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第1章・嘲笑

「ライトォー! いったぞーっ!」


 威勢のいい掛け声とともに白球が飛ぶ。ここは町営の公園隣にあるグラウンド。学校帰りの高校生たちが野球に興じている。当時、この魅月町には大した娯楽施設がなく、暇を持て余した若者が球技に熱中することも珍しくない。


「よぉし、追いついた」

 

 高く舞い上がった打球が、ゆっくりと弧を描いてライトのグラブに収ま……らなかった。エラーだ。それをみたランナーが一斉に走り出す。


(おいおい……いい加減にしろよ。アイツ一人で合計4回目のエラー。これでもう5点差だぞ?)

 

 そう思っているのは、ピッチャーをしている男子だ。わざと周りに聞こえるように舌打ちをし、マウンドを強く蹴りつけている様子を見ると、かなりイライラしているようだ。


(あのライト……誰だよ、あんなヤツをチームに誘ったのは。ウゼぇ……)


 肩まで伸ばした長めの茶髪、鋭く、やや吊り上がった目、一見して「不良」を思わせるこの少年が、この物語の主人公、夜季(よき)である。姓はまだ伏せておく。


 夜季はグラブを投げ捨て、ベンチのほうへ歩き出す。驚いたチームメイトの男子が声をかける。


「お、おいヨキ! どこ行くんだよ! まだ途中だろ!?」


 振り返りもせずに、夜季は答える。


「帰る。あんな”負けたがり野郎”がいたんじゃおもしろくねぇし、たかが暇つぶしで余計なストレス感じたくねぇからな。……そろそろ、野球にもあきたし」


 エラーをした男子――体格はいいが、どうにも気弱な印象だ――が何度も頭を下げるが、夜季はそのままワイシャツとカバンを取ってグランドを出て行った。


(ったく、鈍くせぇ奴……高校生か? あいつ、本当によお)


 ぶつぶつと文句を言いながら、夜季は近くの自販機にコインを入れる。すると……


「お前さんが打たれんけりゃいいのにのう」

 

 と、声が聞こえた。


「? ……誰だ……?」

 

 コインを入れたまま、自販機から離れて声の主を探す。しかし、周囲に人影は見られない。


 もう一度自販機のほうを振り返ると、いた。


 ヨレヨレの和服を身に纏った白髪の老人が、いつの間にかそこに立っていた。そして、すっと手を伸ばし、自販機のスイッチを押す。


 ピッ、ガシャン。


「あ、おい! それはオレの金……」


「ん? なんだ、離れていくからもういらんのかと思うたわ」


 老人は悪びれる様子を見せず、逆に人の神経を逆なでるようなニヤニヤとした笑みを浮かべている。奇妙な老人だ。どこから見ても60を過ぎた老人なのだが、全身から若々しい空気を放っている。

 

「そうそう、野球の話だったな。エラーが多いと感じたら、その分野手にプレッシャーを与えんような気遣いがいるだろう。第一、ピッチングで三振に抑えれば何も問題はない」


 老人は淡々と言葉を続ける。


(あ……? なに言ってやがんだ? コイツ……)


 突然現れたわけのわからない人物にいきなり説教されて、夜季はますます苛立ってきた。


「ゴチャゴチャとうるせぇんだよ! ケンカ売ってやがんのか!?」


 夜季は老人の胸倉を掴み、思い切り怒鳴りつける。しかし、老人は少しも動じず、なおも口を動かす。


「肝心なのはミスそのものではなく、そのミスを放置しとったことだ。キチッと対処していれば、一度や二度のミスなど……どうということはない」


 言っていることが正論なだけに、余計に腹が立つ。夜季の堪忍袋の緒が切れた。


「黙れっ! このクソジジイ!」


 空いていた方の拳を固め、老人の顔面目がけて殴りつける。が、うめき声を挙げたのは夜季の方だった。


「! ってっ……! 痛……」


 老人はスルリと拳を交わし、逆に夜季のみぞおちに一撃を入れていた。


「年寄りに暴力を振るうなや。まったく、最近の若いもんはマナーがなっとらんのぉ」


 そう言い捨てて、老人はスタスタと歩き去って行く。


「ま、待ちやがれ!」


 夜季は叫ぶが、腹部に走る痛みのせいで追いかけることが出来ない。


「ま……もちぃーっと冷静にならにゃあいかんなぁ。それはくれてやる」


  老人はそのまま公園を出て行った。しばらくしゃがみこんでいた夜季はようやく立ち上がり、自販機の取り出し口に手を入れる。

 

「『それ』ってさっきあのジジイが買ったやつか? くれるもなにも、元々は俺の金だっつーの……って、なんだこれ!?」

 

 夜季が取り出したもの。それは一目で子ども向け、と分かる牛の絵がプリントされた牛乳のビンだった。

 

「ふざけんじゃねーぞ!ジジィ!」


 ――せいぜいカルシウムでも摂るんだな。クックックック……

 

 そんな声が聞こえたような気がして、夜季は再び怒りに震えた。

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