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「冗談はさて置き、君の場合は目覚めていない能力もあるんですよね。クレアヴォイアンスとプレコグニションですか」
「何だそれ」
「フランス語で透視、千里眼を意味するのがクレアヴォイアンス。プレコグニションは予知能力を示す英語です。プレが事前、コグニションが認識」
「ああ、どっちもからっきしだった」
「使えるのはサイコキネシスとテレパシーの一種」
「やっと信じてくれるようになったか」
「まだ条件つき留保の段階ですが。元々わちきは、異能力なんて実在しようがしまいがどうでもいいスタンスですからねえ」
壱八の証言を頭から馬鹿にしていた将門が、今はもう妄想という言葉を口にしなくなっていた。それだけでも壱八にとっては大きな前進だった。
そろそろ、あの提案を切り出してもいいタイミングか。壱八はテーブル表面に映った逆さの占い師に視点を定め、一段と声を潜めて、
「なあ将門。一つ、俺に考えがあるんだが」
ははあと吐息めいた声を洩らして椅子に反り返ると、将門は瞳に妖しい狐火を灯した。
「そういうことですか。道理でおかしいと思いました」
「何がだよ」落ち着き払った将門の態度が気に障り、突っかかるように言い返す。
「いきなり手に入れた不思議な力を見せつけるためだけに、出無精大臣の君が、わざわざここに足を運ぶはずがないんですよ。何か他に目的ありと」
背を屈めて頬杖を突き、なおも将門は壱八を嫣然と見据えた。他人の心理の読み手としてはプロの部類に入る占い師、たかが半月と侮るべきではないのだ。
「まあな。〈ガダラ・マダラ〉の事件に関することで、一つ提案があるんだ」
将門は妙に納得した顔つきでコクリと頷き、ゆっくり瞼を閉じた。
「君の考えてること、わちきにも判りましたよ。もっとも君のチート能力には遠く及びませんけど」
一拍置いて、将門は続けた。
「例の連続殺人、犯人は未だ捕まっていません。その能力を使って、君自ら犯人を捜し当てようというんですね」
今度は壱八が頷く番だった。
犯人らしき人物に階段から突き落とされた結果、壱八は奇しくも生涯無縁と思っていた不可思議な異能を手に入れた。この能力が今後の人生にどう影響するのか。全く予想もつかないが、幾多の実験で読心能力に確信を抱いたとき、真っ先に心を掠めたのが、関係者の度重なる死によって混乱の渦中にある、例の超自然バラエティー番組だった。
目の前の占い師は、半陰陽としての特質を存分に発揮し、男女両性の心理の綾を直感的に読み取ることで、本業においてまずまずの利益を挙げている。一見乗り越えることの絶望的な性別の壁も、両性具有者たる将門には何の障害にもならないらしい。
ところが、壱八の異能は占い師の直感を遥かに凌ぐものだ。心理的証拠どころか、相手の心理そのものを手中に収め、条件次第では簡単な英文の翻訳のように、容易く心理内容を読み取ることができるのだから。
「然りか否か、それが命題に最も近い問いだと、哲学者の誰かが言っていました。壱八君、君はとんでもない力を手に入れてしまいましたね。現人神ホルスの眼も暴君ディオニュシオスの耳も、他人の心の中まで暴くことはできません。その能力を使えば、殺人犯を捜し出すのも造作ない気がしますよ。あくまで有効に使えればの話ですが」
「引っかかる言い方だな」
確かに制約がないわけでもない。犯人自身か、せめて犯人を知っている人物に聞き込みをしなければ、壱八の読心能力は真価を発揮できない。
「では、こうしましょう」
壱八の要望を受け容れた将門は、今後の方針を一気呵成に練り上げ、詳細を明かした。
面会のセッティングはもちろん、聞き込み相手に質問をするのも基本的に将門の仕事となる。壱八よりもずっと気の利いた質問ができるし、妥当な案だろう。読心を使うタイミングも、将門が決める。聞き込みの最中、さりげなく壱八に合図を送るのだ。
「投げキッスとウインク、どちらがお好み?」
「どっちも却下だ」
相手の心を読んだ壱八は、証言なり返答なりの真偽を将門に伝える。イエス、あるいはノーと。読心結果を踏まえた上で、更に将門は質問を続ける。こうすれば、ひっきりなしに異能を使用する労苦もなくなる。合図が送られたときだけ、読心に専念すればいいのだ。将門のことだから、見当違いの問いで事件の核心を外すこともないだろう。
「とはいえ、首尾よく犯人を見つけ出せても、即検挙には結びつかないでしょうね。警察が君の力を信用するとも思えませんし。完全な自白とも違うので、犯行の証拠としては甚だ頼りないものです」
「だろうな。検挙できるかどうかは、警察に任せるしかないだろ。ま、そんなことは実際どうでもいいんだ」
「公共の福祉とか正義感とか、社会通念上の要請ではないわけですしね」
「ああ、俺はとにかく知りたいだけだ。俺を階段から突き落としたのが誰なのかをな」
プロデューサー南枳実のマンションから逃走した犯人は、自分の顔を見られなかったことで、さぞや安心しているに違いない。だが、それは大いなる誤算なのだ。踊り場での負傷は、犯人を追い詰めるための強力な武器を壱八に提供してくれた。
何の因果でこんな奇妙な異能を手に入れたのか。前世はおろか一週間前の食事内容すら覚束ない壱八には知りようもない。ただ、犯人が自らの行為に対して、相応の代償を払わねばならないとすれば、壱八の身につけた読心能力こそがそれに相応しいのではないか。
「意趣返しですか。その因果応報を犯人に知らしめてやりたいと。君らしからぬアグレッシブな発想ですね」
確かにそうかもしれない。この異能を使って、天敵たる朱良の鼻を明かしてやろうとも考えていた。せっかく手に入れた武器だ。使わない手はない。
来客を示す高音質なチャイム音が、リビングのどこかに設置されているスピーカーから聞こえてきた。
「今日は予約客がいるんですよ」
「そうか、じゃ、お暇するわ」
「あら、別にいても構いませんよ。何ならうちに泊まっていってはどうです。君んとこより、よっぽど住み心地いいと思いますけど」
「やめとくよ。快適すぎて、逆に体調崩しそうだ」
提案をすげなく断り、壱八は欠伸交じりにのっそり立ち上がった。実験の回数が多すぎたのか、傷自体は何ともないが頭の中身は鉛のように重く、体内の熱っぽさは風邪のひき始めにも似ていた。
「結局は、めでたしめでたしなのでしょうか。ただのカバン持ちは言いすぎですけど、一介の連絡係に過ぎなかった君が、今やわちき以上のチート能力を手に入れたんですもの。精々頑張ってくださいね、チート探偵さん」
棘だらけの口調で言われた。
「何だその言い方」
「というより、カンニング探偵ですかね。より正確を期するなら」
「おい、やめろ。せめてファスト探偵とか」
「何です、それ」
追及をやり過ごしながら、壱八は憎き朱良のことを考えていた。
ファスト映画ならぬファスト推理。時短ネタバレ大いに結構。過程や方法論はどうでもいい。推理なんて時間の無駄、旧世代の人間のすることだ。俺は俺のやり方で、現代流のショートカットを駆使して真相を掴んでやる。
店舗に向かう占い師と別れ、壱八は裏手から漆黒の邸宅を後にした。
頭は重いが、気分は悪くない。こんなにも心地好い疲労を将門と共有するのはもったいない気がした。
今や形勢は明らかに逆転していた。壱八と将門の関係もそうだが、何より壱八と犯人の関係は、異能を得たことで劇的な変化を迎えた。犯人を目撃し損ねた目撃未遂者は、犯人を追い詰める狩猟者へと変貌したのだ。
番組関係者との面会さえ取りつけることができれば、犯人の発見は時間の問題だった。将門は、ある程度の範囲にまで容疑者を絞り込んでいる。既に調査済みのチーフディレクター渕崎柾騎、出演者大賀飛狩、同じく春霧空。それに、未だ面会の叶っていない司会の我王区民明。
プロデューサーが殺害された今、将門が連続殺人の容疑をかけているのはこの四人だろう。まずはこの四人に会わなくてはならない。
いずれかの心の中に、犯人としての自覚、記憶を見出すことができれば、壱八の役目はそこで終わる。後のことは知る由もないし、興味もない。自分の嫌疑を晴らす意味で、将門が知りえた事実を警察に告げる可能性もあるが、それについてとやかく口を挟むつもりもない。
問題は、その四人の中に該当者がいなかった場合だ。そうなると、更に嫌疑の輪を広げていく必要がある。番組スタッフ、特番のサブ司会を務めた超野茉茶、ベネズエラにいる綿貫時依等々。
いや、その心配は杞憂だろう。最初に挙げた四人の中に、恐らく犯人はいる。実際、将門の人を見極める眼力には相当なものがある。
もう一点。番組にレギュラー出演中の異能力者、大賀飛狩と春霧空。あの二人の異能は本物なのか。彼らに会ったら、その点も尋ねてみたかった。
もし二人が本物であれば、以前ファミレスで顔を合わせたとき、テレパシー能力で自分や占い師の心を読んでいたかもしれない。今日壱八が色々な人間に試したように、しかも誰にも悟られることなく。
夜の気配に満ちたうら寂しい通りを一直線に歩きつつ、今自分がどんな表情をしているのか、心に思い描いてみた。擦れ違ったジャージ姿の学生が、街灯に照らされた己の顔を見て、クスリと笑ったような気がしたからだ。
頭に手をやる。指の一本が額の傷に触れた。
傷口が完治するまで、あと何日かかるのだろう。傷が癒えれば、同時に異能も消えてなくなるのか。
それは困る。今はまだ、この力が必要だ。そうなる前に、犯人を突き止めねばならない。
壱八は少しだけ、異能を失うのが怖くなった。




