第13章・秋空を走る風
――太一は、ほんの気まぐれに、狭い路地裏を覗き込んだ。そこに、なにかを見たような気がした。
「なんだろう……あれ」
昨日雨が振ってできたぬかるみの中に、なにか赤いものが見える。
(まさか……)
胸騒ぎがした太一はそれに近付き、泥の中から拾い上げる。真っ赤な布地に、金色の糸で唐草模様が描かれたそれは、見覚えがあった。
「隆二さんのバンダナ……?」
この間、汚れて洗濯していると言っていたバンダナだ。その日以降、隆二は別の真新しいバンダナを購入して頭に巻いていた。
「どうしてこんなところに?」
そして、太一は気が付いた。金の唐草の部分に、よく見ると赤いものがこびりついていた。確かめなくてもわかる。紛れもなく、それは乾いた血液だった……――
「ハーイ、カット! OKだよ、マー君」
一か月が経ち、10月の中旬。
雛子の声を聞いて、路地裏から太一に扮した有田が出てくる。
「どーよ、今の血に驚いた表情」
「よかったよ〜。ね、みんな」
周りで待機していた他の役者たちに声をかける。
「有田先輩、驚く演技上手ですね」
「だろ〜? ”驚きマー君”と呼んでくれ」
おどけて言うと、笑いの渦が起こった。
初めは主人公役の有田が一人だけ大学生ということで、他の役者たちもやりづらいようだったが、有田自身のキャラクターのおかげですぐに打ち解けることができた。
「そんじゃ、ユーシ。今のシーンに、過去のイメージ挿入するのよろしくね」
了解……とは、当然言わない。夕紫の役割は、録画した映像の編集だ。元々専門の知識を持っていたわけではないが、参考書を一冊読んだだけでマスターしてしまったというのだからスゴい。
「次はミオちゃんたちの場面か……その前に、一旦お昼ゴハンの休憩にしよっか」
「はーい」
生徒達が昼食を買いに行ったり持参の弁当を広げたりする中、雛子は凛と夕紫、そして有田を集める。
「はいコレ、三人のお弁当。ミオちゃんはクラスの子たちと食べるって」
「いつもありがとう。本当にいいの? 休日撮影の度にこんなに……」
「いいの。どうせ自分の作るんだから、ついでに」
雛子は得意げに笑ってみせる。
「いや〜、スーコちゃんの弁当マジ美味いわ。もうこれが一番の楽しみ」
早速中身をつまんだ有田が舌鼓を打つ。
「ありがと。……そうそう。もう一人持って行ってあげなきゃね」
「あ、僕が持って行こうか?」
凛が提案するが、雛子は首を横に振る。
「あたしが行く。アイツがちゃんと仕事してるか見なきゃいけないもんね」
そう言って、雛子は弁当の入った手提げを持って走り出した。
「1時までには戻るからねーっ!」
活気に満ちあふれた声を聞いて、凛は小さく微笑んだ。
「元気だね、いつも。スーコさんは」
「おまけに料理上手。こりゃあいい嫁さんになれるんじゃねえの?」
早くも有田は弁当の半分を平らげていた。
「ただ、アイツ一人だけだよな。素直に弁当受け取らないのは」
「そういう性格なんですよ。借りを作りたくないって言ってました」
雛子は弁当を気遣いつつも飛ぶように走り、やがて町はずれの農場に辿り着いた。
農場とは言っても、数年前から地主が趣旨を変え、現在では牧草地帯になっている。魅月町内で最も広いこの草原に、目的の人物はいた。
「ヨキーっ! 差し入れ持って来たぞー!」
秋の様相を示す草花の上を、活きのいい声が滑って行く。
「またかよ……いらねえっつってるだろ?」
キャンバスに向かい合っていた夜季は、不機嫌そうな表情で振り返る。
「ちゃんとゴハンは食べなきゃダメでしょ。……なんだかんだ言って、いつも残さず食べるくせに……」
「なんか言ったか?」
「んーん。別に」
茶色付いた草の先が、雛子の二の腕をくすぐる。季節はすっかり秋になっているが、今日は天気がいいので活発に動き回る雛子などは半そでのTシャツ姿だ。少し長い距離を走ってきたせいで、肌が上気しているのがよくわかる。
「ねー、ヨキ。実際にステージで使うのは、もっと大きいやつに描くんでしょ? しかも夜のシーンなのに、なんで昼間っからこんな小さいキャンバスで描いてんの?」
「リアリティを出すためには、昼間の光景も観ておいた方がいいと思ってな。それに長いこと絵筆握ってなかったから、リハビリも兼ねてな」
夜季は渋々と弁当を広げながら話す。
「へー。なんかよくわかんないけどスゴい。こういうのは真剣にやってくれんのね」
「……どうせなら出来るだけリアルな絵にしてくれって言ったのは誰だ?」
「誰やったっけ? リンかな。あ、もしかしてじぃ?」
「お前だお前! 無理やりジジィの名前を出すな!」
眉を寄せて思いっきり嫌がった顔を作る。
「アハハ。じぃはヨキの天敵やっちゃね〜」
「方言出てるっての」
気持ちのいい秋晴れの下、雛子も夜季の隣に座って食事を始める。
「はぁ〜……いい天気やねぇ」
「お前、最近訛りが強くなってきてねえか?」
夜季が指摘すると、雛子の箸がピタリと止まった。
「そーいやぁそーやねぇ。今まではじぃと二人きりんときか、テンション上がりまくった時だけやったとに……。最近は、夜季と一緒のときでん方言になっわぁ」
「どーゆー生態してんだ、お前は……」
「なんよー! 人んこつを人間じゃないみたいん言って!」
怒るとますますひどくなる。
「ギャーギャー言ってねえでさっさと食え。時間なくなるぞ」
人の弁当を食いながら偉そうに言っている。二人とも食べ終わると、夜季はすぐにキャンバスに向きなおった。
「早く帰れ」
「ごちそーさま、ぐらい言ったら?」
「……ごちそうさま」
「ん、オッケー! んじゃ、頑張ってね〜」
雛子は満足して、再び風のように走りだした。
「元気だなぁ……いつもアイツは」
凛と同じことを言っているが、微妙にニュアンスが違う夜季なのであった。




