民と英雄
何百年も昔、厄災から国を守った男がいた。
黒い髪を後ろで一つに編み、前を見据える瞳は海のような深い青。
筋張ったその手は、剣を強く握りしめていた。
荒れ狂う厄災の根源を断つために、只管に剣を振るう。
何日も、何日もずっと。ずっと戦った。
いつの日か男は、国を、民を守った英雄になった。
けれど
その厄災が再来した頃、男は負けた。
男が英雄から、大罪人になったのは一瞬だった。
国の民たちが息絶えて行くのを、唯々見ていた。
国が朽ちていくのを唯々見ていた。
動かない身体と、言葉の出ない口では、最早成す術はない。
国民は彼に大きな期待をしていた。
『きっと負けることはない。何せ、あんなにも酷い厄災から私たちを救ってくれたのだから。』
英雄は、負けない。
国民が信じて止まない英雄も、皆と同じ人間だった。
特別な生き物では無かったのだ。
普通に生まれ、普通に育ち、普通に剣術を学んだ。それだけだった。
誰よりも負けん気が強く、人を愛する強い力が彼にはあった。
それだけだった。
二度目の厄災で負った傷は深く、運良くも息も絶え絶えに生き残った。
しかし、多くの犠牲を出した男を民が許すことはなかった。
多量に血を流し、立つことすらできぬ男に国民は処罰を求めた。
生き残った国民たちが囲む中、男が息絶えるのが先か、民が男に止めを刺すのが先か。
その答えが出るのに大して時間は要さなかった。
民は、かつての英雄を大荒れの海に差し出した。
男は何一つ抵抗も、言葉を発する事も、恨むことさえもなかった。
自分が愛した人間は、こんなにも残酷だというのに。




