第22話:エリアの夢
夢を、見ていた。
それは、とても温かくて、幸せな夢だった。
故郷の村。海が見える、小さな家。
食卓には、お母さんの作った、野菜たっぷりのスープが並んでいる。
無口な顔を少しだけほころばせて、お父さんが私の頭を撫でてくれる。
「たくさんお食べ、エリア」
「はい!」
ああ、なんて幸せなんだろう。
ずっと、ずっと、帰りたかった場所。
ずっと、ずっと、会いたかった人たち。
でも、どこかおかしい。
食卓の椅子が、一つ、空いている。
誰か、大切な人が、ここにいない気がする。
誰だっけ……? 銀色の髪をした、強くて、不器用で、でも、とても優しい人……。
「……リアン、さん……?」
私がその名を呼んだ瞬間、目の前の幸せな光景が、ガラスのようにひび割れていく。
お父さんも、お母さんも、温かいスープも、すべてが崩れ落ちて、闇に飲まれていく。
「いや……! 行かないで……!」
手を伸ばすが、何も掴めない。
私は、再び、一人ぼっちになった。
冷たくて、暗い、何もない場所に。
――エリア。
不意に、誰かが私の名前を呼んだ。
リアンさんの声だ。
――エリア、しっかりしろ。
声のする方へ、必死に手を伸ばす。
すると、その手が、誰かの温かい手に、そっと触れた。
ハッと、意識が浮上する。
最初に感じたのは、石の天井の冷たさと、消毒薬の匂い。
そして、私の手を、誰かが強く握りしめてくれている、確かな感触だった。
「…………リアン、さん……?」
掠れた声で呟くと、すぐそばで、安堵のため息が聞こえた。
「……エリア……! よかった、気がついたのか……!」
その声は、間違いなくリアンさんのものだった。
でも、いつもより、ずっと弱々しくて、苦しそうに聞こえる。
ゆっくりと目を開けると、視界がぼやけて、なかなか焦点が合わない。
何度か瞬きを繰り返すうちに、ようやく、目の前の光景が見えてきた。
そこは、薄暗い石造りの部屋だった。
私は、簡素な寝台の上に寝かされていて、リアンさんが、その脇の椅子に座って、私の手を握ってくれていた。
「……ここは……?」
「……ドワーフ・フォートの、宿屋の一室だ」
リアンさんの顔を見て、私は息を呑んだ。
彼の顔は蒼白で、額には汗が滲んでいる。あちこちに包帯が巻かれていて、服の下にも、痛々しい傷が無数にあるのが分かった。
あの戦いで、彼がどれほど無茶をしたのか、一目で理解できた。
「リアンさん、お怪我は……!」
「俺のことはいい。それより、お前は……」
リアンさんは、何かを言いかけて、唇を噛みしめた。その青い瞳が、深い悲しみと、悔しさに揺れている。
私は、そこでようやく、自分の置かれた状況を思い出した。
ギルヴァレスとの戦い。力の暴走。そして、私をかばってくれた、リアンさんの姿。
「……そうだ、ギルヴァレスは……? それに、ゼノンさんたちも……」
「…………」
リアンさんは、何も答えない。
ただ、私の手を握る力が、少しだけ強くなった。
その沈黙が、何よりも雄弁に、事の顛末を物語っていた。
私たちは、負けたのだ。
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
私のせいで。私が、力を暴走させたせいで、リアンさんを、こんなにも傷つけてしまった。
そして、きっと、もっと大変なことになってしまったのだ。
「……ごめんなさい……」
涙が、頬を伝う。
「私の、せいで……」
「違う」
リアンさんは、私の言葉を、強い口調で遮った。
「お前のせいじゃない。俺が、弱かったからだ」
彼は、ゆっくりと、あの後のことを話してくれた。
私たちがゼノンに捕らえられたこと。
そして、カサンドラさんが、リアンさんの命を助けるために、私をゼノンに引き渡すという、苦渋の選択をしたことを。
「……では、私は、これから、王都へ……?」
「……ああ」
リアンさんの声は、絞り出すようだった。
「ゼノンが、三日だけ待つと言っている。俺の傷が、最低限動けるようになるまで、な。……三日後、お前は王都へ連れて行かれる」
白亜の塔。
そこで、私は、ゆっくりと死んでいく。
魔力を封じられ、誰にも看取られることなく、一人で。
不思議と、怖くはなかった。
もともと、覚悟していたことだから。
ただ、悲しかった。
リアンさんと、離れ離れになってしまうことが。
もう二度と、会えなくなってしまうことが。
涙が、後から後から、溢れてくる。
リアンさんは、そんな私の涙を、傷だらけの指で、優しく拭ってくれた。
「……泣くな、エリア」
彼は、静かに、しかし、力強く言った。
「俺は、お前を諦めない。絶対に、諦めたりしない」
その瞳には、絶望の色はなかった。
ただ、静かに燃える、不屈の闘志が宿っていた。
「必ず、助けに行く。どんな手を使っても、必ず、お前を奪い返してみせる」
それは、絶望の淵で交わされた、新たな約束。
残された時間は、わずか三日。
その言葉を信じることだけが、私に残された、唯一の希望だった。




