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メタル色の瞳  作者: 空蝉
1/42

1 大丈夫


「ごめん。君とは結婚できない」


 そう言われることは、どこかで予想していた。

 だから涙一つ出てこない。


「そう……仕方ないよ」


 私はトレイを手に立ち上がった。

 そんな私に、彼が申し訳なさそうに言葉を重ねる。


「君は強いから、一人でも大丈夫だよ」

「そうだね……」

「じゃあ……さようなら」

「さようなら」


 彼に背中を向け、一度も振り返らずに店を出た。


 ここは会社から少し離れたチェーンのカフェ。

 急いで戻らないと、午後の打ち合わせに間に合わない。


◇


 会社に戻るやいなや、後輩から声がかかった。


「小川先輩、すみません。営業の田中さんから『今日中にこの契約書を見てほしい』って言われたんですけど……」

「あー……またあの人ね。いいよ、半分こっちに回して」


 そう答えながらパソコンを開く。

 

 そろそろ開発部の崎山さんと会議の時間だ。

 オンライン会議に接続すると、イヤホン越しに硬い声が響いた。


「このアンドロイドの新機能について、法律的には問題ないですか?」


 手元の資料にパラパラと目を通しながら答える。


「んー……法的には問題ないですが、世論的には少し炎上するかもしれませんね」


 いつもなら愚痴りたくなる忙しさ。

 けれど今日ばかりは、それがありがたかった。

 別れ話を昼休みにすませて正解だったのだ。

 彼のことを考える暇なんてない。

 ……いや、もう「元カレ」か。


 定時を過ぎてようやく打ち合わせが落ち着き、残った契約書の確認に入る。


 少し周囲が静かになってきた十九時過ぎ、同期の加奈ちゃんが席にやってきた。


「栞(しおり)。今日はまた一段と張り切ってるねー」

「波に乗ってるのよ」

「延原君とのデートはいいの? 結婚近いんでしょ?」

「あー、別れた」


 さらりと報告すると、加奈ちゃんが目を丸くした。


「へー……はぁ?! なんで!?」

「ちょっと、しー!」


 慌てて周りを見回しながら、唇に指を立てる。


「はぁ……」


 ひとつ息を吐き出し、取って付けたような理由を口にした。


「んー、『価値観の違い』かな」

「何それ……」


 パタンとパソコンを閉じて、大きく伸びをした。


「終わったー! さっ、そろそろ帰ろ?」


 笑って声をかけると、加奈ちゃんはまだ信じられないといった顔をしている。


「んー、さすが栞だね。切り替え早すぎ! 飲みにでも行く? うちの彼氏もそろそろ来るけど、良かったら一緒に……」


 そんな会話を交わしながらビルを出ると、夜の冷気が肌を刺し、思わず自分の二の腕をさすった。

 ふと見ると、加奈ちゃんの彼氏が車で迎えに来ていた。


「私は一人で大丈夫。また月曜日にね!」

「そう?……じゃあ、またね」


 自宅の最寄り駅に着き、駅前のコンビニに立ち寄る。

 缶ビールと煙草を買い、店脇の細い路地に入り込んだ。


 自宅周辺は賑やかだ。

 一人暮らしを始めた頃は、もっと静かな場所の方が良かったかもと思った。

 けど今は騒がしい街のノイズが心地よかった。


 壁際に置かれた適当なプラスチック箱に腰を下ろす。

 

 缶ビールを開け一口あおる。

 冷たいビールが渇いた喉を落ちていった。

 そして煙草に火をつけ、ふーっと紫煙を吐き出す。

 

 目の前の室外機から生ぬるい風が吹き出し、冷えた肌を撫でる。

 ゴミ置き場の方からは焼き鳥の香ばしい匂いと、酸っぱい生ゴミの臭いが混ざって漂ってきた。


 今はまだ、あの一人の部屋に帰りたくない。

 だからと言って、店に入る気にもなれなかった。

 楽しそうに笑って話す男女の姿なんて、今は見たくない。


 もう一度、煙草を深く吸い込む。

 そして、ゆっくりと煙を吐き出した。

 数年ぶりの煙草とビール。


「『一人でも大丈夫』かぁ……」


 ポツリとつぶやいた声が、暗闇に消える。


ガサッ。


 ゴミ置き場に並んだ大きなごみ箱の奥で、何かが動く音がした。

 息をひそめて暗闇を覗き込む。

 乱雑に積み上げられた段ボールの陰に、人? 


 違う―― 


 一体のアンドロイドが、じっとうずくまっていた。


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