エピローグ
アルヴェイン公王との話し合いを終えた翌日。
私は考え事をしながら廊下を歩いていた。
ナタリアが不当に解雇した使用人たちも戻り、離宮の管理に手が回るようになり始めた。けれど、手に入れた騎士の任命権はまだ行使に至っていない。
任命する権利があっても、信頼できる相手がいなければ意味がないから。
なにより、急な戦力の増強は、ベアトリスはともかく、第二王子派を刺激しかねない。いずれ、時期を見て対応する必要があるだろう。
そんなことを考えていると、前から歩いてきたシエルと出くわした。
「ヴィオラ公女殿下はどこかしら?」
「公女殿下なら中庭にいらっしゃいますよ」
「ありがとう、行ってみるわ」
お礼を言って中庭に向かおうとする。
だけど一歩目を踏み出した瞬間に呼び止められた。
「……なにかしら?」
「お茶会の席で、大立ち回りをした件です」
シエルは途中からしか見ていない。けれど、明らかに訓練された動きのメイドを相手に、私が戦闘技術で勝利したところは目撃しているはずだ。
だけど――
「公族の方々を守ってくださったこと、感謝いたします」
シエルが口にしたのはその一言だけだった。
私は「どういたしまして」と苦笑して、今度こそその場を立ち去った。
そうしてやってきたのは中庭。いままで放置気味だったそこはずいぶんと荒れているが、少し改善されつつある。そんな中庭を散策していると、ヴィオラの鋭い声が聞こえてきた。
――誰かと戦ってる!? いや、これは……
一定のリズムを保つ、鋭い掛け声。
もしやと思って足を運ぶと、ヴィオラの姿が目に入った。彼女は運動に適した服装に着替え、額に汗を浮かべながら、木剣を一心不乱に振っている。
もっとも、剣の握り方からしてなっていないけれど。
「ヴィオラ公女殿下」
「あ、ノクス!」
とてとてと目の前に走ってくる。
私は持ち歩いていたハンカチを使って、そっとヴィオラの汗を拭った。
「急に素振りなんて始めて、どうなさったんですか?」
「もちろん、強くなるためだよ!」
「強く……」
いや、それは分かるけど。
でも、回帰前のヴィオラは後方から指示を送るタイプだったはずだ。それが、こんなふうに剣術に興味を持つなんて、どういう風の吹き回しかしら?
なんて考えていると、ヴィオラが目をキラキラさせながら私を見た。
「あのね、あのメイドと戦うときのノクス、格好よかった!」
あぁ……あれの影響を受けちゃったんだ。でも、そっか。ヴィオラにもあれを見られたのよね。あのときの私は、明らかに一般人の動きじゃなかった。
警戒、されてしまったかしら?
――と、ヴィオラが私の袖を掴んだ。
「……ヴィオラ公女殿下?」
「私は、ノクスが何者でも信じるよ」
「――っ」
びっくりした。
怪しまれて当然なのに、それを理解した上で、信じると言われるなんてね。
嬉しいと思った。
でも、そこで頷くと、私が一般人ではないと認めることになってしまう。
イエスともノーとも言えない。
貴族社会では初歩の初歩。そのもっとも簡単な対処方は――無言で微笑むこと。
「むー。ノクスは引っ掛からないか~」
って、意図的だったのね。ヴィオラが日に日に手強くなってる。
油断ならないなぁと見下ろしていると、ヴィオラが無邪気に笑った。
「でも、ノクスを信じると言ったのは本当だよ」
まっすぐな眼差し。
私も、彼女の言葉なら信じてもいい……って、なにを絆されているのかしら。
ヴィオラは私が倒すべきライバルなのに。
そうね。
まだ八歳の女の子。幼くして母親に先立たれ、離宮に放り出され、侍女に騙された。
そんな彼女が唯一信じられる存在が私だった。
その状態で突き放すのは危険だと思った。
でも、それも過去の話だ。アルヴェイン公王と話し合った。いまの彼女には、信頼すべきメイドたちがいる。だから、いまこのタイミングで警告しておくべきだ。
私のことを、信じすぎてはいけない、と。
「ヴィオラ公女殿下、人をそのように簡単に信じてはいけませんよ」
「……簡単なんかじゃないよ?」
「そうですか? でも、私がいつか裏切るかもしれませんよ? そんなふうに私のことを信じて、いつか裏切られたらどうするつもりですか?」
「ノクスが、裏切る?」
ヴィオラの愛らしい顔に影が落ちた。中庭を吹き抜けた風が彼女の銀髪を揺らす。
まだ幼いヴィオラには重い話だろう。
もしかしたら数日は落ち込むかもしれない。
だけど、ヴィオラなら乗り越えて、もっと強くなるはずだ。そんな期待を抱く私の目の前で、ヴィオラはゆっくりと顔を上げた。
彼女は澄んだアメシストの瞳で私をまっすぐに見据える。
「だったら、裏切られないように頑張る!」
満面の笑みで言い放った。
……って、え?
「裏切るのは、理由があるからだよね? 私以外に付いた方が得だとか、待遇が不満だとか、なんらかの原因があるから。……違う?」
「まあ、そうですね」
何事にも理由はある。
理由がないように思う事象でも、それは周りの人が理解できないだけ、というケースがほとんどだ。たとえ他人には納得できないような理由だったとしても。
「だから、裏切られないように頑張る!」
「そう、ですか」
強いな。
ヴィオラはまだ未熟だ。でも、その心根の強さは回帰前と変わっていない。
そんなふうに考えていると、ヴィオラが不意に頭を下げた。
「いままで、頼ってばかりでごめんなさい」
「いえ、そんなことはありませんよ」
裏切るかもというのは、将来を見据えての布石だ。
まだ未熟さは残るけれど、ヴィオラは幼いなりに頑張っている。お茶会に挑むときのヴィオラは、組織にいたときの私も真っ青なレベルで頑張っていた。
「ヴィオラ公女殿下はよく頑張っています。お茶会だって立派でしたよ」
「でも、足りなかった」
ヴィオラはハッキリと口にした。
「みんなに護られるだけなのが嫌で頑張った。でも、あのときノクスに助けられて、それだけじゃダメなんだって気付いたの」
ヴィオラの凜とした声が近付いてくる。気が付けば、彼女は触れそうな距離で私を見上げていた。小さな身体に似合わず、その眼差しは強い意志を秘めていた。
「私はみんなを護れるように強くなる。それで、今度は私がノクスを護るの!」
……びっくりした。
私を護るなんて、生まれて初めて言われた。胸がざわざわして落ち着かない。私は拳をきゅっと握って……それから、口の端を吊り上げる。
「だから、アルヴェイン公王と交渉して、騎士の任命権をもらったのですか?」
――そう。
私が騎士の任命権を求めたとき、アルヴェイン公王は問題ないと言った上で、ただ――と、但し書きを付けた。その後に彼が続けたのは、こんな言葉だった。
『――その件なら、既にヴィオラから聞いている』
私がアルヴェイン公王に話したのと同じような名目で、先にヴィオラが許可を取っていたのだ。
でも、私はその計画をヴィオラ公女殿下に説明していなかった。
話したのはベアトリスと話し合った結果だけ。なのに、ヴィオラは騎士の任命権を手に入れた。
あの瞬間において、ヴィオラは私を上回っていた。
私を殺した公女がついに、その才能の片鱗を見せた。ヴィオラは必ず、回帰前の自分自身を超える怪物になる。
とはいえ――
「私を護るなんて、十年早いですよ」
自信を持ち始めた頃が一番危ないと釘を刺す。
「むぅ、そんなに掛からないよ!」
「そうですか? では、成長を期待しています」
ヴィオラは頬を膨らませ、そっぽを向くと木剣で素振りを再開した。
中庭はまだ荒れている。けれど、柔らかな日差しが降り注ぐ地面には芝が生え始めていた。
そのまま、誰にも負けないように強くなりなさい。
いつか、私が倒すその日まで。
お読みいただきありがとうございます。
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