15 姫の婚約者
ねえフィオナ
なに? お母さん
フィオナは奇跡の花って知ってるかしら?
奇跡の花?
誰にでもひとつだけ願いを叶えてくれる、とても綺麗な花のことよ
そんな花、どこにあるの?
遠い、遠い場所に
遠かったら探しに行けないわ、お母さん
そうねフィオナ。いつか一緒に行ってみる?
わたしが見たいって言うの、分かってて訊くんでしょ
じゃあ、一緒に見に行きましょうね
あなたがもっと大きくなって
誰かをとても愛したら、ね
◆・◆・◆
目が覚めた瞬間に“うわあ”なんて思う日々は、ろくなものではない。そしてわたしの朝は、最近ずっとそんな感じで始まっていた。
すぐ目の前には、わたしを抱えながら熟睡する魔術師の顔……。
『フィオナを抱きかかえて眠ると寝つきが良い』と、彼が言い出したのは数日前のことだった。わたしが彼と鐘楼で久しぶりに顔を合わせた夜の話だ。
わたしは水の精霊の血を引くため、水属性に秀でたヴェイドさんとは、魔力の質が似通っているらしい。だから他の人と比べると段違いで魔力の受け渡しが簡単だ。要するに、わたしの魂の半分が彼に従属してしまって、勝手に魔力をやりとりするというわけなのだけど……すこし複雑な心境。
病床のレオディス王子に治癒術を使い続けることは、ことのほか魔力を消費するらしく、ヴェイドさんは以前よりも疲れた表情で居ることが多かった。そんな彼の役に立つなら本望とも言えるけど、いやしかし……。
「ちょっと。ねえヴェイドさん、ちょっと」
勝手に人のベッドに入ってくるのはやめなさい。あなたいったい、どこぞの仔猫ですか?
わたしは目の前の、ずいぶんと毛並みのいい銀髪を勢いよく揺らした。ちっとも起きないし、目覚めもしない。今年めでたく、御年三五一を迎えるこの青年――このまま永眠してるんじゃなかろうかと疑いたくもなるが、すうすう寝息を立てている様子からみるに、たぶんまだ生きている。
ここ数日の彼はいつもこうだ。勝手にわたしの部屋にやってきて、勝手に寝転がっていく。わたしがあなたに恋する、十五の乙女と知っての所業かしら? いや、まったく思ってないに違いないのだから、失礼な話だ。
わたしは鬱陶しい彼の腕から抜け出そうと奮闘するが、逃げようとするのを夢心地に感じ取ったらしいヴェイドさんが、ますますがっちりと体を絞めた。ちょ、ちょっと苦しい!
「ヴェイドさん、この、いい加減にして――!」
わたしが思い切り、彼のみぞおちに蹴りを入れると、眠りについた偉大なる魔術師は小さくうめき声をあげるのだった。
「――それで、ヴェイド様とはお話なさったのですか?」
ローザリア姫は非常に “いちおう聞いてみた”という顔で、わたしに訊いた。
そんな姫にあるまじき表情でも、気高きローザリアは美しい少女である。赤みを帯びたきれいな金髪が、彼女の顔を悩ましげなものに見せている。
彼女の離宮に招待されたわたしは、いまは彼女の私室という場所に通されていた。彼女の兄であるアレイスト王子の部屋も趣味が良かったが、彼女の部屋も同じぐらい品がよかった。薄桃色の壁紙には白で緻密な模様があしらわれ、置かれた調度品のデザインも少女らしくかわいらしい造りである。まさしくお姫様のお部屋。
「いちおう話せたことは話せましたが」
わたしはローザリア姫を見ながら、うーん、と首をひねった。逃げていないでヴェイドさんと向きあえと、そうわたしに言ったのは彼女だった。
でもわたしは、彼ときちんと向き合えたのか分からなかった。場当たり的に再会して、わたしは恋をするという意味で彼が本当に好きになったのだと自覚したが、対するヴェイドさんからはあっけなくわたしの告白を流されてしまった。
「ローザリア殿下、わたしも、ヴェイドさんには振られてしまいました」
「わたしも、とはどういう意味ですの。わたしも、とは」
「だって殿下も、何度か告白なさったんでしょう?」
ローザリア姫が、うっとのけぞった。悲しいかな。わたしたちは、ひとりの魔術師に何度も“当たって砕けろ”を繰り返す愚か者の集まりなのだ。
誰から聞いたのです、と姫が言わなかったあたり、あまり隠そうともしていなかった事実なのだろう。彼女は何度か咳払いをした後、心を落ち着けるように紅茶を口にして、おもむろに切りだした。
「その……あなたが落ち込んでいなければ、別にいいのですわ」
つん、と顔をそらした王女にわたしは思わず噴き出しそうになったが、すんでのところで我慢した。この気位の高い王女が、彼女なりにわたしを心配をしていたことは分かっているのだ。相手は恋敵だというのに、本当に根が良い王女だった。
わたしは落ち着いた声で彼女に言った。
「そうですね、あんまり落ち込んではいません」
「なぜですの? 好いた相手なのでしょう」
「だって、最初から振られると分かってましたから」
少なくとも、はいそうですかと受け入れられるとは思っていなかった。それには心当たりがあるのか、ローザリア姫は気まずい顔で、窓の外を見やる。「難攻不落ですものね」と、彼女は諦めたように息をついた。経験者は語るのか。でも年下に迫られて落とされる三百歳というのも、いかがなものよ。内心そう思っていると、思い出したようにローザリア姫は言った。
「ですが、わたくしは思ったのですわ。あなたが部屋に閉じこもっている間……」
「わたしがふさぎ込んでいる間?」
「ヴェイド様もあのようなお顔をなさるのね、と。……ああもう、わたくしは何故あなたにこのようなことを!」
いったいヴェイドさんはどんな顔をしていたのよ。変顔する彼はあまり想像できない。
「あなたが思ってるような顔ではなくてよ」
あ、やっぱりですか。
ローザリア姫は少し不機嫌そうだ。
「まったく」と、彼女は息巻いた。
「ヴェイド様もカルーも……どうして殿方はあんなふうに、煮え切らない態度なのかしら? とくにカルーときたら最悪ですわ。あのヘタれ……だからわたくしも縁談に腹を据えかねていますのに!」
「…………カルー?」
嫌な予感がして、わたしは聞いたことのある単語を繰り返した。カルー、カルーってもしかして。怪訝な顔になったわたしを、ローザリア姫はちらりと見る。
「カルー……カッタルーダ皇子は、わたくしの婚約者ですわ」
◆・◆・◆
カッタルーダ・ファリィス・セラ・ドオシュ・バスティ=シャリファ・シャ・クヴォイ・ネフィティ=セルケート・デヴォラ=スーノィ・サンなんとかさん。
――特別にカルーって呼んでも構わないぞ。
ま、間違いない……あの人だ。
わたしは少し引きつった顔で、ローザリア姫のもとから辞したばかりだった。いそいでアレクのもとへと走る。
まさかローザリア姫の相手というのが、書物庫で会ったカルーだというのは予想外だった。いや、予想どおりと言うべきだろうか。彼の態度ときたら、彼女が『あのヘタれ』と表現するのも納得だったのだから。
わたしはあの異国風の衣装を身にまとった、黄金の瞳を持つ青年を思い出した。ローザリア姫が言うには、カルーは帝国サングレイスの皇子とのことだった。
……あ、あれが皇子?
帝国の世継ぎともあろう御方が書物庫で恋愛指南本を片手に、恋について熱く語っちゃうなど、あってもいいことなの?? 失礼ながら果てしない疑問を抱いたわたしだったが、アレクに引き連れられてきた“ローザリア姫の婚約者”は、見間違えようのないほどカルーだった。
彼はわたしを見るなり、ぱあっと明るい笑顔になった。
「おお、まさかフィーにまた会えるとは。あれから、おまえのほうはどうなんだ?」
「ふぃ、ふぃー?」
「フィオナって呼ぶよりも親しそうじゃないか」
意味ありげに片目をつぶるカルーを見て、「なんだ二人とも知り合いか?」とアレクは言った。いいえ、ただの他人よ。
「彼女とは恋について深く語り合った仲でね。フィーよ、覚えているか? あの二人で語り明かした蜜月を」
「語り明かしていませんし、蜜月でもありません。すぐそこに兵士さんがいたでしょうに」
わたしは思わず早口で言った。
わたしを口説きにかかってどうするのだ。思わず、皇子を睨みつける。
「十年来の思いびとって、ローザリア姫のことなんでしょう? もうちょっと必死になりなさいよね」
とげを含んだ声音に、カルーは「必死だとも」と、余裕ぶって肩をすくめた。
「彼女とは来年にも結婚しようかという話なんだ、ここにきて落とせていないなんて知られたら、国の家臣たちに笑われてしまう」
「ローザリア姫のことはちゃんと好きなんでしょうね!?」
心配するのが家臣からの評判だなんて!
わたしは苛々しながら彼の顔を見るが、カルーは飄々とした顔をしている。
「もちろんだとも! 俺の想いは奇跡の花を咲かせるぐらい誠実だ。しかし、かの美しき花弁といえど、気高きローザリアの名には及びもしないだろうがね」
ああもう、“のれんに腕押し”ってこのことね。異国のことわざ辞典の知識なんて、いま思い出してる暇ないのに。カルーはいまいち、真剣味のない皇子だった。




