計画始動:その4
ジルは、少し冷静さを取り戻すと壊れ物を扱うかのようにリズの手を握った。リズは一瞬肩を揺らしたが、大きく無骨な手の温かさに嬉しそうに手元を見つめると緩く握り返す。
「容姿の話を引き合いに出された事を気にしていたようだが。それは私にも一因があるだろう。母という身近な手本となる女性の存在がいないというのに、そういった事を気軽に相談出来る人間の手配が出来ていなかった…いくら王妃教育があるとはいえ配慮が足りなかった、すまない。礼儀作法や勉学はこの上なく優秀だと、お褒めの言葉を頂いていた。リズの人柄も、陛下や王妃様からはとても好意的に受け取られているとの話だった。それだけで私は、その、誇らしく思い浅慮にも安心してしまっていたのだ…」
「いいえ!これは私自身の問題です。相談する機会は自分自身で作れたはずですのに、目を背けてきたが為にこういった事に。なにより子供の独りよがりな恋心に、家を巻き込んでしまい申し訳ございません。当主であるお父様の顔に泥を塗る結果となりましたし…」
「リズ…」
張り詰めていたものが緩んだのか、リズのキレイなアメジストの瞳からぽろぽろと涙が溢れ始めた。続けて「…放逐されてもおかしくない失態です…」と口にする時には、ジルの胸の中にいた。
「何故ソフィアの忘れ形見を…可愛い娘を!自ら追い出さねばならんのだ!もし良縁がなければ、領地経営の手伝いでもしながらゆっくり過ごせばいい!」
バタンッ!
「そうだよ!可愛いリズ。兄様がいるだろう?」
「お兄様…!」
「ウィリアム、ノックぐらいしなさい。」
「これは失礼致しました。可愛い娘との距離をなかなか縮められない、不器用かつ無愛想な父上にやっと訪れた親子の感動の時間を邪魔してしまいましたか?」
「ウィリアム!!」
「リズの近くでそんなに大声を出さないでください。ほら、驚いて固まってしまっているではないですか。リズ?兄様は何があろうと、可愛い可愛い妹の味方だからね?」
ウィルは、父親から奪い返すかのようにリズを抱きしめた。この次期公爵家当主である、ウィルことウィリアム・バーグナーはこの家の者にしては珍しく、社交性の高さを備えていた。その振る舞いは、ジルの妻であり二人の母に良く似ていると、社交界の華と呼ばれた夫人を知る者達は口にしていた。進んで社交の場に顔を出すわけではないが、出席した場ではウィルからダンスに誘われないかと期待するご令嬢達が色めき立ち、自ずと渦中の人となる。リズと同じ髪と瞳の色を持つ彼だが常に穏やかで優しく、紳士的。時折、薄紫の瞳が鋭利にきらめく際の、知性が滲み出たかのような容貌に虜になったご令嬢からのアピールが後を絶たない。
そう、プレイしてはいないが彼も攻略対象の一人だったはずだ。親友が、第二の推しのウィルを攻略途中で「ふぉぉぉぉぉー!シスコンイケメーーーン!それもまた良ーし!推せるぅぅ!」と独り言を言っていた…
情報通り、ウィルはシスコンだった。重度の。
「家族(妹)を共に大切に思ってくれる人としか、私は将来を誓えない。」と公言する程だ。周囲からは、なんて家族思いな方!と評価が上がっているようだが。恋は盲目だ。
「大丈夫だよ。リズは優秀だから、兄様の仕事の手伝いをして過ごしてもいいんだし。学園は頑張るのも良し、噂が気になるなら少し休んでも良し。でも初めての失恋だし辛かったよねー。よーしよし…」
「お前は、私が言うつもりだったことを先に…」
「父上の堅苦しい前置き付きの話を待ってたら、明日の朝になりますから。」
「堅苦しい…」
「そうでしょ?父様の可愛いリズ。父様はお前が大好きだから守るよーと、もっと簡単に言えばいいでしょうに。」
「お父様、お兄様…」
やっと訪れた不器用親子のぎこちないコミュニケーションは、私にとっても微笑ましい。
ウィル、なかなかいい仕事をするではないか。
二人の愛情は、今のリズにとって一番心強いものだ。自分の思いを相手に伝える、そして伝わり心を通わせる事で安心し自信が生まれる。今までそれを怠っていた自分を変える為に、決意を持って告げた。
「婚約破棄の影響は、きっと優しいものではないと分かっています。ですが、私は学ぶ事が好きです。ですので、このまま学園へ通わせてください。…あと、あの、みみ…見た目を!少々変えてみようと思うのです…無駄に装飾品を購入したりドレスを沢山新調し散財したいわけではなく。勿論、社交の場に恥ずかしくない装いの為に、ドレスを作ることもあるかと思いますが。まずは、出来ることから自身を変えていこうと思うのです。」
「…リズ。そんなに変わりたいぐらい殿下の事が忘れられないのかい?」
「そんなに傷ついて…」
「?!」
いやいやいやいや…
前世でも、女性がばっさり髪を切ったり服装の雰囲気を変えたら、何故か周囲は失恋などを連想しがちだ。きっかけの一つとしてはあるだろうが、大多数の理由はもっとシンプルだ。今の自分より自分を愛したい、可愛くなりたい、綺麗になりたい、素敵になりたい。ただそれだけ。それで理由は十分だ。
「違います!殿下のことは好きでしたし、破棄の件はとても悲しかったですが。殿下の為に今更、綺麗になりたいなどとは全く思いません。…正直、あの場であのような振る舞いを見せられて、ただ想っていただけの心に戻れる気がしませんし。」
『そーだ!そーだ!言ってやれー!』
「そう、なのか?」
「ねぇ、リズ。厳しいことを言うようだけど、もう何があっても殿下との再度の婚姻は当家は認めない。可愛い妹を傷つけたんだ、個人的にも私はあの殿下を許すつもりはない。殿下にも、愛する女性が既にいるんだろう?今更もう一度なんて、まあ現実的ではないよね。それに社交界は、色々と真実かどうかは別として噂は広まるものだよ。今まで散々目を背けてきたのに頑張れるのかい?」
どうも二人からしてみたら、恋に破れ自棄になり無理をしてでも振り向いて欲しいと足掻いているように見え、心配しているようだ。あえて咎めるようなウィルの言い方からも分かる。
初恋は、恋に恋するように鮮やかで甘く美しく期待に満ちている分、現実に引きずり落とされた時はより遠くに感じる。もう二度と戻れない、遠い過去の物語のように一気に色褪せる。
一つの身体で、初恋が砕ける瞬間を共有した後から感じていた。リズの初恋が遠ざかる感覚を。
なにより、地味と称されるリズだけどいつまでも泣き続ける弱い心の持ち主ではないことは、私が誰より知っている。
『リズ…』
『分かってるわ。』
「私は、今まで容姿ではなく内面で評価されたいと思っておりました。ですがそれは甘えです。内面を磨いた上で、それに深みや重みを与える役割が外見を整えることにはあると大切な友人に教わってきました。人の印象は五つ数える間には、ほぼ決まってしまうそうです。それを覆すのは大変だと。だからこそ、人に影響を与える立場に立つのならばその努力も当然必要だと。…今回、痛い程分かりました…幸い、その友人は助言を聞き入れなかった私を見捨てず、力を貸してくれるそうです。ですので、私自身の為にも私を大切に思ってくれる人達の為にも…私のこれからを変えたいのです。」
少し呆気にとられた顔から、じわじわとジルは眩しいものを見るかのように穏やかに微笑んで「…そうか、頑張りなさい。」と呟いていた。
「困った時は、兄様に相談するんだよ?」
ウィルは、優しく頭を撫でてくれた。
「…私は私の方法で、バカを潰すつもりだから…」
喜べ、親友。新しい情報だ。
君の第二の推しは、腹黒設定も備えていたぞ。
『リズやるよ!明日から。まずは髪型…服装、体力と体幹も鍛えなきゃね!やることが盛りだくさんだわー。朝早くからするつもりだから早く寝ないとね。』
『張り切ってるわね。不慣れだけれどよろしくお願いしますわ、先生。』
『任せて。慣れるまで大変かもしれないけど、信じて。幸せにしてみせるから!』
『ふふ。プロポーズみたいね。勿論、あなたを誰より信じているしついて行くわ。』
バルコニーで二人、笑い合い見上げた先には満点の星空。確かにシュチュエーション的には、プロポーズのそれだ。生前、お客様も言っていた。美容室・美容師選びは長い付き合いになる分、婚活に似ていると。だからあながち間違いではない。
『リズ。』
『なぁに?』
『私、明日になるのが楽しみ。この世界でこんな気持ちになれるなんて。私に存在意義を与えてくれてありがとう。』
『どうしたの?急に。』
『べっつにー?』
あなたの魅力を引き出したいって思えたから、ここでまだ生きていたいと思ったんだよ。あなたが友達になってくれたから。
『それなら私もだわ。私も明日が来るのを楽しみにしているわ。殿下のことで粉々になってしまったかのように痛みに疼いた心が、あなたに釣られて楽しみで踊っているの。一人では、こうはなれなかったもの。ありがとう、私の一番のお友達の私…』
さあ、いよいよ明日から思う存分仕事ができる。
開花させる愉しみを知らないお子様な王子様に、愛で育て蕾が咲き誇る瞬間の美しさを、遠くで指を咥えて見てもらいましょう。
ここからは、私の領分だ。