13 そして鍵をかける
み、見間違いじゃないわよね?
ローザリア姫があんな危ない場所にいたことに、しばし呆然とするわたしである。先日見たときは優雅な姫に見えたのに。
やがて鐘楼から降りてきたらしいローザリア姫が、立ち尽くしたわたしを見て最初に言ったことは「まあ、あなたお顔がアザラシの子どもみたいですことよ」だった。リスタシアの北海に住む生き物のように、目がきょとんとしていると言いたいらしい。
「ろ、ローザリア殿下……、あんな場所でなにをしてたんですか?」
ようやく訊ねることができたわたしは、落ち着いた様子の彼女を見た。わたしの驚きをよそに、王女はなんでもないことのように言った。
「久しぶりに風に当たりたかったのですわ。さすがに少し、子どもっぽいかと思いましたけれど」
「もう少し別の方法があるのでは……」と、わたしはあきれた。「落ちたら怪我どころではすみませんよ」
怪我で済むならまだ良いんじゃなかろうか。
あんな鐘楼の高さでは、落ちれば下手をすれば即死だ。眉をひそめるわたしに、彼女は「あら、王宮には優秀な治癒術師様がいますのに?」と、微笑みながら頬に手をそえた。ヴェイドさんのことだ。
「それに、わたくしは怪我などいたしませんわ。薔薇の加護がありますもの」
また薔薇の加護の話だ。
「……その、“薔薇の加護”には、そこまでの力があるんですか?」
生まれたときに、ある精霊から“薔薇の加護”の魔術をかけられたというローザリア姫。精霊の加護というのは、その者を美しく成長させ、そして不思議な魔力で包みこむことだ。いちおう、リスタシアの民の間でも似たような慣例がある。生まれた赤子に根拠のない“まじない”をかけ、大人になるまでの行く末を祝福するというものだ。もっとも、この王女のように強い力を授けることはないのだけれど。
「わたくしは、どなたからも傷つけられないのですわ」
それが例えわたくし自身だとしても、と王女は静かに告げた。
わたしは先日のヴェイドさんの実験――彼女の髪が、いとも容易く呪いをはじいたときの光景を思いだした。ヴェイドさんが手こずるぐらいなのだから、呪いはそう簡単なものではないだろう。それを跳ね除ける護りの力は、相当なものだと思われる。
「ですが、薔薇の加護もあと少しなのですわ。わたくしが成人するまでという決まりなのです」
「でも、殿下はすでに十六になられたのでは?」
リスタシアの成人年齢は十六歳。ローザリア姫はとっくに十六歳の誕生日を迎えていた。わたしの疑問に答えるように、ローザリア姫は言った。
「旧暦の数えでいくと、わたくしが十六となるのはあと半年後ですわね」
「そうなんですか」
旧暦はいま使われている暦よりも、数ヶ月の差が出る計算だ。かつて古代サークレシア語が公用語であったころの話だったが、魔術はいまもその頃の前提を引き継いでいる。
「……だから加護が解けたころに、隣国に嫁がれるのですね」
わたしの言葉に、王女は「そうですわ」と笑みを崩さなかった。
「たとえ加護を失った姫であろうと、ローザリアの名を付けられた者ですもの。その姫をもらい受ける側の国としては、真摯にならざるを得ないですわ。我が国では大魔術師が睨みをきかせていることもありますものね」
まるで他人事のように、ローザリア姫は言った。
気高き花の彼女が妻として嫁げば、国と国のつながりはより強いものになるだろう。彼女の存在は、わたしが思うよりも意味が重いのだと今さら気づいた。
「辛くは、ないんですか?」
彼女のほっそりとした肩にかかる重圧は、いったいどれほどのものだろう。なのに王女は、「わたくしとて王族の一人ですもの」と、ひろげた扇子の向こうで微笑むのだ。
わたしは少しショックだった。
彼女はよっぽど、わたしなんかよりも自分を見つめている。生きた年月はほとんど変わらないはずなのに、彼女はこうして、立派に姫として生きている。ヴェイドさんの顔がみられないだなんて、そんなことで悩むわたしが急に小さなものに思えた。
「あら、あなた。なぜそのようなお顔をなさるの?」
どんな顔をしていたんだろう。ローザリア姫は、口もとを隠したままわたしをはかるように目を細めていた。
「わたくしに同情でもなさって?」
「いえ、ただ凄いなと思って……。わたしなんかとは全然違います」
かぶりを振るわたしに、彼女は脱力したように息をついた。
「あなたって。わたくし呆れましたわ……。いいこと? わたくしは王女、あなたはわたくしの民ですわね」
王女はわたしの鼻さきを指さす。
「わたくしはあなた方の上に立つ者です。望めばすべてを手に入れられる代償として、わたくしは決められた運命を歩むのですわ。最初から生き方そのものが違うのですから、あなたとわたくしは別の生き物とも言えるのです」
「そんなものでしょうか」
「でなければ、わたくしが今まで厳しい教育に耐えた甲斐がありませんわ。凄い、という言葉だけで片付けて欲しくありませんもの」
民とは違う生き物である。だからこそ彼女はその生き物としての誇りを持つ。それは気高く、美しく咲く薔薇の花のように。
「でも、ローザリア殿下。あなたは魔術師長が好きなのでしょう? このまま……良いんですか?」
好きな相手から、遠く離れた場所に行っても。
本当はここまで訊くつもりはなかった。ただ、自分を別の生き物だという彼女が、その心になにを思うのか知りたくなってしまったのだ。
わたしの言葉に、ローザリア姫は「愚問ですわ」と、ふっと笑った。
「婚約と恋愛は別ものでしてよ。父上が命じられるのならば、私は大人しくその相手のものになりますわ」
「でも心まではそうならないと、仰るのですね」
彼女はそれには何も言わず、満足気に首をかたむけながらぱちりと扇子を閉じた。
「どうせお兄さまが、わたくしのことをあなたに吹き込んだのでしょう? 大切にしていただけるのは結構ですけれど、お兄さまもわたくしを分かっていらっしゃらないわ」
ローザリア姫はふふりと笑った。
アレク、あなたが思っているよりもローザリア姫は大人だわ。わたしはこの王女の兄のことを思った。彼が心配せずとも、この少女ならきっと立派な妃殿下になれるだろう。
「ローザリア殿下は、どうして魔術師長を好いていらっしゃるのですか?」
だからわたしがこれを聞いたのは、単なる興味だった。知りたいと思ったのだ、彼女がなぜ冷酷だと言われる魔術師ヴェイドを好きになったのか。きっと誰も知らない一面を、この王女は見たに違いないから。
わたしの質問を聞いたローザリア姫は、「あら、聞いてくださる?」と、ぽっと頬をあからめた。
「それをお話しすると、わたくしがまだ八つのころになるのですが……。ああ、いま思い出してもあれは運命的でしたわ」
「は、はあ……」
なぜか一気に乙女へと豹変した王女に、わたしは少したじろいだ。
「あれはわたくしが王宮の回廊にて遊んでいたときでしたわ。弟のレオディスと庶民の“鬼ごっこ”なるものをしていたとき、ドレスのすそにつまづいてしまったのです」
「はぁ」
「自慢じゃありませんけれど、それまでつまづいたことなどありませんでしたのよ。常であれば共の者がさりげなく姿勢を崩すわたくしを支え起こすのが当然のことでして、高貴なる王女への対応としてはそれが――」
「ええと、つまづかれてどうなさったのですか?」
長くなりそうな雰囲気に思わず割ってはいると、彼女はやや残念そうな顔になった。意外と王女はおしゃべり好きらしい。
「……つまづいてしまい、花瓶を倒してしまったのですわ。まさかそれが頭上に降りかかるとは思ってもみず、わたくしが驚きに目を見ひらいたときでした。かの魔術師ヴェイド様が颯爽と現われてわたくしの身を優しく受け止めてくださったのですわ」
ローザリア姫は、照れたようにその身をよじった。
「そして仰いました、“なんでこれぐらいの歳の子ってお転婆なんだかねえ、これはいま実験中の花だから勝手に花瓶を割らないでくれるかな”と。今思えば、わたくしの中ではそれが決定打でしたわね」
「あの……ちょっといいですか」
わたしは額を抑えながら、恍惚とした表情のローザリア姫に言った。
「それでなんで恋に落ちられるのか、まったく理解できないんですが……」
要するに、ヴェイドさんがなにか実験中だったらしい花を、ローザリア姫がうっかり倒そうとしたところを発見されただけなのだ。恋する乙女の思考はなぞだ。
わたしが思い切り悩んでいると、「ふ、お子様のあなたには、到底わかるはずもないことですわ」と、余裕そうに王女は口もとに手をあてた。
「……ですが」
ふいに、王女の笑みがひそめられた。
「ヴェイド様のことに関して。ひとつあなたには、言っておかなければと思っていたのです」
「わたしにですか?」
首をかしげるわたしを、おもむろに王女がのぞきこむ。その新緑の瞳にはわたしが映りこんでいた。
「わたくし、あなたには負けを認めざるをえませんの」
「え?」
――わたくし、このような娘に負けましたの?
「わたくしこそが、閣下の心を溶かすと。そう信じていたころがありました」
王女の瞳はすべてを悟っているかのように、不思議なほど穏やかだった。
悠久を生き、凍てついた心の憐れな魔術師。伴侶も持たず、人をよせつけず、ただひたむきに魔術に向かう彼の姿。いつか温かな光のもとに引きずりだして、すぐ隣であなたも生きているのだと微笑みかけるのは、薔薇の姫ローザリアであるはずだった。
「閣下が倒れるだなどと、わたくしは生まれて初めて聞いたのです」
まるで陽をあおぐように、まぶしそうに姫は目をほそめた。
「完璧であるはずの魔術師が、己の力量を見失うなどということは、あってはならないことなのです。残された魔力がわからぬほど、あの方はなにに気取られていたのかしら?」
ローザリアは悔しそうな顔をしていた。姫にあるまじき表情であることは、彼女が一番わかっているだろう。でも彼女は静かに言った。
「……あなたはヴェイド様にとっての特別なのですわ。あなたを前にしたときだけ、彼はただの人となれるのです」
悔しいが認めざるをえない、とその表情が告げていた。
慕いあげる魔術師が、ただ笑い、驚き、怒り、そして傍におこうとする者が、自分ではないことがひどく悔しい。そんな彼女の思いを前に、わたしはひどく狼狽していた。
「そんなはずはありません」
そんなはずはない。わたしは確かにヴェイドさんが好きだ。でも彼にとってわたしが特別なんて、そんなことはありえない。
「わたしは……」
「あなた、名前はフィオナと言いましたわね。ねえ、フィオナ。あなたなぜ彼と向き合わないのです?」
ローザリア姫はまっすぐにわたしを見ていた。
「昨日の茶会では、あなたは一度もヴェイド様を見ませんでしたわね。わたくしも少し意地悪心で色々と言いましたけれど、あなたも本当は分かっているのではなくて? あの方が唯一、興味を抱くのがあなたであることを……」
「ち、違います。そんなこと」
「なぜあなたは、自分から鍵をかけるのです? 逃げているばかりでは真実は見えませんことよ」
ローザリア姫は年下を叱るような口調だった。
「あなた、たしか親をなくしたのでしたわね。原因はそこかしら」
そう言った姫の言葉に、わたしははっとした。
精霊の母と人間の父をもつ、半精霊の娘フィオナ。父親は遠い場所に幽閉され、母親もどこかに消えていなくなってしまった。
大好きだった母親が、わたしの傍にいない。
「違います」
声がふるえている。無意識に、わたしは胸もとの鎖――母親の残した魔石の指輪を握りしめていた。
本当はどこかで分かっていたのかもしれない。これ以上すすむと、あの人は誰よりもわたしの大切な人になってしまう。わたしの生きる希望になってしまう。
そして、
それから?
――これからもずっと一緒に暮らせるのよね?
――よい人間におなりなさい、フィオナ。私はいつでもあなたの傍におりますよ。
――消えたりなんかしないで……!
「…………そんなことない、ちがう……」
小さくか細い音が、わたしの声だと気づくのには時間がかかった。知らず顔をおおったわたしに、ローザリア姫は聖女のように優しい声で言った。
「また大切な者を失うのかもしれないと、もしやあなたは恐がっているのかしら」
心の奥に、言葉が突き刺さった。
「違う、わたしはそんなこと、思っていません……ッ」
そこからどうやってわたしは部屋に戻ったのか、まったく思い出せなかった。
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