。
「んっ……」
満足したのか、一度強く抱きしめると、スッと身体を離した。
「じゃあね、リトルガイ。素敵な夜だったわ」
腰を突き出し、上目遣いで微笑むと、あっさり身体をひるがえして路地を歩き出した。ヒラヒラと振る手には、キスをしている間に男から取り上げたレター。これもプロの動きだ。
カッカッとヒールを響かせて奥へ進み、北を目指す近道に入る。
パスッ
小さな音が聞こえた。
女は、一瞬「あっ」という顔をしたが、すぐに星条旗が真っ赤に染まり、膝から崩れるように倒れた。
代わって路地に現れたのは、サイレンサー付きのハンドガンを手に「ガバガバのトレーナー」を着た女だ。いくら下町とはいえ、ディナータイム。こんな場違いの格好で街を歩いてきたなんて、まさにクレイジーだ。いかれてる。
ガバガバは星条旗の側にしゃがみ込み、レターを奪い取った。
そのまま冷たい目で見下ろす。
「染めた金髪なんて馬鹿にしてるわ」
立ち上がりながらトレーナーを脱ぎ捨て、路地を戻っていく。腰の動きに合わせて揺れる髪は、生まれつきのブロンド。
慣れ親しんだ上海の裏道を通り抜け、繁華街の南京路に出た。
ここまで来れば安心だけど、あいかわらずクレイジーに人口が多いのよね。
たぶん、人が一人死んだくらいじゃ、誰も気付かないわ。
本物の諸葛ケイトは、そう思った。




