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異能探偵  作者: discordance
第二章
44/75

20

 エレベーター扉は固く閉ざされていた。階数表示は一階のままだ。もう管理人室に辿り着いた頃か。

 体を捻り、脇の通用口に眼をやる。ドアもないその先は、一階で見かけたのと同じ造りの階段スペース。下り階段の踊り場をぼんやり見下ろしながら、壱八は再び考えた。

 抜き取られた心の棘の傷痕が、いやに大きい。割と重要な何かを忘れている気がした。踊り場の壁に据えられた黄色い電球の天蓋を眺めているうち、壱八は占い師が言い残した最後の言葉をふと思い出した。

 と同時に、その言葉の真意を今頃になってやっと理解した。タクシー内にて将門の語った制作者犯人説が長らく耳に残っていたせいで、犯人イコール番組制作者イコール南枳実という図式が、思ったより強い磁力で脆弱な思考を縛りつけていたのだ。

 ここから絶対に離れないで。

 将門がそう言ったのも道理だ。あの絶叫がプロデューサーの放ったものなら、それは彼女が被害者であるからに他ならない。つまり室内には別の人物が、加害者がいて然るべきなのだ。

 背後で、ドアの軋む音。

 振り向こうとした矢先、仙骨の辺りに強烈な一撃を受けた。バットで殴られたような激痛が走る。階段の最上段で、壱八は大きくバランスを崩した。

「なっ……」

 視点の真下には水平な足場がない。硬いコンクリートの下り階段。バランスを保つべく海老反りに背を曲げ、なんとか階段の手前で踏み留まった。

 が、容赦ない第二撃を今度は腰の部分に喰らい、体は段差の上を、飛べない鳥のようにぎこちなく舞った。

 誰だ?

 後ろを振り返ることもできず、壱八は階段を踏み外した。

 誰が、こんな。

 地球の重力を呪う暇もなく、何者かに突き押された壱八はコンクリート階段を不様な姿勢で転がり落ちた。

 全身に走る衝撃。四肢を襲う絶え間ない鈍痛。コンクリート剥き出しの段差は、転落する人間を受け止めるにはあまりに感触が硬すぎた。

「…………!」

 どうして、俺がこんな目に?

 めまぐるしく回転する視野のせいで、天地の判別もつかない。こうなったら、気の遠くなりそうな痛みに身を委ね、重力に身を任せて踊り場に不時着するのを待つしかなさそうだ。

 そんな壱八の両眼が階段上の人物を捉えることは遂になく、代わりに視界を覆ったのは、クッション性を欠いた階段と地続きの、冷たい踊り場の床だった。

 ぶつかる……!

 咄嗟に顔を伏せた。顔面からの着陸を免れた代償に、眼の覚めるような凄まじい激痛を額の真ん中に受けた。

 その衝撃が、逆に痛覚のない深い無意識の闇へと意識を招じ入れた。


 ……音がした。

 声だった。人の、それも知り合いの声。

 壱八の名を呼んでいる。将門の声だ。

 床に伏したまま、将門に肩を揺さぶられていた。

 こっちは怪我人なんだ、もう少し優しく起こしてくれ……痛む頭でそう思ったが、五体の感覚が完全に蘇ると、動けないほどの負傷でもないと判った。

 壱八はゆるゆると頬を持ち上げ、青い顔で見下ろしている占い師を定まらぬ眼で見据えた。

「血出てますよ。平気ですか?」

「ああ、いや」

 自分でもよく判らない返事だ。将門がすぐに手を貸してくれたのは、後者の意を汲んだのだろう。

 半身を支えられ、膝の痛みに歯を噛み締めつつ徐に立ち上がる。質の悪い船酔いに襲われたような、不快な気分。力を入れて曲げるたびに、肘の関節がキーキーと鳴る。我が事ながら気持ちが悪い。

 鈍痛で体中熱を帯びていたが、中でも将門に指で示された前頭部、髪の生え際部分はやけに熱かった。手を当ててみると、青痣の浮かんだ掌に少量の血液。

「何があったんです」

「突き落とされた」

「誰に」

「判らん、あの部屋から、急に誰か出てきて」

 将門が患部に当てたティッシュペーパーを直接手に取り、壱八は階段を見上げた。

 最上段の先に、聞いた部屋扉の上端が小さく見える。

「歩けます?」

 爪先でコツコツと脚の状態をチェック。骨に異状はなさそうだ。

「まあな。あんまり歩きたい気分じゃないけど」

「どうします? ここで寝てますか」

 言いながら、壱八の腰に手を回した将門は既に階段に向け歩を進めている。疼く左膝を手で押さえ、目線を下に落としたまま壱八も続いた。

「ドアが開いてるなら、管理人を待つまでもありませんし。あ、スマホ返さなきゃ。おかげで君と心中せずに済みましたね、このスマホ」

「……ああ、命拾いしたようで、何よりだ」

 壱八が気絶していたのは束の間だった。管理人の不在を知った将門は、すぐさま階上に取って返し、どういうわけか一号室のドアが開いているのと、唸り声を上げ踊り場に倒れている壱八を相次いで発見した。

「階段で降りたんでしょう。完全に逃げられました」

 大きく開かれた一号室の扉の前で、将門は無念そうに言った。

 一体誰に逃げられたのか。壱八は訊き返すことができなかった。間違いなく、自分を階段から突き落とした奴のことだ。

 俺がもっとしっかりしていれば。このドアを注視していれば。自分が取り逃したも同然ではないか。

 開け放たれた室内に、一体何が待ち受けているのか。壱八は想像するのも嫌になった。

 先程の悲鳴の主が、もう二度と声を出すことなく、部屋のどこかで永遠に眠っていることに、疑いの余地などあろうはずもなかった。


 明かりの灯されたリビングに、〈ガダラ・マダラ〉関係者第四の死体があった。

 プロデューサー南枳実は叩き割られた自身の頭蓋から、壱八の出血を大幅に上回る新鮮な血液と、結局壱八の頭からは洩れ出ることのなかった生々しい脳漿とを仲好く吹き出し、フローリングに横たわっていた。

 何とも奇妙な屍だった。腹部の上に置かれた右手には、折れ曲がったIC定期券が握られていた。そのICカードを収めていたと思しき血染めの定期入れが、静止状態のロッキングチェアの傍らに見えた。定期入れに括られた丸い鈴も、ぬらりと赤黒く輝いていた。床に伸びた左手の中には、高級カトラリーと思しき銀のフォークが鈍い光を湛えて持ち主の掌を滑稽に飾り立てていた。理解を拒絶する意匠の数々に彩られ、プロデューサーは事切れていた。

 〈ガダラ・マダラ〉にかけられし不可解な呪いは、とうとう番組の制作者まで毒牙にかけたのか。ここではないどこかで、新たな死の到来を嗤笑している禍々しい存在を、壱八は疼痛の消えぬ脳の奥で、はっきりと感じ取っていた。

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