「千鳥ヶ淵」
俺の名前はジョージ、しがない探偵なんて稼業をしている。
俺がその女の死に興味を持ったのは、ある調査がきっかけだった。
依頼人はテレビでも顔なじみの有名女優“I”
あるホストの素行を調査して欲しい、と頼まれた。
それはよくある浮気調査だった。
“I”がホストクラブに出入りしていることも若いホストに入れ込んでいることも、
ワイドショーを見ている主婦なら誰もが知っている。
ホストの源氏名は“ヒカリ”、新宿のホストクラブ“L”に勤務している。
女優“I”よりも十歳も年下で、童顔で優しい顔立ちの男だった。
くだらなくて、切実で、女のプライドと愛情の全てが詰まった仕事。
俺は依頼を受けたその瞬間から調査を始めた。
仕事を終えて帰宅するヒカリを尾行し、出勤するまで張り込みを続ける。
特におかしい素振りや怪しい行動は無い。明け方、酔いつぶれる寸前の千鳥足でそれでもまっすぐ自分のマンションに帰る。
店内でのヒカリの言動は“I”の協力の下でこちらに入ってくるが、ホストの中でも特に一途な奴らしい。
なぜこの男を疑うのか俺には理解できないくらいだ。
野心に溢れ誰もに好かれ大金を稼ぐタイプではなく、誠実ないい奴に見えた。
だが、調査を開始して3日目の夕方、ヒカリはおかしな行動を取った。
車に乗らず、ふらふらと徒歩でマンションを出る。
もうすぐ出勤時間だというのに部屋着のままだ。
そして俺の見ている目の前で千鳥ケ淵の水中に沈んでゆき、
そのまま上がってくることは無かった。
ヒカリの死体が上がったのは大規模な捜索が始まってから13時間後のことだ。
花見の季節にはまだ早いとはいえ、千鳥が淵周囲は人通りも多かった。
目撃者も多く、その間にマスコミやインターネットでも取り上げられ、
このホストの入水自殺は瞬く間に俺の依頼人の耳にも届いていた。
俺は纏めた報告書と一緒に“I”のマンションを訪ねた。
まだ“I”には涙の跡は無い。ヒカリの死を信じられないといった様子だ。
俺の報告書に目を通す。
責められるかとも思ったが、まだ大人の対応ができるようだ。
そして、これも俺の予想に反して調査は継続されることになった。
ターゲットが死亡したのになぜ浮気調査が・・・
「それはインターネットをご覧になったほうが、理解していただけると思います。」
そんな思わせぶりな言葉が調査継続の理由だった。
理由はすぐに判明した。
俺の目にはあの時ヒカリは一人で、着衣のまま、まるで泳ぐように水の中に歩いてゆき、不意に潜って姿を消したように見えた。
周囲の人間が騒ぎ出したのも、俺が何をしようとしていたのかを理解したのも、水面にヒカリが浮いてこなくなってから5分は経った頃のことだ。
だが、インターネットでは別な説が浮上していた。
目撃者の証言はかなりの数「ヒカリは二人で水の中に入った」と言っていたのだ。
茶髪に派手な化粧をした二十歳くらいの女に手を引かれていた、と書いてあった。
もちろんその女の死体は上がっていない。心中説、幽霊説など大変な騒ぎだ。
ゴシップ好きの野次馬に恰好の餌が与えられたようだった。
不透明な女の正体は、すぐに突き止められた。
新宿の“L”でヒカリと仲のよかった数人のホストに聞き込みをしたところ、
彼らは口をそろえて「きっとユキちゃんだよ。」と答えてくれたのだ。
六本木のキャバクラ“R”で、2年前にトップだった“ユキ”
本名、林 有紀。当時19歳。
ヒカリの結婚相手だった。
ヒカリは2年前にユキと結婚していた。
そして、二人はその一ヵ月後に無理心中を図っていた。
ユキは命を落とし、
ヒカリは生き残った。
「きっとユキちゃんに呼ばれたんだよ。」
皆、そう言った。あとで知ったのだが、この話もすでにネットの噂になりかかっていた。
そんなホスト仲間の戯言に興味は無いが、少し引っかかるのは確かだ。
ヒカリが「心の病」を抱えていた可能性だってある。
俺はまず多摩川沿いにあるユキの実家に足を運んだ。
そこでまだ娘を失った傷の癒えていない母親と話しをすることが出来た。
母親の話ではユキは子供の頃から意志の強い、自我の強い子供だったらしい。
高校を中退しアイドル歌手を目指して上京したはいいが、挫折。
それから水商売を続けて、それでも夢を諦めきれず・・・
俺は話を聞きながら仏壇の遺影を見上げた。
なるほど、綺麗なだけじゃ無い。確かに個性の強い顔立ちをしている。
……………
閉店後の六本木“R”、明るくなると絨毯の汚れは一際大きくなる。
酒と欲望と、血と吐瀉物とが混じった赤黒い染みが店のそこかしこにあった。
俺のことを煙たがっている店長と、当時を知る一人の女と俺は差し向かいで座っていた。
「ユキは綺麗な子だったよ。」
そのホステスはあまり嫌な顔をせずにユキについて俺に語ってくれた。
「聞いた話だけど、ユキって中学のころから男が切れた事が無いんだって。
自慢してた。
いつでも2~3人、呼べばすぐ来る男がいたし、
“うち”に来てからもあっというまにトップだもん。
なんか男を挽きつけるフェロモンとか出てるよ、絶対。
本命?
何言ってんの?ないない。
あの子、男に惚れたことないんじゃないかな。
じゃなければ、あんなに男を道具みたいに扱えないって。
ヒカリ君?知ってるよ。
あの便利くんでしょ?
でも本命じゃないはず。そんなに好きでも無かったはずだから
結婚したときはびっくりよお。
第一ホストなんかに本気で惚れると思ってんの?
面白いね、探偵さん。」
……………
─── 新宿
「あー、もう言っちゃってもいいよね。」
“L”に出勤しようとしていたホストはそう言って自分に許しを得た。
「ヒカリはさ、ホントいい奴だったんだよ、ですよ。
この仕事しているのが不思議なくらい。
見る目のある女はヒカリを選びましたよ。
Mo.1になるのは無理なタイプですけどね。
難しいッすね、この仕事。
・・・あ、すんません。
凄く一途でさ、ユキちゃんと付き合うようになった時も凄く嬉しそうでしたよ。
本気でユキちゃんのこと好きだったみたいですよ。
でも、魔が差したんですよ。
ヒカリの奴、一回だけ浮気をしたんですよね。
それがユキちゃんにバレちゃって、凄い修羅場になったみたいですよ。
でも、そのあとすぐに結婚することになって、
仲直りしたんだと俺たちみんな思ってましたよ。
そしたらさ
すぐ二人で死にかけたとか言うし、ユキちゃんマジで死んじゃうし。
マジ、わけわかんないッすよ。
それで今度はヒカリまで・・・
あの事件・・・ホントにユキちゃんがヒカリを引きずり込んだんですかね・・・?
あ、すんません・・・。
もういいですか?遅刻しそうなんで、それじゃ。」
……………
「そう・・・ですね、有紀は私には比較的、なんでも話してくれた、と思います。」
冷めた喫茶店、冷めたコーヒー。
ユキの高校時代の友人に話しを聞く事が出来たのは幸運だったのだろうか。
「でも、有紀って何考えてるのかわからないところあったから・・・
あんな・・・心中なんてするなんて・・・
ヒカリさん、ですか?・・・ああ、ヒカリさん。結婚式で見かけて以来ですね。
収入のいいイケメンだって、かなり自慢してましたね。
好き、だったと思いますけど・・・?
ホストだったんですか?知らなかったぁ・・・
うーん、どうだろう・・・?
ね、そう、そう、ヒカリさんと一緒に死のうとしてますからねえ。
好きだったんじゃないですか?そういう事する相手なんですから。
ああ、はい、理由については何にも・・・すみません。
え?
・・・・・あぁ
・・・・
・・・はい、有紀のことキライって女の子多かったですよ。
男を取られたとか、ちょっと綺麗だからって生意気とかよく言われてました。
嫌がらせとかされたこともあったみたい。
ホントに自分が綺麗なの、有紀、自慢してたから。
おばさんになんかなれないよねって、よく言ってました。
ええー?信じられないですよー今でも。
いや・・・逆かな。
心中・・・するなんて・・・ちょっと・・・有紀らしい・・・かも。」
……………
この他にも数人の証言を得ることは出来たが、まあ似たり寄ったりだ。
近藤さんに当時の資料を見せてもらったが、心中のセンも間違いない。
多量の睡眠薬とウォッカの併用。
どちらもユキが自分で購入し、使用している。
ヒカリは“それ”に無理矢理つき合わされたらしい。
ヒカリ自身の証言でも、この無理心中の理由ははっきりしない。
ある日突然ユキに「一緒に死んで。」と言われた、とある。
それ以上の理由は不明だ。
119番に通報したのはヒカリ自身だ。
睡眠薬服用からおよそ20時間後、意識を回復し救急車を呼んでいる。
死ぬのが怖くなった、そう証言したらしい。
目を覚ましたら怖くなって、ろれつの回らない口で急いで救急車を手配した。
救急隊が駆けつけたとき、ヒカリにはかろうじて意識が残っていた。
だが、ユキは助からなかった。
ヒカリはかなり憔悴していたらしいが、半月後に退院しホストに復帰している。
それから2年。
ヒカリの心の傷が癒えた頃に出合ったのが、女優“I”だった。
一回り近い歳の差が、かえってよかったのだろう。
二人はゆっくり時間を掛けて恋に落ち、そして結ばれた。
その直後、ヒカリは自殺したのだった。
……………
「もうすべてわかりました。ありがとうございます。」
ここで調査は打ち切られた。
“I”はこれまでの俺の報告書に目を通し、もう結構です、と言った。
正直、まだ俺には納得いかない部分が多い。
ヒカリの死も2年前の心中の理由も、まだ解明されてはいない。むしろ何が何だかわからないくらいだ。
俺の調査に不満があったのだろうか。
不安が咄嗟に頭をよぎったが、どうやらそうではないらしい。
“I”は妙に落ち着いていた。
これまでの調査報告で何かを悟り、自分なりの結論に達した。
そんな表情をしていた。
端正な横顔に、涙が一粒、流れて落ちた。
やっと、彼女の時間が動き出した。それを告げる涙の雫だった。
こうして、俺のファイルはまた1ページ、謎のまま閉じられることになった。
帰り際、美しい依頼人が立ち去る俺に深々と頭を下げる姿が見えた。
そして俺は千鳥が淵に立ち、この景色を見下ろしている。
野次馬やマスコミの数はこの数日で減ったようだが、それでもまだ賑わいを見せていた。
俺はタバコに火をつけた
濁った水
ヒカリを飲み込んだ堀の水は今日も泣き出しそうな雨雲の色だ。
俺のやるせない気分を映し出すような、そんな曖昧で静かな、水の色だ。
…………… エピローグ
寂れた裏通りのひなびたバーで、俺は今夜もバーボンのグラスを傾けている。
俺の隣の席にはサオリが座っている。
他に客は居ない。
店内には聞きなれたいつもの曲が流れている────
──── 少し、酔ったようだ。
普段なら絶対にしないことだが、俺はサオリに今回の事件について話していた。
“答え”が知りたかった。
途中で打ち切られたからではない。
これ以上調べても俺には解けないと直感がそう教えてくれていた。
サオリは静かに俺の話しをすべて聞き終えた。
少し酔ったサオリは頬を桜色に染め、綺麗だった。
サオリはくすりと微笑むと、テーブルの上で指を組んで俺を見つめた。
「そうね・・・ジョージ君には・・・わからないでしょうね。」
サオリはもう一度悪戯っぽく、くすりと笑った。
それは俺が今まで見た事の無い、寂しくて優しい、サオリの自嘲の微笑だった。




