表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異能探偵  作者: discordance
第三章
52/75

 その夜。

 重い足取りでアパートに帰宅した壱八は、六畳間に入るなり、背面跳びのような動作で勢いよく蒲団に仰臥した。眼を閉じ、室内の湿気った空気を肺の限界まで吸い込む。起き上がる気力もない。不安のほうが的中した。最後の実験結果は、壱八の期待を大きく裏切った。

 その奇妙な実験は、独自の評価で選び出した、気軽に声をかけやすい市井の人らを対象に行われた。コンビニの店員や駅員など、接客業に携わる人々が大半を占めた。

「なんてこった……」

 自分は他人の心理が読める。

 他の人間の考えていることが、どういう理由でか心の中に浮かんでくるのだ。条件次第で。そう結論づけるしかなかった。

 加えて、実験を重ねることで、他人の心を読む上での、一定の法則のようなものまで判明した。別段知りたいとも思わないが、判った以上は心に留め置くしかないだろう。

 できないこと。

 遠方にいる人間の心を読むこと。視界の範囲内にいる人間、それも自分の眼の前にいる人間一人に対してのみ、壱八の読心は効力を発揮する。

 困難なこと。

 がむしゃらに相手の心を読み取ろうとしても、脳裏に現れるのはただ漠然とした心象のイメージでしかない。人間の思考は本来複雑極まりないもので、他人の考えをそっくりそのまま意識内部に取り込んでも、あまりに複雑すぎて解読も翻訳も困難なのだ。そこで、効率良く相手の意中を読み取るために、相手に水を向け、考えに指向性を持たせてやることが不可欠となる。

 望ましいこと。

 つまり、壱八自身が相手に向かい、何か質問を発するのだ。相手がその質問に意識を傾けさえすれば、複雑怪奇に入り組んだ思考の網目も、質問のほうへ変移、集中していく。言葉に表すには抽象的すぎる相手側の心象も、判りやすい形を取って壱八の意識に浮かび上がってくる。そうして浮かび上がった視覚でも聴覚でもない思考の塊、予感のようなものから、内側に秘められた感情なり思想なりを、自らの言葉で訳出することになる。でなくては、相手の心を真に読み取ったことにはならない。

 それでも心理の解読作業の難しさは、最初の頃とさほど変わりがない。国家試験の問題文全文に、振り仮名がついた程度の難易度変化に過ぎない。

 理想的なこと。

 そこで壱八が編み出した方法は、とにかく選択肢の少ない質問を相手に発することだった。例えば、右ですか、それとも左ですか? のように。これなら、答えは右か左か、どちらでもないかの三つに限られる。

 あるいは、これは本物ですか? と尋ねたとする。答えは、はいといいえの二つしかなく、心に浮かんだはいといいえの差異は、壱八にもはっきり区別できる。実例として、宗教勧誘の女性がいかに口頭で神の存在を主張しようとも、心の奥では少しも信じていなかったことを、鮮明に感じ取ることができた。

 疑いえないこと。

 イエスとノーの感情が最も判別しやすいのは確かだが、人間の心理はもっとずっと微妙なものだ。イエスという感情の中にノーの部分を少量含んでいることもあれば、むろんその逆もある。しかし、口ではどう答えようとも、最早この額の傷の前では、思いと言葉の不一致は必ず明るみに出る。表向きの証言と実際の心理が喰い違えば、相手の思考に断層が走る。覆いようのない亀裂が生じる。幾多の実験によって壱八はそのことを実証した。それだけは疑いようがなかった。

 とにもかくにも、質問内容に曖昧な点を残さないのが、この読心能力における最大の注意事項だ。曖昧な質問に対しては、中途半端な解読結果しか得られない。

 心を読むというより、虚偽と真実を篩い分ける分別装置に近い。しかも、相手の心を直接チェックするのだから、真実性に関してはお墨つきの嘘発見機だ。

 仮に返事を口に出さなくとも、質問を耳にした以上、相手は心の中で確実に返事をしている。読心能力の利点は、その心の返答を読み取れることにある。難点は、発声による返答との照合ができないため、声に出して返事をした場合に比べて、単純なイエスノーの解読にも手間がかかることだ。心の中だけでの返事は、微妙な感情が絡み合っていて意識の混淆も甚だしい。人間心理は思ったよりもずっと複雑で、掴みどころのないものらしい。

 やはり、質問の答えを相手が口に出したのを確認した上で読心術を行うのが、最も確実な方法のようだ。

 更に判ったこと。

 相手側は、心を読まれたことに一切気づいていない。眼の前の人間が今まさに自分の心を読み取っているのに、少なくとも、相手の顔色にそういった揺らぎは顕れない。覗き放題というと聞こえが悪いが、つまりはそういうことだ。壱八にその気さえあれば、相手に気づかれぬまま、心を四六時中読み取り続けることも可能なのだ。現実的には額の痛みが甚だしくなる上、集中も続かないので、一日数回使うのがせいぜいのところだろうか。後はこちら側のコンディションの問題だった。

 追加事項として、壱八の取得した能力全般に関する新事実が一つ。それは、能力を発揮する際必ず訪れる、あの額の傷の疼きが、己の意志によって自在に制御できるようになったのだ。

 相手の心を読みたい、指一本触れずに手許の物体を動かしたい……何度も実験を試みるうちに、いつしかそう念じただけで、額の傷が熱を帯び、即座にジンジンするようになった。傷が疼き始めれば、確実に能力は発揮される。いよいよもって能力が身体に馴染んできたのかもしれない。

 要するに、壱八はそれら超能力と思しきものどもを、意のままに使いこなせるようになったのだ。気力体力の続く限り、という条件つきでだが。

「いや、だけどなあ」

 色々な意味で壱八の受けた精神的衝撃は、額の痛み以上に大きかった。

 額に手をやる。縦に刻まれた傷痕は、大して目立つような感触でもなく、脳内に異変が生じているとも思えない。

 だが、厳然たる事実がそこにある。間違いなくその傷口は、これまでの人生を一呑みにするほどの深さを有している。

 運命。

 好きな言葉ではないが、かといって事実への虚しい抵抗に身を費やすのも正直疲れた。

 両手で強く頬を張り、眼を見開く。瞳に映る部屋の風景は、以前と全く同じ。ただ、見ている人間だけが変わった。放縦なる運命の悪戯で、殺人犯の手によって、不可逆的に変えられた。

「信じるしか、ないのか」

 思いがけず身に宿した諸能力の信憑性云々を、あれこれ思い悩むのはやめよう。壱八はそう決意した。いくら疑ったところで、相手の考えは確実にこちらの頭に伝わってくる。実際にテレビと炬燵と腕時計は機能を回復し、スマホも本も念じるがままに動き出した。

「取り敢えず、将門だな」

 誰にも話さず、異能とも妄想ともつかぬ何かを独りで抱え込むのは耐えられそうにない。それに急転する現状をよりよく理解するには、外部からの視点が必要なのではないか。

 一方で、誰彼構わず打ち明けて回るのも考えものだ。些細な一言が、思わぬ身の破滅を招くこともある。特に朱良。彼女に知れたら一巻の終わりだ。

 打ち明けて差し支えない人物、願わくば有益な助言を与えてくれる人物となると、差し当たり占い師以外にはいない。この時間帯なら、まだ店にいるはずだが。

 それでも決心がつかず、悩ましげにスマホを睨みつけていると、不意に着信音が鳴り、思わず飛び退きそうになった。

 将門からだった。

 いきなりケガの具合を尋ねてきたので、どうせ本題は別だろうとぞんざいに受け流したが、果たして主目的は単なる愚痴だった。今日の午前中警察に呼び出され、取り調べ室で津村刑事にこってり絞られたという。そろそろ本気で刑事弁護人を探さなきゃ、と冗談めかして将門は言った。

 悪意をすっかり吐き出し、向こうの気が済んだところで、今から落ち合おうと口早に切り出した。前例のない積極的な態度に相手は大いに珍しがり、理由は何ですかとしつこく質してきたが、会ってから話すの一点張りで押し通した。

「会ってから話すと言われたのが最後の会話になったケース、つい最近経験したばかりですが、まあいいでしょう。では今晩わちきの店で」

 壱八は安心して電話を切った。交通費は出ないだろうが、その程度の出費は今や少しも苦にならない。

 ひょっとして、この電話も覚醒した異能力を媒介して、願望が現実化したものなのか。いや、その考えは明確に間違っている。電話が鳴ったとき、額の傷口には何の変化もなかった。それは即ち、例の力の所産ではないことを意味している。タイミング良く連絡が入ったのは、偶然に過ぎない。

 傷の疼きがなければ、周辺の事物は従来通り自然の摂理に従う。だが、ひとたび額が疼いたなら。

 壱八の先には常識の通じない、条理の無効化された異世界が待ち受けていた。額の傷一つで、壱八は平凡な日常を軽々と乗り越える。その先にあるのは輝かしい未来か、それとも。

 壱八は頭を振った。どのみち動くしかないのだ。何が待ち受けようと。占い師はこの能力をどう思うだろうか。容易には信じないだろう。壱八自身ですら、納得するまでかなりの時間を要した。それも限りなく観念に近い形での納得だ。

 しかし、どう思われようと関係なかった。相手がいかなる対応に出たとしても、壱八はある提案を持ちかけるつもりでいた。

 不可解な異能の開眼をもたらした犯人に対する、それが壱八の意趣返しでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ