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08 あなたの本質

 どうしてそんなに我慢できなかったのか、自分でもわからない。


 ――わたしの幸せって、なんだと思う? ヴェイドさん。

 ――少なくとも、この王宮にはない。


 ヴェイドさんはわたしのことを思って言った。それが頭で分かっているのに、わたしはあの場所に居たくなかった。前の自分は、もう少し聞き分けのいい娘だったと思うのに何故だろう。

 知らない廊下を走りながら、わたしは彼にあまえているのかもしれない、とふと思った。

 だってわたしは何の不利益も被っていない。自分から魔法薬学を勉強して調合して、ばれてしまって、彼にかばってもらって。彼と一緒に仕事をしてみたいという願望を、こうして叶えてもらって。

 自分勝手で我がままだったのは他の誰でもない、わたし自身だったのだ。

 わたしはその場に立ち止まった。見覚えのない場所だった。

 小奇麗に整えられた木々が立ち並び、花の都にふさわしく薔薇の花が咲いていた。ここが王宮のどこかの庭園なのだと分かったが、どうやってここまで来たのだろう。思い切り走ってきたせいで、息があがっている。体を折ってあえぐ呼吸のまま、浮かんでくる感情に身を任せようとして、わたしははっとした。

 駄目、我慢して。

 ここで泣いたら、きっと後悔する。

 そして服の袖で顔をぬぐったとき、ふいに声がかかった。

「お嬢さん、すこしお話しできますかな」

 顔をあげると、老年の男の人がこちらを見ていた。




 セルネと名乗った老人は、王宮の薬師長なのだとわたしに言った。わたしのことは先日から聞いていたそうだが、ようやく会えたと彼は笑った。

 今はすっかり色が抜けてしまった白い髪と、豊かな白ひげの向こうに、セルネさんの聡明で優しげな顔がのぞいている。やや濁った色の翡翠の瞳が、どこかぼんやりとわたしを見ていた。

「セルネさんは、レオディス殿下の治療には携わらないんですか?」

 いまの王宮には薬師がいないと聞いていたわたしは、彼の存在に少しだけ驚いていた。セルネさんの落ち着きはらった様子が、彼の経験豊富な薬師としての人生を思わせたから、なおのことだった。

 わたしの問いかけに、「もう歳なものでね……あまり目が見えないのですよ」と彼は言った。

「ここ数年、薬の調合はすべて下の者たちに任せていました」

「それも全員辞めてしまったの?」

「そうですな」

 と、彼は苦笑するように目を細めた。

 庭園にはやわらかな陽の光が差しこみ、四阿(あずまや)に座っていてもぽかぽかと温かい。こんな風にゆっくり木や花を見るのは、実に久しぶりだとわたしは気づいた。木々に宿る緑色の精霊が、ぽわぽわと浮いているのを遠目にながめた。

「わしの部下たちは、みな魔術師長を恐れておったのです」と、セルネさんは話した。

「四属性の魔術を使いこなし、そして稀有な治癒術を使うことが、彼らの目には恐ろしく思えたのでしょう。それに気取られレオディス様の容態を正しく理解できなかったのが、閣下の不興をかう原因であったのです」

「セルネさんは違うのね」

 魔術師ヴェイドを恐がるような雰囲気は、言葉端には感じられない。

「わしは魔術の才能には恵まれませんでした。ですが、それもわしの性質のひとつなのです。魔術が使えるか、使えないかはさほどの問題ではありません。重要なのは、己の力をどう使うかです」

 セルネさんはぼんやりとした目で、庭の景色をながめいていた。彼にはきっと精霊は見えないのだろうが、何かを感じとるかのように、思慮深い瞳が宙をさまよった。

「セルネさん、目を治してもらえばいいと思うのよ。王宮には魔術師が大勢いると聞いています。それにヴェイドさん……魔術師長は治癒術の使い手なのでしょう?」

 もったいないと思った。

 セルネさんからは魔力は感じられなかったが、彼はきっと腕のいい薬師だ。わたしみたいに魔力で誤魔化したりしなくても、この人なら質のいい薬を作るに違いない。

 わたしの言葉に、彼はかぶりを振った。

「わしはね、お嬢さん。無闇になんでも治せばいいとは思っておらぬのです」

「…………」

 生と死、そして繁栄と衰退。

 それらは決して欠けてはいけない。あるべきものはいつしか失われ、だからこそ尊く美しいと思えるのだと彼は言った。じゃあこの人は、三百年も生きるヴェイドさんや、わたしのような半精霊の娘をどう思うのだろう。

「死から遠ざかることが悪いと言っているのではないのです」

 彼の瞳はなにを映すのだろう。

「幼き少女よ、己を正しく理解するのですよ。でなければ闇に魅入られるしかありません。感情を持つ我々は己を簡単に見失ってしまうでしょう」

「難しい話だわ」

 そう言うと、セルネさんは笑った。緑の瞳がわたしを映す。

「お嬢さん、あなたの本質はどこにあると思いますか?」

「わたしの本質?」

 半分が人間、もう半分が精霊。

 黒い髪に宿る、膨大な魔力。

「わたし、人と精霊の合いの子なんです」

 どうしてかセルネさんには、素直にそう打ち明けることができた。

「セルネさん、わたしは黒い髪と、黒い瞳をしているんです」

「そうでしたか。通りで不思議な力を感じると思いました」

「わかるんですか?」

「ものを見るかわりに、ものを感じる力が伸びたようです」と、彼は言った。「お嬢さん、あなたの力は命を芽吹かせ、光にみちびく力だ。それに植物や生き物をとても愛している」

「そんなふうに言われたのは始めてです」

 母親と離れてからは、魔力が強いとしか言われたことがない。

 でもよく考えてみれば、わたしの母親はあの森を愛していた。人の身でいるうちは、もっと便利な場所に住むことだってできたのに、彼女はそうしなかった。ひとつひとつ、草花の名前を教えてくれた母親の声が脳裏をよぎった。

「あなたは魔力がとても強いように思われますが、あなたの本質は魔術師というよりも、わしのような薬師に近い。白緑の光は、様々な命に好かれることでしょう」

 ありのままの自然を愛し、命をいつくしむ。ぽわぽわとした緑の精霊が、わたしの髪にとまった。

「もし迷っておられるのなら、そういう生き方もあるのですよ」

「わたしは魔術師になりたいと思っていたんです。人もそれを勧めました」

 わたしは自分から吐き出すように言った。

「あなたもきっと耳にしたと思いますが、わたしは薬師の真似事をしました。それで思ったんです、人を助けることは楽しいって。ヴェイドさんが魔術を使うのを見るよりも、誰かのために薬を作ることのほうが胸が躍ったんです。……分からないんです、わたしは本当に魔術師になりたかったのか、それとも慣れ親しんだ森で薬草や材料を拾ってくるほうが性に合っているのか」

 魔術師になりたい。ヴェイドさんの補佐官になれたら、それはこの上なく良いことだ。

 でも魔術師にならなくても良いと、心のどこかでわたしは思っていた。薬師として生きるほうが、しっくりとくるような気がした。

 でも、そうしたらあの水の魔術師のもとには居られない。彼は魔術をとても愛しているから。道を違えてしまえば、傍に居ることは叶わない。

「焦る必要はありません、フィオナさん。あなたはまだお若い。あなたの慕う魔術師長もしばらくは生きながらえるでしょう」

「慕ってるって、どうしてわかったのセルネさん」

「かの魔術師は人を映す鏡なのです。あなたが愛せば、彼もまた愛してくれるでしょう」

 セルネさんはそう言うと、椅子から立ちあがった。

「フィオナさん、あなたとお話しできて良い時間が持てました」

 また迷うことがあれば、遠慮なくわしを訪ねて来なさい。彼はそう言って去っていった。




 四阿(あずまや)にひとり残されたわたしは、ぼんやりとその場に座っていた。

 魔術師ではないのに、セルネという老人はとても不思議な人だった。ヴェイドさんとはまた違う意味で温かく、全てを包み込むような人だった。

「わたしが薬師に、ね……」

 こうなることは必然だったのだろうか。

 最初に魔術薬学の本を見つけたときから、おそらく、わたしは無意識にそちらを選んでいた。そして今、王宮で薬師の真似ごとをしている。周囲の思惑に流されていると思ったのはわたしだけで、本当はすべて自分で選んだ結果だと言えた。

 半精霊のわたし。

 人間でありたいと思った。

 魔術師になってみようかと思った。

 木々や草花と触れ合うことがわたしの生き方だとも思えた。

 その落としどころはどこなのか、もう分かっているのかもしれない。


「フィオナ、ようやく見つけたぞ」


 名前を呼ばれてわたしは顔をあげた。今日はやけに声をかけられる一日だわ。目を向けると、もう見慣れてしまったアレイスト王子がこちらにやって来るところだった。

「どうしたの、アレク?」

「侍女たちから噂を聞いたぞ。君は魔術薬の調合ができるらしいな」

 頼みたいことがあるんだ、と彼はわたしをのぞきこんだ。







「どうしたの、改まって頼みだなんて」

 人気のない場所で話がしたい、と言われて連れて来られたのは、以前も行ったことのある書物庫だった。四阿(あずまや)からは意外なほどすぐ近くにあったので、わたしはこんなところに居たのかと内心驚いた。

 わたしは書物庫のすみっこで、アレクを見あげた。

「レオディス殿下の治療なら、今日はもうとっくに終わっちゃったわよ」

「なんだ、本当に弟の治療をしてるのか。あいつらもめちゃくちゃだな」

「薬師が辞めちゃったって、あなたも言ってたじゃない」

「それはそうなんだが」

 アレクは微妙そうな顔になった。わたしに、ヴェイドさんが薬師を辞めさせるのを止めろと言ったのは他でもない彼だった。

「あいつはちょっとでもミスした相手には辛く当たるからなあ。フィオナみたいにあいつが好きだったら別なんだが、あいにく城の官吏たちは水の魔術師を怖がってたしな」

「だからって辞めちゃう?」

「君だって、ソイルから酷いこと言われたら“もう辞めちゃおうかなあ”なんて思わないか?」

 うーん、どうだろう。

「じゃあ城の兵士でもいい。それか、君を罵倒したっていう自警団のやつでも」

「速攻で辞めるわよ」

 むしろその場で辞表を叩きつけてやるわ。

 ヴェイドさんが『ぼくがクビにしたわけじゃない』と言ったのは、こういうことかと思った。要するに相性が最悪だったという話だ。

「しかし、免許も持たない少女を薬師に据えるとは、ソイルも意地の悪いこと考えるよな」

 君も人が良すぎるよ、とアレクはため息をついた。

「今からでも辞めておいたほうが良いのかしら」

「いや、できれば続けてほしい……勝手なことを言ってすまない、フィオナ」

「わたしは良いのよ」

 そう言って微笑みかけると、アレクは頭をかいた。

「ソイルのことも、できれば恨まないでやってくれないか? あいつが一番、フロディスのことを気にかけてたんだ」

 ソイルさんが、ヴェイドさんを?

 それは意外なことで、わたしは思わず目を瞬いた。

「あの呪い、弟の体力を奪い続けるようなやつなんだろう? ヴェイドは毎日、弟に治癒術をかけてしのいでいたんだ。薬師がいないから、あいつにかかる負担は大きかったと思う」

 言われてみるとここ最近、ヴェイドさんは疲れたと言って寝ていることが多かったように思う。治癒術がどれほど凄い術なのかわたしは分からないが、過去にバナードさんが嬉々として語っていたことがあり、ありふれた魔術ではないのだと思い当たった。

 わたしを嵌めたのは、ソイルさんの優しさなのね。

 なのに対立する二人を、少しだけ悲しく思った。

「……ところで、アレクはわたしに何を頼みに来たの?」

 ようやく思い出して訊ねると、彼は「ああー」と言って、よく訊いてくれましたという顔になった。ちょっとだけ嫌な予感。こういうときのアレクは突拍子がないことを、この短い付き合いのなかで理解しつつあるわたしだった。

 そして、こそこそと耳打ちしたアレクに、次の瞬間わたしは目を見開いた。

「じょっ……冗談じゃないわ!」

「こら、声が大きい」

「だって!」

 わたしは信じられない気持ちで、アレクを見やった。


「なんでわたしが、ローザリア姫の恋路の邪魔なんかしなきゃいけないのよ!?」




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