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19 奇跡の花

「わざわざ言わなきゃ分からなかった?」

 第二王子の私室にヴェイドさんが来たのは、それからすぐのことだった。

 わたしはひどくうなだれていた。取り返しのつかないことをしたと、そう思ったのに、激高するかもしれないと思っていたヴェイドさんは拍子抜けするほど無感情だった。それが逆にわたしの気持ちを落ち込ませる原因となっていた。

 問題のレオディス王子は、呪いが暴れたことですでに意識を失っている。

「きみは一番間近で、ぼくの実験を見ていただろう。言わなきゃ分からないというのは言い訳にならないよ。きみの頭は、ただ覚えるだけだっていうのかな」

「ごめんなさい、ヴェイドさん……」

「ぼくに謝るな。言うべき相手が違うだろう」

 いっそ勢いよく怒鳴られたほうがマシだったとわたしは思った。淡々と述べられた事実は、どれも反論の余地がない。幼い子どもではないのだから、自分で考えて動くことは出来たはずだ。

「ヴェイド様、その……フィオナを責めないでくださいませ」

 その会話を聞いていたローザリア姫が戸惑いがちに口を切った。

「わたくしの思慮が足りなかったのです。薔薇の加護があると知っていながら、なぜレオから遠ざけられていたのか考えてもみませんでしたわ」

 ただ、会いたいとばかり思っていた。姫の表情は、まるで倒れてしまったレオディス王子のように青白く見えた。彼女もまた、相当な責任を感じているのだろう。

「まあ、ローズにも……もちろんアレイストにも責任はありますがね」

 ヴェイドさんはローザリア姫を一瞥すると、再びわたしへと向き直る。

「でもフィオナ、きみは薬師としてここに居るんだろう。免許の在る無しはこの際関係ない、きみは一人の専門家としてここに居たんだ。まさか、気づかなかったなんて言わないだろうね」

 わたしはただ、黙りこんだ。

 薬師として人の体に手を加えるということは、わたしが勉強中の身であろうが何だろうが、必ず責任が伴うということだ。わたしはただ覚えるだけだ、という先ほどの彼の辛辣な言葉が鋭く胸につきささった。

 見かねたらしいアレクが、わたしとヴェイドさんの間に割って入る。

「むちゃくちゃなこと言うなよ、フロディス。フィオナは半分、嵌められてここに来たんだろう? おまえが今までいびり倒した薬師とはわけが違うんだよ」

 やっぱりいびり倒してたわけ。

 彼は魔術関係には手を抜かない。ゆうずうが効かないとも言えるが、この状況では彼が正しいと言わざるを得ないだろう。魔術はわたしが思うよりもずっと責任が問われるもので、生死の境が際どいものなのだ。

 アレクの言葉に、ヴェイドさんは小さく息をついていた。そうして彼は、額に手をあてて考え込んでしまう。

「フィオナのせいじゃないだって?」

 それは分かってるさ、と彼は吐き出すように言った。彼もまた同じように、後悔しているのだとわたしは理解していた。



 そして人払いをさせた部屋のなか、わたしはじっとヴェイドさんの後ろに立っていた。

 手際よくレオディス王子の観察を続けるヴェイドさんは、いつになく険しい表情をしている。無理もない。少しずつではあるが、ヴェイドさんはレオディス王子の容態をつかんできていたのだ。彼にとっては今までの治療が無駄にされた思いだろう。

 彼はつと意識を失ったレオディスの横にひざをついたかと思うと、いつもやっているように、手をかざして治癒術を展開させ――

「……どうして途中でやめるの?」

 彼がわずかに手を引くのを見て、わたしは思わず口をはさんだ。あまりにも不自然だったのだ。ヴェイドさんはわたしに肩越しに振り返った。

「フィオナ、こちらに来なさい」

「え、ええ」

 呼ばれて、わたしはおずおずと彼の傍に近寄った。するとヴェイドさんは躊躇いなくレオディス王子の上着の前をはだけ、わたしに訊いた。

「きみの目にどう映る? ぼくには見ることができない」

「……真っ黒よ」

 わたしは王子の姿を前に、顔をゆがめた。先ほどカルー達と見ていたときと違い、薔薇の加護に反応した呪印は一気に倍ほどにもふくれあがっていた。

「首から、ここ」と、わたしは指をさす。「胸の中央にかけて楔が伸びているわ」

 先ほどよりも濃く、そして長く。

「じゃあ印をつけて」

 呪いを直に見られないヴェイドさんは、わたしにインク瓶を手渡した。見える通りに呪いの場所をなぞれというのだろう。わたしはうなずくと、彼の言う通りにレオディス王子に印をつけた。

「呪いの気配が強くなっているのは分かっていたけど」

 わたしが付けた印を見て、ヴェイドさんは浮かない表情になった。

「あまり良い位置ではないな。治癒術が、これまでのように効かなくなってる」

 ヴェイドさんは小さく言った。だから彼は、先ほど手を引いたのだ。

 魔力の量は生命力の量。魔力を生み出すのは血潮と、体の中心となる心臓である。その場所に呪いが近づくということは、これまで以上に強く力を奪うということを意味している。

「呪印がレオディスの心臓に近すぎる。そこを無理やり解いて治癒術をかけることは理論的には可能だ。でも……」

 じっと王子を見おろす彼の横顔から、悔しさがにじんでいる。

「呪いは暴れるだろう。こちらはただ、呪いを打ち消せばいいわけじゃない。この楔が血脈を食い破った時、間違いなくレオディス王子は死ぬ」

 このまま助からないかもしれない。それは彼が、初めて弱音をはいた瞬間だった。

「そんな……」

 冗談でしょう、と言いかけてわたしは口をつぐんだ。彼らしくもない言葉だったが、言うべき言葉も見つからない。

「ヴェイドさん」

 わたしはほとんど、すがり付くように跪いた彼の頭を、両腕で抱えこんだ。彼の魔力が触れた場所から伝わってくる。腕のなかで驚いたように彼が身じろぐのが分かった。

「泣かないで、ヴェイドさん」

「あのね、フィオナ。泣いてないよ」

 あきれたように言う彼の顔には、涙など一滴もない。

「でもきっと、心のなかで泣くんでしょう」

「どうだろう」

 だとしても、感情に鈍くなっている彼にはきっと分からない。でも彼から“悲しい”という気持ちが伝わってくる気がしたのだ。もしかすると、本当はわたしが悲しかったのかもしれない。どっちでもいい。ただ、とても胸が痛い。

「フィオナ、ぼくはただのダメ魔術師なんだよ」

 腕のなかで、ヴェイドさんがぽつりと言った。そんなことはない、と言える気配ではなかった。

「ぼくは三百歳の賢者じゃないんだ。見た目がほとんど変わらないせいか、それに甘んじて薬師長のように老成もできなかった」

 吐き出すように彼は言う。自分は何でもできる天才などではない、と。彼が偉大な魔術師にみえるのは、魔術を使う年月の長さと、魔力の多さだけなのだ。なのに人は彼を水の魔術師と恐れ、誰もひとりの人間として見てこなかった。

 ううん、ちゃんと周りには彼を人間として見る人がいるのに、彼は傷つくことを恐れてその目を開こうとしていない。

 恐れられ、そして恐れる。いつからか、ずっとこの繰り返しになっていたのだろう。

「それでも助けたいのね」

 腕のなかの彼に声を落とすと、しばらくの沈黙があった。

「……置いて行かれるのはうんざりなんだ」

 ――きみも、いつかはぼくを置いていってしまうんだよ。

 彼は優しい魔術師だ。自分が傷つくと分かっていながら、彼は人を見捨てられるほど非情になれない。人を恐れる彼の、心のなかの大きな矛盾だ。ここで助けたところで彼はいつか王子を失うだろう。そしてそれがまた、彼の心を凍りつかせると分かっているのに。

 置いていかない。

 わたしは絶対に、あなたを置いて行ったりしない。

 知らずと力がはいったわたしの腕は、ヴェイドさんにやんわりとほどかれてしまった。

「フィオナ、さっきは怒って悪かったね」

 ぼくも自分を責めたい気分だった、と話す彼に、わたしはかぶりを振った。

「……ヴェイドさんのせいじゃないわ」

「なら、きみにも同じ言葉を返すよ。これでおあいこだろう?」

 わたしは彼の青紫の瞳を見つめた。静かに凪いだ湖面のように、その瞳は穏やかな色をしていた。

「魔術は理屈で語り明かせる。だが人は理屈ではないと、きみが教えてくれた。だから最期のときまで解呪を続けてみよう」

 だが、呪いを解くことができるかは分からない。それに、きっとすぐには解けない。呪印を完全に打ち消す頃には呪いの楔は心臓を貫き、そして王子は命ごと魔力を奪い取られてしまうだろう。

「どうやって解くつもりなの」

「少しずつぼくの魔力で打ち消して、だ」

 ヴェイドさんは苦笑した。

「呪印を暴れさせないように抑えるには長い時間をかけるけど、まあ出来ない話じゃない。ただしぼくはぶっ倒れるだろうけど」

 この前のように。

「そうしたら、わたしから魔力を補えばいいわ」

「もう逃げないと誓うのならね」

「逃げないわよ」

 冗談みたいに言う彼の気持ちが、よく分からなかった。わたしの気持ちを突き放したかと思うと、こうして傍に置こうとする。ひたむきなのは魔術にだけで、彼の真意は矛盾だらけだ。カルーの気持ちに腹を据えかねたというローザリア姫の気持ちが、今なんとなく腑に落ちた。

 そしてヴェイドさんは“生きる魔力作成機”のわたしを抱えこみながら、レオディス王子に治癒術を掛けはじめた。弱く弱く調節された光が、じんわりと王子の体に溶けこんでいく。

「……ああ、クリアライトがあればよかったなって今ほど思うことはないよ」

 うんざりした顔でヴェイドさんは愚痴のように言った。

「クリアライト?」

「奇跡を起こすという花の名前だよ。一度だけ、大きな魔術を使うのに触媒として使ったことがあるんだ。一輪しか持ってなかったから……しまったな、取っておけばよかった」

 聞き覚えのある話の内容に、わたしは知らずと胸もとの指輪をぎゅっと握った。幼かった頃に、母親から寝物語として聞いたことがある。ひとつだけ願いを叶えるという奇跡の花。

奇跡の花(クリアライト)……」

 遠い場所にあるというその花は、結局どこに咲いているのだろう。結局聞けずじまいになってしまった。いつか一緒に行ってみようかと話した母親は、今はそれこそ遠い場所にいる。

「ヴェイドさんは、クリアライトをどこで手に入れたの?」

「アンディーナにもらった」

 やはり母親か。

 そうなると探す手立てはないのね。

 しかし母親以外でも、どこかで“奇跡の花”という単語を聞いた覚えがある。聞き流してしまった気がするが、あれはどこで――…


 ――ローザリア姫のことはちゃんと好きなんでしょうね!?

 ――もちろんだとも! 俺の想いは奇跡の花を咲かせるぐらい誠実だ。しかし、かの美しき花弁といえど、気高きローザリアの名には及びもしないだろうがね。


 ……。


 …………あ。


「カッタルーダ皇子ッ!?」

 いきなり叫んだわたしに、ヴェイドさんがびくりとのけぞった。




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