第06話 ケンちゃんは山の中
ケン=マッケンジーは前世の夢を見ていた。
今までの記憶のフラッシュバックの様な物ではなく、まだらな記憶を補完するような都合のいい本当の夢であり、子供らしい幸せそうな表情で眠っている。
しばらくして彼が目を覚ますと、そこは川の底ではなく薄暗い洞窟の部屋の中だった。
知らない天井に驚き、辺りをキョロキョロと見回すと、自分が不思議な材質のベットの上にいて、どうやら窓のない中世ヨーロッパ風の家具が置いてある部屋に一人で寝ている事に気付き、更に驚く。
ベッドから体を起こし、立ち上がろうとして靴が無い事にも気付き、更に身体を覆う変な違和感に困惑する。
目と手で確認すると、自分の物では無い、変な服を着ていたのだ。
服というよりは、だぼだぼで全くサイズ違いの歪な形をした袋をかぶり、腰紐でくくっただけの様な恰好である。
(どうしよう? ここはどこ?)
全く意味が解らず、ただただ唖然としていたが、徐々に不安感が増して我慢出来なくなってきた。
「おかあさ~ん、おとうさ~ん、隊長~、ハカセ~。グスッ」
ついにたまらず泣きだすケン。
メソメソ泣いていると、ドアのない部屋の入り口から、妙な形をした生物が現れた。
「あら、泣いているの? 大丈夫よ、ボクちゃん。私はノッコ、精霊族よ」
ノッコと名乗った、声からして恐らく女性である精霊族は、実に奇妙な体型をしていた。
かろうじて人型の様だが、手足が短くて、ひじやひざまでくらいしかない。
髪は無く、目が黒目のみで小さく、唇は厚ぼったくて鼻と一体化しているようで、首も無い。
まるでピンク色のジュゴンの胴体に、短い手足を付けたようなユーモラスで愛嬌のある様子を見て、ケンは何だかワクワクして泣きやんだ。
「お姉さんこんにちは。ケンと言います」
「あら、お利口ね。…ケン君は私の姿を見て怖くないの?」
ケンは、その質問が心底意外だったようで、キョトンと眼を見開く。
「なんのこと?」
「ほら、私の顔とか、肌の色とか、手足とか」
そう言ってくるりと回った彼女の服を見て、自分が着ているのは彼女の服だと思い当たったケンは御礼を言う。
「おねえさん。服をありがとうございます」
『人に親切にしてもらったら、御礼を言う事』
お母さんの教えである。
ノッコは何だかひどく驚いた様子で、「ケン君はいい子ね」と小さくつぶやいた。
ケンは、ニッコリ笑うと「いい子って言われたの初めて」と身も蓋も無い事を言うが、確かに両親以外からは言われた事が無いかもしれない。
「ごめんね、ケン君を家に返してあげたいけど、今は無理なの」
ケンは、唐突にその話をし出したノッコに驚くが、確かに重要な事だ。
(お父さんとお母さんは、心配してるかな? 僕は悪い子だから、気にしてないのかな?)
好奇心旺盛なケンは、今のこの不思議な状況を楽しんでいた為、別にすぐ帰りたいとは思わなかった。
「うん、いいよ。それと、お腹すいた」
ノッコはフフッと笑う。
「私達は、ほとんど食べないから忘れてたわ。今から魚を取ってくるから待っていてね」
「僕も行きたい!」
トストスと歩き去るノッコの後ろ姿に声をかけるケンは、期待に目を輝かせている
唇の端がぶるると震える彼女は、ちょっと困った風だ。
「人間族は泳げるもんね。でも駄目よ、私達から見たら全然駄目なのよ。お魚は捕まえられないと思う」
実は一度も泳いだ事は無いケンだったが、やってもいないのに駄目であるという意見には納得いかなかった。
その様子を見た彼女は、仕方がないとばかりに言う。
「いいわ、試してみなさい。でも、駄目だと思ったらすぐに水から上がるのよ」
「うん、わかった」
ケンはベットから飛び降りると、駆け寄ってノッコと手を繋ぐ。
ノッコの手はざらざらしていて、水のように冷たい。
少し驚いたが、大して気にせずに部屋を出て、廊下の様な洞窟を並んで歩く。
二人とも裸足なので、ペタペタと言う音が岩に反響してなんとも奇妙だ。
ケンはキョロキョロと辺りを見回すが、廊下からみるとドアが無い部屋の中は丸見えなので、他に人が誰もいない事が解った。
「お姉さんのお父さんやお母さんは、どこに居るの?」
「お姉さんは、この家に一人で住んでるのよ。家族とは別々に住んでいるの」
洞窟を家というのも変だったが、一人で住んでいるのはもっと変だと思ったケンは続けて質問する。
「さびしくないの?」
「人間族には解らないかもしれないわね。私達は、家族をそれほど重要だとは思ってないのよ。友達も家族も変わらないわ。だから、私達はみんな家族でみんな友達だけど、みんな他人同士なの」
「…よくわかんない」
「…フフッ、そうでしょうね。家の外に出るからびっくりしないでね」
そんな話をしながら二人が洞窟の出口から外に出ると、そこには広大な空間が広がっていた。
どこまでも広がるような地下の空間はまるで夢のようだ。
そう、ここは山脈の下にある、平たい鏡餅みたいな半球状のホールだった。
高さは300mほど、直径は2km近くあるだろうか。
中央には澄んだ地底湖が広がり、ホールの内壁自体が薄く発光しているようで、明るくは無いが暗くも無い。
内壁のあちこちに穴が空いており、それがすべて彼女達の住む家と言う事だろう。
ノッコの家の入り口は、地上から4,5mほどの高さがあるので地面に向かうスロープを下りる。
すると、あちこちに彼女と同じ形をして、よく似た服を着た精霊族を見かける。
ここが地球の海の中なら、ちょっと変わったジュゴンの巣と勘違いするかもしれない。
その姿は微妙に異なる様だか、ケンからは肌の色だけが違う以外は、ほとんど同じに見える。
ただ、全体的に明るい色が多いようで、白や黄色や赤っぽい肌色が目立つ。
ノッコは、ケンの横顔を見ながら静かに話す。
「ここは水精族のコミューン、チリヌル湖よ。2000人くらいが暮らしているの」
「すごい、きれい、大きい!」
ケンは、繋いでいた手を放し、湖に向け走っていく。
すぐに湖畔に辿り着くと、湖面に手を付けて口に運び、水の感触を味わう。
「冷たくておいしい」
次にケンは、顔を水につけ湖の中を覗き込む。
湖の底は深くて見えず、色は深い蒼色をしていた。
ケンは近くまで来ていたノッコに、振り返って文句を言う。
「お魚いないよ。お腹すいた!」
「いるのよ。湖の中は暗いからケン君には見えないし、捕まえられないと思うわ。それでもやってみる?」
少し考えるが、やはり自分の気持ちを抑えられなかった。
「僕、やってみる」
素早く腰紐をほどき、準備運動も無しに湖に飛び込む。
一見無謀なようだが、何の問題も無い。
人間族がこの程度で心臓麻痺を起こして死ぬ事は無いし、足がつる事も無い。
何より重要なのは、息継ぎをする必要がない事だ。
個人差はあるが、子供でも30分は潜水できるのだから。
ケンはとりあえず泳ぐ練習を始める。
(やっぱり冷たい。上手く泳げない)
前世の記憶には水泳をした物もあったが、見るとやるとは大違いで、水中をバタバタするだけで前には進まない。
水の中は暗くて、魚どころかほんの数m先も見えない。
ステラ学園に入学してから3カ月、ケンは度々体力面で挫折を味わっていた。
自分は特別であり、勇者で主人公であるという思い込みは、現実の前では無力だった。
姉のマリが優秀だったため、自分が賢者にはなれない事も解った。
特に親友が出来てからは、自分が人間族という以外は大して人と違わないとは薄々気付いていたし、親友が獣人族だったので、体力面を重視していたケンにとっては人間族の優位性は関係無かった。
そして、また今日も自分の体力の無さと、前世の記憶なんて大した事がないと実感した。
それでもあきらめず、みっともなくも水中を平泳ぎで何とか泳げるようになると、少し気が晴れたのかノッコの待つ湖上へ向かい上昇して行った。
湖から地上に上がり、ノッコの所に行こうとして気付く。
体が冷え切っていたようで上手く歩けない。
重い体を引きずって、それでも何とか彼女の前に立つ。
「お魚、捕まえられなかった」
寒そうにそう言うケンに、ノッコは魔術を行使し、その体を乾かして温める。
「服を着なさい。魔術無しで魚を素手で捕まえられる人間族なんていないはずよ。落ち込まなくてもいいわよ」
ケンはコクリと頷くと、服を頭からかぶり腰紐を締めた。
「それじゃあ、行ってくるわね」
服を脱ぎ、さっそうと湖に飛び込むノッコ。
泳ぐ姿は、ピンクのジュゴンに見間違えるほど似ている。
1分も経たないうちに、両手に30cm程の魚をつかみ、湖から飛び出すノッコ。
すぐに魔術を発動し、魚を浮遊結界に包み、更に自身の体を乾かすと服を着直す。
見事な手際だが、魔術については知らないケンは、それ以外で疑問に思った事を質問する。
「短い手で、どうやって捕まえたの?」
「この腕は伸びるのよ。足もね」
シュルシュルと手足を伸ばす姿は、実にユーモラスでケンのツボをつく。
「すごーい! おもしろーい! 『ロボット』みたい」
「『トボット』って何?」
「えーっと? かっこいい正義の味方だよ」
「よく解らないけど、悪者じゃないのね?」
「うん、ヒーローだよ!」
そんな話をしながら、二人はノッコの家に戻る道を歩いて行く。
二人の横をプヨプヨと浮いている魚二匹が後を付いていく様は、何だかとっても不思議な光景だ。
彼女の家に戻ると、炊事場に案内されるケン。
とは言っても、水ガメが置いてあり、テーブルと戸棚と洗い場があるだけで、調理器具は一切見当たらないが。
ケンは、ノッコが魚をどう調理するのか興味津々で見ていると、魚は浮遊結界の中で鱗をはがされ、さばかれていく。
更に、プスプスと空中で焼かれていく魚を興奮して眺めるケン。
「焼き加減とか解らないから適当よ。調味料はお塩だけあるから、ケン君が加減してかけてね」
「お姉さんすごい。魔法みたい」
「ありがとう。人間族の料理の仕方とは違うのかしら?」
ノッコはキツネ色に焼きあがった魚二匹をお皿に移しながら、そんな話をする。
「お母さんは、包丁とかで料理をするよ。焼くのも魔術は使わないみたい」
「人間族も、このくらいなら出来ると思うけど、何でわざわざそんなめんどくさい事をするのかしら?」
「お母さんのご飯は美味しいよ!」
返事だけは良いが、説明にはなっていない。(文末参照)
「そうなの? 私は自信ないわね。さあ、お食べなさい」
お姉さんがテーブルの上にお魚を置くと、ケンは喜んでその前に立つ。
椅子が無いので、立ったまま食べようとして気付く。
「おねえさん、スプーンとフォークがないよ」
「私達は使わないから無いのよ。丸ごと噛り付きなさい」
「うん、お姉さんもどうぞ」
お魚の一つを彼女に食べるように勧めるが、精霊族である彼女は「お腹がすいてないから」と断る。
お腹がペコペコだったので、気にせず一口かじると味が淡白すぎる。
仕方がないので、横にある小皿に盛られた塩を一つまみして魚にふりかけて食べる。
「美味しいよ、お姉さん」
ノッコは、大きな口を奮わせて、恐らく笑う。
「良かったわ、私達以外に料理をごちそうするのは初めてだったの」
魚は骨を完全に抜かれ、焼き加減も上々だったので、二匹ともペロリと平らげた。
お腹が膨れ、満足したケンだが、手が汚れているのでどうしようかと悩む。
すると、ノッコが彼を優しくつかみ上げ、すぐそこの洗い場へ連れて行く。
彼女に抱っこされて、洗面器で手を洗い終わるとケンはタオルを探す。
その様子を見たノッコはクスリと笑い、魔術でケンの手を乾かす。
「ありがとうお姉さん。タオルは無いの?」
「普通は無いわね。水滴や汚れを一時的に布に移して、後で更に洗濯して水に移すのは非効率的だわ。魔素の無駄使いね」
彼女は、実に精霊族らしい意見を言う。
「よくわかんないけど、お姉さんはすごいね」
二人は仲良くその場を立ち去ると、ケンが寝ていた部屋に戻っていった。
部屋に戻ると、ノッコはケンをベットに座らせ、事情説明を始める。
「ケン君は、川底に沈んでいたのよ。たまたま私が気が付いて川から引き揚げたんだけど、後30分もしないうちに死んでいたと思う。運が良かったのよ」
ケンは自分の身に起こった事を聞かされ、さすがに深く反省した。
(今度から、鹿さんを追いかけないぞ)
それ以前の事を反省して欲しいが、今は無駄だろう。
「お姉さんありがとう。お姉さんの名前は何て言うの?」
「ノッコよ、別に覚えなくていいのよ」
驚いた彼は反論する。
「友達の名前は、忘れません!」
「…友達、…ケン君は、本当に良い子ね。でも駄目なの。私達は友達にはなれないの」
彼女はそれから、悲しい話を始める。
それは、種族間に横たわる冷たい現実の話であった。
設定および解説
ご都合主義だとしても、一応、異世界で実現可能な話にはしています。
ケンの性格が変わっていると感じられる方もいるかもしれませんが、わんぱくな子供でも知らない場所で知り合いもいない1人きりの状況なら、借りて来た猫のようになると思います。
本文にもあるように、学園に入学してからの3カ月間でのケン自身の心境の変化もあります。
逆に、これだけの状況にもかかわらず自我を保っている彼は、相変わらずの性格だと思います。
食事や料理について
まず食事量は、獣人達は一日3食(一部は朝夕のみ)、人間族は一日一食(子供や一部は朝夕2食)である。
食欲が旺盛でないからと言って、人間族が魔術を使った料理をしない訳ではない。
料理好きな人や特に専門家のほとんどは魔術調理をする。
逆に獣人族の一般人、料理に関係するスキルやギフト持ち以外の者が魔術調理する事は一般的でない。
野外とかで、道具がない場合に仕方なくするのがほとんどである。
これは、最大魔力値が恵まれていないという理由だけではない。
魚を焼くだけならともかく、鱗取り等は綿密な魔術構成が必要となるから、獣人達には普通に調理した方が楽なのだ。
一般の人間族の家庭料理は、個性によりはっきりと分かれる。
つまり、マッケンジー家では出来るだけ手料理にこだわっているのだ。
実は、ケンが気付いていないだけで魔術調理は行っているが、魔素を練り込んで美味しくするためであり、それ以外の単純作業は父や母の愛で手間をかけているのだ。
この国では、料理は義務教育で習うが、当然その時は魔術は使えないので道具を使った調理方法を学ぶ。
その為に、男女とも料理に興味ない人でも最低限の料理は出来る設定、
人物紹介
ノッコ
精霊族(水精族)の女性
水精族の、チリヌル湖コミューン在住
ピンク色のジュゴンに似ている