海神と罪人
光が届かない程、深い深い海の底、男は海神に出会った。
退屈そうな顔をした美人な男だった。
今にも事切れそうな男を見て、海神は悟る。
「…お前は、私に似ているな。」
静かな声でそう呟くと、男は噎せ返る血を吐き出して視界に移る白い花を見上げる。
海神はその花を一輪摘んで、男に差し出した。
「人間は、残酷で、儚くて、美しい。欲に塗れ、生きようと必死で藻掻く。…なぁ、周、其方は何故、人を愛している。」
「…俺を、愛してくれた…だから…ッ」
「其方の力であれば、生き残った民など簡単に息の根を止められるだろうに。」
何処か楽しそうに海神は口角を上げた。
「人間は其方を簡単に捨てるぞ。直ぐに掌を返すぞ。」
「じゃあ…なんでお前は――人を愛しているんだ。」
海神は「ほう…」と目を細めた。
「我が人を愛していると。」
「ッ…」
背筋がゾッとした。神とは、表情一つでこんなにも迫力があるのか。
男、周は一瞬にして冷えたこの空間に初めて神の力を覚えた。
「…ふ、中々面白い男よ。そうだな、我は人が好きだ。愛している。
遠の昔、其方と同じ質問をした女が居た。それはもう、とても愛らしい娘だった。」
遠くを見つめる海神は、どこか悲しそうで切なそうな表情をしている。
その白い髪はどこからともなく吹く柔い風に揺れ、艶やかに宙を舞っていた。
「…其奴は名を海と言う。奇遇であろう、其方と同じ名だ。
顔も、性格も其方にそっくりであった。…マァ、当たり前だがな。其方と同じ家系の人間だ。」
その瞳が証明しておるわ、と海神は翡翠の瞳を周に向け、ゆっくりと瞼を閉じる。
「周、其方はここに来る運命だったのだ。…ここに来て、我の力をその身に宿す運命だったのさ。」
「…どういう、意味だ」
「分かるであろう、その身が…最早十分であるほど回復している事が。」
「…は?」
「ここは神の領域、我の巣の中だ。」
「だから何――」
「神の力に並みの人間が耐えうると思うか?」
出血は既に止まり、痛みさえも感じぬほど回復した自分の身に驚いて、再び海神の顔を見上げた。
「…神の器よ。それは其方が生まれる前から決まっていた。選ばれておったのだ、其方が死した時、開花する。――我らと同じく、人に捨てられても尚、人を愛し、憎む事なき純粋な精神よ。」
愉快そうに海神は綺麗なソファに腰を掛けた。
そして再び足元の白い花を摘み、周の目の前に差し出す。
「罪人などと、己を卑下するな。其方は幾人もの人間を救った英雄よ。己の力で開花した小さき神よ。」
神など、そんな言葉は物語の中の話だ、回らない頭では何も理解できない。
しかし、今度はその白い手から花を受け取った。
「ウダゼリという。昔、彼女が植えた花だ。…綺麗であろう。」
愛おしそうにその花を見つめる海神に、周は口を開いた。
「…俺は――、」
「言うな、言えばそれは現実になる。…良いか、神と言うのは人々の信仰対象ではない。都合の良い言霊に過ぎん。」
「…言霊」
「言葉とは残酷なものでな。人が思う以上に強い力を持っているものだ。」
「強い力…?」
「…我は昔、彼女に呪いをかけたのさ『愛している』そのたった一言で。」
昔は我も人であったがな、と、海神は苦笑する。
切ない笑いだった、後悔の見える表情に、咄嗟に口を噤んだ。
「愛しい彼女を置いて、我は先に死んだ。…彼女は待っていた、ずっと、ずっと我の事を。死んでも尚、ずっと。」
海神は己の左腕を抱いた。
「神は、全てを見れるが、人間は神を見れない。」
脳裏に映し出されるその苦しいほどに強い後悔の念に、眩暈がした。
「…言葉とは、時に何よりも強い呪いになるのさ。」
「海神、これは」
「同じ海の力を得たのだ、共鳴くらいは簡単であろう。周も早く慣れる事だな。」
さっきの重たい雰囲気は何処へ行ったのやら、海神は愉快そうに笑ってソファから立ち上がる。
「して、周。…其方のこれからについて話そうか。」
腕を組んで、周を見下ろす海神はやはり美しかった。




