寒空とクレープ
「広い……」
「まぁスイートルームらしいし」
シックと言うのだろうか、高級感溢れる寝具や家具が並んだ広い空間。窓からは街を一望できた。
彼女は新しく服を着替え、部屋の隅の大量のトランクやスーツケースの山に近づいていく。
「悪いわね、ここまで付いてきてもらって」
「ううん、今日は特にやることもなかったですし」
「壊れた傘は……ここらに置いとこうかしら。荷物は、届いてるし……はぁなんとかホテルまで来れたわ」
「傘、壊れちゃったの残念ですね」
「まぁ詳しいことは企業秘密的なアレだから離せないけど、改めてここまでいろいろと感謝するわ。ハルカゼさん」
神宮島は私の居る夕凪島地区のビル街、荷物を預けていたという宿泊先のホテルまで私はウォルステンホルムさんと一緒に交通機関を乗り継いでやってきた。
「服も返しておくわ、そのトートバックは貰って、大したものじゃないから」
「あ、ありがとうございます」
これから買い物もあるしちょうど良さそうかななんてそんなことを考えていると。
「まだお昼過ぎよね、ご飯まだでしょう、何か奢るわ」
エリシアさんから提案があった。
「そんな……大丈夫ですよ、そこまでしなくて」
「ここまで助けてもらったんだもの、そういうわけにはいかないわ。ほら、私を助けると思って、ね? お金はこう見えて持ってるの」
「うーん……軽い物だったら……」
申し訳なさはあるが、話が先に進まなさそうので渋々了承する。
「じゃあ行きましょうか、下に出てお店を探しましょう?」
ウォルステンホルムさんは古っぽい皮の小さなキャリーケースとでもいうのだろうか、その持ち手を握るとガラガラと引っ張りながら歩き出す。
「さぁ何にしましょうか、フレンチ? 中華? せっかくニホンに来たんだもの、オスシもいいわね」
「もう行くの、わ、ウォルステンホルムさんちょっと待って」
せっかちな彼女の後を追うようにホテルのスイートルームを私は後にする。
……何気にこうやって同年代の女の子と行動を一緒にするのは初めてかもしれない。
私は不安と同時にどこか浮足立つ気持ちを感じながら、彼女についていくのだった。
◇◇◇
街は冷たい寒空の中でも喧騒を感じさせ、歩行者が闊歩している。
横を見るとぶるっとウォルステンホルムさんが身体を軽く震わせていた、私もそれを見て思わず身体を震わせる。
「外を出るとやっぱり少し寒いわね」
「そうですね、はやく春にならないかな……そのウォ、ウォルステンホルムさん、あんまり無理にご飯奢らなくても大丈夫ですからね」
「別に無理はしてないけれど……それにしてもその、ウォルステンホルムさんって呼び方呼びにくそうね?」
「えと……はい」
「無理に敬語なんて使わなくていいわ、呼び方もエリシアでいいわよ。それとも急に距離が縮まるみたいなのは嫌?」
「嫌とかじゃなくて……その……馴れ馴れしいんじゃないかなって」
「私がいいと言ってるんだからいいのよ、ほら、エリシアって」
「えと、エ……エリシア……さん」
「……まぁ及第点ね」
縮こまる私にエリシアさんは何処か不満げな顔を浮かべる。
もちろん、嫌なわけじゃない。
私には友達がいないからこういう時の距離感がよく分からないのだ。
「私もシノって呼ぶから」
「それはちょっと……まだその……苗字じゃ駄目ですか?」
「もう……分かったわハルカゼ。ほら、お店探しましょう! もうお腹ぺこぺこなんだから」
「う、うん、そうだねエリシアさん」
私たちは特に目当ての店もないままふらりと都会の街中を歩きだすのだった。
◇◇◇
「うーん、ここも混んでるわね」
そうしてお昼ご飯を食べるために捜し歩いて十分もたたないぐらい。街角の目立たない通り、ひっそりと構えるフランス料理のお店。お店の窓を覗くと店のテーブルには満遍なくお客さんがついていた。
「良さそうなお店はやっぱり埋まってるわね……」
「お昼だしね……」
何軒か私のスマホでエリシアさんが近場のお店を探したものの、もれなくどこもお客さんでお店は埋まっていた。
「私は別にそこらへんのコンビニとかでもいいよ」
「……味気なくないかしら。ここまで来たんだもの、せめて何かしらのお店に……はぁ疲れたわ。……やっぱり少し休憩しない?」
「そうだね、道の奥に広場があるみたい。そっちに行ってみない?エリシアさん」
「そうね、そっちに行きましょう」
そうして道を進み、私達は広場まで歩き、近くのベンチに腰を下ろす。
屋台があったり、噴水があったり、芝生の広場があったりと少し大きい公園だった。
「さて、どうしたものかしら……やっぱりオスシとか」
トランクを小脇に置き唸るエリシアさん。
「なんでもいいんだけどなぁ……」
そうぼやく私は広場に並ぶ屋台を見た。
「ね、屋台とかどうかな? いろいろあるよ。焼きそばとか」
「ヤキソバ? あれのこと? ……まぁ悪くはなさそうだけど。……流石に空腹の限界ね……もうとりあえずそれでもしとこうかしら」
悩むエリシアさん。そうしていると。
「なるほどなるほど、確かに焼きそばもいいけれどクレープとかでもいいんじゃないかなぁ?」
ベンチに座る私たちの背後からいきなり聞こえる女性の声。
「……え!?」
「ここにきてクレープは……って誰よいきなり!」
その声に驚きつつ私達は勢いよく後ろを振り向く。
そこには、髪を後ろで纏め三角ナプキンを頭に巻いた、ラフな服にエプロン姿の長身の女性がベンチの背に手を乗せ立っていた。
「おっとー驚かせる気はなかったんだよ、ごめんね?」
「なぁに、いきなりあなた背後から。失礼じゃないかしら 」
「あはは、ほんとごめん。悪気はないんだよいや、ほんと」
「ふぅん?」
軽薄そうな雰囲気を醸し出しつつ誠意を見せている様子のエプロン姿の女性。それをエリシアさんはじっとねめつけている。
ふと彼女の後ろを見ると、今までどこにあったのか可愛い装飾が施されたキッチンカーが広場の隅に停まっていた。
「それよりさ、ご飯何にしようか悩んでるんでしょ? クレープにしようよ、クレープ。お姉さんがすっごく美味しいクレープ作ってあげるからさ、ねー?」
「押し売りは結構よ、それに私たちはお腹が空いてるの。普通のご飯が食べたいの、ハルカゼもそうでしょ?」
「そうだね……デザート……うーん」
エリシアさんはベンチを立ち、お姉さんの方を警戒しながらじっと見ている。私は彼女を見上げる。
和やかに佇むお姉さんは意にも介さず口元を緩ませながら飄々とした態度を崩さない。
「ご心配なく! 惣菜クレープもあるよ。焼きそばクレープとか唐揚げクレープとか、はたまたお寿司クレープも! どうかな?」
「もうクレープである必要ないでしょうそれ。それにもうそれ原価率とかで経営成り立たないわよ」
「うん、赤字」
「何がしたいのあなた」
どこかあきれ顔のエリシアさん。構わず、お姉さんは語る。
「いやーキッチンカー買っていろいろ売ってみたはいいものの全然売れなくてねーもうなりふり構ってられなくてこの境地に来たってわけさ」
「その肝心のお客さんもいないみたいだけれど」
「いやー、ほんとこれでもお店にお客さんが来なくてねー。それでしょうがなく君たちをこうして誘ってるわけさ」
「こんなことしてるからじゃないかしら」
エリシアさんの冷たい態度も気にせずクレープを薦めてくる彼女。やがて私の方を向く。
「君もどう? お腹空いてるんでしょ?」
「わ、私。うーん、どうでしょう……でも惣菜があるなら」
「ちょっとハルカゼ、流されちゃダメよ。こんな胡散臭いクレープ屋の提案に乗る必要はないわ」
「胡散臭いとはこれまた手厳しいねぇ……」
ふっ、と笑うお姉さん。
「ほら、あっちの屋台も人が並んでる。こっちならすぐ食べられるよー? 味には自信があるんだよほんと、後悔はさせないぜ? 何なら一回食べてみる? おねがーい、助けると思ってさー」
涙目で手のひらを合わせ懇願するお姉さん。
こんなにお願いをされてしまっては、どうも少し断りづらい。
「うーん……じゃあちょっと食べてみようかな……」
「えぇ……ちょっともうハルカゼったら。はぁ……まずかったら容赦しないわよ」
「ふふーん、それでは二名様ごあんなーい!」
からりと笑顔になりキッチンカーに悠々と歩いていくお姉さん、その後を私はベンチから立ち上がるとため息をつくエリシアさんと付いていくのだった。
そうして作られたクレープ。私たちは噛り付く。
「美味しい……」
「まぁ……まずくはないわね」
「でしょー!? 今回はいけると思ったんだよー人は来ないけど」
キッチンカーの前、寒空の下。私はお姉さんが作ったクレープ(焼きそば入り)を凝視する。
本人の誘い文句通りの美味しい味。ソースの香ばしさが特に食欲を誘う。
「クレープの味を控えめにしてお好み焼き粉を使って具材ももりもりにして結構工夫したんだよ?」
「それはもう形がクレープのお好み焼きみたいなものなんじゃ……」
私はつい、思ったことを口走ってしまう。
しかし自慢気な態度を崩さないエプロン姿のお姉さん。
「いやいや、これがまた違うんだよー」
「……毒の類は無さそうね」
「ちょっとなんてこと言うのさー、ちゃんと営業許可ももらってるし法の下で販売してますー!」
物騒な発言をするエリシアさんにお姉さんは唇を尖らせ反論しながら新たなクレープをキッチンカー内の台の上で作っている。
「はい! おまたせ唐揚げクレープ!」
「……本当にいろいろ出てくるわね」
「じゃんじゃんいくよー次はお寿司クレープだ!」
「手巻き寿司じゃダメなのかな……」
次から次へと出てくるクレープに私達は舌鼓を打ちながらほうばっていく。
やがて。
「お腹いっぱい……」
「まぁ及第点かしら、はい代金二人分」
「まいどー!」
出されたクレープを全て私達は平らげてみせた。
いつの間にか支払われた料金、取り敢えず私たちは近くのベンチに座ると一呼吸着く。
「……食べたわね」
「うん、美味しかったねエリシアさん」
そうしているとキッチンカーから女性が下りてくる。
「いやーお粗末様! いい食べっぷりだったよー」
「あはは、美味しかったです」
「まぁこれっきりだと思うけれど」
「えぇー? また来てよー。あ、そうだ君たちこれから買い物?」
「あ、はい。生活雑貨とか、夕飯の材料とか買おうかなって」
「なるほどーそれなら早く帰った方がいいよ?」
すると、困り眉でお姉さんはそんなことを言ってくる。
「?」
「最近ちょっと、ここらで変な事件が起きててね」
「……ふーん」
お姉さんの発言にエリシアさんの目が鋭くなる。
「人が消えちゃうのさ、忽然とね。そして次の日、その人が消えたところとは全然違うところでぐったりした様子で見つかるんだってさ」
「家出とかそういうんじゃないのよね?」
エリシアさんはその怪しげな話に喰いついていく。
「まぁ聞いてよ。当人に聞いてみると、裏路地を歩いてると急に何故かフラッときて気を失っちゃって、それで何故か次に目覚めたときには全然知らないところにいるんだと。似た内容の事件が他にも何個もあるんだよ、不思議だよねー」
「怖いね、エリシアさん……エリシアさん?」
彼女の方を見ると何か俯きながら考えている様子。
「あぁ、何でもないわ、ちょっとね」
「? そっか」
そんなやり取りをしていると、近くから制服を着た女子高生と思しきグループが
こちらを見ながら話しているのが見える。
「ねーあの子達の食べてたクレープ美味しそうだったしアレにしよ」「いいね」「それじゃ私うどんクレープにしようかな」
「お! お客さんかな、ありがとー君たちのおかげでお客さんが増えそうだよ」
「別に大したことはしてないわよ」
「まぁまぁそんな謙遜せずにー」
「すいませーん」
「……あぁはいはい今いきまーす! それじゃあまたね! 気を付けて!」
女子高生たちの注文の呼びかけに応じ、女性はこちらに手を振りながらキッチンカーに戻っていく。
「変な人だったわね、これからどうする? そういえば買うものがあるって言ってたわよね」
「あ、うん。ちょっとね」
「それじゃあ、行きましょうか。付き合うわ、私もちょっといろいろ見てみたいもの」
「ありがとう……そういえば近くにアウトレットモールがあったかな」
「じゃあ、そこね」
そうして私たちは日暮れまで近くのアウトレットモールでショッピングを楽しむのだった。
◇◇◇
日はすっかり落ちかけ、空は夕暮れ模様になっていた。
アウトレットモールでの買い物を終え、私たちは街中を歩く。
紙袋やレジ袋がちょっと重たいけれどこれくらいなら持って帰れそうだ。
「ふぅ……結構買っちゃったわ」
そういうエリシアさんは私よりたくさんの買い物袋を持っている。
「エリシアさん、たくさん買ったね」
「まぁ、ちょっとここら辺に長居する予定だから。ちょっとね」
たくさんの買い物袋を持っててもエリシアさんは平気そうだ。
今日はエリシアさんとお買い物出来て楽しかったな……きっと友達と遊ぶとはこういうことなのだろう。
そろそろ、お別れの時間が来る。
こんなに何かを名残惜しいと思ったのは久しぶりな気がする。
「それじゃあハルカゼ、荷物も重いし、私、そろそろこの辺でホテルに戻らせてもらうわ」
「え、あぁ、……うん」
言いたい、もう少し一緒にいたいと。
口を開こうとする、それでも中々言葉が出ない……急に出会ったばかりの子にこんなこと言われてもきっと迷惑だ。
エリシアさんとはもうこれっきりかもしれないけれど……。
「……その今日はすごく楽しかった。ありがとうねエリシアさん」
「こちらこそ、今日は助かったわ、ありがとうねハルカゼ」
微笑む彼女、言葉の出ない私はただ微笑み返す。
「あぁ、そうだ」
「?」
エリシアさんはトランクからペンを出すと、またトランクから紙の切れ端を取り出し何かを書いて私に渡す。
「これ私の連絡先。何かあったらこれに連絡して……ホテルに来てもいいわ、あなたの名前通しておくから」
「……! ……携帯、持ってたんだね」
「使い道があまりないのよ、そういうハイテクなのよく分からないし……それじゃ、またね、ハルカゼ! 真っ直ぐ帰るのよ!」
「……うん、またね、エリシアさん。そうするよ」
彼女は重い荷物を悠々と抱えながら、離れていく。
私は手の中のエリシアさんの番号を軽く覚えて持っていた袋にしまう。
再び顔を上げるとエリシアさんはだいぶ離れていた。
私は振り向き、家に帰るために駅に歩き出す。
足取りは先程よりは重くなかった。
名残惜しさはあるし、寂しさもある。けれど、繋がりがあるとそう思えただけで大丈夫だと思えた。
……今日はちょっと豪勢にいこうかな。
そんなことを考えながら私は時間を見る、ここからだと駅まで少しギリギリだ。
私はマップを開き道を見る。ちょうどここから左のビルの間から通り抜けた方が近そうだけど。
……ちょっと暗いし怖いけれど急いでいけば大丈夫だろう。
ふと、クレープ屋さんの言っていたことが頭をよぎる。
けれど、まだ早い時間だし、街の中だ。私は狭い通り道を少し早歩きで歩き出す。
狭いビルの間を縫うように通り抜けていく。
これなら間に合いそうだ、そう思ったその時、何故かふと足が止まった。
そして何故か視界が不安定になる、身体に力が入らず……意識が混濁して。
私は荷物を落とし、膝を付く……回る視界……倒れたのだろうか。
……そうか、これがきっとお姉さんの言っていた……。
薄れゆく視界、その中で私は陶器のような、そんな白い表面のまるで顔のない人形の様なものを地面に倒れ伏しながら見ていた。
◇◇◇
茶髪の少女、ハルカゼと名乗った彼女と別れ私はホテルに向かう。
別れ際に咄嗟に術書の紙の切れ端をちぎったけれど、まぁ、大丈夫でしょう。
こちらからはある程度把握できるけど他の術者からはほとんど感じないほどの微かな魔力の量だ。
それより流石にこの量は買いすぎたかもしれない……とはいえしばらくはこの島にいるだろう。
というか、問題はあのホテルだ。スイートルームだなんてなんて目立つ。
行きの飛行機もそうだが、あの女にはそのうち文句でも言ってやろう。
そんなことを考えてふと、違和感に気づく。
紙の切れ端の魔力、こちらでも感じれてはいるけれど、少し変だ。
「……止まってる?」
駅よりは近い距離。何かあったのだろうか、私は足を止め、踵を返すと、元来た道を戻る。
方向的にはこっちかしら。道を走り、途中で狭い路地の中に入る。
魔力の位置はまだ止まってる、道を走り、私は止まっている位置まで向かう。
やがて、その場所に着く。辺りには誰もおらずただ静まりかえっている。
この辺にいるはずだけれど……そう考えながら歩いていると私はあるものに気づく。
「これ……ハルカゼの……」
それはハルカゼが持っていたはずの買い物袋。
辺りを見回してもハルカゼの姿は見つからない。
ふと、あの怪しげなクレープ屋の話を思い出す。
───人が消えちゃうのさ、忽然とね。
まさか───
私は空中に魔力で文字を描く。
文字は光ると辺りをソナーの様に照らす。
「反応は無い……違う……微かに、これは……」
それは彼女を探す手がかり、少しだけ残る僅かな魔力の痕。
それを辿っていくと、視界のある先で止まる。
「……マンホール」
それは分かれた道の奥……僅かに開いたマンホールの中。
「……流石に行ってみないと分からないかしら」
私は荷物を置き、トランクを改めて持つ。
マンホールに近づき、マンホールの蓋を蹴り飛ばす。
私は深く息を吸い込み息を吐く。
「無事でいてよね、ハルカゼ」
覚悟を決め、私はマンホールの中に飛び込む。




