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第32話 心が乱される

 それでも僕は訓練所で鍛錬を続けていた。全ては学園に受かりたい一心だった。試験に合格して、学園で光魔法を学んで、怨霊どもを一掃する。これが僕の一生を捧げてもいいくらいの目標だった。



 けど、時が経つにつれて、それが揺らいできていた。僕は奴らに勝つ事はできるのだろうか。ドンドン未知なる怨霊が襲い掛かってくる中、奴らの対処の仕方も未だに不明な部分が多い。


 それに僕が行動すればずるほど、自分の首を絞めているように思えてきた。僕が行動さえしなければ、この町も姉も失う事はなかったのだ。


 一度失ったものを取り戻すのは至難の技だ。水と森が豊かだった町の面影はどこにもない。人間の醜さが充満された町の空気は酷いものだ。


 考えれば考えるほど、上級都市民改め領民達に腹が立ってきた。どうしてもっと強く否定してくれなかったのだろう。どうして己の欲望にいとも簡単に負けてしまったのだろう。うまいものが食えるからマール団長が領主になる事に同意します?


 ふざけるな。あんな奴の甘い蜜に誘われた虫どもめ。のほほんとした性格は偽りだったのか。確か酒場でおかっぱ怨霊が大暴れした時も、クーナを真っ先に疑っていたっけ。


 善良の皮を被った偽善者どもめ。お前らなんか、魔物の餌になればいいんだ。この町の新しい制度も嫌いだ。どうして階級を分けなくちゃいけないんだ。元々住んでいた領民達を上級にする理由も分からない。


 普通、王都に住んでいた者達を上級にするだろ。そしたら、今日までの争いが起きる事はなかったんだ。あぁ、怨霊よりも今はこの町が憎たらしい。この騒々しい欲望の掃き溜めな町が憎い。 


 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。どこに行っても酒飲みが騒いでいる。少し歩けば、エセ貴婦人や紳士もどきが中級都市民達にこの宝石はお高いとか言って威張り散らしている――元々は庶民だったくせに!


 お店に行っても、全部中級都市民がやっているから、前みたいに気軽に話しかける事は出来なくなった。


 ……ん? 僕は元々気さくに話しかけるタイプだっけ? あれ? あぁ、なんか自分の性格もよく分からなくなってきた。 あぁ、僕の頭が、言葉がドンドン悪くなっていく……。



 そんな自分が嫌になって、僕は独りで行動する事が多くなった。そうすれば、怨霊に会えるからだ。この地獄の日々から解放されるには、怨霊に殺される以外道はない。


 仮に光魔法を修得したとしても、100パーセント怨霊に勝てる保証はどこにもない。だったら、潔く降参した方が最善だ。


 しかし、なぜかケーナが執拗に僕の側から離れないのだ。食事もトイレも睡眠も、まるで赤子のように見守っているのだ。


 僕が何度も大丈夫だ、一人でも平気だと言っても、全然離れてくれない。隠れても見つけてくるし。


 次第にイライラしてきて、ある時、僕は溜まりに溜まったフラストレーションを爆発させてしまった。


 うるさい! お前なんか消えてしまえ――と。そしたら、ケーナはおしゃぶりを落として、そのまま走り去ってしまった。


 僕はすぐに罪悪感に支配されていった。僕を一番に愛してくれた人を傷つけてしまったのだ。


 僕は……僕は……僕はあああぁ、あぁ、あああああああああああ!!


 嫌いだ! 嫌いだ! 嫌いだ! 何もかも嫌いだ! この町にいると、毒に侵される!


 思考も肉体も人格も全て! 人を傷つけてしまう! ケーナを! 幼い頃から愛情を注いでくれたケーナを! 傷つけてしまった! 傷つけてしまったんだ!


 キャーラは……キャーラはどうだろう。相変わらず学園の仕事で忙しいみたいだし、僕の面倒は全部ケーナがやってくれていた。


 ケーナ……あぁ、謝る事ができたら心の底から謝りたい。けど、本人を前にすると、どうも突っ掛かってしまう。これが反抗期なのだろうか。それとも幼少期に辛い思い経験をし過ぎたせいで、心がおかしくなってしまったのだろうか。


 ビーラ、母さん、クーナ、カローナ、コナ……五人、五人も死ぬ所を見てしまった。


 それもこれも全部怨霊――いや、そもそも怨霊が出るビデオを観てしまった僕が悪い。いや、怨霊が出たとしても、この世界が幸せであれば良かったんだ。


 家族全員でピクニックに行った時みたいに。それを壊したのは誰だ? クーナに魔物の子だと言って、火あぶりにした大司教か?


 この地を大都市にするとか言ってメチャクチャにしたマール(きょう)か? いや、この地を王都にしようとした国王のせいだ。


 国王がそう言わなかったら、カーメラーはカローナの好きな町のままだったはずだ。国王――許さない。



 その憎しみが度を越して、ある時、マールの屋敷にこっそり忍び込んで、王を殺そうとした。当然あっさり捕まり、死刑にされそうになったが、ケーナが必死に弁明してくれた。


 しかし、王は聞く耳を持たず、僕に絞首刑を命じた。僕は喜んでオーケーした。ようやく解放されると思ったからだ。けど、ケーナが僕の代りに首を吊るとか言ってきた。僕の頭は真っ白になった。


「どうして、そこまで僕のために命を捧げようとするの?」


 そう聞いてみたら、ケーナはおしゃぶりを外してたった一言。


「生きて欲しいから」


 そう言ったケーナは自分の感情を押し殺すように、また付けてチュパチュパしていた。僕は自分の愚かさに今更気づいた。僕はなんて馬鹿な事をしたのだろう。王の暗殺なんて、無謀にも程がある。そんな愚かな僕をここまで守ってくれる人を傷つけてきたなんて。


「ケーナ、ごめんなさい。ごめんなさい……」


 僕は慟哭(どうこく)するようにケーナに謝りながら騎士達に連れて行かれてしまった。彼女はおしゃぶりをしたままだったが、両眼からは滝のように涙が溢れていた。


 

 あの光景を見ていた国王は情を動かされたのか、二年の投獄だけにして、特別に死罪は免除された。だが、山の近くにある牢獄は狭くて汚い部屋だった。


 害虫の巣が至る所に住み着き、陽の光さえまともに入らないような暗い部屋だった。ベッドはない。風呂もないし、トイレはおまるだけ。鼻がひん曲がるほど悪臭が酷かった。


 食事は一日に一回、パンだけしか与えられなかった。だが、それは気にならなかった。それよりも隣の独房からあのお経が聞こえてくるのが苦痛だった。


死屍累累(ししるいるい)阿鼻堕落(あびだらく)地獄じごく……死屍累累(ししるいるい)阿鼻堕落(あびだらく)地獄(じごく)……」


 最初は数分だったのが、段々時間が増してきて、一日中聞こえてくるようになった。


 さらに目の前に髪の長い怨霊が現れ、僕の首を絞めたかと思えば、姿を消し、また現われては襲い掛かるのを繰り返していた。


 眼のない怨霊もナイフで僕の身体に死なない程度で刺してくるし、血塗れの怨霊も蜘蛛みたいな細長い腕で鉄格子の隙間から僕を掴んで食べようとしてきた。


 助けを呼んでも、この牢獄は僕一人だけしか収容されておらず、看守も食事の配膳以外は顔を出して来ないから怨霊達は襲いたい放題だった。


 水は当然不衛生なので、魔除けの効果は発動しなかった。こんな拷問みたいな日々が続いてくると、パンもまともに食べれずに次第に痩せ衰えていった。


 髪の長い怨霊に首を絞められる時も、「いい加減殺してくれ」と懇願するようになっていった。髪もボサボサ、歯もボロボロになっていった。


 眼も虚ろになり、頭も何だか回らない。しまいには一日中壁から聞こえてくるお経を一緒に唱えた事もあった。


 看守も僕を気味悪く思ったのだろう、配膳すら出さなくなった。僕はパンの変わりに害虫を食べるようになった。


 この不衛生な環境な牢屋にいくらでもいたから、取り放題だった。怨霊達に散々遊ばれた後は空腹になるので、しばらく地面や壁を這って、食虫植物になった気持ちで貪った後は、血塗れの怨霊に食べられ、終わればそのまま寝た。


 しかし、眠ると、僕の脳内に不気味なお経と共に、クーナの火あぶりやカローナが王都へ向かう後ろ姿が延々と流されて、何度も起きて、奇声を上げまくった後、全ての指の爪を齧りながら朝を迎える日が続いた。


 二年後に釈放された時は、僕はもう人間とはほど遠い有り様になっていた。

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