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20 涙の加護

 突然声をあげたわたしに、ヴェイドさんは怪訝な顔になった。

「なに、どうしたの」

 わたしは自分の頭の整理がつかないまま、彼を見あげた。

「ヴェイドさん、呪いが解けるかもしれないわ」

 もちろん喜びはしない彼だった。彼は治癒術をかける手を止めないまま、わたしを見おろす。

「今度はなにを思いついたのかな」

 まるでわたしが、また変なことをやらかすみたいな言い方だった。違うわよ。

「クリアライトが、見つかるかもしれないの」

「ああ……」わたしの高揚をよそに、ヴェイドさんは気だるげな顔で相槌を打った。「どうやって?」

「カルーよ、カッタルーダ皇子よ」

 わたしはやや興奮気味に彼を見た。

「彼は少し前に、わたしに言ったの。ローザリア姫は奇跡の花よりも美しいって」

「それは言葉のあやじゃないのかな」

「でも何か知っているのかも……」

 具眼を宿した彼のことだ、普通は知らないことを知っていてもおかしくなさそう。そう思ってしまうのは、都合の良い事だろうか。ヴェイドさんはやはり眉をひそめている。

「だとしても、今からそれを探しに行くかい? どうやって探すのかな」

「それは……」

 低く問いかける彼に、わたしは言葉につまった。思いつくままに言ってしまった部分もあり、この先どうするかまでは考えていなかったのだ。でも奇跡の花を探す以外に、レオディス王子を救う手だては思いつかない。

 たじろぐわたしに、ヴェイドさんは息をついた。

「だいたいよく考えてみなさい。ぼくはここから離れられないし、誰が行くって――」

 彼はそこで言葉を切った。

 おもむろに顔を見ると、失言だったという顔をしていた。彼が何を考えたのかは分かる。彼の期待を裏切ることなく、わたしは彼に言い切ってやる。

「それはもちろんわたしよ」

「言うと思ったよ」と、ヴェイドさんは微妙な顔になった。「でも無茶と無謀をはき違えてはいけない。自分から傷つくような真似はするなと、ぼくは以前言ったね。きみなら覚えていると思ったけど」

 覚えている。闇の魔術師のことを思い出そうとしたときに、彼が言った言葉だった。それでも、とわたしは思う。

「わたし、助けたいの」

 その言葉に、彼はわずかに目をみはったようだった。わたしは青紫の瞳をじっと見つめる。

 助けたいの。レオディス王子と、そしてあなたの心を。

「あなたが誰かを生かしたいと思うのと一緒よ。わたしも、もう誰かを失いたくないの」

 これが心の傷なのだろう。母親を失った件がわたしに暗い影を落としている。それでも、いまは目の前の人を助けることが正しいと思った。わたしが精霊ではなく、一人の人間としてあるためには。

「だとしても、きみは――」

「ねえ、ヴェイドさん。わたしの幸せって何だと思う?」

 彼の言葉を遮り、わたしは続ける。

「どこにあると思う? わたしは未熟者で思慮が浅くて馬鹿だけど、それでも魔術の恐さは思い知ったし、腹も据えたわ。自分のことはそれなりに分かったつもりよ」

 口を開きかけたヴェイドさんは、険しい顔でわたしを見ている。ただ黙って、わたしの瞳を見おろしている。

 詭弁だということは重々承知だ。でもそれを言うなら、最初に薬師として招かれたときにわたしは道理を通すべきだったのだ。たいした覚悟もなかったわたしを、この魔術師はずっと見守ってくれた。だから今度は、私が。

「わたしの幸せはあなたの隣よ」

 だからお願い。

 これからもずっと、胸をはってあなたの隣に居るために。

「行かせて、ヴェイドさん」



 返事は待たなかった。

 わたしは彼に言い切った勢いのまま、カルー達のもとへと走った。別室に控えていた彼らのところへはすぐにたどり着いた。慌ただしく部屋に入ってきたわたしに、彼らは驚いたように顔をあげる。カルー、ローザリア姫、そしてアレク。

 わたしは迷うことなく、まっすぐにカルーのもとへと歩み寄った。

「どうしたんだ、フィー? まるで砂漠で水をなくしたみたいな顔をしてるぞ」

 思いつめた顔だと言いたいらしい。わたしは目を見開いて驚く彼を、じっと見た。

「カルー、あなた前に言ってたわよね? ローザリア姫は奇跡の花よりも美しいって」

「あ、ああ……うん?」

「あなた奇跡の花(クリアライト)を知ってるのね。どこで見たの? どこに咲いているの? お願い、わたしに花の場所を教えて」

「ちょ……ちょっと落ち着いてくれ」

 カルーは困ったように、手をあげた。なんで今そんな話だ? という顔をしている。

 さすがに突然すぎたと思ったわたしは、レオディス王子の治療にクリアライトが必要だということを話した。花を探すことが王子を助けることに繋がると知っても、彼は思いのほか渋い顔をしている。

「確かにクリアライトのことは知っているが、そもそも俺は、実際にそれを見たわけじゃないぞ」

「そう、そうなの……」

 やっぱり無謀なことなのかしら。奇跡の花なんて、今まで生きてきて見たこともないし、本で読んだこともない。そう簡単に見つかるわけなんてないのだ。

 落胆するわたしに、彼は続けた。

「だが自生する場所は分かる」

「えっ!?」

 嘘! 思わぬ言葉に、わたしは勢いよく顔をあげた。

「どこなの?」

 詰め寄るわたしに、カルーはおよび腰で後ずさる。彼はなぜか苦しそうにわたしに言った。

「み、水の底だ……!」

「水の底?」

 意外な場所に、わたしは目を瞬いた。カルーはわたしに、クリアライトは泉のもっとも深い岩場に咲くのだと話した。

「この国は水の豊かな国だからな、この国で一番深い泉には存在するのかもしれん」

「だとしても、咲いているかわからないわ」

 今からしらみつぶしに“深い泉”を探したとしても、水の底なんて行くのは普通の人間には無理な芸当だ。それにたどり着いた先に花があるかもわからないのに……。

「ああ……それならわかるから、安心しろ」

 なんでもないことのように、カルーは言った。

「俺は具眼もちだからな、泉さえ見れば底に花が咲いてるかどうかぐらいは判断がつくぞ」

 過去に何度か、祖国サングレイスでもそういった光を見たことがあるのだと彼は言った。彼曰く、クリアライトは唯一、輝きを帯びた花だというから。希少な花だといわれるが、それは“取りに行けない”からで、本体はかなり目立つ花のようだ。

「あなたの眼って便利なのね……」

 まさかそんな場所も見分けるなんて、とわたしは思わず脱力した。これで自生する場所というのはだいたいわかった。でも、

「どうやって取りに行けばいいの」

 わたしはますます途方に暮れることになった。まさか水の底に咲いている花だとは思わなかったのだ。誰にも取りにいけない花なのだから、カルーが“見たことがない”というのも納得だったけど。

 落ち込んでいると、それまで静観していたアレクがふと口を開いた。

「フィオナなら取りにいけるよ」

「え?」

 顔をあげると、ローザリア姫の隣に座ったアレクが考えこむような表情でこちらを見ていた。

「半精霊の君なら、まず間違いなく取りにいける」

「それは魔術師としての意見?」

「僕の意見だ」と、アレクは言った。

「王国で一番深い泉は、王宮の北の外れにあるよ。おそらくそこに、そのクリアライトは咲いている。その泉は結びの泉と言われていてね、僕の祖父母が知り合ったという場所なんだ」

「お兄さま」

 ローザリア姫がたしなめるように言った。

 彼女は気まずい顔をしていた。その身に精霊の血を宿した王女は、あまりこの話に触れたくなさそうだった。人の身に精霊の血が流れることは、この王国ではあまり喜ばれることではない。だが、妹が大好きだというアレクは、予想に反して言葉を続けた。

「フィオナ、君は僕たち兄弟の事情は知っているね?」

 わたしはこくりとうなずいた。アレイスト王子とローザリア姫は、現王陛下と半精霊の王妃の子どもだと、カルーから聞いている。

「僕は最初に君を見たときに、母上のことを思い出した」

 アレクはわたしに近づくと、わたしの黒髪をそっとさらった。

「母上は花の精霊と人との間に生まれた娘でね、たまに精霊の父親と会っているようだった」

「でもそれが、わたしが水の底に行けることと何の関係があるの?」

「馬鹿だな。普通の(・・・)泉の底に花なんてあるわけないだろう? そういうのは精霊界と人間界が入り混じった場所だと相場が決まってるんだ」

「だから、わたしなら行けると?」

 そうだよ、と彼は優しい声音で言った。その表情は憂いを帯びている。

「一緒に行きたいが僕は行けない。ローズも無理だ。精霊の血が薄すぎる」

「場所さえ分かれば一人で大丈夫よ。こういうのは慣れてるもの」

 強がりだった。

 ――恐くなったかい? と、過去のヴェイドさんがわたしに問いかけている。恐いと、いつだってそう思う。一人は寂しい。

 わたしはいつの間にか手が震えていたらしい。アレクはわたしの冷たくなった手をしっかりと包みこむと「その気持ちを忘れては駄目だ」と、ささやくように言った。

「精霊には感情がない。だから今思っていることは、きみが人として生きている証なんだ」

 恐い、助けたい、そして人を愛しく思う気持ち。

「必ず戻ってくるんだよ、フィオナ」

「どうすればいいの?」

「心に強く、戻りたいと思うこと。戻りたいと、愛する者を思い浮かべて自分に魔術をかけるんだ。それが帰りの扉になる」

 逆に、人としての心が思い出せないと、体は精霊の部分に取られてしまうと言えた。

「わたしに出来るかしら」

 結構な大役だ。

「出来るよ、やつの小さな精霊さん」

「前から思ってたんだけど、その“小さな精霊さん”って何なの?」

「幸せを運ぶ人の呼び方だ」そう言って、アレクは含んだ顔で微笑んだ。「さて、後はどうやって精霊界へもぐりこむか考えないとね」

 急に口調を変えたアレクは、そう言って顎さきをなでつけた。

「もぐりこむ、ねえ……」

「もぐりこむ、かあ……」

 わたしとカルーは口々につぶやき、


「…………あなた方、そこで何故わたくしを見るのかしら?」


「うーむ」

「うーん」

 ローザリア姫を見ながら思案に暮れる。姫は気圧されたように、顔をゆがめてたじろいだ。薔薇の加護があれば、絶対に役に立つと思うのだけど……。

「ローザリア殿下、ちょっとお願いがあるのですが」

 わたしは彼女に頼みこんだ。







「わ、わたくしに泣けと仰るなんて、あなた方はわたくしを何だと思っていらっしゃるの?」

 信じられない、という顔でローザリア姫は声をあげた。その手には限界まで引っ張られた絹のハンカチが握られている。わたしとカルーはそんな彼女を追い詰めるように、じりじりと近寄った。

「申し訳ありません、殿下。あなたの薔薇の加護が、精霊界のほころびを探す手立てになるかと思って」

「うむ、そなたの加護は強い力だからな。なに、ほころびの場所は俺に任せろ」

「あ、あなた方わたくしの話を聞いていらっしゃるのッ!?」

 泣き顔を見られるだなんて、王女の恥ですわ!

 そう付け加え、既に若干涙目になったローザリア姫が、ひどく狼狽したように後ずさる。

 わたしの指輪の魔石に涙を落とせば、何らかの加護が宿るのではと思い当たったのは、つい先ほどのことだ。魔石は魔術師の血から作られるというが、なにせ母親アンディーナの涙から生まれたこの石だ。色合いも赤じゃなくて水色というあたり、なんとなく信憑性がある。

「だ、だいたい劇団の女優ではありませんのよ。泣けと言われて泣けるわけがありませんわ!」

「でもこの間、恋愛小説を読んでひどい顔でボロボロ泣い――」

「あ、あああなたは余計なことを口走らないでくださいませッ!」

 王女は扇子でばちんと、婚約者の胸をたたいた。わたしは困りながらそんな彼女の顔を見あげた。

「申し訳ありません、殿下……あなたの涙をわたしの魔石に落とせば、もしかしたらと思ったんです」

「だとしても、あなたが行くと仰るの?」

 姫はきっとわたしを睨みつけた。

「精霊界に行くだなどと、あなたはその意味を分かっていますの? それは無謀というものですわ。小半(こなから)のわたくしに、それが分からないとでも思って? わたくしが許すとお思いでしたら大間違いですわ」

「殿下……」

「わたくしの弟のためといえど、そのような真似をするなど許しませんわ。わたくし、……その」

 王女は少しだけ言葉を切った。

 この先を言うのを少しためらうように、彼女は何度か口を開きかけた。そして、

「あ、あなたとは良い友人になれると思っていますのよ。どこの世に友人を危険な目にあわせる者がいらして? い、言ってはなんですが、このわたくしを気味悪がらなかった娘は、あ、あなたが……っ」

 そう言いかけたローザリア姫の新緑の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「おっと」

 カルーが指輪に姫の涙を受け止めた。彼は淡い桃色の光を帯びた指輪を、ぽいっとわたしへと放り投げる。

「どうやら成功したみたいだな」

「……あなたという人は!」

 涙を流したローザリは、激高したようにカルーをにらみつけた。

「もう知りませんわ! カルーもフィオナも、勝手になさればいいのですッ」

 そのまま烈火のごとく部屋を去って行った王女殿下に、わたしとカルーは互いに顔を見合わせた。

「だそうだ、フィーよ」

 そう言ったカルーは、いまにも死んじゃいそうな顔になっていた。悲壮感たっぷり。そ、そんな顔で言わないでよ……。

「い、いいの? せっかく両思いになれたのに、あなたまた振られちゃうかもしれないわ」

「いま振られるなら、いずれ振られるということだ、小さな魔術師よ」

 カルーは諦めたように言った。彼は色んな意味で、いまにも泉に飛び込みそうな雰囲気だ。

「だが俺の国には“困っている友を見捨てるのは不幸の始まり”という言葉があってだね……まあ、お前は放っておいても、どのみち花を探しに行くんだろうけど、それでもな……」

「ローザリア殿下、あとで許してくれるかしら……」

 許してくれなかったらどうしよう。

「大丈夫だよ、ありゃ一時的なヒステリーみたいなもんだ」と、アレクだけはのんきそうに言った。それなら良いんだけど……。

「もしそうでなければ、俺と一緒に土下座参りでもしよう」

 そう悲しげな顔で言うカルーに、わたしは「そうね」と力なくうなずいた。



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